剣と翼の騎士団(中編)
本命にはヘタレな男×有能だけど片思いを諦め気味な女の両片思い話。
朝一番に、ヴィヴィリー士官を呼び出した。
冷静な副団長の顔を作って、苛立ちと不安をその下に隠し込む。
オリジスは決定を覆さない。それは、今までの経験上、よくわかっている。
なら、自分にできることは、できる限りリスクを減らす ─── 彼女を鍛えることだけだ。
「団長の命令だ。君が模擬テストを受けることを認める」
「ありがとうございます」
自信に満ちた顔だ。手順をすっ飛ばしたことを悪びれる様子もない。
もっとも、あの団長の翼になろうというのだから、これくらいでちょうどいいのかもしれない。
「ただし、テストは、君が全数値をクリアしてからだ」
これで怯めばいいと思っていたことは否定しない。
それでも、一瞬の動揺も見せずに、つんと顎をそらせて了解したヴィヴィリー士官を、見事だと思った。
それから二週間。ヴィヴィリー士官は着々とスコアを伸ばしていった。
そして同時に、彼女は、まるで少しずつ発達していく台風のように、基地内に暴風雨をまき散らし始めた。
たとえば、こうだ。
「副団長!朝早くから申し訳ありません、少しお時間をいただきたいのですが」
「聞いてくださいよ副団長ー!! あの女まじでありえないんですけどおー!!」
「信じらんねェッスよ、あのヒト、なんつったと思います、フクダンチョー?」
上から事務課長、エィル所属翼課、整備部員だ。
ほかにも続々とヴィヴィリー士官への苦情が寄せられた。内容はおおよそ共通しており『無理な要望を突きつけられたあげく、断るとあり得ないと逆ギレされて、最後には使えない人間だと馬鹿にされた。あの女は非常識にもほどがある。副団長から何とかいってやってください』といったところだ。
副団長など、聞こえはいいが、要するに基地内の雑用係である。
アレクシスは部下たちの訴えに耳を傾け、ときには宥め、ときにはヴィヴィリー士官を呼んで注意した。しかし彼女は、まったく変わる様子がなく、怯むどころか嘲笑してみせるのだった。
これでもし、彼女が、実力の伴わない人間だったなら、大口を叩くだけの無能という烙印を押され、周りに相手にされなくなっていただろう。
しかし、彼女は『翼』としては素晴らしかった。シュミレーションで彼女と組んだ『剣』は皆、初めこそ彼女の評判ゆえに、自分の不運を呪うような顔をしていたが、訓練終了後は、誰もが驚きと、ほんの少しの敬意を持って、口をつぐんだ。
─── 性格は最低だが実力は本物。
それが、二週間たった基地内での、ヴィヴィリー士官の評価だった。
軍基地だ。人柄がどうであれ、能力さえあれば付いていく人間も多い。自分の生存確率を高める近道の一つでもあるからだ。彼女が裕福な家の出であり、この基地では支給されない類のパーツも実家から与えられているという事実も相まって(そう、噂ではなく事実だ。この眼で確認した。あんな高価なパーツ、この基地の予算で買えるわけがない)、瞬く間に士官を支持する派閥ができあがった。
ただ単に、派閥ができただけなら、そう珍しいことではない。基地内には他にいくつも派閥があるし、派閥争いも頻繁にある。調停に駆り出されるのは毎回アレクシスである。
今回に限って、事態がやや複雑化し、基地中から好奇心に満ちた眼差しで見られているのは、彼女が団長の翼へ名乗りを上げているからだ。
それは、この基地が『現在の形』になってからは、誰もやらなかったことだ。不可侵の領域のごとく扱われていた。口やかましい各部署のトップたちでさえ、団長の翼が副団長ただ一人であることについては、とやかくいわなかった。こうなってから考えると、まるで、この基地の前提条件のような捉え方をされていたのだろうと思う。動かすことのない土台のようだった。
揺らがせたのは、ヴィヴィリー士官ただ一人だ。
おかげで、いつの間にか、副団長派vs士官派の図式になっている。まってほしい。対立する気なんてこちらにはさらさらないのだ。
けれど、模擬テストの許可を出す気配が一向に無いことを、みな薄々察しているからだろう。副団長が士官を疎んじているというのは、噂を通り越して既成事実になりつつあった。
ちがう。そういうつもりじゃないんだ。と、いうアレクシスの言い訳と愚痴を聞いてくれるのは、ララくらいなものだ。
士官のスコアが素晴らしく優秀でも、未だに一度も団長とのテストを許可していないのは、それがあまりに危険だからだ。団長にとってではない。団長は誰とテストをしたところで影響を受けないだろう。だが、士官はちがう。たった一度のテストで、彼女は未来を失うかもしれない。
その怖れが、どうしてもアレクシスをためらわせる。決断をくだせない。その姿が誤解を生んでいることをわかっていても。
あぁと、アレクシスは嘆息する。
─── あのときのことを知っている人間は、もうずいぶん少なくなってしまった。
※
遅い昼食をとっていると、食堂の入り口付近からざわりと揺れる気配がした。
アレクシスは顔も上げなかった。誰が入ってきたかは予想がつく。新入りが配属されて2,3ヶ月程は、あの男が現れるだけでざわめきが起こるのが、毎回おなじみのパターンだ。
顔がいいのは認めるけど、そこまで騒ぎが長引くようなものかな、アレが?
