第66話 母の真意
サニーさんと睨み合っていた御婦人が、パーティクル公爵家の馬車の、開いたドアの奥にいる俺たちに気がつく前に、俺は慌ててカイアをマジックバッグの中へと隠した。
「ごめんなカイア。知らない人がいるから、入っててくれな。」
ドアを開ける前に入れてやればよかった。気付かれていてないといいのだが……。
ルピラス商会のドアの前の騒ぎに、中にいたエドモンドさんが、ドアを開いてちらりと外の様子を窺っているのが分かる。
俺と目があって、俺が困っている様子なのを見て、外に出てきてくれた。
「ニュートンジョン侯爵夫人、立ち話もなんですので、中にお入りになられませんか?
今お茶をお出ししますので……。」
「──いいえ、結構。
すぐにサニーの家に向かわなくてはなりませんのでね。
……あちらはパーティクル公爵家の家紋の馬車ですね、中にいらっしゃるのはどなたかしら?サニー。」
「あ、あの……。その……。
当家のお客様でして……。」
!?
サニーさん!?
見るとサニーさんが、救いを求めるような眼差しでこちらを見ている。なるほど、お母様と2人きりになりたくないのか。
だからって、急に自宅にお邪魔するというのもな……。もう帰るつもりでいたんだが。
だが、そんな風に言われてしまうと、挨拶しないわけにもいかなくなってしまった。
俺は馬車から降りると、サニーさんの母親に、ジョージ・エイトと申します、サニーさんに俺の店の内装をお願いしている者です、と挨拶をした。
サニーさんのお母様はこちらに向き直り、
「イザベラ・ニュートンジョンと申します。カーター・ニュートンジョン侯爵の妻にございます。」
と名乗った。ニュートンとジョンが1つの名字なのか。ニュートン・ジョンなら、前世で有名な歌手がいたが。
「サニー、家にお客様をお招きする予定だったのであれば、それこそ早く自宅に戻らなくては。詳しい話はあなたの自宅でゆっくりすることに致しましょう。」
自宅についてくる気満々のニュートンジョン侯爵夫人に、サニーさんは震えながら、はい……、とうなずいた。
うなだれて諦めた様子のサニーさんに、俺も仕方なく覚悟を決め、パーティクル公爵家の馬車の御者さんに、こちらで降りますと告げて、お帰りいただくことにした。
サニーさんが、ちらりとエドモンドさんを見やり、報告はまたいずれ、と言って、俺たちは馬車の入れない細い裏道を歩いて、サニーさんの自宅に向かうこととなった。
「サニー、おかえりなさい。
──まあ、お母様!!」
サニーさんの自宅は、ルピラス商会の裏手の、貴族街から少し離れた平民街の一角にあった。こじんまりとしているが、きれいなレンガ造りの建物で、なかなかに立派な二階建ての一軒家だった。
ドアを開けて出てきたのは、サニーさんより少し身長が高い程度の、小柄で可愛らしい顔立ちの、身重の女性だった。
サニーさんが成人男性としてはかなり小さいほうなので、小柄な奥さんも、サニーさんと並ぶと背が高く見える。
男の方が背が低いか同じくらいだと、女性がだいぶ大きく見えるんだよな。
俺が予想外だったのは、出迎えてくれたサニーさんの奥さんが、ニュートンジョン侯爵夫人を見て、とてもうれしそうに顔をほころばせたことだった。
「変わりはないかしら?イヴリン。」
「はい、おかげさまで問題ありません。
あ、どうぞ、中へ。」
歩く道中、母親と一切口を聞かなかったサニーさんとは、随分と態度が違う。俺はイヴリンさんに挨拶と自己紹介をした。
ニュートンジョン侯爵夫人、俺、サニーさんがテーブルに案内され、イヴリンさんがお茶を入れにキッチンに行った。
ニュートンジョン侯爵夫人の従者──男性1人と女性1人──は、ドアの近くに並んでまっすぐ立って待機している。
「どうぞ、召し上がって下さい。」
イヴリンさんがお茶を出してくれた。
