そらのまにまに
*この作品は「約束の木の下で―忘れられない初恋の記憶―」の派生作品です。
先に本編「約束の木の下で ―忘れられない初恋の記憶―」
同じく派生作品の「約束の木の下で ー風と雪の中にー」を読まれることを強くお勧めします。
*この作品だけではおそらく理解しきれない箇所があるかもしれません、予めご了承ください。
冷房の効いた車内。
心地良い電車の揺れに身を任せながら、私は懐かしい島また島、海また海の風景の表紙をめくる。
『島へ……』
ページをめくった一文目。
『あの日、空を見上げていなかったら、私は出逢えなかったかもしれない』
目から入ってきて活字が、私の全身を駆け巡り、体の隅々にまでしみ込んでいた想い出を呼び起こす。
私は惹き込まれるように文字を追っていく。
おそらく主人公の女性、雅は作者を投影したものなのだろう。
フィクションの体裁を取っているけど、どこか現実味を帯びた描写もある。
冒頭の都会での生活に息苦しくなって、自分を見つめ直すために旅に出たという辺りは実体験に伴うのではというくらいリアリティがあった。
好きで選んだはずの福祉の仕事。
シフト制、夜勤もあるから、高校時代から付き合っていた彼とも、すれ違いが多くなり別れてしまう。
仕事に熱を入れていく雅は、知らず知らずのうちに心が疲れていく。
通勤に往復2時間をかけて、人出が少なくて残業もしばしば。
家と職場の往復だけの日常。
休みの日も疲れて家でごろごろするだけ。
そんな、ある日の帰りの電車の中。
普段気にも留めていない車窓に目をやると、美しい夕焼けが広がっていたという。
川を渡るほんの十数秒。
今まで何年も乗ってきたのに気がつかなかった。
景色もそうだけど、夕焼けをきれいだなって思えた自分がいた事に。
人目を憚らず泣いてしまう雅。
その日から雅は空を見上げるようになる。
そして自分自身の人生を見つめ直しはじめて。
一人旅に相応しいこととして四国の八十八カ所を巡るお遍路さんをしてみようと思い立つ。
面白いのがそもそも夕凪島が目的地に入ってなかったということ。
雅は仕事を辞め、その準備をしていた矢先に、たまたま目にしたブログ。
それは夕凪島にある、お寺の住職が書いていたもので、心のわだかまりがほどけていくような文章が、夕凪島の美しい風景写真と一緒に載せられていた。
そこで、夕凪島にも八十八ヵ所の霊場がある事を知った雅は、目的地を変更する。
島だから四国に比べれば日数も時間も短くて済むというかわいらしい動機と、住職や景色に実際に会って体感してみたいという想い。
いよいよ、歩き遍路を始める訳だが、小説の中には作者が撮影した写真が挿絵として使われていて、霊場がある場所の地図と併記されていた。
そのうちの何枚かが、私の記憶の中の想い出と重なっていく。
坂手の町並み。
彼と二人乗りの自転車で通った道から見えた海と山の風景。
雅は島を歩きながら人や景色、動植物や食べ物。
様々な出会いを通して、自身を発見して、確認して、自分を取り戻していくという話のようだった。
車内アナウンスが駅への到着を告げる。
気がつけば腕や手先が冷たい。
本も三分の一ほど読み進めていた。
閉じた本の表紙の青空を一目見てバッグに仕舞う。
車窓に流れる見慣れた景色が徐々にゆっくりになっていく。
「もうすぐ駅に着くよ」
メッセージを美瑠に送る。
『分かった私も今から家出るよ』
私はスマホケースに挟んであるパウチを引き抜く。
そこに閉じ込められた真っ白な日日草の押し花。
表面に触れると、あの頃の彼と私の笑い声が聞こえてくる気がした。
笑みがこぼれる私はスマホケースにパウチを戻す。
電車が多くの人々が待つホームに滑り込む。
たくさんの広告や人混みの中にいても、立ち上がった私の頭の中には、懐かしい広い空や煌めく海が色鮮やかによみがえる。
ピンポン。
軽妙な音がドアを開く。
外に踏み出した私を包む熱が、冷え切った体にはちょうどいいくらいだった。
「梨花ー!」
高くて元気な美瑠の声。
暑さや空の青さにも負けない笑顔の美瑠が両手を振って駆け寄ってきた。
ファミレスの前でちょうど鉢合わせ。
「梨花、ごめんね」
私の前に立つなり、美瑠は両手を合わせた。
「わかってる。早くケーキ食べたい」
私はその手を両手で包み、顔の前から下げる。
「うん」
美瑠は私の腕を掴んで、ファミレスの扉を開けた。
私たちの指定席に座りオーダー済ませると、美瑠はテーブルに両手をついて顔を突き出す。
そして、ジーッと私を見つめてくる。
何かを探るような、そんな視線。
航太くんのことを聞きたいのかな。
「あの……」
「あのさ……」
お互いの声が重なって、思わず微笑み合う。
「いいよ梨花から」
「ああ、航太くんとは、ブラブラしてお昼食べただけだよ」
「ふーん。そっか」
?
あれ?
