第一章 壁時計の謎(一)
秋の終わり。
旧道さくら商店街から一本入った、英国のパブのような雰囲気のある喫茶店。
名前は「こもれび」だ。
店は程よい広さで、丸いテーブルがいくつか。背の高い赤いビロードの布が貼ってある椅子。そして入り口から入って右側の壁は大きな本棚になっており、ミステリー小説がずらりと並んでいる。
床や内装に使われている木は程よく暗い色で、気持ちを落ち着かせてくれる。そこここにある小物は、マスターのお気に入りのものばかりである。
カランカラン。
ドアのベルが心地よく鳴った。
「こんにちは、いつもの二つね」
勢いよく店に飛び込んだのは、小学校からの同級生、三沢菜穂だった。その後ろから、私、雨宮澪も続く。
土曜日の午前中、一週間の出来事(愚痴ともいう)をお互いに話すため、いつも二人で訪れるのが長年の習慣だった。
「はい、いらっしゃいませ」
そう返事をしたのは、ここの店主、春日井透だった。
私たちの住むこの町は、都心から電車で一時間もかからない、いわゆるベッドタウンというもので、都会すぎもせず、田舎すぎもせず、私としてはとても住みやすい町で、大好きである。
私は生まれも育ちもこの町、葉住市で、幼稚園から高校までこの町で過ごした生え抜きの葉住人である。旦那さんは都内育ちの都会っ子なので、ちょっと離れた所に住んでいる人のことを、顔だけでなく家族構成まで知っている感覚が、今でも信じられないと言っているが、それはそれで慣れてしまえばどうということもないものである。
人生の大半をこの町で過ごしているのだから、もちろん同級生、知り合い、顔見知りなど大勢いるわけで。
その中でもとりわけ長い時間一緒にいるのが、この同級生、菜穂である。そして、今日も今日とて、まるで半年会っていなかったかのような勢いで、今週の出来事を話し始めるのだった。
「いやね、うちの会社にはまともな人がいないのかって話よ」
恒例の会社の話から始まる。
菜穂の勤めている会社には、本当に素晴らしい人材が集まっている。話題性においてだ。
信じられないくらい込み入った人間関係、とても大っぴらに話せないような出来事。他人事として聞いているうちはとても楽しく、また菜穂は話し上手である。ケラケラと笑いながら、ものすごい内容の話をあっけらかんと話していく。
私はもともと仕事をしていたが、少し前から体調を崩しがちになり、今は在宅で旦那さんの仕事を手伝ったり、趣味の占いやデザイン関係の仕事をしたりしながら復職を目指している。
今はこうして菜穂の話を聞いて、美味しいコーヒーや紅茶を飲んで、英気を養っているところだ。
相変わらずのとんでもない話に大笑いしたあと、美味しい珈琲を飲んでいると、ふとカウンターの上に置いてあるコースターが新しくなっているのに気が付いた。
「あれ、このコースター新しい? 珍しいね、寄木細工っていうの? これ」
「そうです、寄木細工です。つづりさんで見かけて……。珍しく衝動買いでした」
春日井さんがホクホクしている……とちょっと嬉しくなっていると、菜穂がさっそく反応してきた。
「あそこって不思議な雰囲気醸し出してるよねぇ……私、大好きなんだぁ」
確かに、雑貨店つづりは、古道具と新しい作家さんのものが入り混じった不思議なお店だった。中に入ると、あふれんばかりの雑貨たち。木製の棚には、寄木細工、陶器、ガラス小物、真鍮のフック、古い本立て、小さなランプが並ぶ。
でも、ごちゃついていない。すべての雑貨に居場所があるような、優しい場所。
「商店街には、案外いいものを扱う店が多いんです」
嬉しそうに語る春日井さんに、私たち二人もうなずいた。
私が何かと足を運んでいるこの喫茶店「こもれび」もそうだが、さびれることもなく、いい店がそろった商店街だと思う。それぞれの努力が実を結び、活気のある商店街としてにぎわっている。
「この商店街で調達しているものって、ほかにもあるの?」
「もちろんです! 例えばこのコーヒー。これは焙煎所月ノ香さんの特別焙煎ですよ」
と、春日井さんは恍惚の表情を浮かべた。可視化したら、このコーヒーは世界一、というタスキを掛けていそうな顔。楽しそう。
確かに、あそこのコーヒーは美味しい。店主の黒瀬さんは世界中を回っていろいろなコーヒーを飲んできて、なぜかこの町へ落ち着いてくれて、素晴らしい焙煎をしてくれている。
