26 Mar. -3-
待ち合わせ場所のファミレスで、その人は、顔が半分隠れるくらい大きなサングラスを掛け、コーヒーを飲んでいた。
おまたせしました、と前の席に座ると、彼女はサングラスをずらし、じっとこちらを見つめ。
「あなたが、あやさん?」
「はい」
頷くと、グロスが光る厚ぼったい唇をきゅっと引き上げ、余裕たっぷりに微笑んだ。
「ごめんなさい、お呼びたてしちゃって」
「いえ」
何か頼む?という言葉と同時に呼び出しボタンを押す女性の、ラメが沢山入ったネイルは、別の生き物か何かみたいに見える。
「今日のこと、KEIくんには?」
「………いえ、何も」
そうなの、と長いつけ睫毛に縁どられた、大きな目を見開く女性。
「私もよ。なんにも話してないわ」
「……………」
「一回ね、あなたにお会いしたかったの」
身を乗り出す彼女のシャツの胸元から、白い豊かな胸の谷間がくっきり見えて。
何だか見てはいけないものを見てしまった気分になって…慌てて目を反らす。
「………あの」
その時。
近くにやってきたファミレスの店員が、ご注文は?と微笑み掛けてきて。
私は、言いかけた言葉を引っ込め、彼女と同じブレンドコーヒーを注文する。
動揺する私を、愉快そうに眺め。
「私に、聞きたいこと…あるんじゃない?」
先制攻撃を仕掛けてきたのは…彼女の方だった。
「えっ………」
「『いつから?』それとも『きっかけは?』…でも、もしかしたら」
「あの…ミユさん」
「『彼とはどんなことを?』かしら」
絶句する私を、挑戦的に見つめる彼女は、テレビの中で小動物みたいに可愛らしく振る舞うグラビアアイドルの姿とは…全く別人だ。
「あなたって、真面目そうだけど、意外とそういうの…気になったりするのかなあって。どう?当たっちゃった?」
ごくり、と唾を飲み込む私に、やっぱり、と彼女ははしゃいで笑い、両腕を胸の前で交差させ、大きな胸を抱きしめるみたいなポーズをとる。ぎゅうっと寄せられた柔らかい胸は、シャツの胸元から今にもはみ出しそう。
「彼もねー、あなたと一緒…テレビでは真面目そうだしー、爽やかな感じじゃない?」
「……………」
「でもー、二人きりになるとねー、結構やんちゃっていうか………特に、そーゆーことしてる時は、無邪気な子供みたいなのよぉ」
かあっと体が熱くなって…なんとか気持ちを落ち着かせようと、コーヒーを口に含む。
が。
想像以上に熱くて、びっくりして咳き込んでしまい。
彼女は…してやったり、という顔で微笑んだ。
「やっぱり男の人ってー、母性みたいなのに憧れるのかなぁ…もう夢中っていうかぁー」
そこから先の話は…何だか別の世界の話みたいだった。所々理解不能だったし、それに。
「なあに?難しい顔しちゃって」
「いえ…別に」
「別にってことはないでしょー?眉間に皺、出来てるわよ」
「コーヒーが…苦いだけです」
かすれた声で答えた私に、きょとんと目を丸くして。
彼女はまた、勝ち誇ったように、甲高い声で笑う。
「やせ我慢しちゃって…かわいいのねー、あやちゃんて」
………『ちゃん』。
「KEIくんがいいなって思ったの、分かるな。だってー、あなたってとってもいい子だもん…でもね」
彼女はぐっと私に顔を寄せ、甘い声で囁く。
「あなたじゃ…KEIくん、ちょっと物足りなかったみたい」
強い甘い香水の匂いが、ガツンと脳を刺激する。
「やっぱり、女の子って、心も大事だけど、他にも…ねえ」
顔とかー体とかー、と言葉尻を上げながら、体を捻り、細いウエストと豊かな胸を強調するような仕草。
「あなただって…もう、疲れちゃったでしょ?アイドルとの秘密のカンケイ、なんて」
「……………」
「ねえ。悪いこと言わないから…彼とはもう、別れちゃったら?」
ふう、と大きく息を吸い込んで、コーヒーカップをもう一度、手にとる。
「私は同じ業界でオシゴトもしてるしー、色々理解してあげられるけど…あなたのことだって、KEIくん、きっと真面目なフツウの女の子、つまみ食いしたくなっちゃったのかなぁ、って」
机の上で組んだ指に光る…銀色の指輪。
「ああ…これ?」
