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3 四月十四日(金曜日)
翌日、雨宮沙織の住むマンション周辺を営業でまわった。訪問する地域は会社から指示をうけるものなのだが、おれのほうから、ここらあたりに手応えがあったから、と適当に理由をつけて、昨日と同様の地区にしてもらった。
本来の目的がべつのところにあったからなのか、幸運にも一件、契約がとれた。弱小メーカーの営業においては、一つさばけただけで、五日分の業績と等しい。これで心置きなく、本題をさぐれる。
沙織の住んでいるマンションに入っていった。玄関口からすぐのところに管理人室があったが、カーテンが閉まっている。昼間からこれでは、とくにチェックや監視などはしていないようだ。
マンションの外観からは、まだ真新しい印象をうけたが、内部に入ってみると、それなりに年季がはいっていることがわかった。どうやら、外壁の塗りなおしを最近おこなったようだ。
エレベーターで七階へ。
住人とすれ違うようなこともなかった。
沙織の部屋の前についた。
インターフォンを押そうとしたが、その手がどうしても動かなかった。
彼女に会って、いったいなにを話すというのだ。最初から、事件のことをぶつけるか? それでは、脈絡がなさすぎる。
偶然をよそおうか? しかしそれでは、どうやって事件の話題までもっていく?
迷いながら、扉の前で五分ほど熟慮した。答えは出なかった。なかばヤケクソな心境でボタンを押した。
いつまでたっても、応答はない。
もう一度。
やはり、いないようだ。
平日の昼間なのだから、仕事に行っているのだろう。迷いすぎていた自分が恥ずかしくなった。
彼女の現在の居場所をつきとめるのは簡単だが、そのためには《ゲイザーシステム》を使わなくてはならない。これまでの経験上、一度システムを使用すると、もとの場所にもどって意識を取り戻すまでに、二時間ほど経過している。それだけのために、二時間を無駄にするつもりはなかった。
マンションをあとにすると、寺尾幸子の実家へ足を運んでみた。明確な目的があるわけではなかった。
到着したとき、家の玄関から一人の女性が出てくるところだった。
表情が固まるのを自覚した。
その女性は、当時とは印象がだいぶちがっていた。しかし、まぎれもなく雨宮沙織だった。
沙織のあとに続いて、寺尾さんも姿を現した。状況を素直に読み解くならば、沙織が寺尾さん宅を訪問し、いま帰るところだ。寺尾さんは、それを見送りに出てきた。
「それじゃあ、沙織ちゃん」
「はい。また寄ります」
ドアが閉められ、沙織がこちらにやって来た。視線が合う。沙織の歩みが止まった。
「紫月くん……?」
おれのほうは、あまり学生時代から変わっていないから、簡単にわかるはずだ。
沙織の見た目は、あのころとはちがう。
髪は黒くて真っ直ぐなロングだったが、いまは派手な茶色。ショートぎみで全体的にウェーブがかかっている。
化粧も厚く、どちらかといえば、ケバい。
清純な記憶は、遠い遠い過去か。
思わず、おれは時の流れを意識した。
職業を推理すると、おのずと水商売系になってしまう。
「どうしたの、こんなところで?」
「あ、ああ……仕事でね。いま、浄水器のセールスマンなんだ」
「そう……このヘンまわってるんだ」
ぎこちない会話だった。
「いまは、なにやってるの?」
好奇心のままに、訊いてみた。
「友達の家に寄ってたの」
いまの質問は、現在どんな職業について、どんな生活を送っているのか知るためのものだったが、沙織はそう答えた。
「時間ある? お茶でもどう?」
クスッと、沙織は笑った。
「なんだか、ナンパしてるみたい」
「い、いや、そういうわけじゃ……」
「仕事は大丈夫なの?」
「ちょうど休憩しようと思ってたところなんだ」
彼女と話せるような状況をつくりあげるために、必死だった。たしかに、ナンパみたいだな、と思った。
「いいよ、ヒマだし」
むしろ彼女にリードされるように、近くのファミリーレストランへ入った。このあたりの地理に詳しい彼女に、場所はまかせたのだ。
「久しぶりだね」
「何年になるかな?」
「卒業してから、会ってないよね?」
「そうなるね」
どうでもいい会話が続いた。
「仕事、なにやってるの?」
本題ではなかったが、とにかくそれが気になってどうしようもない。
「なんだと思う?」
「OL?」
自分でも、嘘っぽいな、と感じた。
彼女に、ジッと顔を見られた。
「そんなこと、まったく思ってないでしょ? いいよ、正直に言ってくれて」
「わからないよ。OLじゃなかったら、そうだな……カラーコーディネーターとか?」
それは、核心に近づくための布石だった。たしか、寺尾幸子はカラーコーディネーターをめざしていたはずだ。
「……はずれ」
少し沈黙がはさまったが、沙織は答えた。
その一瞬に、なにをめぐらせたのだろう。
