第162話 無主の作法
馬車は、細い轍を辿りながら進んでいた。
ラクラ村を出てから、ハジメは随分と来たつもりでいた。 しかし地図の上で見れば、その距離は王都までの道程の五分の一にも満たない。 カンベルド要塞都市からここまでは、なおさら短い。 徒歩で抜けられる程度の距離で、世界の壊れ方だけが急速に早まっていた。
御者台には、敵だった男が座っている。 両手は自由だが、その身にはハジメのマナ鋼線が絡み付いていた。 逃げようとすればマナで脳を焼かれる。 敵対行動をすれば──。 男は震える手で、馬の手綱だけを握っていた。
「殺さなかったのは英断だったね」
リオルが賞賛するように言った。
「御者は必要だしな」
ハジメは短く返す。
「ただ、あんたが四人とも処理しなければ……いや、忘れてくれ」
(殺さなかったから、まだマシだ。 そう思おうとしている自分がいる。だが俺は、殺さずに済む相手を切り刻んだ。 知るために、この流れを止めるために。 理由があれば、人はどこまで残酷になれるんだな。 ……そして俺は、それをもう受け入れている)
馬車の中には、リオル、ソシエ、エマ、オブシディア、そして救出された二人が乗っている。エマは無理をした反動で眠っていた。 小柄な少女は膝を抱え、少年は意識を取り戻しかけては、また浅い眠りへ落ちている。
オブシディアだけは、荷台の揺れに合わせながらも姿勢を崩さず座っていた。 そして地図も広げずに言ってのける。
「このまま北西へ進むと、正規の宿場に出ます。 そこは避けてください」
リオルは御者台の方に顔を出しながら、興味深そうにオブシディアを見ている。
「その理由は?」
「魔法使い登録の照合が行われる可能性があります。 今は、登録そのものが枷です。 宿場、検問、一般の村落など、どこに名簿が流れているか分かりません。 安全と思われる場所ほど、危険性は高いと思った方が良いかと」
「じゃあどう進むんだい?」
「次の分岐で北東へ。 古い荷馬車道があります。 森沿いを回ることになりますが、無主交易圏へ向かうなら、そちらの方が安全です」
ソシエも外を覗いて言う。
「道って言えるの、それ?」
「昔は香料運搬に使われていました。 現在は表向き廃道です」
「表向き、ね」
リオルはずっと上機嫌だ。
ハジメは会話を聞きながら、自らの右手を見ていた。 指先には、まだあの時の感触が残っている。 魔導書使いで実験した際の感触が。
(右手ではなかった。 手首でも、前腕でもなかった。 上腕でようやく反応した。 であれば簡易魔導書は、魔法使いと違って、心臓と繋がっているいるわけじゃない。 根を張り、所有者の特定の部分に潜んでいる。 ……それを確かめるために、俺は腕を順に刻んだ)
吐き気はなかった。 それが最も、嫌悪感が強かった。
「ハジメ」
リオルの声で、意識が戻る。
「さっきの実験では何が分かったんだい?」
ソシエもこちらを見ていた。 オブシディアは口を挟まないが、しっかりと聞いている。
ハジメは言葉尻から内心を悟られぬよう注意しながら返す。
「魔石を押し当てれば、体内に取り込まれた簡易魔導書を具現させられる」
「引きずり出せるってこと?」
「一時的には。 ただし、すぐ臨界に入る。安定しないんだ」
嘘ではない。 だが、全てが事実というわけでもない。
(どこを切ったかは言わないし、どこで反応したかも言わない。 言えば、リオルは別の利用法を考え、ソシエは実用性を測り、エマは怯えてしまう)
「だから爆発したのね」
