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ゲイザー  作者: てんの翔
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          プロローグ


 思えば、あれからだった。

 異常な出来事が、おれの身のまわりで起こりはじめたのは……。

 十二月の日曜日。正確な日付までは覚えていない。第何週なのかもわからない。年の瀬の雰囲気ではなかったから、最後の週ではないだろう。が、それすらもあやふやだ。

 貴重な休日を買い物に使っていた。彼女はいないし、これといった趣味もない。だから時間には余裕があるはずなのだが……現実にはそうなっていない。日々の仕事はきつく、取れる休みも少ない。できるかぎり家でのんびり過ごしたいというのが、おれの本音だった。

 私服を選ぶのも面倒だったから、仕事着のスーツを着用していた。それに抵抗がないほど、休日の外出には慣れていない。さすがに、ネクタイは締めていなかったが。

 池袋の西口にある中古のCDショップに、廃盤となってしまった貴重な品が入荷していることを、インターネットで知った。通信販売もできるようだったが、自分の眼で確認しなければ納得できない性分なので、わざわざ足を運んだのだ。

 夕方。すでに暗くなりはじめていた。冬の日暮れは早い。CDを買い、年甲斐もなく浮かれた気分で歩いていた。学生時代にもどったようだった。二七歳。高校・大学とバンドを組んでいた時代が、遠い過去のことになりつつある。もう夢は見ていられない年齢だ。

 購入したCDを聴いているとき、まだおれは演奏している側の気分になってしまう。

 純粋な聴き手として音楽と接することができるのは、はたしてあとどれぐらい年を重ねてからだろうか。

 かつては、プロをめざそうかと考えた時期もあった。あきらめて正解だ。おれの才能では、夢破れるのはあきらかだった。大人になってみて実感したことは、「夢は、あきらめるものである」ということだ。

 きっと人間は、あきらめる生き物なのだ。DNAに、あきらめることを宿命づけられた存在。成功した者も、この世には大勢いる。だが、あきらめなかったから成功したのではない。あきらめるまえに、幸運が舞い込んだだけなのだ。

「行ってみるか……」

 駅の地下に入り、東側に抜けた。目的はなかった。久々に池袋を訪れたので、栄えている東口を歩きたくなったのだ。階段を上がり、駅前に出た。

 人通りは、予想どおり多かった。西口も混雑していたが、やはりこちらのほうが凄まじい。ティッシュやビラを配っている数人が、雑踏の流れを滞らせていた。おれの前にも、一枚の紙が差し出された。

 なかば反射的に受け取ってしまった。

 店の宣伝ではなかった。情報提供を求めるビラだった。ざっと読んでみたが、六年前におこった未解決殺人事件のことが書かれていた。どうやらビラを配っているのは、被害者の父親のようだ。

「よろしくお願いします!」

 そう声をかけられた。その父親らしき人物は、すぐにべつの通行人にビラを渡そうとする。地面を見れば、捨てられてしまった紙が、あちこちに落ちていた。少し気の毒になった。おれだけでも受け取ってあげよう、そんな考えが胸を満たした。ビラを折り畳んで、ジャケットの内ポケットに仕舞い込んだ。

 ちょうど駅前通りの信号が青になったので、横断歩道を渡ろうと道路に出た。

 そのとき、バン!、という炸裂音が、突然響いた。

 爆竹のような音。

 真正面、早足で向こうから渡ってきた男性が、ふいに倒れた。

 年齢は三十前後ほど。おれよりも何歳か上だろう。

「どうしたんですか?」

 そう声をかけたところで、倒れた男性の頭から血が流れ出していることに気がついた。

 転んで怪我でもしたのだろうか?

 いや──!

 心臓の鼓動が、急に速くなった。同時に、絞めつけられるような苦しさ。

 悲鳴が、まわりからあがった。異変を察知した通行人のものだ。

 路上は、騒然となった。



 池袋の横断歩道上での射殺事件。

 それから四ヶ月あまり──。

 一番近くで目撃していたということもあり、これまでに警察から何度か事情を聞かれていた。いまでも、鮮明に捜査員とのやり取りが耳に残っている。

 事件当日、池袋署の刑事課と名乗る私服捜査員に現場で聴取された。翌日になって「署のほうでお願いします」ということになったので、会社が終わってから、池袋署まで出向いていった。そのときには、前日とはべつの刑事が応対した。女性だった。まだ若く、おれと同世代に見えた。

