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第四話:孤児院の魔法少女、日常を営む(1)

 カーヤは神様ってものを信じている。

 もしかしたら妖精とか聖霊とか言うのかもしれないが、まあどれでもいい。

 痛くて、苦しくて、悲しくて、どうしようもなかったとき。

 まるでお伽話の魔法使いみたいに、さながら神話の英雄のように、その『神様』は現れた。

 杖が振るわれるわけでもなく、呪文が唱えられたわけでもなく、それこそ何が起きたのかも判らない内に、気付けばカーヤは銀色の髪をしたその人に救われていた。

 

 だからカーヤは神様の存在を信じることにした。

 いや、実際に目で見て手で触れたことがあるのだから、それは信仰ではなく実感だ。

 

 神様は居るし、苦しんでいる人や悲しんでいる人を救ってくれる。

 普段は姿を見ることなんて出来ないけれど、人の力ではどうしようもない事が起きた時は、きっとまた現れて、皆を助けてくれるのだ。

 

 もしも再会出来たなら。

 その時は、胸を張ってお礼を言いたい。

 カーヤはそう思っている。


 それならば、とマリナ先生は教えてくれた。

 そのためには日頃の努力が欠かせない。

 良く学び、働き、そして思い切り遊ぶこと。

 それでこそ神様は喜んでくださるのだそうだ。

 

 ということで、カーヤは日々の勤めを怠らない。

 起床して身繕いを終えたカーヤを待つ最初の仕事は、

「おにーちゃん! あさだよー!」

「ぐぼぁっ!?」

 思い切り助走をつけて、寝坊を決め込む兄の腹の上に飛び乗ることであった。


■■■


 カーヤと兄のカミルは戦災孤児で、マリナ先生の孤児院に身を寄せている。

 孤児院にはカーヤ達の他にも沢山の子供達が居て、まだ歩けないような赤ちゃんから大人になりかけているような年長者までが広い屋敷の中で暮らしている。

 男の子も女の子も、それどころかエルフもドワーフも獣人も関係なく一緒くたに生活するから、食事の時間は常に戦争状態だ。

 所用があると言ってマリナ先生を初めとする大人達が席を外してしまった今は、完全に手が付けられなくなっている。

「あー! 僕のイチゴ取ったー!」

「バーカ。大皿はみんなのだってセンセーが言ってたろ。早いもん勝ちだよ」

「おなかへった! おなかへった!」

「食べながら喚くなチビ共!」

「ジュースちょうだい! ねー! ねーってばー!」

「ねーちゃん、ミナが牛乳こぼしたー!」

 孤児院の食卓は大きく、丸い。小さな子供達を何人か乗せられるくらいには。

 そこの中央に大皿があって、料理が盛り付けてある。

 テーブルの中央まで手が届く年長者達が小さな子達の分を取り分けながら、自分達の分も確保するのがここのルールだ。そうしなければ、皆が好き勝手に食べ物を取り合って収拾がつかなくなってしまう。

 とは言え、それでも暴れん坊というのは居るもので、元気の有り余っている男の子や、まだここに来て日が浅い子の中には、テーブルによじ登って直接大皿に突撃を始めるような無法者が現れる。

「あー! いけないんだー! ねーちゃん、シオンがテーブルのぼってるー!」

 小さな指が差す先に、ちんまりと短い尻尾が揺れていた。

 先日、どこからか拾われてきたばかりの獣人の幼子だ。熊の形質を持ち、丸い耳と短い尻尾を持っている。それ以外はほとんど人間そのものといっていい。年の頃は三、四歳といったところか。名前はシオン、女の子だった。

 ここに集められる子供達が大抵の場合そうであるように、酷く警戒心が強く、また食事に対して貪欲だった。食うや食わずの生活が長かったのだろう、体格は小さく、手足は細い。だが、それでもシオンは獣人である。人の幼子とは比べ物にならないほどの体力があり、年長組の少年達が襟首を掴んで摘み出そうと伸ばす手をひらりと躱してみせる。

 その足元で、積み上げられた小皿が蹴倒されてテーブルに散らばった。

 食卓に足を乗せるのは言うまでもなくマナー違反だ。

 その上、そこで大暴れするなんてどんな事情があっても許されることじゃない。

《止めた方が良いと思うよ、ますた》

 嘆息混じりの囁き声に耳を貸さず、カーヤは自らの裡に潜む透明な『力』を全身に巡らせた。

 脳裏に思い浮かべた呪文が、魔力を通して励起される。

 テーブルの大皿を覆う様に展開された防壁魔術"霊気の壁"は薄ら輝く透明な膜となり、シオンの身体をやんわりと受け止め、ぽーん、と部屋の隅まで弾き飛ばした。

 幼子とは言え、人ひとりが宙を舞う光景にあんぐりと口を開ける子供達を他所に、カーヤは再び"霊気の壁"を展開している。今度はシオンを包むように。

 壁にぶつかったシオンの身体は、ぽよん、と跳ねて床に落ちた。

 静まりかえった食堂の中で、全員の視線を集めたシオンはきょとんとした顔で座り込んでいたが、程なく唇をへの字に曲げ、眦を吊り上げた。

 程度の大小はあれ、獣人は例外なく馬鹿にされることを猛烈に嫌う。

「~~~ッ!」

 頬を膨らませたシオンは弾かれた様に駆け出そうとし、薄光に輝く壁に弾かれて再びぽよん、と跳ね返された。前がダメなら右、それもダメなら左、それでも無理なら跳ね飛んで上。見ている方が感心するほど縦横無尽に跳ね回る少女は、しかしどの方角にあっても一定距離で柔らかく跳ね返された。全方位を覆うこの薄膜に破れ目はないのだ、と理解した少女は歯を剥き出して大声を上げようとし――次の瞬間、大勢の子供達が上げた大歓声に、びっくりしたように口を噤んだ。

