第十六話 汚染
――テッテレー! Falioはレベルが98に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが99に上がった!
――テッテレー! Falioはレベルが100に上がった!
(はっ、はぁーっ、はぁーっ、はぁっ)
残った右前腕を蜂の体から引き抜く。
二つの後ろ足で地を踏み締め、反動で倒れそうになる体を必死に保とうとする。
当然ながら、三本しか残っていない腕や、ところどころが欠けた体ではバランスなど取りようもない。
ふらつくままに転倒し、新たに現れるだろう五匹の虫を警戒する。
――十体目をどうにか倒したはいいが、既に体はボロボロだ。
体力はもう雀の涙程しか残っていないし、部位欠損が多くて満足に動けもしない。
正しく満身創痍。
中距離攻撃の吸血を封じられては、芋虫では数の暴力を圧倒することは出来なかった。
それでも勝利を得られたのは、ただ虫達のステータスが低かったからだ。
芋虫よりも脆いのではと疑う耐久力。
その分、数に関しては比べるのも烏滸がましい程に敵が勝っているのだが。
それでもまだ諦める気はなく、次の五匹を待ち続ける。
……が、未だに新たな敵は現れる様子を見せない。
おかしいのではと怪訝に思う。
這いつくばる体から頭だけを上に向けて、それを見た。
すらりと伸びた細い手足。
薄く透ける大きな二対四枚の羽。
アホ毛のごとく声高に存在を主張する二本の触覚。
先端に巨大な針を付けた、膨らんだ臀部。
黄色と黒の、危険を知らせる二色に彩られた蠱惑的な裸身。
いつ現れたのか全く分からず――ホーネット・アントが、こちらを愉しそうに睥睨していた。
先程は余裕がなくてまともに観察していなかったが、その姿を認識した今では抗えぬ強烈な色香が感じられる。
精神に直接働きかけるような、魔性の魅了に絆されそうになる。
甲虫の雌を見た時のような、いや、もっと凶悪になった感情が生み出される。
幸いと言っていいのか、まともに身動きも取れない体では感情のまま行動する事は避けられている。
その分、胸の内に溜まったまま燻る情動は破裂せんばかりに膨張しているが。
(静まれ……今、正気を失う訳にはいかないんだよっ!)
衝動を落ち着かせようとする俺の姿が滑稽だったのか、蟻と蜂の女王はニタリと口元を歪める。
周囲に佇むアント・ビー――大きな二枚の羽と毒性の針を武器にする羽蟻。他の蟻や蜂とは一線を画す力を持った、近衛とでも言うべき存在――が、女王に同調するように笑い声を上げる。
とても楽しそうな、嘲弄と侮蔑が混在する笑い声。
それは女王の愉悦らしきものとは似ているようで、随分と違うものだった。
(……耳障りな、鬱陶し――っ!?)
「クフフ……」
女王が口を開いた瞬間、一斉に静まる蟻と蜂達。
その口から零れる言葉を一音たりとも聞き逃すまいと、誰もが直立不動で動かなくなる。
風に乗って届けられる艶声は、耳にした者を一人残らず骨抜きにさせる。
それは、俺も例外ではない。
(……がっ、これ、はっ、はぁ、何が、あぁっ)
思考が掻き乱される。
蕩けるような甘い声が、結び付こうとする思考の糸を解いていく。
脳髄が犯されるような感覚に、しかし抗う事は出来ない。
意識を保とうと思ったそばから、その考え自体が否定されていく。
それでも、考えようとする努力は止まない。
「なんて健気な子なのかしら。素晴らしいわ、とても素晴らしくて堪らない」
非常に機嫌がよさそうに、女王は俺を見て微笑を湛える。
嘲笑ではない、純粋な笑顔を向けられて、俺の体は女王へ自然と跪く。
無論、芋虫の体なのでそれらしき姿勢を取る位しか出来ない。
顔を下げ、無防備に急所を差し出した俺に向け、女王は言葉を重ねる。
「ただの芋虫とは違うと思っていたけど、まさかこれ程とはね。愛すべき子供達が十に足して一つも倒されたのには驚かされたわ。どうやら、子供達の遊び相手にするは少し惜しいみたい」
女王の瞳に宿る好意的な感情。
授けられた言葉と相まって、今にも身悶えたくなる衝動を必死に抑える。
プルプルと小刻みに震える俺に、考え込んでいた女王がおもむろに口を開く。
「……そうね。折角だから――」
――進化を行うことが出来るレベルに到達しました!
女王は丸々と膨らんだ臀部の先をこちらに向ける。
「――光栄に思いなさい? お前も私の――」
――進化先がこれまでの経験により自動的に選択されます!
女王が足を進める。
動けない俺を焦らすように、ゆっくりと槍のような針が近付いてくる。
呆けた表情でただ見つめる。
「――眷属になれるのだから」
――【ブレード・ビートル】に進化しま――
瞬間、ブスリと脳天に刺さる巨大な針。
その先から流れ込んでくる異物――遺伝子のような何か。
膨大な情報の洪水に脳髄が掻き乱され、自己が書き換えられていく。
俺という一個体の存在が上書きされるような感覚を受けても、その行使者たる女王に抵抗することは出来ない。
「クフフ、クフフフフ、クフフフフフフフフフッ!」
甲高い声が響き渡る。
月に魅せられる狂い姫が、愉悦を堪えられずに笑っている。
耳を犯す甘い声で、瞳を引きつける美貌の笑みで。
忠実な臣下たる子供達に囲まれながら、ただ一人嘲笑っていた。
――進化先が変更されました!
――【アント・ビー】に進化します!