 取調室のようなところではなく、刑事課のオフィスの端っこに置かれていたソファセットの席をすすめられた。

 本庁捜査一課の人間です、とその女性捜査員は肩書きを口にした。警察官というよりも、ファッション雑誌の編集者という印象をうけた。服装は派手ではなかったし、化粧も薄かったのにそう感じたのは、彼女の素材そのものが上質だったからだろう。

「お名前は、紫月哲平さん、でしたよね?」

「は、はい」

「では、紫月さん、あなたは殺された男性と面識がありましたか?」

「いえ……」

 その答えは、女性捜査員も予想していたようだった。

「ほかの通行人の証言によると、被害者は、あなたに駆け寄ろうとしていたと」

「そんなことありません。まったく会ったこともない人です」

 正直に答えた。

「たしかに、こちらへ向かってましたけど……ただ横断歩道を渡ってきただけじゃないですか?」

「そうかもしれませんね」

 女性刑事は、相槌のように言った。

 その時点では、まだ被害者の身元は割れていなかったから、警察としても藁をもつかむつもりで証言を求めていたのだろう。聞ける話は、どんなことでも耳に入れておきたかったのだ。

 その一週間後にも、警察署に呼ばれた。身元がようやくわかったということで、被害者の氏名と住所、職業と年齢を聞かされ、それでも心当たりのない人物なのか、ということを確認された。

 並木秋人、埼玉県草加市在住。三一歳。職業は、派遣アルバイトだという。

「いえ、やっぱり知らない人です」

 女性捜査員の表情が、わずかに曇った。

「そうですか。いろいろとありがとうございました」

 美しい女性から丁寧に礼を述べられると、悪い気はしない。

「たぶん、お役に立てることはないと思いますけど、協力できることなら、いつでも協力しますよ」

 そう言ってみた。社交辞令のようなものだったが、半分は本心だったのかもしれない。

「でしたら、もしなにかを思い出したとしたら、ここに連絡をください」

 女性捜査員から、名刺を受け取った。

『警視庁刑事部捜査一課殺人犯捜査係』

『立花まりあ』

『090-×××──』

 不謹慎な感想だが、得をした気分だった。こんな美人刑事の携帯番号を知れるなんて。

 事件の目撃者になったことも、不運でなく、幸運だったと。

 しかし、のちになって知ることになる。

 これが……悪夢のはじまりだったことを。




          1 四月五日(水曜日)


 見られている、と思った。

 どうしてだろう……ここ数日、だれかに監視されているような感覚に襲われる。

 あの射殺事件のPTSDが、いまになって出たのだろうか?

 よくよく考えてみれば、人の死をあれほど実感したことはない。毎日ではないが、あのときの夢を見ることもある。けっして、気持ちの良いものでないことは語るまでもない。

 おれは、心の病気なんだ──そう思うようになっていた。

 事件から、だいぶ経つ。冬から春の真っ只中へ。

 しかし、まだ昨日のことのような……。

 仕事が終わり、いつものように、どこへ寄るでもなく、家路を急いでいる。つまらない仕事だ。中小の浄水器メーカーで働くようになって、もう五年になる。いまはマシになったようだが、当時は就職難と呼ばれる超氷河期だった。二流大学を卒業したおれが、普通に就職できただけでも、神に感謝しなければならないのかもしれない。

「ん?」

 ──と、暗い夜道に違和感をおぼえた。

 街灯が等間隔にあるだけなので、とても心細く感じる。車一台分が通れるほどの狭い道路だ。少し上り坂になっている。その坂の途中に、おれの住むアパートがあった。

 べつに、おかしなところはないか……。

 前方に続く坂道を眺めて、そう思った。では、なんの違和感だ?

 そのとき、赤いかすかな光が見えたような気がした。ちょうど、坂の上あたり。おれの住むアパートから、なにかの光がもれているのだろうか。

 いや、それは確実に、こちらへ向かって照射されている。

 眼が慣れてきたのか、おれの瞳はその輝きをハッキリと捉えていた。

 赤光があたっているのは、どこか……。

 その答えを悟ったとき、背筋をマグマが駆け上がっていくような錯覚をおぼえた。

 おれの額だ。こういうのは、アクション映画などで見たことがある。

 レーザーポインター。

 瞬時に、池袋の路上で狙撃された光景が思い返された。

〈バン!〉

 炸裂音を聞いたような気がした。それは、夢のなかだったのか……。

 確認のしようがない。

 なぜなら……おれは──。


        * * *


 起きたのは、暗い場所だった。

 道の上ではない。室内だということはわかった。だが、いままで生きてきたなかで、このような場所を知らない。心当たりもなかった。

『紫月哲平君、だね?』

 突然、闇から声が投げかけられた。

 男性の声。しかし、あきらかに機械的であり、故意に変えられていることがわかる。

 とても落ち着きがあって、威厳に満ちたしゃべり方だった。こういう口調のできる人間は、政治家か経済人にならいっぱいいるだろう──そう思わせた。だが同時に、どこか演技がかっているようにも聞こえたのは、気のせいだろうか。

『おめでとう。君が選ばれた』

 なにに選ばれたというのだ?

