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石打の山  作者: 禿頭の犬
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第三話 沙都の求婚

 ある日、沙都は、孫兵衛の前に正座して、深々とお辞儀をした。


「父上、沙都は、父上にお願いがございます」


 孫兵衛は、だらしなく頬を緩め、娘の顔を眺めた。


「うん、うん、なんだな沙都や。なんでも言うてみるがええ」


「沙都はもう二十でございます。そろそろお嫁にゆきとうございます」


「嫁」孫兵衛は思わず板の間にひっくり返り、

 床の上にお茶をまんべんなく飛び散らせた。


「ななななな、何を申すかと思えば」


「どうか怒らないで聞いてくださいまし。

 沙都には、お慕い申しているお方がいるのです。

 沙都は、そのお方のところへお嫁にゆきたいと思っています。

 その方のことを思うと夜もおちおち眠られず、

 食事もろくにのどを通りません。

 こんな気持ちは初めてです。

 ああ父上、沙都は、そのお方に恋をしてしまったのです」


 孫兵衛は耳を疑った。


「ささ沙都、なあ沙都、おまえ、

 じ、自分のいっていることが分かっておるのか?」


 孫兵衛は、ほとんど泣き出さんばかりに口元を震わせ、

 おろおろ声を出した。

 

 孫兵衛の顔いろはうすめ油で色抜きをしたように真っ白だった。

 しかし、そのような父の姿を、沙都は特段、不憫とも何とも思わなかった。

 石の像のことで頭が一杯だったからである。


「い、い、い、いったい、そ、その男とは何者なのだ?」


 沙都は恥ずかしそうに顔を俯かせ、小さな声でその名を口にした。


「いいいいい、石打丸じゃと!」


 孫兵衛はそう叫ぶなり、卒倒した。

 沙都には考えがあった。


 石打丸と夫婦になれば、わたしの石の像はできたも同然、

 石打丸は全身全霊を込めてそれを造るだろう。


 なにしろこのわたしのお願いなのだから。


 そうしてできた石像を山の頂きに置き、わたしの名前を刻んだなら、

 もう石打丸に用はない。

 

 わたしがこの手で殺してあげよう。


 なに、でかいだけで頭の弱いあの男に、

 だまして毒を飲ませるくらい、何の造作もないことだ。


 沙都は、美しい唇を軽く歪め、

 完成したおのれの石像を頭に思い描いた。


 石像はつややかな黒耀石でなければならない。

 硬く、重い、漆黒の像は月の光を浴びて凄絶な美しさを放つことだろう。

 

 なによりもその像に刻み込まれた沙都の、

 浮き世ばなれした美しさを村人はこぞって褒めたたえ、

 その像と沙都の美しさを後の世の人々にまで語り伝え受け継いでゆくことだろう。


 そう考えただけで、沙都はもう震えるような、

 陶然とした思いにさえとらわれるのだった。


 沙都はある日、使いの者をやり、石打丸を屋敷に呼び寄せた。


 石打丸が屋敷にやってくると、妖艶な身なりをした沙都が石打丸を出迎えた。


 沙都は、見事な朱の絞り染めを纏っていた。

 

 その唇は血の色のように赤く、目尻にはうすく紅をひいていた。

 それはまさに、この世のものとも思えぬ美しさだった。

 

 沙都は、石打丸に話しかけた。


「石打丸さん、お願いがあるのです。

 この沙都の、一生のお願いです。

 どうかわたくしを、貴方様の女房にしてはいただけないでしょうか」


 長い睫の下の瞳をころころと潤ませ、

 かすかに頬を赤らめた沙都の艶やかなことといったら、

 側にいた下男が悩ましさの余り胸をかきむしるほどのものであった。


 ところが石打丸ときたら、そういうことにはおよそ頓着がなく、

 涼しい顔をして、こともなげにこういってみせた。


「おら、きまったひとがおるだに、おめえをよめにはとれねえ」


 沙都の驚きようは一通りではなかった。

 

 赤らんだ頬はたちまち青ざめ、まゆはつりあがり瞳は三角になった。


「その、決まったひと、というのは、きっとさぞかし、

 お美しい方なのでしょうね?」


 誇りを汚された怒りで、かすかに肩を震わせながら、沙都はそう尋ねた。


 石打丸は少しの躊躇もなく、首を横に振った。


「いんにゃ。ぶさいくだ。おらといいしょうぶだな」


 沙都は大きく体をよろめかせた。


「分かりました。その方は、きっと、

 とてつもないお金持ちなのでしょう?」


 石打丸は即座に首を横に振った。


「いんにゃ。びんぼうだ。おらっとこよりひでえかもしんねえ」


 沙都の身体から血の気が引いた。

 

 わたしは、財産もない、不細工な女に負けたのか。


「いったい、それは誰なのです?」


 沙都はもう、真白い顔から、ぴりぴりと稲妻を出しながら、

 石打丸をにらみつけた。


「わらじやのむすめの、たえだ」


 石打丸は、そういって、照れ臭そうに、頭を掻いた。


「あのみにくい娘」


 沙都は絶句した。


「はんつきしたらしゅうげんをあげるだ。

 だから、おめえをよめにはとれねえ」


 石打丸は、嬉しそうに微笑んだ。

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