セシル・グランヴィル
「あっつ!」
(何?!なんなの?!)
ぽたり、と髪から琥珀色の液体が落ちる。
——紅茶だ。
どうやら、背後から紅茶をかけられたらしい。
「何をしている!」
セドリックが立ち上がり、私の後ろを見て鋭く一喝する。
「……っ」
振り返ると、空になったカップを持った黒髪の令嬢が無表情で立っていた。
彼女は私と目が合うとはっとした顔をし、おろおろしはじめた。
そして勢いよく頭を下げる。
「申し訳ございません!」
顔も上げずに、続ける。
「手が滑ってしまいました」
「……どうやったらこんなに盛大に溢すんだ」
険しい表情のセドリックが、低い声で言う。
それからこちらに振り向いた。
「クラウディア、火傷はないか? ……ひとまずこれで拭け」
胸元からハンカチを取り出し、差し出される。
「ありがとうございます」
ハンカチを受け取って、滴り落ちる水滴を拭いた。しかし——
「うわ、色ついちゃってる……」
水滴がなくなっても、白い制服に紅茶のシミができてしまった。
(……最近制服汚れること多くない?)
「医務室で着替えよう。事情を話せば代わりの制服を貸してもらえるだろう」
そう言ってセドリックは私の腕を掴む。
「え?ちょっ——」
戸惑う私を、セドリックはひょいっと立ち上がらせた。
そしてそのまま私を連れて行こうとする。
(いや、王子と医務室行きたくないんだけど!)
今日はイルの助けは望めない。ハルのところに行っていて、学園にいないのだ。
なんとかセドリックを説得して、一人で医務室へ向かいたい。
セドリックを撒く術を考えていた、そのとき。
「お待ちください、殿下」
先ほど紅茶を私にぶちまけた黒髪の令嬢が割って入る。
「何だ」
「着替えとのことでしたので、私が医務室まで付き添いますわ。お二人はまだ婚約者の立場ですし、付き添いは女性の方がよろしいかと」
「いや、付き添ってもらわなくても行けるんだけど……」
私は思わず口を挟んだが、セドリックがこちらを見て首を振る。
「一人でこんな格好で学園内を歩いてみろ、好奇の的だぞ」
(別に全然構わないんだけど)
セドリックは少しの逡巡の後、頷いた。
「だが確かに、私が医務室まで付き添うには、問題があるかもしれないな。……では、グランヴィル嬢、君に頼む」
セドリックは私の腕を黒髪の令嬢、グランヴィル嬢へと差し出す。
(なんで腕を差し出すわけ? 離したら逃げ出すとでも思ってる?)
「承知しました。……クラウディア様、参りましょう」
グランヴィル嬢は私の腕を掴もうと手を伸ばす。
ずいぶん骨ばった手だ。グランヴィル嬢は服を着ていてもわかるほど痩せている。
腕を掴まれなくても行けるので、咄嗟にその手を避けて言う。
「持ってもらわなくても、歩けますから」
そう言って顔を上げた瞬間、グランヴィル嬢と目があった。
「……!」
なぜか、ゾッとした。
綺麗な青い瞳に、底知れない深さがある気がして。
(あの目、何?)
なんだかわからないけれど、この人と二人きりになりたくない。
「あ、あの! 私、彼女に付き添ってもらいますから!」
咄嗟に、イライザ達が来てからずっと無言だった、栗色の髪の少女の腕を掴む。
さっきから気配を消すように、私の隣で静かに座っていた。
「え?!」
栗色の髪の少女は驚いた声を上げた。
「付き添ってもらわなくて、結構です。私たち、友達なんです! ね!」
最後のね!は栗色の髪の少女の方を向いて。
(お願いだから話合わせて!)
目で栗色の髪の少女に訴えかける。
少女は困惑した表情だったが、しばらくして。
「……はい。友達です」
彼女は小さく頷いた。
(よかった……!)
私はグランヴィル嬢に向き直る。
「なので、結構です。……えーと、グランヴィル嬢」
「セシル」
「は?」
「セシル・グランヴィルですわ。クラウディア様」
そう言ったセシル・グランヴィルの瞳はやはり、底冷えする暗さを湛えていた。