「すっげー!」

「何あれ!」

「跳ねる! 俺も跳ねる!」

 手にした食器を放り出す勢いで、まずは少年達が駆け出した。

 複数人が自分に向かって殺到する状況に、シオンは表情を強張らせた。

 壁に身を寄せて頭を抱え、身を守るように蹲ったところで――少年達は『薄光の膜に向かって』飛びかかっていた。

「ひゃっはー!」

「すっげー!」

「跳ねるー!」

 薄光の膜にぶつかってはぽよんぽよんと跳ね返される少年達の大はしゃぎに、小さな子供達も次第に興味を惹かれたのか、そろそろと薄膜に近づいて、つつき始めた。ぷにょぷにょと指を押し返す感触が気に入ったのか、けらけらと笑いながら薄膜の回りで遊び始める。シオンもいつの間にか薄膜の傍までにじり寄り、幼子たちの対面から薄膜をつつき始めている。食事の時間はあっという間に遊びの時間へと切り替わってしまった。

 

 おかしい。どうしてこうなった。

 脂汗を滲ませながら、カーヤは解除のタイミングを失った"霊気の壁"を維持し続けた。"壁"の周囲には子供達が群がり、上によじ登っている者までいる。ここで"壁"を解除すれば、怪我人さえ出かねない。頼りの年長組はといえば、

「はー、ようやく落ち着いた。おい、俺たちもメシ食っとこうぜ」

「悪いねカーヤちゃん。もちっとだけあの魔術続けといてもらえる?」

 子供達が新しい玩具に夢中になっている間に、悠然と自分達の腹ごしらえを始めてしまった。

「お、おにーちゃん……」

 若干泣きそうになりながら唯一の肉親に助けを求めてみたが、

「うめっ。ソーセージうめっ」

 食卓の魔力に囚われた少年の耳に、妹の声は届かなかった。


 結局、半ば自縄自縛気味に立往生してしまったカーヤを救ったのは、割れんばかりに轟くマリナ先生の雷であった。

「いい加減にしなさーいっ! 食堂で遊んじゃダメって、何度も言っているでしょう!」

 朝食の時間が終わりに近付いた頃に戻ってきたマリナ先生が落とした雷にも怯まず、口をへの字にした少年達が言い返す。

「ちげーもん! オレたち何もしてねーもん!」

「そーだそーだ! これ作ったの、カーヤだし! オレらじゃねーし!」

 思わぬところで矛先を向けられたカーヤは身を竦ませたが、

「それで遊んでいいなんて、カーヤは言ってないでしょう! 人のせいにするんじゃありません!」

 少年達は間髪容れずに更なる雷をくらっていた。

「大体なんですか貴方達は! 小さい子の前で遊び回って情けない! もっとお兄さんお姉さんとしての自覚を持ちなさい! 貴方達もですよ年長組! まったく貴方達ときたら……」


 マリナ先生は普段は優しいけれど、一度怒ったらとても怖い。そしてお説教は長い。

 涙目になって正座する子供達が解放されるには、いましばらくの時が必要だった。


■■■


 朝食を食べたらどうするか。

 片づけをしてから学校に行くのだ。

 特にカミルは幼年学級の上級生だから、年下の小さい子達を率いて通学しなければならない。

「よーし、お前ら、行くぞー!」

 自身の身長と同じくらいの柄を持つ大槌を振り上げたカミルに続いて、周囲の子供達が「行ってきまーす!」と声を張り上げる。

「いってらっしゃい、おにぃちゃん」

 孤児院の門の前で手を振るカーヤに、カミルは「おう!」と嬉しそうに笑いかけてから歩き出した。大槌を担いだ小さな背中の後ろに、カルガモの如く小さな子供達がぞろぞろとついて歩き、通りの向こうに姿を消した。

 その姿を見送って、カーヤは小さく嘆息した。

 若干身体がだるかった。朝の大騒ぎで魔力を浪費した反動だ。

《だから止めた方が良いって言ったじゃん、ますた》

 呆れたような囁きと共に、カーヤの隣で小さな風が巻き起こった。

 エーテルの収束に引きずられた空気が揺らめく。

 一瞬の後には、そこに半透明の少女が姿を表していた。

 髪を短く切り揃え、快活な光を宿す目をした少女だ。身長はカーヤより少しだけ高い。

《覚えたての魔術を振り回したがるなんて子供のすることだぜ、お嬢ちゃん》

 ニヤニヤしながら流行りの歌物語の決め台詞を口にする少女に、カーヤは口を尖らせた。

「そんなんじゃないもん。メルのばーか」

《ますたは学校じゃないんだっけ、今日は?》

 カーヤの抗議など意にも介さないといった風に、少女――メルは話題を変えた。

「今日はおしごと。あと、マリナせんせいに教えてもらう日」

《ふーん。じゃあ、ソフィさんのトコか》

 メルの言葉にカーヤは頷いた。

 今日は週に二日ある仕事の日なのだ。

 兄のカミルは年相応に幼年学級へ通っているけれど、妹のカーヤは仕事を持っている。

 別に無理やり働かされているのではない。カーヤが自分から望んだことで、マリナがそれを認める程の実力があったからこうしていられるのだ。立って歩ける年齢の子供なら普通は仕事があるものだし、故郷の村でもそうだったのだが、ここでは違った。

 学級も、実のところ既に幼年学級を修了しているから学校に通う日数も少なくて構わない。もう少し年齢が上がれば学級も一段階上がるから今ほど暇ではなくなるけれど、それまでの間は比較的自由に過ごすことが出来る。その余暇を使って、カーヤは自分の仕事と――特別な授業を受けている。


 ともあれ、まずは仕事だ。

《んじゃ、私は寝るから。着いたら起こしてね、ますた》

 ふあ、とわざとらしい欠伸を残し、メルの姿が消える。

 エーテルが霧散し、再び小さな風が吹く。

 メルが本当に『寝る』ことができるのか、カーヤは知らない。

 が、『寝る』と言ったら暫くの間は姿を表さない。予め決めておいた条件を満たすか、余程の緊急事態でも起きない限りメルが姿を表すことは無く――その分、カーヤが支払う魔力は減少する。

