部屋と机と
その部屋に違和感を覚えたのは、三度目に入った時だった。大学の図書館は古く、増改築を繰り返しているせいで、同じような廊下がいくつも連なっている。私は卒業論文の資料を探して、地下書庫をよく使っていた。埃っぽく、静かで、時間の感覚が薄れる場所だ。一度目にその部屋を見つけた時は、ただの空き部屋だと思った。二度目は、机と椅子があることに気づいた。三度目に入った時、私は自分がその部屋を「知っている」と確信した。だが、記録がない。図書館の見取り図では、その部屋は存在しないことになっていた。そんな部屋が秘密基地のようで、むしろ誰にも言わず秘密にしていたい気持ちが勝っていた。ただやはり古い建物ということもあり、少し不気味な雰囲気をも醸し出していた。
不安な気持ちになる部屋で、何もしないと怖さを助長すると思った私はノートとペンを持ち込み、部屋の様子を書き留めることにした。四角い部屋、窓はない。机が一つ、椅子が一つ。本棚は空。壁は白いが、どこかくすんでいる。照明は天井に一つ。書き終えて、私はノートを閉じた。その瞬間、何かがおかしいと気づいた。机が、二つある。私は立ち上がり、部屋を見回した。確かに机は二つ、椅子も二つある。だが、私はさっき一つしか見ていない。ノートを開き、書いた内容を確認する。
——机が二つ、椅子が二つ。
最初からそう書かれていた。私は一度、部屋を出た。廊下に出て深呼吸をし、すぐに戻る。部屋の中は変わらない。机は二つ。ノートも同じ内容だ。その日から、私は何度もその部屋に通った。入るたびに、何かが増える。五回目には、本棚に数冊の本が並んでいた。六回目には、時計が壁に掛かっていた。七回目、床にカーペットが敷かれていた。そしてそのたびに、ノートの記述も「最初からそうだった」ことになっている。私は気づいた、ノートの記述の通り、部屋が変化していることに。ならば、と私は一つ試した。ノートに書くのをやめたのだ。記録が変わるなら、記録しなければいい。私はただ目で見て、記憶だけで保とうとした。
八回目に入った時、部屋には窓があった。今までなかったはずの窓の外には、見慣れたキャンパスの中庭が見える。学生が歩いている。現実と繋がっているように見えた。安心しかけた、その時だった。
窓の外を歩いていた一人が、立ち止まった。そして、ゆっくりとこちらを見上げた。目が合った、と思った瞬間、私は理解した。あれは外ではない。
私は反射的に窓から離れた。背中が壁にぶつかる。心臓の音がやけに大きい。もう一度、恐る恐る窓を見る。そこにはもう誰もいない。いつも通りの中庭だ。だが、何かが違う。人の動きが、ほんの少しだけ遅れているように見える。その時、背後で音がした。椅子が引かれる音。振り返ると、机が三つになっていた。その一つに、誰かが座っている。顔は見えない。だが、確かにそこに「いる」。私は息を呑んだ。その「何か」は、ゆっくりとペンを動かしていた。机の上のノートに、何かを書いている。 私のノートだ。いつの間にか、私の手には何もなかった。「それ」が顔を上げた。「それ」は、見覚えのある顔だった。私だった。そして口を開く。
「やっと来た」
意味が理解できなかった。だが、次の瞬間、理解する必要がなくなった。私の記憶が、ずれていく。この部屋を見つけた日のことが思い出せない。ノートに書いた内容も曖昧になる。代わりに、別の記憶が入り込んでくる。
——机は最初から三つあった。
——私は最初からここにいた。
違う、と言おうとした。声が出ない。「それ」が立ち上がる。そして私の方へ歩いてくる。出ていくのは、あれだ。残るのは、私だ。
気がつくと、私は机に座っていた。ノートを開く。そこにはこう書かれている。
——この部屋に入ったのは初めてだが、なぜか懐かしい。
廊下から足音が近づいてくる。誰かが、この部屋に入ってくる。私は急いで本棚の隙間に入る。次に、誰がここに入ってこようと「それ」には見られては繰り返しを防げない。




