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 今日はお父様は早速エディアルドも連れて、領内の見回りに行った。

 私はいつもどおりお父様の馬に乗った。ちょっとだけエディアルドと乗りたいと思ったけど、そうしたら私きっと恥ずかしくて息もできなくなるから、まだダメ。ああ、でも、いつかは相乗りできるようになりたい。そうしたらもしかして銀月の騎士とフェルミナみたいに


 サリーナは、ぽやーんと夢想にふけった。一番好きな小説『銀月の騎士』の一場面を思い浮かべたのだ。同乗してシェンナの花の下を通り抜けるシーンは、小説の中でも最もロマンティックなものだ。彼らは咲き乱れる花の下で、初めて愛を語らうのである。

 充分想像の羽を羽ばたかせた彼女は、ほうっと溜息をついて日記に戻った。

 そこまでの文章を読み返し、赤い顔で、『フェルミナみたいに』の次に、とりあえず『……』と付け足して話を濁す。


 馬にまたがったエディアルドはとっても素敵だった。まさに騎士様って感じ。いつか鎧を着たところも見てみたい。

 いーえ! やっぱり鎧なんか着なくていい。それは戦場に出るということだもの。彼を危ないところへ行かせたくない。

 ということは、トリストテニヤはもちろん、国内の平穏にも気を配らないといけないということだ。国が荒れると盗賊が増えて、自衛のために武力が必要になるから。荒事に慣れてないここで矢面に立つことになるのは、どうしても彼になってしまう。

 それにやはりそれだけでは足りない。他国との外交も重要だ。戦争が増えれば国が荒れる元だ。特に、彼の実家のあるルドワイヤがボワール王国と事を構えれば、彼は心穏やかではいられないだろう。それどころか、ルドワイヤに帰ってしまうかもしれない。

 これからは、これまで以上に吟遊詩人や芸人たちや芸術家たちからもたらされる情報を精査しなければ。お父様によく指導してもらおう。


 サリーナは最後に書いた一行の下に波線を引いた。


 今日会った者たちから、王都にいたころの彼の噂話が少しだけ得られた。

 王都でも彼は『銀月の騎士』って呼ばれてたという。

 あの容姿の上に、五男とは言え高名な辺境伯の正妻の子であり、将来有望な騎士である彼を、誘惑しようとする女性は多かったらしい。だけど彼はどんな女性に迫られてもなびかず、ひたすら武芸に打ち込むばかりで、まるで、領主の娘との結婚を断った上に、最愛の女性も使命のために置いて旅立ってしまった『銀月の騎士』のようだと言われるようになったのだとか。

 マルガレーテ王女も彼を気にかけていらしたらしいけど、欠片も取り合わなかったという噂もあったみたい。賭博場では、どの令嬢が射落とすかと賭けの対象にもなっていたのだそうだ。

 彼らしいと思う。すごく想像がつく。

 紙漉き工房で、おばさんたちに質問攻めにされた時のこと。

 おばさんたちったら遠慮がないから、どうせ女のことで上司を殴ったんだろう、若気の至りだねぇなんて、にやにやするんですもの。どうしようかと思った。彼は、そんなことではありません、と静かに言っただけだったけど、なんだか迫力があって、一瞬、しんとしてしまったくらい。

 彼は本当のことを言ったのだと思う。そんなふうに思われるのは心外だと感じているみたいだった。『そんなこと』なんて軽んじた言い方にも現れている。

 女関係ではなかった。だったら、彼はなんのために上司を殴ったのだろう。

 彼、一月も牢屋に入れられていたらしい。なのに、その間、絶対に口を割ろうとしなかった。話さなければ死ぬとわかっていたのに。そんなに長い間暗くて狭い場所に閉じ込められていたら、きっと私なら我慢できない。だって、考える時間だけはたくさんあるのよ。話して助かるなら、その道を選びたくなるはずだ。