 手首に嵌めた銀の"腕輪"を撫で、カーヤは顔を上げた。


■■■


 ソフィ・フォンテーヌは花屋を営む大柄な中年女性だ。

 エブロ一帯の飲食店と宿屋を主な販路としているため、店は小さくとも売り上げは悪くない。

 そんな店の主であるソフィは、同年代の子と比較しても小柄なカーヤにしてみれば、ほとんど見上げるほどの大きさである――縦にしろ、横にしろ。

「あらあら、カーヤちゃん。いらっしゃい、待ってたよ」

 でっぷりとしたお腹を揺すりながら、店の奥から出てきたソフィにカーヤはぺこりと頭を下げた。

「おはようございます、ソフィさん。きょうもよろしくおねがいします!」

「はい、よろしくね」

 にっこりと笑うソフィに促され、カーヤは店の奥に入った。

 住居を兼ねた店の奥は、裏手の庭と繋がっている。

 裏庭には、無数の花が並んでいる。店に出す分のストックとして畑から移植され、一時的に保存されているのだが、その中からソフィはいくつかの花をひょいひょいと切り取って花束を作った。無造作に寄せ集めただけのように見えて、それぞれになんとなく個性のある花束が幾つも出来ていく。

 カーヤのために作られた、背が低く面積の広いテーブルの上に、ソフィは手際よく花束を並べていった。

「さて。そんじゃ、今日もよろしく頼むよ」

 腰に手を当て、機嫌よく言ったソフィに頷き返し、カーヤは手首の腕輪を撫でた。

 腕輪の中央に嵌め込まれた小さな魔石から、透き通った赤い煌めきが溢れ出す。

 身体の中の透明な『力』――魔力が腕輪に流れ込み、無機質な声が響いた。

《人工精霊『マークフュンフ』限定励起》

 エーテルが収束し、小さな風となる。

 そうして幻の様に薄らと透き通る短髪の少女が姿を表し、

《はぁーい! キルスティン工房製人工精霊・魔術支援型(マークフュンフ)・個体識別名「メルキュール」、ただいま励起しましたぁ☆》

 両手をいっぱいに広げた妙なポーズを取りながら、パチン☆とウインクを決めて見せた。

 ぴゅーるり、と裏庭に薄ら寒い風が吹いた。

 

「いやあ、毎度ながら感心するねえ」

 何事もなかったように、ソフィが笑った。

「ちゃんとした魔術師が使わないとまともに動かないんだろ? 人工精霊ってのは」

《そんなことないですよぉ。体内の魔力を動かして"腕輪"に流し込めるなら、人工精霊はどなたでもお使いいただけまぁす》

 些かも心折れた様子など見せずに答えたメルは、《ですけど》と得意げに鼻を鳴らした。

《それはそれとして、今の私みたいに人工精霊の仮想霊体を投射できるのは、ますたがちゃーんと魔術を使える証拠です。すごいでしょ》

 ソフィが「そりゃ知ってるよ」と苦笑する。

「なんせウチの売り上げの半分はカーヤちゃんのお蔭だからねぇ」

 大きな手で頭を撫でられ、カーヤは首を竦めて「えへへ」と笑う。

 褒められるのは嬉しい。

 人の役に立てるのは、もっと嬉しい。

 カーヤは腕輪に嵌め込まれた魔石を掌で覆い、静かに呟いた。

「"私達は辿り着き、それがここにあることを知った"」

 認証詩を認識した"腕輪"が魔術支援機構のロックを解除。魔力の増幅・流動を開始した。

 魔術とは、魔力を媒介として魔術式を励起させ、そこに記述された意味を具象化させる技術のことだ。

 魔術式は様々な媒体によって記述され得る。媒体は音であり、光であり、石や金属に刻み込まれた紋様である。その中で最も複雑にして高度な『意味』を持ちうるのは、人の感覚――意識だ。

 魔術式を種々の手段で刻み込んだ道具は魔導具と呼ばれ、刻まれた魔術を刻印化魔術と呼ぶ。これは魔力を流すだけで誰でも同じ魔術を励起することができ、他の土地ではさておきキルスティンでは値段の上下こそあれ、ごくありふれた商品として広く流通している。

 けれど、全ての魔術がそれで賄えるわけではない。

 極めて高度な式、或は特殊な『意味』を持つ式、更には時間と共に変化していく式。そうした魔導具で再現できない式を持つ魔術は、今も昔も人の意識を介して励起する他ない。

 "固定"の魔術は、そうした未だ人の意識によってしか紡ぎえない技の一つだ。多少は"腕輪"の補助を借りつつも、カーヤは自らの裡に紡ぎ出した式に、そっと魔力を流し込んでいく。

 程なく、テーブルの上に並べられた花束全体を覆う様に、白く煌めく雪のような光が降り注ぎ始めた。

 "固定"の魔術は、その仕組み自体は単純だ。

 全ての事物は時間の経過と共に変化する。それは水分が抜けて乾いていくことだったり、栄養を失って枯れることだったりするが、突き詰めればそれは対象物を構成する要素が配置を換え、失われ、交換されるということだ。

 であれば、その動きを止めてしまえばよい。

 魔術的な概念において高い"粘性"を持つ魔力を作り出し、対象物に浸透させることで、それは実現される。

 その魔術的な"粘性"という概念を明示的に記述することが難しいために、この魔術は刻印化されていないのだが、逆に多くの魔術がそうであるように、一度使えるようになってしまえば難度はそれほど高くない。

 むしろ古来から多くの魔術師達を最も頻繁に悩ませてきたのは、言葉で示しえない式を如何にして理解するか、そしてそれを後継者へと伝えるかという点である。逆に言えば、式を直感的に理解する感覚と魔力さえあれば魔術を励起することは可能なのであり、それ故に古来より傑出した魔術師達は、幼少の砌から優れた使い手としての天稟を示していた事例に事欠かない。