「ああ」
「破壊すると?」
「おそらく同じだ。 放棄でも、無理な分離でも、臨界に突入する」
リオルは顎に指を添えた。
「厄介だね。 奪い返せないし、壊せない。 使わせれば消耗するけど、その分だけ被害が出るね」
「だから現状、手詰まりだ」
(構造を知るためなら、俺はまたやるのか? いや、やる。 そう答えが出ていることが、何より救いがない)
エマが毛布の中で小さく身じろぎした。 ハジメは反射的に視線を向けるが、彼女が目を覚ましたわけではなかった。 それだけで少し、呼吸がしやすくなった。
「無主交易圏なら、簡易魔導書の扱いに関わる話も拾えるかもしれません」
オブシディアが言った。
「あそこは法の外側です。 ですが、無秩序ではありません。 複数の商会、傭兵団、盗賊、貴族などが睨み合って均衡を保っています」
「誰の支配下でもないのに、秩序があるのか」
「はい。 誰のものでもないからこそ、誰も勝手には壊せません」
「それは実に好都合な場所だ」
「人も、物も、情報も集まります。 無主交易圏まではこの辺りからだと、順調に進んでも7日ほどだと聞いています。 正規の街道から外れる区間を進み続けます」
「7日か……」
ハジメは呟いた。
王都は、未だ遠い。 しかし王都へ伸びる濁った流れを、今は進んでいる。
ラクラ村から歩き始めた時、ハジメはこんなものを追うことになるとは思っていなかった。 自分が誰かを助けたいと思うたび、助けるための手段が血に近づいていくことも。
「無主交易圏へ行くことは必須だ」
ハジメは改めて言った。
「そこで情報を集める。 二人を逃がす道も探す。 簡易魔導書についても徹底的に調べる」
「全部やるんだ?」
「全部、繋がってるからな」
ソシエが肩を竦めながら呆れ声を漏らす。
「大変だけど?」
「分かってる」
(それでも、やるしかない。 やらない理由ならいくらでもある。 だが、やらなかった時に死ぬ人間の顔を、俺はもう想像できてしまう。 これまで、散々死に追いやってきたんだ。 それらを単なる死のままにするべきじゃない。 せめて、ポジティブな意味を与えないと……)
馬車が分岐へ差しかかる。 御者の男が一瞬だけ迷うように手綱を緩めた。
「向かうべきは当然、北東だ。 お前はオブシディアの言う通りの道を進め」
ハジメの声はひどく低かった。
御者はびくりと肩を震わせ、指示に従って進路を曲げた。
正規の街道を外れ、草に埋もれた古い荷馬車道へ入る。 車輪が跳ね、幌が軋む。
西の空には、まだ爆発の名残のような薄い青白さが残っている。 ハジメはそれを見ないようにして、外套の内側の魔導書へ指を添えた。
(俺は止めたい。 なのに、止めるために壊している。 守るために、奪っている。 ……その矛盾を抱えたままでも、前に進めるのか?)
「……ん」
「ようやくお目覚めかな?」
眠っていた少年が、呻くように身じろぎした。
その小さな声に、隣の少女が反射的に肩を震わせる。 少女はまだ涙の跡を頬に残していたが、それでも少年の方へ身体を寄せようとしていた。
「名前を聞いていなかったね」
リオルが言う。 少女は怯えながらも、掠れた声で答えた。
「ミミナ……です」
「……トーマ」
少年はミミナに続き、朦朧とした意識の中で唇を動かした。
「ミミナとトーマ、か」
ハジメはじっくりと二人を見た。 声も含めて、全てが若い。 日本だと、中学生くらい。 魔法使いとして完成しているとは言い難い。 だからこそ、奇妙だった。