 どうして彼はそうしなかったのだろう。そうまでして、何を守ろうとしたのだろう。


 サリーナは手を止めて考えこんだ。けれど、この程度の情報でわかっていれば、そもそも彼は彼女の父に助けられる状況にはなってなかっただろう。誰にもわからなかったから、彼は死ぬところだったのだ。

 すぐにそれに気づいた彼女は、思索をやめて書き記すことに戻った。


 彼、時々、遠い目をしてここにはない何かを見ている。思いつめた表情で、強い瞳をして。私、ふいに彼がいなくなってしまうんじゃないかと思って、思わず彼の腕を掴んでしまった。

 はっとしたように私を見た時には、もうその陰は消えていて、おだやかに、何? と微笑んでくれたけど。

 だけど、彼はたぶん何も忘れていない。牢の中にいた時に考えていたことを、そのまま抱えているんだと思う。

 意思の強い人。自分の命を顧みない人。

 だからこそ、彼が自分の命を二度と手放そうとしないように、ちゃんと見守って守らなきゃ。


 サリーナは、『意思の強い人』から『守らなきゃ』までを大きく丸で囲った。

 それから、うふふと笑う。


 腕を掴んでしまった言い訳に、とっさに、あっちを案内するわって言った。腕を引っぱると、おとなしくついてきてくれた。なんとそれから、ずっと紙漉き工房では腕を組んでいたの!! 紳士と淑女が腕を組んで二人で歩くみたいに!!

 お父様の腕みたいに、ぽよんとしてなかった。筋肉質で太かった。並ぶと見上げるくらい背が高いの!! 近くで見下ろす視線にどきどきした!! ちゃんと私の歩調に合わせてくれるの!! 紳士だったわ!! 優しかったわ!!

 セインとは大違い。エディアルドと二つしか違わないのに、どうしてあんなにデリカシーがないのかしら。

 工房を案内している最中、エディアルドとは反対側の肩をつついて、今日は泥団子投げないのかって、耳打ちしてきた。投げないわよ、金輪際、絶対!! 私は淑女になるんですもの!! エディアルドに聞こえてたらどうしてくれるのよ。もう子供じゃないって言うのに。たとえ先月訪れた時に、皆で泥団子投げつけあって遊んだんだとしても、あれから一月もたってるんだから、あの時の私とは違うの。成長したの。エディアルドを守れるようになるんだから。

 つんって澄まして無視してやったら、気取ってら、似合わねー、なんて悪態ついて!! あれはエディアルドに聞こえたわ!! エディアルドもセインを見たもの!! どう思われたか!!

 ああああ、もう、腹の立つ! セインのバーカ、バーカ、バーカ!! だから成人して職人見習いになっても彼女の一人もいないのよ!!


 サリーナは興奮気味に簡単な人型を描くと、紙漉き工房で会った二つ年上の馴染の名前、『セイン』を胴に書き込んだ。その頭の上に『二十歳にして禿げた』、足元には『一生水虫で悩む』と入れる。

 にやっとした顔は、悪戯っ子そのものだ。生き生きとした目で、下手な泣いた表情を描き足している。

 それで溜飲が下がったようで、満足げに、ふん、と息を吐いたと思ったら、次の瞬間には、あっと小さな悲鳴をあげて、悲壮な顔になった。

「やだっ、せっかくの日記に、くだらないもの書いちゃった!!」

 しかし、インクで書いたものを消す術はない。ページを破けば、後ろにびっしり書いたものも書き写さなけばならないし、なにより製本の仕様上、対になったページも取れてしまう。

「もーう、もう、もう、セインの馬鹿ぁっ!!」

 こうなってくるとまったくの八つ当たりである。サリーナはすごい勢いで人型の頭に一本線を書き加え、そこから矢印を引っぱって、『一本だけ生えている。セインは後生大事にしている』と注釈を入れた。

 それから似合わない髭を描いてみたり、おへそのごまを黒く塗りつぶしてみたり。思いつくかぎりの悪戯書きをほどこしたのだった。

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