春日井さんと意気投合して、特別焙煎珈琲をおろしてくれるようになったそうだ。
「それからサンドイッチのパンは桜井さんのところのものですし、お野菜は八百清さんですしね。どちらのお店も素晴らしいクオリティで、ご自身が提供するものへの目利きや努力には頭が下がります」
「へえ、そうなのね。カップなんかもいろんなタイプのものが置いてあるけど、あれも?」
「ええ、そうですよ。つづりさんの隣の青寧さんです」
うつわ屋青寧は私もお気に入りの店で、店の名前に青が入っているからか、青い器を多く取り扱っている。いろいろな作家さんのカップ、湯呑み、小皿、花器などが並ぶ店だ。
店主の千歳さんは私とあまり年も変わらないので、ふらっと立ち寄っては世間話をする間柄である。
「器の形や釉薬、持ったときの重さにこだわりを持たれているので、全幅の信頼を置いて、ここに合う器を選んでいただいています」
「いいよね、自分のこだわりの器でいただく美味しいお料理……。でも自分の家の食器をいったん全部諦めて、お気に入りの食器に入れ替える勇気が、私にはまだない!」
菜穂の熱い気持ちを聞きながら、自分の家の食器を思い浮かべ、確かに私にもまだその勇気はないなぁと苦笑いをしていると、カランといい音が鳴って、一人の男性が店に入ってきた。
「こんにちは」
入ってきたのは、駅にほど近いところに時計店を構えている松尾さんだった。
松尾時計店は昔からある時計店で、ガラスケースには腕時計、懐中時計、古い置時計が並んでいる。
若者のトレンドから、根強い人気を誇る細工の繊細な懐中時計など、マニア心をくすぐるラインナップで人気の店だ。
また、駅へ向かう道すがらにあるため、店舗の看板にある大きな時計が、通勤客の最終確認場所として大いに役に立っている。
最近は腕時計ではなく携帯電話が時計代わりということも多いらしいが、忙しく駅に向かっているときに携帯電話を出すのも億劫になるというものだ。そんなときに、ずれることのない大きな時計はありがたい。この時計でこの時間ならもう駄目だ、という悟った表情のサラリーマンをよく見かける。
現在は息子さんに業務を譲り、今しがた店に入ってきた宗一さんは、いわゆるご隠居さんになるのだろうか。
のんびりこの店でコーヒーを飲んでいる姿を、よく見かける。
「時計のご機嫌はどうかな?」
宗一さんは壁時計を眺めた。
その視線には、古い友人を見るような時計愛がにじんでいる。
「やはり、ちょっと走るね。まあ、古い時計だから」
そうつぶやいてから、宗一さんは奥まった本棚の近くの席へ向かった。そこは空いていれば必ず腰を下ろす、彼の定位置だった。
宗一さんが席に落ち着いたのを見届けて、菜穂が声をひそめた。
「ねぇ、松尾さんって、毎週金曜にこの時計触ってるって言ってたよね?」
「うん、そうだね。息子さんが来たのを見たことないから、今も宗一さんが見てるんじゃないかな。前に金曜日の夕方にねじを巻いてる姿を見たことがあるよ」
「てかさ、毎週ねじ巻くの? 大変じゃない?」
「そうかなぁ? うちにもおじいちゃんが大事にしてた時計があったけど、巻かなきゃ狂ってきちゃうから、追い詰められて巻くわよ」
「追い詰められるって……もっと気楽に生きようよ……」
「だって、止まるんだよ。なぜか我が実家様にはその一個しか時計はないし」
「それが高校時代の遅刻最多記録の理由っていうんじゃないでしょうね」
そんな黒歴史を突然ぶつけてきた親友に、全力で非難の顔を向けてあげた。
最多記録の理由は、朝ドラを見終わってから家を出ていたからだ。時計のせいじゃない。
「って、そんなことじゃなくて、ここの時計っておかしくない?」
「おかしいって?」
菜穂がスマホを見る。
それから壁時計を見る。
もう一回スマホを見る。
そして。
「だってほら、五分遅れてる」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
本日と明日は、一日二回投稿する予定です。
こもれび喫茶で起こる小さな謎を、楽しんでいただけたら嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします。