「この二人は、簡易魔導書にするには未熟なんじゃないのか?」
ハジメの残酷な問いに、オブシディアは静かに頷いた。
「ええ。 今すぐ魔導書にしても、価値は高くありません。ですが、別の用途があります」
「別の用途、ね」
ソシエの目が細まる。
オブシディアはミナとトーマを見た。 そこには憐れみだけではなく、もっと冷たい現実を知る者の痛みがあった。
「若い魔法使いは、殺すためだけに攫われているわけではありません。 管理するために攫われているのです」
馬車の中が静まった。 ミミナとトーマの緊張感が最大まで引き上げられる。
「管理下に置き、教育し、従順な魔法使いに育てる。 あるいは、魔法使い同士ないしは、魔法使いと非魔法使いを組み合わせて子を産ませる。 そうすれば、貴族社会にも似た魔法使い管理体制を構築でき、平民でさえ独自に魔法使いを抱えることができます」
リオルの一瞬だけ口角を上げそうになったが、なんとか抑えた。
「言うなれば、魔法使いの牧場だね」
「まだ構想段階でしょう。 ですが、構想だけで終わるはずがありません。 流通網が人を運べるなら、次は人を保管しようとする。 保管できるなら、増やそうとする。 そう考えるのは、自然な流れです」
「反吐が出る」
ハジメが吐き捨てる。
「ですが、合理的です」
オブシディアは現実を直視させるべく、更に続けた。
「魔法使いが成長するには時間がかかります。 知識も、訓練も、それに環境も必要です。 一方、簡易魔導書にしてしまえば、その時点で魔法の強度と規模を無理やり引き上げられる。 消耗品ではありますが、即戦力になる」
「育つ前に殺せば、魔導書としての強化幅は低いだろ……?」
「ええ。 だから意見が割れているはずです。 未熟なうちに魔導書へ変えるべきか。 ある程度育ててから変えるべきか。 あるいは、魔法使いのまま兵として使うべきか」
「まるで家畜の話を聴かされているみたいだ」
オブシディアは、痛ましげに目を細める。
「魔法使いに、人間としての価値は失われつつあります。 荷であり、資源です。 将来価値を持つ素材ですらあります」
ミミナが小さく嗚咽した。 トーマは顔を青ざめさせたまま、胸元を押さえている。
「ミミナは水属性の、トーマは土属性の素養があります。 どちらも派手な魔法ではありませんが、集団運用には向いています。 水はそれだけで長期生存を可能にします。 土は拠点構築や防壁に使える。 洗脳教育を施せば、軍団の基礎になります」
オブシディアはあまりにも先が見えすぎている。
「……どうしてそこまで分かる?」
ハジメが問う。
「デルビーニュ家が携わった薬草や魔導触媒の流通では、それらの用途に合わせて流通を変えていました。 魔法使いも同じく荷として考えるのであれば、様々な用途と流通路が想定可能です。 どの荷が、どの商会の、どの流通路を通るか。 また、どの街道で需要が高いかなど。 私は多くを見てきましたので」
オブシディアは自嘲気味に笑った。
「デルビーニュ家における私の立場だからこそ、見えていたものもあります」
リオルは楽しげな表情を増している。
「君を連れていく価値が、どんどん上がっていくね」
「私は自分を売り込んでいます。 そうしなければ、生き残れませんから」
ハジメは、馬車の外へ視線を向けた。
(魔法使いを殺して魔導書にする。 若い魔法使いを育てて兵にする。 子を産ませ、管理し、必要なら使い潰す。 ……俺はそれを止めたい。 だが、止めるために俺がやっていることも同じなんじゃないか?)