 詰まる所、カーヤにはその素質が――魔術式を正しく感覚する能力があったのである。

《ますた。もう十分だよ》

 自らの裡に埋没するカーヤの集中を破ったのは、穏やかなメルの声だった。

 カーヤはいつの間にか閉じていた目を開き、ふ、と息を吐いて魔力を散らした。

 テーブルの上に降り注いでいた魔力の雪が、幻の様にふわりと消え去った。

「終ったのかい?」

 メルの知らせを受けたのだろう。カーヤの集中を邪魔しないようにと、席をはずしていたソフィが戻ってきていた。

「うん、できた!」

 カーヤは花束の一つを手に取り、ソフィへ差し出した。女店主はそれを受け取り、子細に眺めまわした後で満足気に頷いた。

「特に崩れたところも無い。うん、上手く出来てるね」

 ありがとさん、とソフィが零した笑顔に笑い返し、カーヤは帰り支度を始めた。といっても、椅子の下に置いたバッグを背負い直すだけの事だったが。

「そうそう、カーヤちゃん。今日はコレ持っていきな」

 腰を上げたカーヤに、ソフィは花束の一つを差し出してきた。いや、いつの間にか用意していた藤の籠に盛り付けてあったのだから花籠と言うべきか。

 受け取ってみれば、小柄なカーヤにしてみれば一抱えもあるような大きなものだった。店で買おうと思えば相応の値段がつくものだろう、というのはすぐにわかる。

「……いいの?」

 上目遣いで尋ねるカーヤに、ソフィは「もちろんさ」と笑顔で頷いた。

「あんたにもマリナ先生にも普段からお世話になってるからね。これはそのお礼ってところさ」

 カーヤは花籠をぎゅっと抱きしめた。ふわりと幽かな花の香りが漂う。"固定"の魔術をかけた花からは匂いが無くなるのだが、施術の直後であれば、まだ少しだけ残り香がある。

 残り香を楽しめる内にマリナ先生に持って帰ってあげよう。

 そう思い、カーヤはソフィにお礼を言った。

「ありがと、ソフィおばちゃん!」


■■■


 花屋から孤児院までは少しばかり距離がある。特に表通りを辿っていくとなれば。

 だからカーヤは――というよりもエブロに住む子供達は、しばしば裏道と呼ばれる家と家の間に通された生活道路を縫うようにして移動することになる。街の発展に合わせて複雑かつ適当に広がっていった道であるから、近道になるどころか却って遠回りになることさえ珍しくはないが、子供達にしてみればそんなことは問題ではない。

 何しろ『裏道』である。表通りとは違い、そこかしこに枝分かれし、色々な場所につながっている小道だ。例えば気難しいドワーフの爺さんが住んでいる家の裏を通るときは気付かれないように息を殺して進む必要があるし、裁縫屋さんの家の裏庭を見つからないように突っ切ることが出来れば学校と孤児院が物凄く近くなる。探検気分を味わうにはうってつけの場所だ。

 尤も、カーヤ自身はそういった冒険のために裏道を使うことはない。そんな『遊び』はとうに卒業した大人なのだから、あくまで裏道は近道のためだけにつかうのだ。

《なーんつって、ホントは裏道通りたいから『近道』ってのを言い訳にしてるだけなんですよ奥さん!》

(メル、しずかにして!)

 誰に話しかけているのだか、芝居がかった口調で肩を竦めるメルを小声で窘めつつ、カーヤは乱雑に打ち立てられた木の柵の横を通り過ぎていた。万が一にもドワーフの爺さんに見つかるわけにはいかない。爺さんの説教はマリナ先生以上に長いことで、子供達から恐れられている。

 なんとか爺さんの家を通り過ぎれば、後は低い石垣で囲われた空き家が並ぶ道を抜けることになる。

 ほっとしつつ駆け出そうとしたカーヤは、そのうちの一軒の前で足を止めた。石垣はカーヤの背丈よりも低いから、空き家の裏庭の様子は丸見えだ。そこの家屋の縁側に、一人の老爺が座っているのが見えた。

《ああ、『移民』か。そういえば最近、見てなかったもんねぇ》

 老爺の格好を見たメルが、納得したように頷いた。

 少しばかり古ぼけて、大きさの合っていない服を、老爺が纏っていたからだ。そういう服を着ている人は、大概の場合キルスティンの『外』から移住してきたばかりで、役所の人から渡されたままの古着を着ることになる。家だって持っていないから、エブロの中に点在している空き家が一定期間無償で貸し出される。しばらくしてキルスティンの暮らしに慣れたら、仕事と住む場所を見つけて家から出ていくのだ。このあたりの空き家は、そういう『移民』達が最初に暮らすための場所として使われているのだった。

 そう言った意味では、大して珍しい光景ではなかったが、カーヤは老爺の表情が気になった。

 一見したところでは穏やかに日向ぼっこでもしているだけのようだったが、宙を見つめる目が暗く澱んでいた。どこか遠くを見ているようでいて、その実どこも見ていない。自分の内側に籠っていると言うにしても、籠るべき『自分』さえも失ってしまっているような――

《あ、ちょっと、ますた!?》

 気付いたときには石垣を乗り越え、老爺の前に歩み出ていた。

「こんにちは、お嬢ちゃん」

 石垣に手をかけたところからカーヤの存在に気付いてはいたのだろう。老爺は穏やかな表情でカーヤに声をかけてきた。

「こんにちは!」

 ぺこりと頭を下げたカーヤに、老爺は穏やかに「こんにちは」と声を返した。

「礼儀正しい子だ。どこから来た?」

「えっと、お花屋さんから来ました!」

 あっちにあるの、とカーヤはソフィの店がある方角を指さした。

「そうか……お使いの途中かね?」

 カーヤが抱えた花籠に目をやって、老爺が尋ねる。

「あのね、ソフィおばちゃんの所でもらったから、マリナ先生にあげるの」

 そうか、と老爺は静かに頷いた。

「それはよかったな。お嬢ちゃん、名前は?」

「カーヤ。あと、こっちはメルよ」

 隣を指さし、同時に"腕輪"へ命令を込めた魔力を流し込む。その瞬間、ふわりと宙から滲み出るように半透明のメルが姿を表した。胸に手を当てて老爺に一礼し、メルは告げた。

《魔術支援型人工精霊、メルキュールと申します》

 老爺は突然現れたメルの姿に目を丸くした。

「ほう……お嬢ちゃん、精霊遣いなのか」

 言葉が判らず首を傾げるカーヤを余所に、メルは老爺の言葉を否定した。

《いいえ、御老人。私は第二級高度魔術演算装置"ブラスリエート"に記述された刻印化魔術"人工精霊"の仮想霊体です》

「魔導具……? そりゃ一体――」

「ねえ、おじいちゃん!」

 カーヤは声を上げ、老爺の言葉に割り込んだ。メルが難しい言葉遣いをして、大人が驚いた顔をするときは、だいたいその後も良く判らない難しい話が始まってしまうからだ。そうなったらなったで構わないが、カーヤにはその前に老爺と話しておくべきことがあった。