「まあ、お客様がいらしているのに、こんなものしか出せないなんて。
うちから持ってきたものがありますから、こちらをお出ししなさい。」
そう言ってニュートンジョン侯爵夫人が手を上げると、女性の従者の方が、マジックバッグから取り出した、美しい包装の箱を、イヴリンさんに何やら渡す。
「いつもすみません、お母様。」
嬉しそうにそれを受け取ると、イヴリンさんは一度キッチンに戻り、お皿を出して箱の中のケーキを皿に並べて再び戻ってきた。
ケーキは3つしかなかったので、俺、サニーさん、ニュートンジョン侯爵夫人の前に、イヴリンさんはケーキを置いた。
「どうぞ。ここのお店のケーキはお砂糖が控えめなので、甘い物が食べたい時に、私でも安心して食べられるんです。
お母様がいつも持ってきて下さって。」
ああ、出産前後は妊娠高血圧症候群になることがあるから、甘い物は要注意だよな。
重度になるとお腹の子どもの発育が悪くなったり、胎盤剥離が起きたりする、恐ろしい病気だ。
血圧が問題なくても、別の問題が起こることもある。友人の娘さんの出産時も、乳腺炎になってしまうとかで、好きに甘い物が食べられないと言っていたっけ。
「わたくしはそんなに甘いものが好きではないの。だからこれはあなたが食べなさい。」
そう言ってニュートンジョン侯爵夫人は、イヴリンさんの前にケーキを置いた。自分の分をさっさと食べだしてしまっていたサニーさんが、気まずそうな表情を浮かべる。
ニュートンジョン侯爵夫人が、確実にイヴリンさんの為に持ってきてくれた、砂糖少なめのケーキなのに、イヴリンさんが食べられないのを気にしなかったのは、さすがにまずいぞ、サニーさん。
客の俺ですら、そこに思い至って、ケーキに手を出したものか戸惑ったのに。
それにしても、出産前後は体質が変わるから、女性は大変だよな。そこに気を配ってお菓子を持ってきてくれているのか。
……あれ?優しいんじゃないか?
怯えるサニーさんの様子と、イヴリンさんの前のニュートンジョン侯爵夫人のイメージがつながらない。
「──それで、サニー。」
俺の隣の席で、イヴリンさんの出してくれたお茶を一口飲んだニュートンジョン侯爵夫人が、サニーさんをジロリと睨む。
「いつ産まれてもおかしくない状態だという嫁を、ご近所様に何のお願いもせず、連絡もなしに仕事だからと、ほったらかして泊まりで出かけるとは何事ですか。
妊娠中の女性が家で1人だなんて、どれだけ恐ろしいことだか分からないのですか?」
「はい……、申し訳ありませんお母様。」
サニーさんはすっかり縮こまっている。
「わたくしはあなたの育て方を間違えてしまったかも知れませんね。」
「そんなことありませんわ、お母様。
サニーさんはいつも私を手伝ってくれる、優しい旦那様です。」
笑顔のイヴリンさんに、サニーさんが救いを求める目線を向ける。
「──手伝う、という考えがそもそもの間違いなのです。わたくしたちの元を離れ、従者のいない生活を選んだのは、あなたなのですよ、サニー。それならば、夫婦でともに支え合わなくてはならない筈。
この先子どもが産まれても、あなたは手伝いで済ませるつもりなのですか?」
「はい……、申し訳ありません、お母様。」
んんん?
「サニー、こんな時間だし、お母様とジョージさんにも、夕食を召し上がっていただいたらどうかしら?」
「ああ、そのつもりだよ。
準備してくれるかい?」
「ええ。」
話題を変えてくれたイヴリンさんに、サニーさんがほっとした表情を浮かべた。
「──サニー。」
サニーさんがビクッとする。
「身重の妻を働かせて、あなたは何もしないつもりなの。なぜ、座ったままなのかしら。この時間なら、もう馬車はありませんよね。
ということは、ジョージさんにはこのまま家にお泊りいただくのよね?
