第二話 空白の少女 弍
翌日になってもターヤは戻らなかった
朝、いつもなら顔を合わせる時間になっても姿は無い
中庭にも、炊事場にも、洗濯場にも
どこにもいなかった
アリアは仕事の合間を縫って探した
けれど見つからない。
『あの…』
他の空白に声を掛ける
『ターヤを…いつも厩舎の掃除をしていた子を見てませんか?』
男は面倒そうに振り返った
『知らない』
それだけだった
まるで興味が無い
いや
実際は他人の心配なんてしている余裕なんて無いのだろう……
空白が一人消えたところで彼らにとっては
それが日常になってしまっているのだから…
その日の夜
ターヤは、まだ帰ってこなかった
二日目
やはり姿は無かった
食事の時間にも
仕事の時間にも
寝床にも
誰も話題にしない
誰も探さない
誰も気にしていない
まるで最初から存在していなかったように
アリアは嫌な予感を振り払えなくなっていた
夜になり
薄い毛布に包まりながら目を閉じる
眠れない
瞼の裏に浮かぶ
縄で繋がれた空白達
笑う商人
金貨の音
神官服の男
そして…
友達の顔
[いつか逃げたいね]
[普通になりたい]
その言葉が耳から離れない
アリアは毛布を握り締めた
『ターヤ…どこに行ったの…』
違う
きっと違う
どこか別の場所へ送られただけだ
そう思いたかった
そう信じたかった
けれど…
胸の奥では別の声が囁いている
見ただろう
知ってしまっただろう
あの倉庫で何が行われていたのかを。
アリアは耳を塞ぐ
聞きたくなかった
考えたくなかった
それでも
眠りは訪れなかった
三日目
昼過ぎだった
荷運びを終えたアリアは、中庭の隅で小さく息を吐いていた
その時
遠くから野犬の鳴き声が聞こえた
一匹ではない
何匹もだ
何かを取り合うような鳴き声
屋敷の裏手
廃棄場の方角
周囲の使用人達は気にも留めない
アリアだけは顔を上げた
胸がざわつく
理由は分からない
けれど
嫌な予感だけが膨らんでいく
行かなければならない
そんな気がした
アリアは仕事道具を置く
そして誰にも見られないよう、屋敷の裏手へ向かった
廃棄場
壊れた家具
腐った食料
割れた食器
不要になった物が積み上げられた場所
近付くにつれ、腐臭が鼻を刺す
思わず顔をしかめる
そして…
奥の方で野犬達が群がっていた
何かを囲んでいる
アリアの背筋に寒気が走った
野犬達はこちらを見ると低く唸り、やがて獲物を諦めるように散っていく
残されたのは
一枚の汚れた布だった
風に揺れている
アリアの足が止まる
近付きたくなかった
けれど、目を逸らす事も出来なかった
一歩、また一歩
震える足で近付いていく
やがて布の前へ辿り着く
喉が渇く
呼吸が浅い
心臓がうるさい
震える指先で布を掴む
ゆっくりと捲った
その瞬間
世界から音が消えた
顔だけで分かった
ターヤだった
三日前まで
一緒に笑っていた少女
いつもパンを分けてくれた少女
[普通になりたいね]
そう言って笑った少女
間違いなく彼女だった
だが首から下は、もう人の形をしていなかった
腕は本来曲がるはずのない方向へ折れ曲がり
片腕は途中から失われている
服は裂け
全身には無数の傷が残されていた
アリアはその場に立ち尽くした
涙は出ない
悲鳴も出ない
ただ、見つめることしか出来なかった
やがて
震える唇から掠れた声が漏れる
『あぁ……』
ぽつりと呟いた。
『やっぱり……』
心のどこかでは分かっていた
戻ってこないことを
もう会えないことを
それでも信じたくなかった
だから待った
だから探した
だから願った
しかし、現実は目の前にあった。
誰にも弔われず
誰にも惜しまれず
まるで壊れた道具のように捨てられている
友達だったものが
そこにあった
その時だった
背後からゆっくりと拍手の音が聞こえた
パチ、パチ、パチ
不気味なほど静かな拍手だった