「おじいちゃんのお名前は?」

 一番大事な質問を投げかけると、老爺は面食らったような顔をしてから、「シフだよ」と言った。

「儂の名前はシフだ、お嬢ちゃん」

 そっか、と頷き、カーヤは花籠の中に埋め込まれた小さな花束を一つ取り出し、老爺に差し出した。

「シフおじいちゃん、これあげる!」

 突き出された花束を戸惑うように受け取り、シフと名乗った老爺は更に困惑の表情を深めた。

「魔力……ああ、"固定"したんだな。見事なもんだ」

「わたしが作ったのよ!」

 そう言うと、老爺は目を瞬いた。

「そんなに小っちゃいのに、精霊を従えるだけじゃなくて、こんなに難しい魔術まで使えるのか。さぞや良い家柄の子だな、お嬢ちゃんは」

「いえがらって何?」

 知らない言葉を繰り返したカーヤに、老爺は「貴族の生まれってことだ」と告げた。

「わたし、きぞくじゃないよ?」

「おや、そうか。にしちゃあ、随分上等な服を着ているようだが……ああ、でも貴族ならお付きが居ないってのも変な話か」

 老爺は一人納得したように頷き、

「それじゃあ名のある魔術師の弟子かな、お嬢ちゃん」

「でし?」

「先生に教わっているってことさ」

「せんせい? えっとね、カーヤのせんせいはね、マリナせんせいとね、エリーおねえちゃんとね、あとはメルよ!」

 指を追って数えながら、最後にカーヤは隣のメルを指差した。

 いつもなら調子に乗って奇矯な反応を返してくるはずのメルは、だけど大人しくその場に控えたままだった。知らない人の前に出ると大体いつもこんなものだから、カーヤとしては特に気にすることもなかったが。

 老爺はまたしても――さっきからずっとそうだが――カーヤが最後にメルを指差した途端、驚きの表情を浮かべた。

「精霊から魔術を教わってるのか」

 こくりと頷いて、カーヤは説明した。

「いつもはメルにおしえてもらうの。それでね、きょうはマリナせんせいにおしえてもらう日でね、エリーおねえちゃんはおねえちゃんが来たときにおしえてもらうの」

 一気にそこまで喋りきってから、カーヤは「あっ!」と声を上げた。

「お花の匂いがなくなっちゃう!」

 慌てたカーヤはその場に花籠を置いて、老爺の手――渡した花束を握ったままの皺くちゃな手を小さな両手で包み込んだ。

「あのね、シフおじいちゃん。わたしもういかなくちゃいけないけど、また来てもいい?」

「あ、ああ……」

「よかった。やくそくね!」

 戸惑ったような声を承諾と解したカーヤは老爺の手を離し、花籠を抱え直す。

 すっ飛ぶように裏庭を突っ切り、カーヤは元来た石垣を乗り越えた。

「それじゃあ、またね!」

 石垣に花籠を預けて老爺へ手を振ってから、再び籠を抱え直し、カーヤは孤児院めがけて裏道を走り出した。


■■■


 嵐の様に駆け去って行った少女を見送り、シフはまだどこか茫然としたまま、眼前に立ち尽くす半透明の精霊に目を戻した。

「あんたは行かないのか?」

 人形のように無感動な眼差しで自分を見つめていた精霊は、視線だけを背後に向けてから、小さくザナに頭を下げた。

《本日は主がご迷惑をおかけし、申し訳ございませんでした。またお邪魔させていただく機会もあろうかと存じますが、どうぞ御寛恕のほどお願い申し上げます》

「……精霊にしては随分と腰の低いことだ」

 思わずシフが呟くと、メルと名乗った精霊はほんの僅かに口元を吊り上げた。

《失礼いたします》

 そう告げたのを最後に、少女の姿は溶けるように消失した。

 

 そのまま、どれほどの時間が経ったものか。

 ぎしりと蝶番の軋む音がして、慣れた気配がシフの背後に立った。

「どうしたんだい、こんなところで」

 振り向けば、長年連れ添った妻の姿があった。

 長い白髪をゆるりと束ねて背中に流し、若い頃からついぞ緩めたことのない渋面が、微かに緩んでいた。

 自分の呆けた顔が余程のものだったかと思いながら、シフは首を振った。

「何でもない。ただ、子供が庭に入ってきただけだ。それで、こいつを渡された」

 言いながら差し出した小さな花束を受け取った妻は、ふむ、と息を洩らした。

「上手いね。元の姿を殆ど壊さないまま魔力を沁み込ませてあるじゃないか」

「その子が作った、と言っていたよ。まだ十歳にもならないくらいの小さな子だっていうのにな」

 ほう、と妻は唸るような声を上げた。

「馬鹿をお言いでないよ――と言いたいところだけどね」

「信じるのか?」

「街を見て回ってきたんだがね」

 シフの横にそっと腰をおろし、妻はそう言った。

「そこらじゅうに魔術が仕込まれていたよ。燃えていないのに光る燭台、馬が曳かない鉄の馬車、一々数え切れないくらいにね。こんな場所なら、子供が魔術を使いこなしても不思議じゃないさ。大した国だよ、ここは」

 妻の不愛想な声の裏に流れる、紛れもない賞賛の響きに、シフはフンと鼻を鳴らした。

「そのご大層な国の力でも、あの子は助けられなかったがな」

「……あんた」

 何かを飲み込んだように重い声で、妻は嘆息した。『もう止せ』『過ぎたことだ』或は――『忘れろ』とでも言おうとしたのか。いずれにしろ、シフには聞けない言葉であるに違いなかった。

 生まれてから数え切れないほどの歳月を過ごした故郷の里を離れ、この家に入ってから一月余り。妻とは違い、シフは最初の一週間を除いてはこの家の敷地から一歩たりとも外に出たことはなかった。

 食料は妻が買い込んできたし、家の中には《水道》とかいう水の出る管が通っているから、井戸に行く必要すらない。その他にも色々な――呆れる程に立派で見たことも無い代物が備え付けてあるこの家の中に居れば、ただ寝起きをして無為に過ごす分には不足など全くなかった。

