第2話 そのお嬢、夜会嫌いにつき
「ローズさんと呼んでもいいかな?」
お断りよ。
なんて言ったら傷つけてしまうだろうか。
でも生憎と自由恋愛を楽しめる身分ではない。
「ええ、どうぞ」
ローザが孤児院を一歩出た瞬間に男は現れた。がっしりした肩幅、日焼けした笑顔に白い歯。そういうのが好きな女の子もいるだろうけどローザの好みでは全然ない。
連れ立って歩いているとローザの方を見る視線がチラチラとある。
横に並んだ男からもだ。そういうの苦手なんですけど。
「銀髪が綺麗だ……珍しい見た目なんだな」
ローザはプラチナブロンドに紫の瞳という、この世で最も高貴とされる見た目をしている。一族のほぼ全員がその見た目だから当人としてはレアリティを感じることは少ないけど、世が世なら姫に生まれたかもしれないと聞いた時は成程と思った。
「ありがとうございます……」
「よければオペラを一緒に観にいかないか?」
自己紹介をした後、気まずい沈黙が落ちる前に男が誘った。
「そんな、困ります」
「もちろん代金は持つよ、それでもダメだろうか」
ただの領民に奢らせていたら笑い者にされる。とんでもない。
領民にはお高い観劇費用もローザにとっては小銭みたいなものだ。実家が小さめの国家予算くらいは持っている。
「えっと……」
どうしよう。
男という男を徹底的に避けて生きてきたので断り方がわからない。夜会を断てばこういう機会は巡ってこないと思っていた。
「ずっと会いたかったんだ、どうか……」
男が一歩近づいてきて手を握られる。
思わず鳥肌がたった瞬間、目の前に影が落ちた。
遅れて気がついたが、大通りの通行人が全員立ち止まって青い顔をしている。しかも皆で同じところを見ているらしかった。
視線を釘付けにしているのは豪華な馬車。もっと言えば、その横っ腹に描かれた物々しい家紋── ダリアと梟の複合紋だ。
垂れ幕に使われる真紅のベルベット生地には、繊細な金糸刺繍が入っている。
「エルドラド公爵家……」
見間違えようもない領主の馬車。横の男は文字通り固まっていた。
「あ……あなたは帰っていいわ、私に用があるみたいだから」
慌ててうながすが衝撃から立ち直れないようで棒立ちのまま動かない。
ちょっと、と肩を叩いてやる前にカーテンが開いて、中で優雅に腰掛けていた男が二人を余裕ありげに見下ろした。
艶やかな黒髪。
薄墨色の瞳はどこか冷淡さを醸していて、その恐ろしいほど端正な顔立ちによく映える。
男は公爵家に相応しい仕立ての良い濃紺の装い。視線はローザの方に流れてくる。
飲み物を口にしていたら全て吹き出していたところだっただろう。
「ご機嫌よう、御令嬢。お名前は?」
甘やかな中低音の声がくすぐったい。
「え、あの……ローズです……」
街娘として答えるべきか、跪礼をするべきか。
咄嗟の判断がつかない。正解なんてないだろう。なんなら卒倒してしまいたい。
男はただ目を細めてローザを見つめると、徐に扉を開けて手を差し伸べた。
「乗りなさい、送っていこう」
「……ありがとうございます」
素直に黒手袋の手に縋って乗り込むと、背後ですぐに扉が閉められた。
御者の動きまで洗練されている。振り向くと窓の外に驚愕したままの顔が見えたが、ローザの視線を遮るように男の手でカーテンが引かれた。
いやいやいやいや。何してるの。
「ちょっと……あなた、何してるのよ。なんか空気読んじゃったじゃない!」
この公爵令嬢の私が!
