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ぐうたら海神と贄の花嫁  作者: 歩園 彩


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3/3

その後の村で


 静かな夜だった。

 薄い雲の向こうに浮かぶ三日月が、ぼんやりと頼りない光を放っている。生ぬるい潮風を肌に受けながら、僕は久方ぶりに訪れる地上を歩いていた。

 訪れた村は、眠りに落ちているようだった。点在する家々は明かりを落とし、人の姿は見えない。漁村ならば夜釣りの船の一艘でも出ているかと思ったが、今夜はそれもないようだった。

 目的の場所を目指し、柔らかな砂浜を踏んで歩く。ほどなくそこは見つかった。

 村にある他の家より少し大きく、しかし記憶にある村長の家とは違う場所。ささやかなものではあるが、どことなく趣味の悪い豪華さが見え隠れする、貧しい漁村の空気からはやや浮いた家。

 そこへ、僕はゆっくりと片手をかざした。

 波の音だけが耳を打つ、長く静かな夜の中、変化は不意に訪れた。

 目の前に建つ家の、使い込まれた玄関扉。固く閉じられたそれの下部から、じわりと漏れ出した水。

 風の纏う潮の匂いが増した。密やかな海の気配は、閉ざされた扉も窓も意に介さない。

 静かな夜だった。


 どれほどの時間が経っただろう。徐々に東の空は白くなり、三日月は霞むように消えていこうとしている。


「あんた、そこで何をしとる?」


 ふと、背中にかかった声に振り向けば、そこには老いた男が一人。

 僕が問いかけに答えるよりも早く、僕の顔を見たその男は、さっと顔を青ざめさせた。


「海神様……!?」


 おや、僕の顔を知っている。となると村長の血筋の人だろうか。人間はあっという間に見た目が変わるから、よく思い出せないけど。


「か、海神様が何故このようなところに……? も、もしや捧げものがお気に召しませんでしたか!?」

「違うよ~。……ああでも、気に入らないことがあった、っていうのはちょっとだけ」


 そう言ってぼくが、ちらり、と家に視線を向ければ、彼もまたそれを追うようにそちらを向く。家に灯りは灯らず、静かなままだ。


「貰った贄の子が言っていたよ。自分は贄として育てられたから、名前すらないんだって。加えて、一通りの家事はできるのに、何をするにも自信がない。自分は役立たずだって言う。こんなの、家族として扱われていたのかも怪しいって思うよね」


 この家は、そう。彼女の生家だ。


「別にね、虐げられていたものとか、邪魔だったものとか、そういうのを捧げられるのに文句はないよ? 捧げられたなら受け取る。僕らはそういうものだからね。だけどさ、今回に関しては、そもそも産まれたときから生贄だったわけじゃん」


 いまいち要領を得ていない顔で、それでも黙って僕の言葉に耳を傾ける村長に、微笑んでやる。


「それってさ、『産まれたときから僕のもの』だよね?」


 あ、と。掠れた声が聞こえた。

 彼もようやく気づいたのだろう、僕が何に腹を立てたか。


「僕のものを勝手に傷つけられて、黙ってるわけにはいかないよ」

「……あの娘が、それを望んだのですか……?」

「いや? あの子は何の恨み言も言わなかった。ただ自分の役目を果たそうとだけしていたよ。……だから、罰は主犯格だけにして、この村そのものは許した」


 彼女が復讐をと望むなら、こんな村、いつでも海に沈めてやった。彼女の境遇を見て見ぬふりをした者たちも、同罪とすることはできる。

 でも、エニはそれを望まなかった。ただそれだけの話だ。


「だけど今日、ちゃんと伝えたからね。『僕のものを傷つけるな』。破ったら二度目はないよ」

「は……はい……!」

「あ、荒れた海は何とかするから心配ないよ。でも生贄はもういらなーい。とっても可愛いお嫁さんができたからね」

「は……ありがとうございます……!!」

「あの子の好きそうなおやつや飾りなら貰ってもいいけど! それじゃあね~」


 深く深く頭を下げる村長を置いて、僕は海へと帰る。

 遠ざかった村長が、やがてあの家の扉を開けるのがほんの少し見えたけど、あんなところに入ったって、魚やナマコやイソギンチャクがいるだけだ。

 それらが何のなれの果てか、彼ならすぐにわかるだろう。

 振り返るのをやめて、海へと潜る。ついさっきまでの出来事なんて、海面へ立ちのぼる泡のように弾けて、忘れてしまった。

 うちで待つ僕のお嫁さんは、今日はどんな笑顔で「おかえりなさい」をくれるのか。帰路についた僕には、それしか頭にないのだから。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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