「さっき出てきた家だけど……」
彼女のほうから本当の職業を言いそうになかったので、話題を変えた。
「見送りに出たのは、おじさんだったよね? 友達はいなかったの?」
「死んじゃったんだ……」
「事故で?」
「殺人」
どこか悲しそうだった。
「そんなことがあったの?」
「うん。もう六年も前の話。大学時代の先輩でね……かわいがってもらってたんだ」
ということは、おれとも同じ大学ということになる。
「おれも知ってる人?」
「たぶん、知らない。紫月くんと別れてから仲良くなったし。見たことぐらいはあるかもしれないけど」
意外だった。同じ大学、ということだけだが、被害者とおれに共通項があったなんて。
年齢からいうと、死亡時、寺尾幸子は卒業していたはずだ。ストレートで合格していれば、学年は二つちがうことになる。すると、就職浪人をしてまで、カラーコーディネーターの資格を取得しようとしていたことになる。
おれ自身は、三年生。もうすぐ四年生になるころだ。もし、まだ寺尾幸子が在学生だったとしたら、もっと事件のことを覚えていたのかもしれない。三年の終わりごろから、就職活動は本番をむかえる。不況で必死だったから、卒業生が巻き込まれた事件のことなど気に留めていられなかったのだ。
「犯人は?」
「捕まってない。だから、おじさんはいまでも、毎日ビラを配りに行ってるの」
沙織はそう言うと、あっ、と思い出したように声をあげた。バッグから折り畳まれたビラを取り出した。
「一応、見てみて」
あのビラだった。眼を通すフリだけをした。
「懸賞金もかかってるから、心当たりがあったら協力して」
彼女の様子からは、とても犯人だとは信じられない。本心から事件の解決を願ってように感じる。
「だれが犯人だと思う?」
勇気をもって、問いかけた。
「わからない……わかってたら、事件は解決してるよ」
「彼女の身近に、あやしい人物とかいなかったの? たとえば、ストーカーとか」
「何度か、無言電話があるって相談されたことはあるけど……危険な感じはしなかったって。おじさんは、ストーカーに殺されたと思ってるみたいだけど」
しばらく、会話が途切れた。
「カラーコーディネーターをめざしてたの」
再開した言葉は、それだった。
「あ、ここにも書かれてるね。資格を取るためにアルバイトしながら勉強してたんだね」
事前に知っていたことを悟られないように、会話を続けた。
「一級の検定試験は、すごく難しいんだって……サチ先輩は、ファッション色彩のプロになりたがってた……」
そういえば、カラーコーディネーターには、ファッション色彩、商品色彩、環境色彩の三分野があったはずだ。
「その矢先に殺されて……部屋に火をつけられた」
そこで、沙織の表情が硬くなった。
「わたし、犯人を許せない!」
三十分ほど経ってから、店を出た。
別れてからも、沙織の「犯人を許せない」という言葉が耳に刺さっていた。
本当に犯人なのだろうか?
彼女が犯行当日、被害者宅を訪れていたことはまちがいない。やはり、彼女が一番の容疑者だ。次に会ったときにでも、それを問いたださなければならないだろう。
別れ際、携帯の番号を交換した。彼女からの申し出だった。むかしの恋人だとは感じさせないさりげなさがあった。家はこの近くのマンションだから──と、部屋の番号も教えてくれた。
いいように解釈をすれば、よりをもどしたがっている。
しかし、おれは彼女を疑っている。
そのために、彼女に近づき、これからもまとわりつこうとしている。心が痛むと同時に、なにか使命感のようなものも芽生えていた。
「刑事にでもなったつもりか……」
なぜだか、事件を解決しなければならないような、強迫観念にも似た感情に支配されつつあった。
これが、神のごとき力をさずかった人間の使命なのだろうか……。
前任者──池袋で射殺された男は、どういう心境だったのだろう。やはり、正義感に燃えていたのか。《ゲイザーシステム》を良いことに使おうと、あがいていたのか?
「刑事……か」
考えのなかに出てきたワードに、ひらめくものがあった。
たしか財布のなかに、いまでも入っているはずだ。急いで確認した。あった。警視庁の女刑事からもらった名刺だ。
立花まりあ。
そのときは、美人だからと捨てることもせず大事にとっておいたものだが、結局、電話をすることもなく仕舞い込んでいた。彼女に協力を求められないだろうか?
《ゲイザーシステム》のことを話せば、殺されてしまう。だから犯人だと疑っても、「あなたはこのとき、この場所にいた」と突きつけたところで、「証拠を見せてみろ」と言い返されれば、どうすることもできない。しかし警察官に、怪しい人物のことを話して、捜査してもらえば……。
要は、《ゲイザーシステム》のことを話さなければいいのだ。
うまく、立花まりあを動かせばいい。
おれはそう決意すると、名刺に書かれた番号にかけていた。