ハジメの中に澱が沈んでいく。
「ハジメさん……?」
目を覚ましたエマが、弱々しく声をかけた。 ハジメはすぐに表情を戻す。
「起きて大丈夫なのか?」
「……何か、嫌な話が聞こえていたっす」
「無理して聞かなくていい」
「はい……」
エマはそれ以上聞かなかった。 だが、その目は不安を隠せていない。
オブシディアは、そんなエマを一瞥してから静かに言った。
「無主交易圏へ行けば、不安を解消できる情報も得られるでしょう」
「マシス商会、魔法使い狩り、簡易魔導書、魔法使いの管理構想。 全部、そこで触れられるだろうからね」
リオルが補足するように続け、オブシディアは頷く。
「王都へ向かう前に何を見るか、何を選ばないか。 それが、この先を決めるはずです」
馬車は無主交易圏へ向かって進む。 地図に載らない場所。 法の外側にある秩序。 王都へ続く濁流の、最初の淀みへ。
▽
初日の夜。
ハジメたちはオブシディアの指示で、馬車は街道沿いの明かりを避けるように森へ入っていた。
荷馬車道と呼ぶには荒れすぎている。 道の中央には草が伸び、車輪の跡は雨で崩れ、古い石畳がところどころ地面から顔を出していた。
かつては確かに使われていた道だったらしい。 しかし現在は、表向きには廃道。 通る者がいるとすれば、後ろ暗い者たちだけだ。
「この先に、古い燻蒸小屋があります」
オブシディアが言った。
「燻蒸小屋?」
「香料や薬草についた虫を払うための小屋です。 古いものですが、屋根は残っているはずです。 火を焚く煙突もあります。 煙を細く流せば、野営よりは目立ちません。 天気も崩れそうですし、魔法も使えば煙の処理は容易でしょう」
「随分と詳しいわね」
ソシエが言うと、オブシディアは静かに目を伏せた。
「その一端でも、デルビーニュ家が作り上げたものには変わりませんので」
その返答には、誰も発言を足さなかった。
やがて森の奥に、崩れかけた石造りの小屋が見えた。 壁には蔦が這い、扉は半ば外れ、内部には乾いた草と古い灰が積もっている。 人が長く使っていないのは確かだが、完全な廃墟でもない。 床の隅には、荷物が置かれていた跡がある。
「……使われてるな」
ハジメは言った。
「恐らく、同じように街道を避ける者たちが使っていますね」
オブシディアは、扉の横に残った古い木板を指でなぞった。
「空いているようです。 符合は以前と同じ。 この木板が立てられていないのであれば、少なくとも今夜は誰の予約も入っていません」
「廃墟が予約制なのかい?」
「裏道にも作法はあります。 作法を破る者は、無主交易圏へ辿り着く前に消えます。 私はそれほど深くまでやってきたことはありませんが、ここへ立ち寄ったことはあります」
「法の外側に向かってる感じが実にいいね」
捕らえた御者の男は、馬車から降ろされるとすぐに膝をついた。 逃げる気配はない。 ハジメのマナ鋼線が身体に絡んでいる以上、逃げれば即座に動きを奪われると理解している。
オブシディアは、気付かれるまで男をじっと見つづけた。
「な、なんだよ……?」
「あなた、裏道を使ったことがありますね」
男の肩が小さく跳ねた。
「……何、のことだ」
「嘘をつくのなら、もっと上手く。 馬の止め方に、正規街道の御者経験が見られません。 本来必要なタイミングで速度を落とす癖がない。 逆に、曲がり角や森の切れ目では自然と頭部が動く。 待ち伏せを警戒する者の反応です」
男は悔しそうに沈黙した。 この男に御者を任せていいのか心配になるほどには、演技が下手だ。
「よく見てるね、オブシディア?」
リオルは感心を漏らした。
「生き残るために染み付いた、ある種特殊技能と言えるでしょうか」
オブシディアは男へ近づく。
「あなたを殺すつもりなら、もう殺しているはずです。 生かされている意味を考えなさい。 裏道の合図や検問の抜け方を知っているなら、ここで予め話していた方が良いですよ?」
「は、話したら、俺は商会に殺される……」
「話さなくても、こちらの方に殺されるでしょう」
オブシディアはハジメを見た。 ハジメは何も言わなかったが、沈黙だけで十分だった。 男の顔から血の気が引く。