気になるでしょー、と甘えた声で言って、彼女は、カップを手にした私の指をちょん、とつつく。
「もらったの!勿論KEIくんに…ね。ペアなんだけどー…私、てっきりあなたも同じようなやつ持ってると思ってたのに…違ったみたいね」
コーヒー…苦いなぁ。
真似して頼まなきゃよかった。
「ねえ…あやちゃん」
「………あの」
その時。
バッグの携帯がブルブル震えて………ごめんなさい、と断って、ボタンを押すと。
「…睦月?」
私の声に、彼女は綺麗に整った細い眉を、ちょっとだけ動かした。
「うん………大丈夫。今ちょっと…うん、後で電話する………じゃあね、また」
ぷちん、と電話を切って、バッグにしまい。
もう一度…大きく一つ、深呼吸をする。
そして。
「お話は、済んだ?」
挑戦的な瞳でこちらを見つめる、Gカップのお姉さまを…じっと見据えた。
「で…さっきの話なんだけどー」
「私も一言…よろしいですか?」
コーヒーカップに伸ばした、ネイルの光る指が、ピタリと止まる。
「いいわよ…どうぞ」
きっと…私のこと、これっぽっちも反論出来ずに、泣いて帰っちゃうような女の子だと思ってたんだろう。彼女の笑顔は、どことなく引き攣って見える。
「で…なあに?」
聞いてあげるわよ、といいたげな笑顔に、私もにっこり微笑み返した。
「安心しました」
「………え?」
「今日は本当に…来て、よかったです」
「………あなた、それ…どういう」
「やっぱり、嘘だったんですね」
カップがソーサーにぶつかって、ガチャリ、と大きな音を立てた。
「うそ………って?」
「さっきからあなたのお話伺ってて、思ってたんですけど…『あれ?私の時と随分違うなぁ』って」
「……………」
「だって、彼、そんな………胸ばっかり攻め…じゃなくて…んー…なんて言ったらいいのかしら、その…執着するような人じゃないんですもの」
「そっ…そんなの」
「だって、私にはね…」
出来るだけ直接的な表現は避けようと、言葉を選びながら話す私を見つめ、彼女は落ち着かない様子で、スプーンをカチャカチャ弄んでいる。
「そんな感じでね…私のこと、まるごと愛してくれるんです、彼」
「だって…だから、あなたじゃ」
「物足りないなんて、私…言われたことありませんけど。だって、取ってくっつけたみたいなGカップより、天然物のDカップの方が…ね」
彼女を真似て、ぎゅっと寄せた私の胸元を…彼女は食い入るように見つめた。
「私、着痩せするタイプみたいなんです。そんなにあるって思わなかったからびっくりした、って…彼も言ってました」
微笑む私から、彼女ははっ、と視線を反らす。
「だから…もし、あなたのおっしゃってることが本当なら…彼、相当欲求不満だったんだろうなぁって思ってたんです。その…胸しか、良い所なかったのかしらって」
「………ちょっと、あんたねぇ」
「それに、今日はすっごく勉強になりました。つけ睫毛もネイルも、私したことなくって…綺麗にお化粧すれば、見違えるくらい綺麗になれるんですかねー。『文は、すっぴんでも十分過ぎるくらい綺麗だよ』って彼は言ってくれるんですけど、私ももう二十歳だし、もうちょっとお化粧がんばらなきゃって思いました」
ミユさんは彼より年上なんですよね、とにこやかに尋ねると、彼女はぎゅっと眉間に皺を寄せた。
「あと…そうだ、その指輪」
「………これ?」
「さっき、指輪のこと、聞いてくださいましたよね?…私、今日はうちに置いて来ちゃったんです。だって、余裕ぶってあんな指輪つけてあなたに会いに来たら、何だか浅ましい気持ちになっちゃいそうで」
「うっ………嘘…は…あなたの方なんじゃない!?」
顔を赤くして、反撃に出ようとする彼女に、にっこり笑って答える。
「嘘なんかじゃありませんよ?彼の指輪とそれ、すごくそっくりですけど…私の方にはね、小さなブルーダイヤが付いてるんです。『このままじゃ、女の子がいつもつけるにはちょっと淋しいもんね』って言ってくれて…そういえば、『綺麗なダイヤの指輪も早くあげたいんだけど、文が大学卒業するまで我慢しなきゃね』って、言ってたなぁ………睦月」
