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私は地球の清掃員(二期)



 私は地球の清掃員(二期)だ。



 ここ太陽系第三惑星へ最初に派遣された者達は、主に偵察と交渉に従事した。

 戦闘に特化した我々の移動は、彼ら一期の派遣部隊がこの地球に住む知的生命体とある程度の意思疎通に成功し、武装機の駐留許可を得た後に行った。

 地球での目的は、時空の裂目から現れる複製変異体──『滓』の殲滅と、滓の感染能力発現に対する警戒である。

 それに付随して人類との協力関係維持があるが、目下のところこれが一番の難題だった。

 目立った障害もなく任務に支障はないものの、別種の知的生命体との相互理解は非常に難しい。


 我々の存在は民間には公表されておらず、駐留許可が下りたのは洋上に浮かぶ航空母艦ディーノ・ラテーロのみ。

 接触を持つ人間は艦の乗員だけに限定されるが、こちらの目的を予備知識として得ている者達ばかりである。

 誤解と偏見が生む衝突が皆無なのは一期の派遣部隊の功績だろう。

 表立った軋轢はない。

 だが、確たる信頼を持ったともいえない。


 私は最適を求めて模索を続けている。



 思考を巡らせつつ飛行甲板にて待機中に、イレギュラーの接近を探知した。

 立川奈津。

 黄色人種に一般的な、黒に近い茶色の髪と瞳を持つ。肌色はやや明るい。頭髪は顎の高さで切り揃え、周囲の人間と比較するとあきらかに小さな体格が特徴である。

 人間であるのは間違いないが、特異な出現をしたことからその存在の意味を問われ、常に同族から監視されている。


 その立川奈津と呼ばれる個体が、視界を足元に限定したまま、重心の定まらない不安定な歩行で接近してくる。移動目標点へ着く前に転倒する危険性が高い。

 やがて危惧していたとおりに、軸がぶれて目測を誤った爪先を引っ掛けた。

 距離約四十メートル。転倒前に奈津のもとまで到達は可能だが、移動時に発生する衝撃波が奈津とその周辺に被害を与える恐れがある。損失なく支えに入るのは不可能。

 行動を起こす選択を放棄し、飛行形態を保って待機を続けた。


「あっ」

 奈津は小さく声をあげ、傾斜した身体を支えるために両手と膝を甲板の上につく。

「痛……」

 眉を下げて表情を変え、苦痛をあらわすシグナルを発しながら、彼女は視覚による認識で手足の損傷をチェックした。


 こちらでも走査を開始する。

 左膝蓋骨付近に極僅かな内出血。左手のひらの最表層部分に擦過傷。体外への出血までは至っていない。

 負傷は軽度。救護を要請する必要性なし。上昇していた警戒レベルを安全領域まで落とす。

 我々では適切な治療処置を施すのは不可能に近いのだから、目の前で傷を受けるような事態は出来うる限りの回避を求めたい。


 人間という生物は脆い。とてつもなく。多孔質構造体──スポンジのように隙間だらけの柔らかい蛋白質で身体を構成し水で満たす、あまりにも脆弱な有機生物のなかでも、特にだ。

 地球上のどんな生物も、生まれ落ちたそのままで自身を防護する身体をもっているというのに、この人間という生物は「衣服」がなければ、極薄い──我らの装甲などとは比べようもない、本当に薄い表層面がすぐに破れて体液をこぼし、体温調節も満足にできずに身体に変調をきたし、あげくに「こんな格好じゃ外に出られない!」と精神にすら変調をきたす。

 ならばなぜほとんどの地上における動物のように最初から、毛なり羽なり外殻なりを有してうまれてこないのか。大気よりも温度差の緩い水中に棲まう生物でさえ、鱗や粘膜で身体を鎧っているというのに。まったくもって不可解だった。

 高い知性を持ち得ていながら身体は弱々しく、一個体で隔離されるだけで生命維持が困難になる。弱いからこそ知能が進化したとも言えるが、生物としては実にアンバランスだ。


 脆く、弱く、壊さず触れるには力の配分が難しい。特に女、さらに言うなら子供。この艦でいくばくかの時を過ごし、乗員との数度の接触を経て学び、多少は慣れたと認識していた力の加減は、この娘には通用しなかった。

 聞けば、乗艦している人間はほとんどが男性体であり、人間のうちでも特に体格がよい者ばかりが集まっていて、奈津のような女性体とは元々の骨格からして大分に違うのだということだった。幼生体が生命として未熟で脆弱なのは理解できるが、なぜ弱い特性を残したままにするのかは理解しがたい。性別とは不可思議なものだ。