「……無主交易圏に入る道は、三つだ。 正規の荷を通す道。 森を抜ける道。 あとは、廃村・廃道を経由する道だ」
「正規の道が一番安全そうに思えるけど、どうなんだい?」
リオルの言葉に、男は少し焦った様子を見せた。
「せ、正規の荷は無理だ、荷印がない。 森はもっと危険だ。 魔物より、人がいる……」
「なら、廃道経由ね」
ソシエが言うと、男は苦々しげに頷く。
「明日の夜には廃村に着くだろう。 昔、香料の乾燥場だった村だ。 今は、誰も住んじゃいない。 俺たちみたいな連中は使うけどな……」
「罠はありますか?」
「……ある」
「誰が仕掛けるのですか?」
「わ、分からない。 とにかく、いろいろだ……。 罠が皆無って瞬間はないはずだ。 あそこは通るだけでどの勢力の荷か見られるから、複数の手が入り込んでいるのは確かだ」
オブシディアの表情がわずかに硬くなった。
「つまり、無主交易圏へ入る前の篩というわけですね」
「ふるい?」
エマが毛布の中から弱く聞き返す。
「危険な荷か、価値のある荷か、奪っても問題ない荷か。 そこで見定められるのでしょう。 すでに値付けが始まっている」
「なら、見られる前提で動くしかないな」
ハジメは言った。 可能かどうかは別として、何かしらの対応策を複数用意していた方が良い。
「ええ。 隠しすぎれば怪しまれます。 逆に、すべて見せれば奪われる可能性もあります」
オブシディアは御者の男へ視線を戻した。
「だから、彼を使います」
「お、俺を、か?」
「あなたは捕虜ではなく、御者として扱われる。 怯えすぎれば怪しまれます。 普段通りに振る舞いなさい」
「む、無茶を言うなよ……」
「できなければ、あなたは使えない荷になります。 私も、御者の経験がないわけではありませんよ?」
リオルが軽く吹き出した。
「言い回しが板についてきたんじゃない?」
「褒め言葉として受け取っておきます」
その夜は全員、燻蒸小屋で休むこととなった。
火は小さく、煙は煙突の古い隙間から薄く逃がす。ソシエは近づく足音を拾う。リオルは簡易魔導書を膝に置き、屋内の警戒。 オブシディアはミミナとトーマに水を飲ませ、最低限の食事を与えていた。
ハジメは小屋の外で、陰に身を潜ませている。
森の奥は暗い。 その暗さの中に、複数の視線が隠れているようで気味が悪い。 しかし今のところ、広範に伸展させたマナ鋼線を伝う振動は感じられない。
(無主交易圏に入る前から、すでに品定めが始まっている。 人間をそういう目で見る場所へ向かっている)
ふと背後の小屋から、エマの咳が聞こえた。
ハジメは振り返るが、向かうことはしない。 今の顔を見せたくなかったからだ。
「正規の街道を通って、何も知らないままでいるよりは幾分かマシだな……」
翌朝、馬車はさらに細い道へ入った。
道は森の影に隠れ、ところどころ倒木によって塞がれている。 自然な状態ぬしか見えないが、オブシディアが言うには意図的な配置とのこと。
御者の男は震えながらも木の根を避け、馬車を進めた。 どうにも使えない御者ではなかった。 それがかえって、彼がどれだけこの手の道に慣れていたかを証明していた。
そして昼頃、最初の障害に出くわした。
「お、おい……」
御者の男が慌てた声を上げた。
道の先に、縄が張られている。 簡素な封鎖で、無理すれば突っ切ることもできそうだ。 しかしその横には小屋や馬車の車輪跡が複数あり、通行を管理している者がいることは確かだ。
「止めてください」
オブシディアの指示に従って、御者は手綱を引いた。 馬車が止まる。
木陰から、三人の男が現れた。 武装は軽く、盗賊というより番人に近い。 しかし目つきだけは異常に鋭い。
「荷印は?」
一人が言った。
御者の男が言葉に詰まった。 回答は用意していないし、変に口を開けばハジメに殺されてしまう。
一瞬の沈黙で、番人たちの目つきが変わった。
「おい──」
しかしその前に、オブシディアが荷台から顔を出した。
「デルビーニュの古荷です。 本印は失効済み。 現在はマシス商会の副印で流しています」
番人の眼光が鋭くなる。