それならば、ベッドの準備はもう済んでいるということでいいのかしら?」
「い、いえ、まだ……。イヴリンが……。」
「イヴリンは体が小さいのですよ。つまり子どもがお腹にいることで、イヴリンの体重は元の1.5倍。筋肉だってないわ。
この状態でベッドメイキングをするのがどれほどの重労働なのか、あなたは想像したことがあるのかしら。」
ニュートンジョン侯爵夫人が、冷たい眼差しでサニーさんにたたみかける。
「あなたがおやりなさい、サニー。
仕事を他に持とうが持つまいが、家のことも子育ても、夫婦2人の仕事です。それが嫌なら従者を雇えるくらいに稼ぎなさい。」
ニュートンジョン侯爵夫人がピシャリとそう言って、サニーさんが慌てて2階へと駆け上がって行った。
「まったく。不釣り合いな嫁を貰ったせいだわ。夫の教育は最初が肝心なのよ?
優しくするばかりがよき妻、よき母ではないのです。甘やかしては駄目よ。
さあ、イヴリンは席に戻りなさい。
今日もわたくしが、あなたに我が家の味を教えてあげなくてはなりませんからね。
──エミリー。」
「はい、奥様。準備は出来ております。」
そう言うと、エミリーさんがマジックバッグから出した食材を使って、なんとエミリーさんだけでなく、ニュートンジョン侯爵夫人までもがキッチンに立ち、手際よく料理を始めたのだった。不釣り合いって、サニーさんがイヴリンさんに、ってことなのか。
貴族って、自分で料理をするものなのか?俺の疑問に気が付いたのか、席に戻って来たイヴリンさんが、ニッコリと微笑みながら、
「結婚してからというもの、お母様はずっとああなんです。私が妊娠してからは特に。突然いらっしゃった時は私も、ご子息を奪った女に一言、なにか言いたいのかと思って身構えたんですが、まったく違っていて……。」
なんでも、定期的にやってきては、従者と共に家事全部をやってくれたり、料理や裁縫や刺繍を教えてくれたり、洋服をくれたり、ケーキを持ってきてくれたり、話し相手になってくれたりしているのだそうな。
「私……、孤児だったので……。今まで母親と呼べる人がいなかったんです。
だから、本当に嬉しくて。」
と涙ぐんだ。本当に息子の嫁を可愛がってるんだな、ニュートンジョン侯爵夫人。
「私、初めてのことなので、妊娠中も出産後のことも、不安ばかりだったんですけど。
お母様は、サニーの離乳食もご自身で作られたそうで、任せておきなさいと言って下さって。本当に頼りにしてるんです。
昨日も突然やっていらして、私が1人なのを知ると、凄く心配して、こちらに泊まってくださったんですよ。侯爵夫人をお泊めできるような家じゃないのに……。」
なんとまあ。これは完全にサニーさんが悪いな。自分の母親が、奥さんにどんな風に接してくれているかも知らず、金輪際近付くなと言ったのか?ありえないぞ。
おまけに妊娠中の奥さんを1人家に残して連絡もせずに放置?それは怒るだろう。
知ってたら俺だって、連絡しなくていいのか、サニーさんに尋ねたことだろう。
日頃奥さんがどうやって生活しているのかを、気にかけていないんだろうか……。
仕事にかまけて家庭をかえりみない人だったとは。奥さんの様子を見る限りでは、ちゃんと奥さんを愛してはいるみだいだが。
気持ちばかりで、実際の行動が伴っていないことを、ニュートンジョン侯爵夫人は気にしているのだろう。
話している間にニュートンジョン侯爵夫人の料理が終わり、食卓にたくさんの料理が並んだ。サニーさんも2階から降りてきた。
出てきた料理も、妊婦さんに気を使ったものばかりだった。塩分控えめ、大きくなった子宮に腸が圧迫されて、便秘に悩まされる時期だから、食物繊維もたっぷり。
更には貝類とレバーと牛肉とほうれん草みたいな野菜とキノコ類がふんだんに使われている。鉄分も一品でも多く取りたいよな。
──こんな愛情のこもった料理を作ってくれる母親が、優しくないわけがないのだ。
確かに言葉は厳しめで、おっかない表情ではあるけれど、ただ、それだけだ。
サニーさんは、自分の母親に怯えるばかりで、きちんと話したことがないのだろうか?
一度きちんと話し合う必要があるな、この親子は。と俺は思った。
 