 まだ、ぼうっとする頭で、そう考えをめぐらせる。言葉として出ることはなかった。

『神のごとき力をさずけよう』

「な、なんの……話ですか……ここは、どこですか?」

 やっと声を絞り出した。おれは、射殺されたのではないのか?

 ここは、地獄か天国か……。

『どこだと思うかね?』

 見当もつかないから、たずねているのに……声の主は、からかっているのか?

『ここは、《ゲイザーシステム》の中枢だよ』

「ゲイザー?」

 なんのことを言っているのだ。

 すると突然、真正面が明るくなった。

 映画館のスクリーンのように、巨大なビジョンだ。日本列島が映っている。

『だれかの名前を言ってみたまえ』

「……」

 なにも、しゃべれなかった。

『だれでもいい。好きな女の名前でも、昨日見たテレビの出演者でも』

 それでも、言えない。いま、ここでなにがおこなわれようとしているのか、おれはこれからどうなってしまうのか……そういう不安と疑問が、頭の思考を停止させていた。

『では、こちらで決めてあげよう。雨宮沙織、二七歳、成応大学卒、千葉県松戸市出身』

 画面のなかの日本列島が拡大した。埼玉県にズームアップしている。草加市。さらに地図は拡大を続け、ビルや家々が確認できるまでになった。グーグルアースをもっと精巧にしたようなもの。

 俯瞰視点から、サイドビューに切り替わった。あるマンションが点滅していた。そのマンションもズームアップされ、細かな部屋まで認識できる大きさになった。

 十五階建てのうち、七階のとある部屋が点滅している。その部屋のアップになったところで、画面の変化は止まった。スクリーン下部に、ここの住所らしきものが表示されている。

『君の初恋相手は、現在ここにいる』

「ど、どうして……」

 どうして、初恋相手のことを知っているのか、いや……どうして、彼女の居場所が瞬時にわかるのか……。ダメだ、頭が混乱している。

『君のことは、調べさせてもらった。もしかしたら、君よりも君のことをよく知っているかもしれない』

「バカな……」

『驚くことはない。現在のテクノロジーは、一般に使えるものでも相当発達しているだろう? 携帯のGPS機能とかわらない。似たような使い方を警察もしているさ』

 この映像のことに話がすりかわっていた。

『ここからが本番だよ。こういうこともできる。二〇〇八年十二月二四日午後九時』

 画面は、関東全域がわかるまでに引かれ、そこから東京のある地点に向かってズームアップする。一目でラブホテルとわかる建物が点滅した。

『そのとき、彼女はここにいた』

「な、な……」

 言葉を失った。

『まだ君と彼女がつきあっていたころだね? 君は、この場所に覚えがあるかな?』

 なかった。

『信じられないようだが、これが《ゲイザーシステム》だよ。現在だけではない。過去に、だれが、どこに居たかまでわかる。もちろん、携帯電話を所持していないくてもいい。それに当時は、いまほどGPS携帯は普及していなかっただろう? 君や、彼女もそうだったね?』

 たぶん、そうだったと思う……。

「し、信じられない」

 やっと、声を取り戻した。そうだ、信じられるわけがない。

『それほど不思議がることではない。タネを明かせば、簡単なことだよ。日本人は生まれたときから、あるものを埋め込まれるんだよ。身体のどこかに』

 思わず、自分の身体のいろんな箇所を手で触れていた。

『そんなところではない。だが、確実に君の体内にも入っている。病院で生まれた人間ならば、医者から埋め込まれる。そういう仕組みだ』

「い、いったい、なにが……」

『発信機のようなものだよ。《ゲイザーシステム》が、その信号をキャッチし、記録しているんだ。つまり日本人は、常時監視されているということになる』

 そんなことが、あり得るのか!?

