第十七話 汚濁
キァ~♪ クィルゥ~~♪ グァラィホゥ~~~♪
――身に覚えのある拘束感。
頭の天辺から爪先に至るまで体のどこをも動かせず、機能するのは聴覚のみ。
ガサガサ、ゴソゴソ、と何かが動く音が聞こえてくる。
蟻や蜂らしき鳴き声、慌ただしく何かを運搬する物音、その他にも様々な音が重なり合って戯曲のように耳を楽しませる。
その音は途切れる事はない。
シァ~♪ レィカゥ~~♪ ズァフィロゥ~~~♪
不意に思い出す。
今の状態、これは以前にも経験したことがある、と。
芋虫を狩っている最中、トライホーン・ビートルに殺された後の復活で、俺は繭に包まれていた。
あの時は周囲が物騒で心の安まる暇はなかったが、今は逆に心安らぐ音が聞こえてきている。
戦闘続きで疲労していた精神を休めるように、俺は気を抜いて音色に身を任せる。
ツァ~♪ ジィミゥ~~♪ ルァケィトゥ~~~♪
無心になって耳をそばだてる。
歌謡のごとき虫達の作業音。
何も見えぬ暗闇の中で、催眠効果をもたらすそれ。
眠気に抗おうともしない癖に、一秒でも長く聞いていたいと望む。
ヌァ~♪ ツィホゥ~~♪ キァフィリゥ~~~♪
微睡む。
瞬間的に失い出した意識をどうにか保つ。
途切れ途切れに聞こえてくる戯曲の終わりは、未だ見えずにいる。
ファ~♪ ゼィリゥ~~♪ ヨァメィドゥ~~~♪
――音響は、ただ流れ続ける。
新しき同胞への子守歌を、虫達は一心に奏で続ける。
眠ってしまった稚児を、決して起こさぬように。
マァ~♪ ユィダゥ~~♪ ヘァウィゾゥ~~~♪
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
(……ふぁー、っ――!?)
気が付けば、俺はここに居た。
体を包んでいた膜はいつの間にか剥ぎ取られ、自由になった手足が動く。
どこか軽く感じる体に、変態を終えた事を自覚する。
未だ何の種族かは分からないが、まずは現状の把握に努める。
薄ぼんやりと明るさに慣れていく視界には、見慣れない光景が映り込む。
広く掘られた土壁の空間。
申し訳程度に天井に光る、街灯にも似た照明具。
風もなく、音もなく、感じられるのは数多の視線のみ。
視野の端に映った黒と黄の物体に目を向ける。
周りを囲むのは、近衛たる幾十匹の羽蟻達。
一様に武器を持ち、整然と並ぶその姿は壮観の一言に尽きる。
そして、その中心に佇んでいるのは、異彩を放つ一体限りの雌性体。
この静寂を破る事を許されている、唯一無二の絶対者。
「お目覚めかしら、お寝坊さん?」
――ホーネット・アント。
危険を意味する黒と黄色を体現する、蟻と蜂の女王。
視線を交えた瞬間――俺の体は自然と跪いていた。
(……はぁっ!?)
自分の取った行動が理解出来ない。
混乱の極みにある頭は、まともな回答を弾き出さない。
そんな俺に、美貌の笑みを濃くしながら、女王は蕩々と語りかけてくる。
「案ずる事は何もないわ。貴方は何も考えなくていい。ただ、私の言う事を聞いていれば、それでいいの」
一音一音が脳を揺さぶる。
言葉に込められた意志が、俺を隷属させようと働きかける。
ガンガンと抵抗して痛む頭を、しかし俺は触れる事も出来ない。
ピクリとも体を動かせないまま、目の前で女王は更に音を連ねていく。
「我慢強いわねぇ……。どうしようかしら。この新人の扱い、悩ましいわ」
誰に言うでもなく、女王は独りで口遊む。
ぶらぶらと体を揺らし、ぶんぶんと羽を羽撃かせる。
しじまに響く毒の蜜は、剥き出しの土壌に染み込んでいく。
自身の色に染め上げるように、洞窟に、臣下達に、そして空間そのものに。
浸透した毒が、その場の空気を支配する。
「とりあえず、戦ってきてもらいましょうか」
粛々と命ぜられたその言葉で、俺は歓喜に打ち震える。
――おかしい。
胸の内に宿る熱情が煌々と燃え上がる。
――何だそれは。
女王に対する絶対の忠誠が、俺の行動を決定づける。
――そんなものは存在しない!
「――顔を上げなさい」
反射的に――いや、強制的に跳ね上がる俺の頭。
視線が絡み合い、逸らす事を許さないとばかりに睨みつけられる。
瞳に宿る妖艶な輝きが、俺を捕らえて離さない。
「……意外と、正しい判断だったかもしれないわね」
呟かれた言葉は、女王の口の中で留まった。
そのまま数秒、瞳を閉じて瞑想する。
ギン、と開かれたその目には、色濃い野望の淀みが映っていた。
悠然と立ち上がり、女王は勅を出す。
「新しい仲間の誕生を歓迎するわ! 皆、出発の用意をしなさい!」
ギィギィ、ギィィィイイイイイ、ギァアアア、ギギィ!
洞窟を揺らすような虫達の叫び声。
支配に酔った兵士達は、女王の命を全うせんと行動を開始する。
血走った瞳に狂気を纏い、先兵達は戦の舞台を整えていく。
武器を携え、隊伍を組み、部隊を展開し、補給線を構築する。
個々の恐るべき団結力と行動力によって、瞬く間に女王の意志が伝達される。
蟻が、蜂が、羽蟻が――女王の言葉の遂行に全力を尽くす。
そんな羨ましい光景を――痛む頭に顔をしかめながら――俺は横目で眺めていた。
今正に、一個軍による戦争が始まろうとしていた。