「……副印を見せろ」
「急ぎの荷です。 中身が傷みます」
「なら、さっさと見せろ」
空気が張り詰めた。
馬車の内側ではソシエの指が暗器に触れ、リオルは笑みを浮かべている。 ハジメは集中しているため動かない。 御者の呼吸だけが荒い。
オブシディアは布札を取り出した。 それは、馬車に残されていたマシス商会の簡略印。 そこに彼女のデルビーニュ家徽章を重ねて見せる。
「古い」
「ええ。 だから急いでいます」
番人が一歩近づいた。
「中身を見せろ」
「……こちらへ」
その瞬間、ミミナとトーマの体が小さく震えた。
オブシディアは番人を伴い、馬車の後方へ。 幌を開くと、ためらわず毛布をめくった。
縄を巻かれ、猿轡を噛まされた若い魔法使い。 服をはだけさせ、魔導印を分かりやすく見せつけている。
「こいつは……」
番人の目が細くなる。 しかしその変化を決定づけたのは、別の要因によるものだった。
「時間が無いと言ってるのにね……?」
リオルが不敵な表情のまま、その手に古びた魔導書を具現化させた。 ソシエも同じように、外套の内からそれを覗かせている。 あえて見せつけている。
番人の視線は、ミミナとトーマからリオルたちへ。 そして理解した。 これは魔法使い狩りの馬車だ、と。
手を出せば、ただでは済まない。 ハジメたちは知らないことだが、そう思わせる理由がある。 効率的に魔法使いを狩ることのできる連中が、各地で暴れているためだ。 力を誇示して破壊の限りを尽くす彼らは、歯止めの効かない兵器であると同時に、新時代を回す要だ。
「これでは、価値が落ちてしまいますね」
最終通告の如く、オブシディアが言う。
「水も食事も制限しています。 マナも乱れ始めている。 ここで足止めされれば、引き渡し時に問題が発生します。 責任を負いたいので?」
番人の一人が舌打ちした。
「……厄介な荷だな」
「そうでしょう」
オブシディアは一歩も引かない。
「この荷を止めたとなれば、あなた方の名も残ります。 無主へ入る前に、誰がどの荷を止めたのか。 そういった話は早いですよ」
沈黙の中、番人たちは互いに視線を交わす。 様々な思惑が浮上するが、どれもこれも凄惨な未来を想像させる。
「……通れ」
ようやく言葉が落ちた。
「ただし、次は無い」
「肝に銘じておきます」
馬車が進み出す。
第一の関門を抜けるまでは、誰も動かなかった。 やがて緊張感が解かれ、リオルが初めに口を開いた。
「危なかったね」
「はい。 ですが、副印が正規のものではないことは見抜かれていたと思います」
「じゃあ、どうして通されたんだい?」
「彼らには、偽物だと断じる権限がないからです」
オブシディアは淡々と言った。
「裏道の番人は裁く者ではありません。 関わるべき荷か、流すべき荷かを見極めるだけです。 若い魔法使いは、現状最も扱いに困る荷です。 価値はある。 けれど、誰の所有物か分からない。 どんな値が付けられているのかも分からない。 だからこそ、半端な番人では手を出せません」
ミミナが毛布の下で震えていた。
「……ごめんなさい」
オブシディアが囁くように謝罪した。
ミミナは何も返せなかった。 トーマも顔を伏せている。
ハジメは、喉の奥に重いものを感じた。
(助けるために、荷として見せた。 生かすために、尊厳を削った。 ……俺たちは少しずつ、この道の作法に染まっている)
「助かった」
それでも、ハジメは言った。
「取引ですから」
オブシディアはそう返した。 その声音は安定したものだったが、彼女自身もまた何かを削っているように聞こえた。
「らしくなってきたね。 誰も責任を取りたくないみたいだ」
「はい。 ここでは正しさより、どう関わるかが優先されます」
そして夕方、ハジメたちは廃村に到着した。
本作を読んで「面白い」「続きが気になる」と思われましたら是非ブックマークをお願いします。
また↓の広告のさらに↓に☆☆☆☆☆があり、タップで作品評価になります。
作者の執筆力に繋がりますので、ギモン・シツモン・イチャモンなど、良いものも悪いものもどうかご意見よろしくお願いします。