『ちなみに、このシステムが完成したのは、一九九九年。しかし残念なことに、いまのように過去の情報を詳細に検索できるのは、二〇〇六年からだ。覚えておくといい。九九年から二〇〇五年までのデータは、もっと雑だったんだ。例えば、二〇〇一年の五月五日午後五時に、君が居た場所を検索しようとしても、大まかな区域までしか表示されない』

 声にうながされたように、スクリーンが変わった。

 東京都──二三区が中心の地図になった。そのなかで、台東区の色だけがちがっている。どうやらおれは、この日のこの時間、台東区のどこかに居たようだ。

『以上が、《ゲイザーシステム》の概要だよ。わかってもらえたかね?』

「じゃ、じゃあ……みんなの行動は、この機械に把握されているってことなのか?」

『全員ではない。昭和四一年より前に誕生していれば、検索はできない。まだ情報チップ──まあ、わかりやすい名称で呼べばだが、それを埋め込みはじめたのが、そのころからだ。西暦でいうと、一九六六年。つまりボーダーラインは、現在五十歳の人間、ということになる。さらに、病院で生まれなかった子供にも、当然埋め込まれていない。外国人も同様だ。また、日本人だが外国の病院で出産されたようなケースにおいてもね』

「そ、そんなことが……」

 やはり、ここはあの世か、もしくは夢のなかなのか……。

『それと──検索がきるのは、日本国内だけだ。この国の境界を一歩でも出たら、反応はなくなる。これも覚えておくといい』

「な、なぜ……おれが、そんな凄いことができる場所にいるんだ?」

『今日から、君がこの《ゲイザーシステム》を統括するんだ。喜びたまえ。この国の帝王になれるんだよ。総理大臣よりも、多くの情報をつかむことができる』

「そ、それで……なにをすればいいというんだ!?」

『君の好きにしてもらって、かまわない。どう使おうと、君の自由だよ。それが犯罪行為だとしてもね。もちろん、なにもしなくてもいい。だが、できるかね? 神のごとき力を手にして、それを行使しないなど』

 この人物の意図が、まったくわからなかった。

『しかし、一つ約束してもらおう。この《ゲイザーシステム》の秘密を他人には絶対もらさないことを──破ったらどうなるか、君は眼にしたはずだよ』

 それは、どういうことなのか?

 いや、訊かなくても、理解していた。

 そうしようとした人物が、池袋で射殺された被害者なのだ。

『たぶん、いま思ったとおりだよ。その彼が、君の前任者だよ。なにを血迷ったのか、彼は秘密をばらそうとした。だから、ああなった。君は、そんな愚かなことはしない。そうだろう?』

「断ることはできないのか?」

『無理だ。このシステムを知った者に、選択肢は用意されていない』

「ころ……されるのか?」

 声は、その答えを明確にしなかった。

「な、なぜだ!? なぜ、おれなんだ!? あんたが自分で、このシステムを利用すればいいだろ? この国の帝王にでもなんでも、おまえがなればいいじゃないか!」

『私は、ただの案内人だ。わが名は、ヤコブ。神に使える忠実なしもべ』

「……」

『ここへ来たいときは、そう望めばいい。さきほどと同じように、麻酔弾で眠ることができる』

 すると、さっきの狙撃は、実弾ではなかったということか。

 あたりまえか。まだ生きているのだから。

『例外として、いま君の居る場所──つまりここを、《ゲイザーシステム》で検索しようとしても、反応はしない。ここの場所は絶対にわからない。ここへ来たいときは、狙撃されることを選ぶのだ』

 あんな恐怖を、また味わえと……。

 イヤだ! 素直に拒絶していた。声に出す度胸はなかったが……。

『退室するときも同様だよ。気づいたときには、またもとの地点にもどっている。時間は、そのぶん経っているだろうけどね』

 レーザーポインターの赤光が、額を狙っていることがわかった。

〈バン!〉


        * * *


 眼が覚めた。いままでのことは、夢か?

 いや、夢でないことは、おれ自身がよくわかっている。鮮明に覚えている……。

 携帯で時刻を確認した。すでに、深夜と呼ばれる時間帯に突入していた。

 場所は、アパートに続く坂の途中だった。まわりに人の姿はない。

 ゲイザーシステム──。

 使うわけがない。そうだ、忘れてしまおう。

 いまのは、本当に夢だったのだ。

 夢は、朝起きたときには、ほとんど記憶に残っていない。

 忘れるのだ。

 忘れてしまったら、秘密を他人に暴露することはできない。

 殺されることもない。

 池袋のあの人のように、無残な死に方をするのは、ごめんだった。

 頭のなかから、抹消する──。


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