 まるで王侯貴族のような暮らしぶりだと呟いてみても、胸の内には何も響かなかった。

「そう言えばね、家の前で例の兵隊さんに会ったよ」

 庭先を見つめながら、妻が独り言のように口を開いた。

「この国にはね、『大学』って場所があるそうだよ。偉い学者先生が集まって、魔術の研究をしているんだとさ」

 黙然としたままのシフを気にした様子も無く、妻は続けた。

「兵隊さんが言うにはね、そこの学者先生があたしたちの護符(トワル)に興味があるそうだよ。譲ってほしいってだけじゃない。作り方まで詳しく調べさせてほしいっていうんだ」

 変な話だね、と妻はおもしろそうに言った。

「あたしらみたいな田舎の(まじな)い師ごときが作ったオモチャを、立派な魔術師様が欲しがるどころか、作り方まで知りたがるなんてさ。何かの冗談みたいじゃないか」

「何か勘違いをしているんだろう。アレにそんな価値はない」

「さあ、どうだろうね」

 憮然としたシフの返事に気を悪くする風でもなく、妻ははぐらかすような相槌を打った。

「それでも、前払いで金を払ってくれるっていうんだ。損な話じゃないだろう?」

「好きにしろ。儂は知らん」

 突き放すでもなく静かに呟いて、シフは腰を上げた。

「最初にもらった蓄えもそろそろなくなるよ。ここで金を貰わなかったら、どうやって暮らしていくつもりだい?」

 背後から投げかけられた言葉にシフは立ち止まったが、それだけだった。

 無言のまま引き戸を開け、室内に戻る。

 二階の寝室に向かいながら、シフは痛みを堪えるように手の甲をさすった。

 幼子に特有の高い体温が、枯れて萎びた肌の上にまだ残っているような気がした。

 あの子の手もそうだった。

 村の魔術師として暮らしていた自分達に唯一残された息子夫婦の形見。明るく、優しい子だった。生贄の鶏を絞めるときもびっくりして泣き出していたくらいに。

 ――今度あの子供が来たら、追い返そう。

 シフはそう決めた。

 長い間、村人達の相談役として生きてきた人間としての勘が告げていた。

 カーヤと名乗った少女は、あの子ではない。

 今の自分では、いずれそんな区別さえつけられなくなるだろう。

 寝室の扉を開けたシフは、薄暗い寝室の中に身を滑り込ませた。


■■■


 ソフィの店から孤児院までの最短距離上には、当然ながら表通りも含まれる。

 曲がりくねった小道から石畳の通りに出たカーヤは、そこで立ち止まった。

 表通りの人混みが凄いのはいつものことだが、その流れが止まっていたため、隙間を縫って通り抜けることが出来なかったのだ。

 おまけに、人垣の奥からは何やら不穏な怒声まで響いている。大人達が激しく言い争っているようだった。

「ふざけんなよ、得体の知れない生ゴミなんぞ売りつけやがって!」

「人の売り物に何て言い草しやがる!」

 言い合う声の合間に、面白がって囃し立てる見物人の声や、どたんばたんと物をひっくり返すような音が入り混じる。

 そこに重ねて、幼さを残した少年の声が響いていた。

「止めてください! ふたりとも落ち着いて!」

 うるせえ、口を挟むな、そう言った大人達の罵声にも負けず、少年の声は制止の言葉を繰り返していた。

《何があったんだろーね、ますた?》

 そこはかとなく弾んだ声でメルが囁く。見かけによらず喧嘩好きなのだ。尤も、仮想霊体しか持たない人工精霊では口喧嘩が精々で、拳を交わす様なやり取りは夢のまた夢。それ故にか、メルは喧嘩の見物を殊の外好んでいる。

 主人たるカーヤが争いを好まないから、そんな機会は中々訪れないのだが――今回ばかりは別だった。

 何しろ、この道路を突っ切らないことには孤児院に辿り着かない。遠回りをしている内に花の香りが薄れてしまうことを思えば、カーヤはこの人ごみをかき分けて直進しなければならいのだ。

 つまり、多少は喧嘩の様子を目にすることが出来る。

 大人達の熱気に辟易しながら、カーヤは唇をへの字に曲げて足を踏み出した。

 抱えた花籠を潰されないように、自分と籠を覆う形で"霊気の壁"を形成すると、それに触れた大人達が足元を進んでいく少女の存在に気付いて若干の隙間を開けてくれた。

「あっちの男が客なんだけどさ、なんか『買ったパンを食べようとしたら喋り始めた』とか言って文句つけてるらしいぜ」

「はは。なんだそりゃ。新手の詐欺か?」

 頭上から降ってくる見物人達の言葉に耳を貸すことも無く、細い隙間を縫うように歩いていると、道の中央部に差し掛かったところで人垣が途切れた。

 意図せず喧嘩の現場に出てしまったらしいと気付いたときには、

「だから、喧嘩はやめて……」

「邪魔だ!」「すっこんでろ!」

 ごつっ、と骨に響くような音と共に、カーヤ目がけて少年の背中が迫っていた。

 殴られた少年が吹っ飛んできたのだ、と理解する暇も無く、カーヤは花籠から離した両手を広げていた。

《おっとと!》

 メルが慌てたように"霊気の壁"の制御を引き継ぐ。花籠を包むように範囲を狭め、強度を上げる。放り出された花籠が潰れることも中身を撒き散らすこともなく軟着陸する一方で、カーヤは全身を薄く包むように新しく"霊気の壁"を形成し直していた。

 突っ込んできた少年の背中を受け止め――きれず、カーヤはそのまま押しつぶされるように背後の観客の足元に倒れ込んだ。

「うわっ!」

 自分が何かを下敷きにしたことを理解したのだろう、少年が慌てた声を上げて横に転がると、素早く身を起こした。騎士見習いの制服に包まれた体格は騎士として見れば小柄だったが、下敷きになったカーヤにしてみれば見上げるような大人の背丈そのものだ。尤も、自分を"霊気の壁"で覆っていたカーヤには怪我一つない。