ローザが小声でそう言うと、最高級の美貌を持った専属執事は揶揄うような笑みを見せた。
「失礼いたしました、ローズお嬢様?」
美しい顔に溜飲を下げさせられる。悔しい。けどかっこいい。
怒ろうかと思っていたけど言葉を変えた。彼に対してわたしは甘い。彼もわたしに甘いけど。
「ローザって呼んでよ……わたしのアレクセイ」
「おかえりなさいませローザ」
「うん……」
甘い声で名前を呼ばれると胸がふわりとしてあたたかくなった。完敗。
「なんでこんな登場をしたの?」
「こうしておけば今度からあなたに声をかける人がいなくなるでしょう?」
「ああ、そう……驚かされたわ」
アレクセイの横に座りなおしたローザは、自分から彼と手を繋いだ。骨が浮いて節だった男らしい手の感触。下半分を隠す黒い手袋が色っぽい。恋人でもないのに指を絡める繋ぎ方をとった。
本当はダメだけど、彼は止めない。
わたしが社交界嫌いな理由がここに詰まっている。
「帰ろ」
「ええ」
「また夜会に出ろって言われちゃった」
「断ったんでしょう?」
彼は見抜いて笑ってくる。屋敷の使用人がみんな彼なら絶対に夜会に出ろとは言ってこないんだろう。だったらよかったのに。
まあねと言って笑い返した。きっといつもどおり、無理矢理に出させられるんだろうけど。
「大丈夫ですよ……裏門にいつものアレを用意してあります」
「みんな怒るでしょうね、特にメイド達が」
意味ありげに笑い合うのは二人で行っている夜会対策がユニークだから。
けっこう面白いと思うのだが、エルドラド使用人からは毎度のごとく大不評である。
その理由は週末になればわかる。
*
白い肌を上品かつ大胆に引き立てる艶やかな深紅の生地。
もともと淡く色づいている形のいい唇にはルージュを。
光を集めてキラキラと輝く繊細な銀髪には最高級の髪飾りがされて、後れ毛が色っぽくうなじに垂らされる。
このまま出ていけば千人に求婚されそうな文句なしの美少女が鏡に映っていた。
銀蝶の名に恥じない見事な出来である。
ローザは満足げに笑うと、後ろで何故かチベスナ顔をしているメイドに向かって親指を立てた。
「うふふ! 最高の旦那様を引っ張って帰ってくるから安心しなさい!」
普段は絶対に言わないセリフ。何の冗談かレベルの発言。
メイドも本心じゃないことをわかっているから誰も反応しない。
ローザは気にせずにテーラーメイドの靴を受け取ると、踊るような足取りで裏門に向かった。
「ああ……美しい。さすがですよ、私のお嬢様」
アレクセイは泉のそばで待っていた。後ろには木箱。中には型落ちしたドレスが入っている。それから信じられないほど分厚く野暮ったいビン底眼鏡も。
肌に塗りたくるためのファンデーションと髪を染める染料はローザがスカートの中に隠して持ってきていた。
「後ろ向いてて」
そう言って自分の背中に手を伸ばす。互い違いに結ばれた紐に手をかけると一気に解いた。
悪魔じみた行いによってメイド達の労力が一瞬で水の泡になる。彼女らのチベスナ顔はこのオチをわかっていたからだ。だったら最初から手をかけるなとも思うが、仕事は仕事なので仕方がない。痛む良心は少なからずあるので、彼女らの給金にはちょびっとだけ手当を出していた。
ローザは銀色の髪飾りも外してアレクセイにパスし、まとめていた髪も全部解いてしまった。
そしてアレクセイの手も借りながら10分後。
「仕上がりましたねえ」
高位貴族とは思えない、日光を気にしないで生きてきたような肌。大きな瞳を隠す眼鏡はどうしようもないほど巨大でダサい。美しかった白銀の髪は乱され、使用人にも本人にも大事にされていないのが伺える黒髪へと変わり、古臭いドレスは夜会慣れしていない田舎貴族を思わせていた。
田舎娘が変身して美しくなるストーリーはいくらでもあるが、その逆は滅多にないだろう。
「よし、これで行くわ!」
当代最高の美女から近年稀に見る不細工娘に転落したローザは、むしろビン底眼鏡の奥の目をキラキラさせる。
そしてスカートをたくし上げて華奢な足で走り出し、勢いよく馬車に乗り込んでいった。
「お気をつけて。間違っても眼鏡を外して男性に見られることがないように。いいですね?」
「うん、行ってくるわ。帰りもここでね!」
小窓から顔を出して手を振り、馬が走り出すとすぐにカーテンをかける。
エルドラドの領内は街灯が煉瓦道を照らしていて美しかった。
野暮ったい令嬢を乗せた馬車が大通りを進んでいく。