 奈津は甲板に臀部をつく姿勢から立ち上がる。

 傷による痛みは強くないはずだが、彼女が発する苦痛のシグナルは消えなかった。


「大丈夫か」

 音声を飛ばし、安否を問う。

 首を上下に動かす肯定が返されると同時に、奈津の目元から水滴が零れ落ちた。


「奈津」

 人間というものは本当に扱いが難しい。どこもかしこも柔らかく、軽く触れただけで痛みを訴えてくる。摘み上げねばならない時などは制御に大変な苦労を要した。

 圧し潰しそうで恐ろしい、お前はよくもこんな真似が出来るな、と理解し難いものをみるように言ったのはカリスだった。あいつは最初から人間との接触を選択していない。

 できることならば、人間には触りたくない。

 それは演算処理の結果に多様性を求めて異なる個性を持たせられた我々が一致して持つ見解だった。

 私も、自身の手で小さな人間を損なうことは恐ろしい。


「どうしたんだ」

 それゆえに、この小さい生き物に目の前で泣かれると、非常に困る。人間同士であれば、頭を撫でたり、抱きしめたり、背中をさすったりして精神の安定を促す行為──慰める、ということをするようだが、人が龍と呼ぶ、金属のかたまりであるこの身では、そのどれもがあまりに違いすぎる体格ゆえに為し得がたい困難なものだからだ。


 できることならば、自分から人間には触りたくない。


 元来我々は『触れ合う』ということに価値を見出だす事が無いまま進化してきた種だ。

 硬い金属の身体で近付けば互いを傷つける。そう認識するまでもなく当たり前のこととして生きてきた。

 遥か昔、今よりずっと原始的な形状だった頃でも、ほんの一部が繋がりさえすれば、記憶のすべてを共有できた。生命体として円熟期にある現在では、わざわざ物理的に繋がらずとも、情報のやりとりは可能になった。

 触れ合う必要などなかった。

 だが、この星の地に棲む生き物にとっては重大な、必要不可欠なものであるらしい。誰にも触れられずにいると正常な発育をしないという実験データもあった。

 触れられることが精神に安定をもたらすのだと。


 奈津は鈍重な歩調でこちらに接近し、三メートル程手前で足を止めた。眼窩からあふれる雫を落としながら、小さく囁く。

「家に帰りたい……」

 彼女にしては珍しく、意欲に欠けた発言だった。

 達成を目指す目標を掲げるのではなく、叶わない望みを嘆いている。


 驚かせないよう緩やかに人型へ形態を変え、脚を曲げて頭部を人の高さに近付けた。

「何かあったのか」

 以前に泣いた時は感情を負の方向へ導く幾つかの外的要因があった。今回の負傷もきっかけに過ぎないと推測する。


 奈津は視線を下方に据えたまま唇を噛む。

「……ごめん。なんだかホームシックになっちゃってて。艦の中はどこも人の目があるし、ちょっと、隠れさせて」

 発言に虚偽を示す反応が僅かながら検知された。『ホームシック』も結果であり起因ではないと推測する。


 彼女は私の機体の下に潜り込んだ。

 身体を縮めて姿を隠そうとする対象は、六十メートルほど離れた先で奈津の監視を続ける人間のようだった。敵意を示すシグナルが確認できる。対立的な接触があったと推定──それが原因か。

 人類の相互干渉に影響を与える行動は極力回避せねばならないが、甲板の隅で動かずにいることくらいは何の問題もないだろう。

「構わない」

 涙という体液の分泌は人間の精神的ストレスを軽減させる働きも持つらしい。だがその状態を他者に知られることが好ましくないなら、遮蔽物としての役割を請け負うのに渋る理由はなかった。

 飛んで来るのは敵の攻撃ではなく、何ら脅威に値しない人間の視線だけ。


 私の機体の隙間に隠れて泣き始めた奈津が、時折父親と母親を呼ぶ。

 成体とするには少しばかり未熟な個体であるため、未だ親の庇護を欲する瞬間もあるのだろう。

 だが私は親の代わりには成り得ない。人が必要とする触れ合いも与えられない。

 私の元は奈津の逃げ場として機能に不足が多く、してやれるのは彼女が要求した潜伏を支援することくらいだった。

 完全な隠蔽は監視が警戒を強める。生命活動の痕跡はそのままに、風に流されて洩れ聞こえる泣き声だけを打ち消した。

 私以外に奈津の泣く声を聞くものはいない。


 約二十七分経過後。鼻をすすりあげ、深い呼吸を三度繰り返した奈津は、両眼から溢れる透明な液体を服の袖で強く擦り取った。

 その服は作業労働をする際に身体の防護目的で着用するものではなかったか。摩擦に強いが伸縮性に欠けた硬い材質で、皮膚層が薄い部分に擦り付けるには抵抗が強すぎるはずだ。