「だ、大丈夫か?」

 動揺も露わに手を差し伸べる少年の片頬は真っ赤に腫れかけている。殴られたばかりでこれなのだから、少し経てばかなり酷くなってしまうだろう。

 少年に助け起こされながら、カーヤは少年の頬に手を伸ばしかけた。

「怪我は無い?」

 喋りながら痛みに顔を顰める少年の背後で、人垣がざわめいた。

「おう、喧嘩だって? 面白いことやってんな!」

「そんなことより往来の邪魔になっています。しょっ引きましょう」

 楽し気な野太い声と、神経質な高めの声。対照的な二つの声が響く傍らで、見物人達が「騎士が来ちゃったか」「あーあ、もう終わりかよ」等と残念そうな声を上げる。

 カーヤが少年の身体を避けるように騒ぎの中心を除くと、そこに騎士服を纏った二人組が立っていた。一人が一人ずつ、喧嘩していた男を取り押さえている。見習の少年が殴り飛ばされた辺りでこの場に現れたものらしい。

「俺は悪くねえ! そこの馬鹿野郎が俺のパンを貶しやがったんだ!」

「ふざけんな! 何がパンだ、あんな生ゴミ!」

「なんだと!」

「やるか!?」

 羽交い絞めにされながら歯を剥き出して怒鳴り合う男達の背後で、二人の騎士が呆れたように「そこまでにしておけ」と割って入った。

「何があったか知らんが、事情は聞いてやる。だからまずは署まで行こう、な?」

 熊の様に大きくがっしりした騎士が子供を宥めるように言う。

「ほらほら、見世物じゃありませんよ。解散してください、解散」

 眼鏡をかけた長身の騎士が見物人達を睨みまわしながら宣言する。

 どこか残念そうな嘆息混じりに見物人達が解散し始める中、眼鏡の騎士がじろりとカーヤ達を見た。正確には、カーヤの前に立つ見習の少年を見た。

「クルト、あなたは宿舎に戻って傷の手当てを」

「いえ! 俺には巡回が残って――」

「怪我を晒したまま領民の前に出ないでください。無用な不安を与えます」

 言い返そうとする少年の言葉をぴしゃりと遮り、眼鏡の騎士は冷たく告げた。その声に、たかが一般市民の喧嘩に巻き込まれて後れを取るとは何事か、という無言の叱責がありありと滲んでいる。

 少年は悔し気に押し黙り、「……了解しました」と項垂れた。


 騎士が男達を伴って姿を消し、人混みがすっかり流れ去った頃。

 騎士見習いの少年クルトは、道端の縁石に腰を下ろし、幼女(カーヤ)の両手に頬を包まれていた。クルトがそういう趣味であるとかそういうことは決してなく、これはカーヤの方が強硬に主張した結果である。

 頬の怪我は放っておけばかなり傷む筈、すぐにでも手当てをした方が良い、と。

≪刻印化魔術"霊気の軟膏"励起≫

 メルの声が響くと同時に、カーヤの掌に半固形化した魔力が滲み出る。それを塗りたくるように、カーヤの両手はクルトの頬をぐにぐにと挟み込んだ。

「あ痛たた! カーヤちゃん、それは痛――くない?」

 想定外に乱暴なやり方にクルトは悲鳴を上げかけ、そして戸惑ったように目を瞬いた。

「へいきよ。メルのまじゅつはすっごく上手なんだから」

 クルトの頬から手を離し、カーヤは自慢げに胸を張った。

「メル?」

 首を傾げたクルトは、カーヤの背後から溶けるように現れたメルの姿に瞠目した。

「人工精霊!? そんな、俺なんてまだ起動も出来ないのに――」

《ウチのますたは天才ですからー》

 愕然とするクルトに、メルはのほほんとした声で追い打ちをかけた。

「クルトおにいちゃん、まじゅつできないの?」

 不思議そうに首を傾げたカーヤは、無邪気な声で止めを刺した。

 うぐ、と喉を詰まらせたような苦鳴を押し殺し、クルトは苦笑いを浮かべた。

「才能が無いんだ、残念ながら。それでも頑張れば"腕輪"を使うくらいは出来るようになるらしいんだけど、あと2、3年はかかるだろうって言われてる」

「ふーん?」

 良く判らない、という顔でカーヤは相槌を打った。

 そんなカーヤに、クルトは「まあ、いいや」と苦笑を深め、立ち上がった。

「そろそろ行かなきゃ。宿舎に着くのが遅れたらまたどやされる」

 ぱんぱん、と服に着いた塵を払い、クルトはカーヤの頭をくしゃくしゃと撫でた。

「ありがとね、カーヤちゃん。それにメルも」

「うん!」

 にぱっと笑うカーヤに笑い返し、クルトは立ち去った。

《ますた、そろそろ花の匂い無くなってるよ》

「えっ!?」

 ぼそりとしたメルの呟きに、カーヤは慌てて脇に避けておいた花籠を抱え上げた。鼻を寄せ、すん、と匂いを嗅いでみる。ほとんどあるかなしかの香気……の名残のようなものしか感じられなかった。シフ老人やクルト少年に関わって時間を取りすぎたせいで、元々薄らとしか残っていなかった花の香りはすっかり消えてしまっていたのだ。

 しょぼん、と肩を落としたカーヤの背中に、

「おー、カーヤじゃん。どうしたー?」

 と能天気な声が掛けられた。

「おにーちゃん……」

 へこたれた顔のまま振り向いた先には、いつものように大槌を担いだ(カミル)の姿があった。背後にはこれまたいつものようにわらわらと小さな子供達を従えている。学校帰りのようだ。