いつもならもっと聞いてくるのに呆気ない。
さすがに、嘘をついてまでデートをお膳立てしたことに負い目を感じているのかな。
美瑠はストローでジュースを吸いながら、またじっと私を見ている。
別に悪気があった訳じゃないのは分かってるから怒ってないのに。
なんだろ?
私もグラスを手にしてストローに口をつけた。
あっさりとした甘さの冷たいオレンジジュースが喉を通っていく。
ちょうど頼んだケーキが運ばれてきた。
苺のショートケーキとレアチーズケーキ。
美瑠も同じもの二つ。
「美味しそう」
さっきまでのジト目はどこにやら、フォーク片手にウキウキの美瑠。
「これって私への贖罪だよね?」
「そだよ」
ケーキを一口頬張り、片手を頬に添えてご満悦の微笑み。
私も一口。
生クリームの柔らかい甘さと、ふんわりしたスポンジの食感が微笑みを連れてくる。
「私たちさ、いっつもこの二つしか食べないよね」
「たしかに、だって美味しいから」
気に入ったものはとことん好きなままなのは美瑠も私も同じ。
「そうだけど、たまには冒険してみようかな」
フォークを突き立て、美瑠はちょんと首を傾げた。
「もう一個食べるの? さすがに太るよ」
「食べないよ、今度だよ。そうだな~、タルトにしてみようかな」
「それいい、苺タルトはたしかに気になっているかも」
最近、ケーキなんて食べてなかったから、嬉しくて二個のケーキをぺろりと平らげてしまう。
カチャッとお皿にフォークを置いた美瑠と、ティッシュで口を拭っていると目が合う。
私がなに?
軽く首を傾げると、美瑠は薄っすら笑いを浮かべて、オレンジジュースのグラスを手に取った。
何か聞きたそうな、言いたそうなそんな感じ。
窓の外は、深い青から淡い水色へと移ろう澄んだ空、夏の午後のおっとりした時間。
やっと傾き始めた陽射しが向かいのビルの窓を黄色く染めていた。
「梨花の初恋っていつ?」
ストローに口をつけたまま、何気ない口調の美瑠。
「え? なにいきなり……」
ビクッとして、むせそうになって、慌ててグラスを置く。
「こないだの、中学の同窓会の二次会でさ、みんなで話したじゃん初恋いつだったって」
「ああ、そうだね……」
急にドキドキし始めて、膝の上で両手をギュッと握りしめる。
そして、ちらちらと彼の顔が想い浮かんできて……
「そん時さ、梨花の聞きそびれたんだよね」
「そう? だっけ?」
たしか女子みんなで話していたけど、私の番が来そうなところで解散になった。
「私の初恋はさ、知ってるじゃん」
美瑠はストローで氷をカラン、カランと突いている。
「ああ、うん、駿介くんだもんね」
「まあそうなんだけどさ、早い子はさ、そう友理とかさ幼稚園だったりじゃん」
「……ああ……うん、そうだったね」
「梨花とさ小学校から一緒だけど、そう言えば、初恋の話って聞いたことないなって思って」
上目遣いに様子をうかがうと、ジュースを飲んでいる美瑠と目が合う。
「そう? だっけ?」
そわそわして、背中がムズムズして組んだ手が汗ばんできた。
「そうだよ。ねえねえ、どうなの? いつなの? どんな子?」
「どうしたの急に……」
トンとグラスをテーブルに置いた美瑠は、テーブルに腕を乗せて薄っすらと微笑む。
何気なさを装って私はグラスを手に取る。
こういう時の美瑠は、私を推し量っている。
元気がない時とか、悩んでいる時は、そうやって私を観察して励まそうとしてくれる。
でも、これといって今思い悩んでることは……
初恋の話が聞きたいだけなのかな……
どうしよう……
「梨花ってさ、もしかして好きな人いる?」
やわらかい声色だった。
「……え?」
サーっと顔に熱を持ち始めて、持っていたグラスを落としそうになって、あたふたしながら、テーブルに置こうとして倒しそうにもなる。
ふうーって、深くため息をついた美瑠。
「……やっぱりいるんだ」
「え? なんで?」
「なんでって、顔真っ赤だし、そうなんだ、いるんだ好きな人」
両手で頬杖をつきながら私をまじまじと見つめる。
「み、美瑠が急におかしなこと言うからだよ」
声が上ずってしまう私……
熱は顔から引く気配はなくて、鼓動が耳元でうるさい。
「ふーん。秘めたる恋? まさか先生とか、ふり……」
「美瑠!」
私が膨れて睨むと、美瑠はペロッと舌を出して肩をすくめる。
「ごめん、今のは良くなかった。でもさ……」
シュンとしたような言葉の終わり。
美瑠はグラスを両手でそっと包み込み、何かを飲み込むように喉を小さく鳴らした。
視線を漂わせ、
「それって、私にも言えないこと?」
私を見つめた瞳はちょっとだけ寂しそうだった。
「え? ああ……」
私は言葉が続かなくて、テーブルの上に重ねた手に視線を落とした。
お読み頂きありがとうございます_(._.)_。
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*人物画像は作者がAIで作成したものです。
*風景写真は作者が撮影したものです。
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