 機体の隙間から這い出てこちらを見上げてきた奈津の目の周辺は、危惧するまでもなくすでに赤く充血していた。

 腫れを伴う炎症をおこしているにも関わらず、彼女の苦痛のシグナルは消えている。

 苦痛に耐えかねて泣き、泣いて己の身を傷め、それでも整然とした様子を取り戻す。涙の分泌というのはそれほどに効果があるのかと不思議に思う。

 我々にはない機能だが、激しい情動を持つ人間には必要なのだろう。


「ね、ランス。これから予定ある? 洗ってもいい?」

 脚部の装甲に手のひらをそえて奈津が問う。

「2200まで甲板上で待機を務める。出撃要請に即応できる範囲なら問題はない」

「ブラシで泡々は駄目かあ。じゃあバケツに水汲んでくる!」

 先程までの涙などなかったことのように笑顔をつくり、手を振って、奈津は下層の格納庫に繋がる連絡路へ向かって駆け出した。

「足元に注意を」

「はあーい!」

 威勢のよい返答を寄越すものの、実行する様子はない。また転倒されては困るのだが。


 彼女は格納庫に置いていた金属容器に洗浄剤を入れ、甲板まで運んできた。そこで水を足し、水溶液を作って私の足元まで戻る。

 溶液に浸した布を両手で捻って脱水し、皺を伸ばしてたたみ直すと、こちらに掲げて見せた。

「上から拭くからよろしく!」

 私の機体頭部または肩部へ運べと意訳する。

 掌を差し出せば、小さな人間は躊躇いなくその上に乗りあがった。左肩部まで移動させる。

「高い……やっぱ怖い……」

 奈津は小さく呟きながら私の頭部を濡れた布で拭き始めた。


 調べてわかったことだが、奈津ら日本人と呼ばれる人種は、この世界に広く分布する人類の中でも小型で力の弱い部類に入るらしい。それを補うように手先が器用なものが多いとされている。

 細かく動き回って隅まで丁寧な洗浄をする奈津は、たしかにその特徴を備えているようだ。


「こっちは、こんなもんでいいかな。次は反対側ね」

 頭部左側の手が届く範囲を拭き終えた奈津は、長く息を吐いて作業の区切りをつける。そしてゆっくり立ち上がると、頭部に取り縋りながら右肩部へ向かって移動を始めた。


「よっ……と、動かないでよ、ランス」


 奈津は頭部の前面に張り付くようにして数センチづつ進む。

 次に取るべき行動の答えが出せず、軽い機能不全に陥った。

 この小さな人間は、そこに観測用センサーが集中していることを知らぬのだろうか。 ……いや、そうだ『忘れる』ということがあるのだったな、有機生命体は。


 人間のエチケットマナーとして、不用意に見たり、ましてや触れたりしてはいけないとされる、女性に特徴的な部位が、センサーの上を塞ぐように押し付けられ、少しずつずれていく。温度、硬度、形状、さまざまなセンサーから取得できる情報のほとんどが『それ』からしかない時もあった。

 こちらから注意を促すこともできるが、今この時にそれを実行するのは得策ではない。恐らくその事実に思考が至った場合、この小さな人間はまず間違いなく慌て、足を滑らせるか踏み外す危険がある。結果として落下が予測されるのならば、黙っていたほうが彼女の身の安全のためだ。


 そう判断を下し、彼女の移動が完了するまで沈黙を守って待機を続ける。

 特定部位の情報を取得したことは非公開事項として秘匿したほうが良さそうだった。

 あえて口に出さないこともマナーというものらしい。

 本来ならば触れるべきではないのだが、あちらからこうも無防備に寄ってくるのでは回避が難しかった。


 右肩部へ移った奈津は、手にした布で私の頭部を拭く作業を再開する。


 できることならば、人間には触りたくない。

 だが、この小さな人間が機体の上に乗り、その歩行によって響かせる装甲の音は、とても興味深い。


 洗浄を終えた後に柔らかな指先が装甲に擦り付けられると、極小の摩擦による甲高い擦過音が己と奈津の間からうみだされる。

 その震える響きを受けて奈津が発する、満たされたシグナル。


 人間とは不思議なものだ。

 他を洗浄する作業過程で自身は汚れていくにも関わらず、全てを終えると充足を得て幸福を感じるらしい。返還される利益は重視していない。

 奈津は特にその性質が強いようだった。

 あれを同期調律することが出来れば人類をより理解できるのだろう。



 私は地球の清掃員(二期)だ。

 ここでの任務を成功させるには、人類との協力関係が重要である。

 そのために人類への理解を深めていかねばならない。


 実現させるには、もっと多くの情報が必要だ。

 奈津は良いサンプルとなる。

 手近に置いて観察を続けることとする。




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