「届かない想い」
第十八話
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家。
リビング。
静かな空気。
テーブルの上には、
まだ温かいお茶が置かれていた。
時計の針だけが、
静かに音を刻んでいる。
玄関の扉が開く。
ミルとノワ、
そしてルナが戻ってきていた。
ナナ
「あら、おかえりなさい」
ナナはいつものように微笑む。
だが――
すぐに気付いた。
空気が違う。
重い。
そして。
ノワの肩。
服の一部が裂け、
わずかに傷が見えていた。
ナナ
「ノワ……」
ノワ
「大したことないわ」
即答だった。
だが、
その声には少し疲れが混ざっている。
ミルは何も言わない。
俯いたまま、
猫じゃらしを握っていた。
ナナ
「……ミル?」
ミル
「……」
ミルはゆっくり顔を上げる。
その目は、
少し赤くなっていた。
ミル
「助けられませんでした」
静かな声。
今にも消えそうなほど小さい。
ナナは何も聞かない。
ただ、
ゆっくりミルの前へ歩み寄る。
そして、
そっと抱きしめた。
ナナ
「ミル」
ミル
「……」
ナナは優しく、
ミルの頭へ手を乗せる。
ナナ
「ちゃんと帰って来てくれて、ありがとう」
その瞬間。
ミルの目から、
大粒の涙が落ちた。
ぽたり。
ぽたりと、
ナナの服へ染み込んでいく。
ナナ
「それだけで、十分えらいわ」
ミル
「ナナぁ……」
堪えていたものが崩れる。
ミルもナナへ抱きついた。
ナナは何も言わず、
ただ優しく背中を撫でる。
静かな時間だった。
やがて。
ルナが口を開く。
ルナ
「正確には」
ルナ
「助けられる状態じゃなかった」
ミル
「……」
ルナ
「“歪み猫”よ」
ナナ
「歪み猫……?」
ルナ
「迷い猫が」
ルナ
「他の魂を取り込んで歪んだ存在」
ルナ
「中で魂が混ざり合って」
ルナ
「どれがどの魂か分からない状態になってる」
ナナの表情が、
わずかに曇る。
ルナ
「普通の迷い猫とは別物」
ルナ
「今のままじゃ」
ルナ
「浄化は出来ない」
ミル
「……でも」
ミルはそっとナナから離れる。
涙を拭きながら、
小さく俯いた。
ミル
「苦しんでました」
ルナ
「ええ」
ルナ
「間違いなくね」
一瞬の静寂。
ルナ
「そのまま力をぶつければ」
ルナ
「中の魂ごと壊れる」
ミルの手が、
わずかに震える。
猫じゃらしを握る指に、
少し力が入った。
ミル
「……」
ミル
「……壊すところでした」
小さな声。
自分へ言い聞かせるみたいだった。
ノワ
「……」
ノワは静かに目を閉じる。
そして、
少しだけ目を細めた。
ノワ
「それでも行ったでしょ」
ミル
「……」
ノワ
「知ってても」
ノワ
「止まらないんでしょ」
ミル
「……はい」
ノワ
「ほんとバカね」
ため息混じりの声。
だが、
その響きは優しかった。
ノワ
「だから困るのよ」
ミル
「……?」
ノワ
「放っておけなくなるでしょ」
ミルは少しだけ笑う。
泣き顔のまま、
小さく。
ルナが静かに息を吐いた。
ルナ
「……方法はある」
ミル
「……!」
ミルの顔が上がる。
ルナ
「ただし」
ルナ
「簡単じゃない」
ミル
「教えてください」
即答だった。
迷いが無い。
その目を見て、
ルナは一瞬だけ黙る。
そして、
静かに語り始めた。
――回想。
異世界。
神社の奥。
静かな空間。
外とは違い、
空気が少し重い。
灯りだけが、
静かに揺れている。
猫神様とルナが向かい合っていた。
猫神様
「歪み猫はな」
猫神様
「普通に倒しても意味がない」
ルナ
「……はい」
猫神様
「あれは“魂の塊”じゃ」
猫神様
「壊せば」
猫神様
「中の魂も砕ける」
ルナの表情がわずかに曇る。
ルナ
「……では、どうすれば」
猫神様は、
ゆっくり杖を地面についた。
コツン――
静かな音が響く。
猫神様
「閉じ込めるしかない」
ルナ
「……閉じ込める?」
猫神様
「お主の糸の結界で魂の逃げ場を無くす」
猫神様
「その為に結界の中で歪み猫を倒さねばならんがのぅ」
ルナ
「……私の糸の結界で?」
猫神様
「そうじゃ」
猫神様
「じゃが――」
一瞬の間。
猫神様の声が、
少しだけ低くなる。
猫神様
「少しでも乱れれば」
猫神様
「魂は散り」
猫神様
「元には戻らん」
静寂。
ルナは目を閉じる。
責任の重さが、
静かにのしかかる。
ルナ
「……分かりました」
ルナ
「やります」
猫神様
「無理はするでないぞ」
ルナ
「……はい」
猫神様は、
少しだけ優しく目を細めた。
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回想、終わり。
静かなリビング。
ルナ
「……歪み猫を倒して」
ルナ
「魂を外に出す」
ミル
「外に……?」
ルナ
「先に歪み猫を私の糸で閉じ込める」
ルナ
「その状態で倒せば」
ルナ
「魂が散ることは無い」
ルナ
「魂を隔離できる」
ナナ
「……それって」
ナナ
「すごく危ないんじゃない?」
ルナ
「ええ」
ルナ
「失敗すれば」
ルナ
「全部消える」
静かな声だった。
だが、
その重みは全員に伝わっていた。
ミル
「……」
ミルは俯く。
少しだけ、
拳が震える。
それでも。
その目は揺れなかった。
ミル
「やります」
ノワ
「即答ね」
ミル
「助けられるなら」
ミル
「やります」
ナナ
「……ミル」
ミル
「?」
ナナは少しだけ微笑む。
優しい笑顔だった。
ナナ
「無理はしなくていいのよ」
ミル
「……」
ナナ
「でも」
ナナ
「ミルが助けたいって思ったなら」
ナナ
「その気持ちは、きっと間違ってないわ」
ミルの手が、
ぎゅっと握られる。
ナナ
「だから」
ナナ
「帰って来てね」
ミル
「……はい!」
強く頷く。
ノワはその様子を見ながら、
小さく息を吐いた。
ノワ
「……はぁ」
ノワ
「付き合うしかないわね」
ルナ
「……決まりね」
ナナは優しく頷く。
ナナ
「気を付けてね」
ミル
「はい!」
ミル
「絶対助けます!」
その声は、
もう迷っていなかった。
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夜。
静かな時間。
二階。
窓の前。
ミルは一人、
外を見ていた。
暗い異世界。
遠くに広がる静かな街。
ミルはそっと、
猫じゃらしを握る。
ミル
「……待っててください」
小さな声。
静かな夜へ溶けていく。
一瞬の間。
ミル
「今度は」
ミル
「間違いません」
ミルは猫じゃらしを胸へ抱く。
ミル
「ちゃんと」
ミル
「届かせます」
その手の中。
猫じゃらしが、
ほんのりと、
優しくピンク色に光った。
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第十八話 完




