表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
深淵少女シマモモコ  作者: 雨宮ヤスミ
[五]精神の安定
12/46

5-6

「何でそんなこと決められなきゃなんないの!?」

 

 

 鱶ヶ渕の駅前には小さな、しかし特徴的な像が建っている。この像は地域の待ち合わせスポットとして利用されいた。鱶ヶ渕の中高生が「駅前」と言えば、この像の辺りということになっている。


 若草エリイはこの場所で人を待っていた。日曜日ということもあって、人通りは多い。待ち人に似た姿を人混みの中に見つけるたびに、エリイは髪をいじり、スカートのしわを気にした。


 今日はエリイなりに、精一杯大人っぽい格好をしてきたつもりだ。空井ヒメに見立ててもらったコーディネート、「彼」は気に入ってくれるだろうか。かわいいと言ってくれるだろうか。期待半分、不安半分だ。


 それにしても、遅いな。エリイは携帯電話の時計に目を落とす。中学入学の折りに、無理を言って買ってもらったものだ。何かあったんじゃないだろうか。電話した方がいいのかな? でも、きっと怒るだろう。そんなこと、求めてないだろう。すっぽかされたのかな? やっぱりあんなことで付き合い始めたから、よくないのかな……。


 エリイは前髪のクローバーの髪留めに触れた。一秒ごとに不安はふくれて、胸がはち切れそうだ。いけない、こんな時ヒメならどう考える? いや、ヒメを待たすような男なんていないか……。


 やがて、待ち合わせ時間から十分ほど遅れて、「彼」はやってきた。

 金に染めた髪に緑のキャップを斜めにかぶせた、十代後半ごろの男だ。いわゆる「イケメン」の部類に入るだろうが、長い前髪と唇に開けたピアスに威圧感がある。どこか刃物のような危うい印象の青年だった。


「おう、行くぞ」


 待たせたことを謝るどころか、申し訳なさをかけらも見せずに、「彼」はエリイの腕を取った。


 エリイは待たされている間どれだけ心細かったか、訴えようとして止めた。それはきっと、「彼」の聞きたい話ではないから。大人の女はそんなことしないのである。


 二人はまず、昼食を摂るためにファーストフード店に入った。見慣れた内装も、今日のエリイには特別に思えた。


 「彼」はセットに追加でもう一つハンバーガーを頼んだ。ガツガツと頬張りながら、自分の話をした。


 高校を一ヶ月で辞めたこと、中学三年間で五人のクラスメイトを学校から追い出したこと、その内一人は自殺したこと、無免許で車を運転していること、ビールが最近おいしくなってきたこと、反社会団体に知り合いがいること……。


 相変わらず、とエリイは思う、顔をしかめたくなるような話ばかりだ。「彼」は誇らしげで楽しげだけれど。


 「彼」はつぶれたタバコの箱をポケットから取り出し、エリイにライターを渡す。エリイが「彼」のくわえたタバコに火を点けると、満足そうに煙を吐いた。


「うまくなったじゃん、ライター」


 最初はビビってたのに、と「彼」は笑う。


「練習したから」


 煙のにおいにはなれないけど、とエリイは心中で付け加える。


 エリイの両親はタバコを喫わない。父は昔喫煙者だったらしいが、エリイが産まれるのを機に止めたのだそうだ。


 もしあたしと「彼」が結婚して子どもが産まれても、きっと「彼」はタバコを止めないだろう。ほとんど確信したように、エリイは思っていた。


 ファーストフード店を出て、ビリヤード場へ向かった。


 そこは駅の南側に建つ雑居ビルで、何だか薄暗い。これが大人の雰囲気なのかな、とエリイは思うことにした。


「お前、やったことある?」


 エリイが首を横に振ると、「まずは構え方からな」とキューを手渡してくれた。


「ボールの真ん中らへんを撞くんだよ」


 「彼」は背中越しに、エリイの腕に触れた。呼気が背中にかかり、タバコの苦いにおいが強くなる。伝わってくる体温にエリイはどぎまぎした。


 どうにかエリイもボールにキューを当てられるようになってきたころ、「ジャンプショットを見せてやる」と「彼」はボールと台の間にキューの先を潜り込ませた。だが、ボールはまったく跳ねない。だから何度もやった。