その瞬間。
紅潮した彼女の顔が…一気に青ざめた。
ゆっくりと、カップを口に運び…苦いコーヒーを一口啜る。
「………あら?」
「……………」
「どうか…なさいましたか?」
「……………」
もしかして、と…意地悪な気持ちになって、彼女の顔を覗き込む。
「『睦月』…って………KEIの本名、ご存知なかったんですか?」
「………そん…な…の」
「そうですよね…睦月、ごく親しい人にしか、本名教えてないみたいだし、『睦月』って呼ぶの、本当に仲の良いお友達だけみたいだし…『風群睦月』っていうのが本名なんですよ、『KAZEMUREMUTSUKI』ってアルファベットで書いて、最初と真ん中と最後の文字を取ると『KEI』になるって…あ…ちょっと、説明難しかったですか?」
女性の長い赤い爪が、テーブルの上で、小刻みに震えているのが見える。
「さっき睦月、『今どこにいるの?何してるの?』って、心配して電話くれたんです。でも、あなた…彼だって気づかなかったでしょ?睦月の名前も知らないなんて、この人の言ってることは嘘なんだなって、その時確信して…やっぱり、睦月の言ってたことは、本当だったんだなって」
硬直している女性のサングラスをちょい、とずらして…充血した瞳をじっと見据える。
「これでもまだ、嘘ついてないっておっしゃるんなら…その指輪の裏、見せていただけません?本物だったら、睦月の指輪と同じ文字が入ってる筈なんですけど…『LOVE』とか『FOREVER』とか…そんなありきたりなのじゃなくて、二人の…秘密の言葉」
「……………」
ふふふ、と余裕たっぷりに微笑んで、私は席を立つ。
「今日はお忙しいところ、本当にありがとうございました」
「………ちょっと、あんた!」
声を荒げる彼女に驚いて、周囲のお客さんが一斉にこちらを見る。
「あんた、目的は何なの!?」
「あの…声、大きいですよ」
「いい子ぶっちゃって、何!?最初っから嘘だって思ってたんなら、どうして私のこと、呼びだしたりしたのよ!?」
くすっと、肩を竦めて笑い。
私は彼女の耳元で…そっと、囁いた。
「決まってるじゃないですか。嘘つきなあなたのことを、懲らしめる為ですよ…オバサン」
はっ…と、彼女は息を止め、私を食い入るように見る。
「じゃあ…あなたとは、もう二度と会うことないでしょうけど、今度、睦月のこと困らせるような真似したら…タダじゃおかないから覚悟しときなさい」
バッグに忍ばせておいたボイスレコーダーを、彼女の視界の隅にちらりとのぞかせてみるが…頭にいくべき栄養が全部胸に行っちゃったような(でもそれも、どこまで本物なのか怪しい)彼女に、その意味がちゃんと伝わったかは、正直よく分からなかった。
だから。
『年下の女の子に言われて、一番腹のたつ言葉?』
ママは、変なこと聞くのねえ…とつぶやいて、腕組みをして考えこんだ。
『25歳くらいの女の人なの。ね…どう思う?』
『んーそうねぇ…』
私は、さっきの捨て台詞を…もう一度繰り返す。
「じゃあね、オ・バ・サ・ンっ」
『まだまだ若い、まだまだイケる』と思う自分と、10代はたちの女の子に見劣りすることに気づいてしまった自分…2つの思いが交錯して、とっても微妙なお年頃なのだそう。
『『私はまだオバサンじゃない!』って思ってもね、あなたみたいな年下の女の子に『オバサン』って言われちゃうと反論出来ないもの…それが一番じゃないかしら』
答えながら、ママは…どうやら、私の思惑に気づいたらしい。
頑張ってね、と笑って、励ますように肩を叩いてくれた。
『敵を討ってあげて』
「コーヒー、ご馳走様でした」
がっくり肩を落としたグラビアアイドルに、微笑みかけ…私は、ファミレスの重いドアをゆっくり開けた。
しばらくして。
後ろからついてくる、慌ただしい足音。
「おい!」
コーヒー…苦かったなぁ。
「ちょっと、待てってば」
…やっぱり、ちょっと私には早いかも。
「あー、せいせいした!」
空を見上げてつぶやいて。
私は………
後ろから呆れ顔でついてくる水月に、肩越しにガッツポーズをして見せた。