そう、前にぼやいたときには、部下に「そうですねぇ、団長にはオーラがありますからねぇ」と何とも言いがたい様子で相槌を打たれた。アレクシスは反省した。部下に気を遣わせてしまった。
率直にいえば、オーラがあるではなく、肉食獣のような気配がするといったところだろう。その気持ちはわかる。
肉食獣はトレーを片手に歩いてきて、アレクシスの正面に座った。
仕方なくアレクシスは食事の手を止めて、顔を上げた。士官の一件に対してはまだ怒っているけれど、無視するのも大人げない。
「お疲れさまです、団長」
「お疲れ」
ふっと男が優しく笑う。
背後で悲鳴じみた声が上がった。
どれだけ注目されているんだとアレクシスはうんざりした。食事くらい気楽にしたい。
だけど、この件に関してはオリジスが悪いわけではないので文句はいえない。この男は昔からずっとこの人目を引く容姿だったし、そのせいで妬み嫉みを受けるのを、アレクシスは傍で見てきたのだ。
オリジス自身もその端整な容姿のせいで苦労してきた ───……いや、どうだろう。気に留めないか相手ごと問題を粉砕するかの二択だった気がする。フォローに苦労するのはいつも自分だったのではないか? うん、考えると悲しくなるからやめよう。
オリジスはごく自然な動作で、自分のトレーに乗っているデザートのバニラアイスとこちらのデザート皿を交換した。アレクシスは、オリジスの長い指先を見つめたまま沈黙を保った。長い付き合いだ。オリジスはこちらの好物をよく知っている。こういった行動を受け入れるから、仲を誤解されるのだとわかっていても、バニラアイスの魅力には抗えない。アレクシスが選んだ本日の定食Aは、どれも好きなものばかりだったけれど、デザートだけはオリジスの定食Bがいいなあと、注文前にも迷ったのだ。
「引退の夢が実現に近づいてきた気がするよ」
嫌味を込めていってやると、眼の前に座ったオリジスは失笑した。
「一度もテストを許可できないくせに、よくいうな」
「団長こそ、自分で私の引退の花道を作っておいて、よくいいますね」
お前が士官に許可しなければこの状況になってないだろうが、ボケ。
胸の内で毒を吐く。じろりと睨みつけてやると、オリジスは珍しく、彼にしては本当に珍しく、ためらうそぶりを見せた。
アレクシスが眉をひそめて、眼だけで促せば、オリジスは、一つ息を吐いてからいった。
「辞めてもいいんじゃないか」
「なにを?」
「この仕事を」
アレクシスは、唇を中途半端に開いたまま、動きをとめた。
まじまじとオリジスを見つめる。
冗談だといって欲しかった。からかっただけだと。お前が引退したいと騒ぐから言ってやっただけだと。けれど、オリジスは無表情に近く、眼差しは冷淡だった。揶揄はどこにもなく、青の瞳は寒々しいほどに透きとおっていた。本心だと、アレクシスは悟った。オリジスは本気でいっている。
「……そんな、無責任な真似が、できるわけない」
一瞬で干からびた喉から、声を絞り出す。
「この基地は、オリーとわたしが、」
「お前がいなくても基地は回る」
あっさりといわれた。
目の前が暗くなる。
好物のシチューの味もわからずに、アレクシスは食事を終えた。
今日はやけに床板の木目が視界に入る。
ぼんやりとそう思ってしまってから、ハッと自嘲の息が零れた。
うつむいているからだ。床板に変わりはない。普段と違うのは、自分が、食堂を出てからずっと、うつむいたまま歩いていることだ。
……アレクシスには、野心と呼べるようなものはない。
この通称南湖支部の副団長になったのも、完全にただの成り行きだ。文字通り、ほかに人がいなかっただけだ。
ここは一度見捨てられた地だ。
建て直しを図ったとき、広大な面積を誇るこの基地の中に、エィルを使える人間は自分とオリジスしかいなかった。それに、食堂で働いていたララだ。騎士見習い二人に皿洗い一人だけの基地だった。
今では冷静沈着な副団長と言われているが、それが仮面であることは誰よりも自分でわかっている。
本当は毎日、内心で悲鳴を上げているのだ。頭を抱えながら、苛立ちでキレてしまいそうになりながら、あるいは泣き出しそうになりながら、必死で仕事をこなしている。出世だとか野心だとか考える余裕はない。背負っているものを、可能な限り落とさずに前へ進むだけで精一杯だ。
どう考えても副団長なんて器ではない。
正直、喧嘩っ早いし、落ち込みやすい。
基地の隅にある倉庫へ入って、アレクシスはずるずるとしゃがみ込んだ。普段は人気のない場所だ。ようやく息がつける。自分の執務室は人の出入りが激しいから駄目だ。傷ついて、泣きそうになっている顔のままでは、戻れない。
─── 責任が、あると思っていた。
自分と、オリジスには責任がある。この基地の人々と、この国の人々を、守る責任がある。
なぜなら、自分はあのとき逃げたからだ。
逃げて、逃げ切れずに、立ち止まり、戻ったからだ。
そしてアレクシスは副団長になった。心の中で悲鳴を上げていようと、怒り狂っていようと、辞めてやると泣き喚いていようと、関係ない。心の中なんて、誰だって好きにすればいい。誰にも見えないのだから、何をしようと許される。
だけど、この身体の外に出るものは、強く、揺るぎなくあろうと決めていた。
副団長として、人々の盾になる者として、この仕事を全うするのだと、毎朝鏡の前で自分自身と約束した。
(だけど、オリーは、わたしがいなくてもいいって、)
心臓から血がどっと溢れ出るのを、呆然と眺めているような気がした。
ナイフで胸を突き刺されたら、こんな気分になるのだろうか。
真っ赤な血が、ひたすらに痛い。