 「ジャンプショット禁止」の張り紙が台の側面にあるのを見つけて、エリイはもやもやした気持ちになった。


 結局怒られはしなかったが、会計の時は冷や汗をかいた。結局最後までジャンプショットは成功しなくて、「彼」の機嫌も悪かったし。


 それから二人はカラオケへ行くことになった。ビリヤード場からほど近い雑居ビルの中にある、やはり薄暗い店だった。


 エリイの知るカラオケ店というのは、南側でも駅の近くにある、メジャーなチェーン店だ。そこは明るくにぎやかな印象なのだが、ここは店構えからして怪しげに見える。


「どうしたんだよ、行くぞ」


 「彼」はエリイの手を取った。引っ張られるようにして中に入る。

 受付の店員は茶髪を短く刈り込んだ大柄な男で、「彼」の顔を見ると、「おう」と横柄に挨拶した。どうやら知り合いらしい。


 店員はエリイの顔をまじまじと見つめる。品定めをするような目付きに、エリイはたじろいだ。


「切っとけよ」


 「彼」が、店員の男にそう囁くのが聞こえた。強面の顔をにやりと歪めて、店員はうなずいた。


 切っとけ、って何を? エリイの胸に不安がよぎる。


 薄暗い店内、個室に二人きり。心の中で結論は出ていたが、目をそらすことにした。


 早すぎる、ってことはない。狭い廊下を「彼」の後について歩きながらエリイは自分に言い聞かせる。大人になるって、そういうことなんだから。


 部屋の中はタバコの臭いが充満していた。二人は破れ目のあるソファーに隣り合って座った。


 「彼」はマイクなどには目もくれず、エリイの手に触れる。反射的に体を引くと、「彼」は強引に抱き寄せた。


「分かってんだろ?」


 「彼」は耳元でささやく。呼気が耳から体の底に突き抜け、震えた。そうだ、何をびくついてるんだあたしは。


 エリイは「彼」と唇を重ねた。目をつむり、タバコのにおいを我慢して舌を受け入れる。へその下が熱くしびれる。


 顔を離して、目を開く。「彼」は潤んだような目でエリイを見ていた。


 このまま。エリイは「彼」にその身を委ねようとした。


 その時、視界の端に入っていた部屋のテレビに「それ」が映っているのが見えた。真っ白い背景の中心に、落書きのような目鼻口……!


「ぱ、パサ……!?」

「あ?」


 突然悲鳴を上げたエリイに、「彼」は眉をひそめた。


 テレビに大写しになった、「エクサラント」の毛玉は、むにょりと画面から出てくる。そして瞬時に「彼」の背後に移動し、その尾で後頭部を殴り付けた。


「あがっ!?」


 情けない声を漏らし、「彼」はうつぶせに倒れた。


「……ちょ、ちょっと!」


 想像だにしていなかった光景に、エリイはそう言うのがやっとだった。


 パサラはいつもと変わらぬ様子で体を揺する。妙に得意気に見えるが、気のせいだろう。


『何をしたって結構だがね』


 やれやれ、と言うように体を横に振る。呆れているようだ。


『貞操だけは守ってもらえないかなあ……』

「て、テーソー?」

『不純な異性交遊は控えろ、ということさ』


 エリイは顔を赤くした。改めて第三者から言われると、恥ずかしくなる。


「なな、何でよ……」

『「ディストキーパー」としての心得だよ』

「心得!? 心得って何よ!? 子どもはそういうことしちゃいけないワケ!? 何でそんなこと決められなきゃなんないの!? あたし達だってあい……」


 エリイはふと口をつぐむ。あい、愛し合っている、のだろうか? あたしが先にやり方はどうあれ「彼」を求めて、そして「彼」も今わたしを。だけど、「彼」が求めているのは体のことだけじゃないのか?


 エリイは気絶した「彼」を見下ろす。とても、言えなくなった続きなんて出てこないのだった。


『あい?』

「その……」


 ふう、とパサラは珍しくため息をついて見せる。


『人間界の倫理観は知らないけどね』


 そう前置きしてパサラは丸い目でエリイを見据える。


『いいかい、エリイ? 「ディストキーパー」になったことで、君の体は常人より頑丈になった。けれど、常人とは違う繊細さを持つようになったんだ』

「え?」


 急になんだ? 話が見えない、とエリイは眉をひそめた。


『アキナの暴走は身に染みているだろう? 君もああなる気かい?』


 暴走、と言われてあの恐ろしい炎に包まれた姿と痛みが蘇ってきた。


「そ、それってつまり、えっ、その、したら、暴走するの?」

『そうなるね』


 そう言われては、とエリイは大きく息をつく。


「最初に言ってよ、そんな大事なこと……」

『今、性交が必要な年齢ではないから、優先度は低いと思ってね、省いただけだよ』


 必要な年齢ではない。


 ざくりと刺されたような気がした。「早いなんてことはない」というあやふやな武装は、簡単に貫かれた。


『危険がないようにその彼の「インガ」は改変しておいたから。君とことに及ぼうとはしなくなったよ』

「ちょ、それってその……」

『不能にしたわけではないから、君以外の女の子については、する気ならするんじゃないかな』


 そんなの、浮気され放題じゃないか。エリイの抗議を待たずに、パサラは早戻しのようにテレビの画面の中へと消えてしまった。


 エリイは途方に暮れて座り込んだ。「彼」は起きる気配がない。最悪だ、としみだらけの天井を見上げてつぶやいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