「お花もらったの。でも、匂いが消えちゃったの」

 花籠を抱えたまま未練がましくカーヤが言うと、カミルは花籠を覗き込みながら「ふーん」と鼻を鳴らした。

「いいじゃん、別に。匂いが無くたって花は花だろ?」

 デリカシーの欠片も無い言葉だった。

「そうだけど……」

 むー、と不満気な妹のジト目を向けられた兄はしかし、何一つ気づかないまま「それより腹減った。早く帰ろうぜ」と能天気に笑った。


■■■


 帰路の途中、カミルはずっと『タピョル盗賊団』の話をしていた。最近、あちこちで聞くようになった連中で、なにやら荒稼ぎしているらしい。

「団長は『オーガ殺しのイウリ』っていうすげえ強い奴なんだってよ! でもそいつら、人殺しはしないんだ。狙った相手からすぱっと盗んでするっと消え去るんだってよ」

 まじすげぇよな! と目を輝かせるカミルを、メルが冷たい目で見降ろしていた。人工精霊の姿は投射体でしかないから、宙を浮かぶのも思いのままだ。

「手下も『芸人気質のキャン』とか『文学者のマヤカ』とか『白塗りのビッシュ』とか、すっげー悪い奴等ばっかなんだってよ!」

 どこをどう聞いたらワルそうに感じられるのかも判らない二つ名を繰り返し、カミルは大興奮街道を驀進している。メルの眼差しは冷気を通り越して吹雪と化していたが、

「こわいよぉ……」

 カーヤはあくまで真面目に兄の話を怖がっていた。魔術が使えるからとて常識までが身に着く訳ではない。兄の言葉が基本的に与太話だけで出来ていることを理解するには、まだしばらくの時間が必要だった。

「大丈夫だって! もしもカーヤがそいつらに攫われても、俺が助けてやるから!」

 カミルは自信たっぷりに自分の小さな胸を叩いて見せる。一瞬前まで賞賛していた相手を自分が倒せると言い放つ矛盾は、少年の中では一瞬のうちに遥か後方へと置き忘れられている。

「ほんと?」

 縋るような目でカーヤはカミルを見上げた。

「おう! 任せとけ!」

 自信満々の兄を見上げ、妹は心底からの信頼を籠めた笑顔を見せる。後ろをついて歩く子供達も良く判らないなりに、カミルが何かかっこいいことを言ったと察して憧れの目を向けている。

《……平和って素晴らしいわー。マジで》

 ぼそりと、誰にも聞こえない程の大きさで、メルの深い深い嘆息が宙に溶けていった。


 孤児院に着いた途端、子供達は蜘蛛の子を散らすように姿を消した。外へ遊びに出る者が大半だ。学校が終わるのは丁度昼食も終わった後の昼下がり、就学年齢に達していない子供達が昼食を済ませて昼寝をしている時間帯である。束の間の平穏、子供達の世話から解放された大人達が溜まった仕事をこなしたり休息を取ったりするその時間帯は大騒ぎ厳禁なのだ。

 そんなわけで、学校帰りの子供達は多くが街の中へと遊びに向かう。孤児院に入っていくのは自分も昼寝をする少数派か――院長たるマリナ先生への届け物を抱えたカーヤ、その付き添いをするカミルくらいのものだ。

「せんせー、ただいまー」「ただいまぁ」

 声を掛けながら今に入ると、ちょうどマリナ先生が振り向いた所だった。

「お帰りなさい、カミル、カーヤ」

 余り声を大きくしないように、と窘める色を滲ませたマリナ先生の横に、見慣れない大人達が立っていた。

 片方はとても立派な格好をしたお兄さんだったが、どこか戸惑ったような、自身の無さそうな表情が大人らしさを打ち消しているような感じだった。

 もう一人は杖を突いているのに背筋がぴんと伸びたお爺さんで、こちらは優しそうだけれど同時にとても厳しそうな気配を漂わせていた。

 どちらも孤児院に出入りしている大人ではなかった。だから、カーヤとカミルが取るべき行動は一つだった。

「せんせー、このおじさんだれ?」「だれぇ?」

 二人の男を指差して問うカミルに合わせ、カーヤもこてりと首を傾げた。

「これ、二人とも……!」

 マリナ先生は慌てたようにカーヤ達を窘めた。

「こちらはクロエ様とアベル様。アベル様はお城で働いていらっしゃる方で、クロエ様はここの領主様になる方よ」

「りょうしゅさま?」「ふぅん?」

 早口で告げられた言葉の意味は良く判らなかったが、マリナ先生が慌てるくらいには偉い人なのだろう。

 そんな風に理解を付け、カーヤ達はなんとなく頷いておいた。

 そんなことよりも、とカーヤは胸元に抱えた花籠をマリナ先生に差し出した。

「あのね、せんせい。お花できたの」

 すっかり匂いの消えてしまった花籠だけれど、マリナ先生はにっこり笑って「ありがとう」と頭を撫でてくれた。

 マリナ先生はその花籠をクロエ達に手渡し、どのようなものであるかを説明していたが、もはやカーヤもカミルも大人達の話の続きに興味はなかった。何も言われない内にさっさと出ていこうと考え、マリナ先生の背後に隠れた時、クロエというお兄さんの方が「魔術……このような幼子が」と呟いた。

 自分が得意な物を褒められたのに、無視するわけにはいかない。カーヤはマリナ先生の背後から顔を出し、「エリーおねえちゃんに教わったの」と説明した。

「あのね、おねえちゃんといっしょにあそんでたらね、できるようになったの」

 一生懸命説明するカーヤの頭を撫で、マリナ先生が苦笑交じりに説明を補足した。

「エリーお嬢様は、子供達の遊びに魔術の修練を織り込んでいたのです。カーヤの様に魔術を使える程の子は少ないですが、今ではほとんどの子が体内の魔力を循環させるくらいのことはできますね」

 想像がつかん、と唸るクロエお兄さんを横目に、カーヤはそっとマリナ先生を見上げた。その視線を受け止めたマリナ先生は「もう行っていいですよ」と頷き、「食堂にお菓子がありますからね」と付け足した。


 一も二も無く食堂に駆け込んだカーヤとカミルは、そこで自分達のために取り分けられていたお菓子に飛びついた。小皿に移してくれた年長組のお姉さんによれば『りんごタルト』なるケーキの一種で、お昼時の少し前くらいに訪れたエリザ・キルスティンが置いて行ってくれたものだという。

「エリーおねえちゃん、きてたんだ……」

 煮詰めた林檎とたっぷりのクリーム、サクサクの生地が絡み合う甘味を堪能しながら、一方ですれ違いになってしまった銀髪の女性を思い、カーヤは肩を落とした。そうと知っていれば寄り道などせず、すっ飛んで帰宅したものを。

「うめっ。タルトうめっ」

 物思いに耽る妹の横で、兄は食卓の魔力の虜となっている。

 冷めた目で見下ろすメルの横で、カーヤもタルトを腹に収めると、皿を洗いに立ち上がった。

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