第172話 母と息子の雪解け
夕食を食べ終えてしばらくしてから、男性陣は水着に着替えて露天風呂へと向かった。
雪見酒をする為だ。
パーティクル公爵夫人のセレスさま、サミュエル宰相夫人のライカさま、ミスティさんも恋人のエドモンドさんと一緒に、水着を着てついて来てくれている。
水着はさすがにビキニのような露出の多いものではなく、昭和初期の写真でしか知らないような、ほぼ全身が隠れるような半袖膝丈のものだ。
これでも足を人前に晒すというのは、貴族女性からするとかなり大胆なことらしい。現代人の感覚でその場で提案せず、事前に皆に相談しておいて正解だった。
こちらの世界の女性からすると、夫婦での混浴よりも、他人に素足を見せることのほうが抵抗のあることだと、知らずに話を進めようとしていたら目も当てられなかった。
だが王族のライカさまが進んでこの水着を着ているのだ。ニュートンジョン侯爵夫人1人が着ないわけにもいかない。
流行とは王族の女性から発信しなくてはならないものらしい。というか、発信出来た人が社交界を牛耳るものらしい。
今後海水浴というレジャーを貴族の間にも広めてはどうかと、俺は事前に王族たちに提案してあったのだ。まずは水着に慣れること。その為の混浴、というわけだな。
大人たちだけの社交を兼ねてということであれば、ニュートンジョン侯爵夫人を連れ出しやすいからな。
女性がニュートンジョン侯爵夫人1人ともなると、さすがに気まずいが、同じように水着を着ている女性がいれば、ハードルも下がるというものだ。
まだニュートンジョン侯爵夫人と、サニーさんは現れていないが、このまま外に突っ立っていても冷えるので、俺たちは早速露天風呂に入ることにした。
「やっぱり緊張しますわね……。」
と恥ずかしそうなライカさま。
「でも、湯船に入ってしまえば足なんて見えませんし、一瞬ですわ。」
とミスティさん。
「それもそうですわね。入りましょうか。」
ミスティさんの言葉に、ライカさまが侍女にかけ湯をされてから、露天風呂に入る。ミスティさんもそれに続いた。
風呂の温度は室内のものよりも高めだが、雪すら積もっている冷え冷えとした気温が、のぼせるのを防いでくれている。
「服を着たままとはいえ、女性陣と一緒に風呂というのは、緊張もしますし、同時に開放的な気持ちになって、いつもよりも身近に感じるような気がしますね。」
とサミュエルさまが言う。傍らに寄り添ったライカさまが、ふふ、とサミュエルさまに微笑んだ。
「俺の故郷には、裸の付き合いという言葉がありまして。男女の混浴という文化も昔から存在します。地域によっては、女性側からしか開けられない木の小窓を開けて、男性側と会話をする、お見合いのような習慣もあるんですよ。」
まあ風習というか、温泉宿のサービスだけどな。
「それはまた大胆だなあ。でも、気持ちが打ち解けるのが早いかも知れないな。」
とエドモンドさんが感心したように言う。また商売の種を考えているのかも知れない。
「それにしても、ジョージが急に、サミュエルさまのお嬢さまに、水着を着るよう言うから、俺はびっくりしたよ。」
とエドモンドさんが湯船に肩までつかりながら言ってくる。
「俺としては、本当は俺たちも着るべきだとすら思っていましたよ。大人の男の裸を見せるのも性暴力だと思っていますから。水着を持たずに来てしまったし、風呂にも入ってましたから、取りに行くのもと思っただけで。」
「考えを改めさせられましたよ。小さな女の子の裸に興味を持つ男性のことを考えたことがなかった。だがそういう事件は多い。」
サミュエルさまが眉間にシワを寄せる。
「恥ずかしい話、貴族や大商人には、そうした話がよくあるのです。今でこそ禁止されていますが、幼い子どもの売り買いがされている時代もあった。歴史では知っていましたが、頭になかった。反省させられましたよ。」
とサミュエルさまが言った。
「確かに、よその国じゃ、未だに子どもの奴隷を扱ってる国もあるしな……。」
とエドモンドさんが同意を示す。やっぱり奴隷制度があるのか、この世界。
「幼い娘とばかり婚約して、その子が大きくなったら婚約破棄をして、別の子と婚約を結び直す方もいらっしゃいますものね。」
とライカさまが言う。
なんだそれ、ロリコン天国か、この世界。金と権力のある人が、そうやって子どもを食い物にしているけれど、罰しきれない現実があるんだな。子どもと婚約出来るのが普通なんだとしたら。
するとその時、随分とはっきりした濃い湯気だなと思っていたものが、風が吹いて湯気が吹き飛ばされた途端、湯気の向こうがはっきりと見えて、そこにアエラキのご両親と、兄弟たちの姿が見えたのだった。
「おお、お主か。久しいな。我の息子は息災にしているか。」
「お久しぶりです!ええ、元気にしてますよ。いらっしゃるのなら連れてくればよかったんですね。今部屋で寝ていまして。」
アエラキは最初風呂に入るのを怖がっていたんだが、カーバンクルたちは風呂好きなのか。まあ今ではアエラキもお風呂が大好きだしなあ。
「よい。明日にでも会おうと思う。連れてきてくれないか。」
「ええ、もちろんです。アエラキも喜びますよ。皆さんお風呂がお好きなんですね。」
「なに、これも我らの役目のひとつ。」
「そうなんですか?」
「我らの入った水は、子宝と安産の加護を持つことになる。この地に加護を与える必要があるから、定期的に入っているのだ。」
ということは、アエラキが入ったお風呂にも、その加護がつくということか?
「ここの温泉が子宝と安産の加護があるというのは、皆さんが入られていたからだったのですか!?」
「我らの加護を知らぬのか?」
「いえ、ちらっと聞いたことはありましたが、俺の故郷にも、子宝と安産の湯がありましたから、てっきり温泉自体の効果かと思っていたもので……。」
「ほう、お主の故郷にはそのような加護がついている温泉がたくさんあるのか。よほど精霊が多いとみえる。」
「まあ、八百万の神がいる国ですので……。」
「なんと!精霊よりも上位の存在がそのように多数存在するというのか!なんとも稀有な国よの。よほど神気が強い土地なのだろう。」
「土地全体に龍脈があるとされていますね。俺も詳しくは知らないのですが。土地そのものが龍の姿をかたどっていると言われています。」
「なるほど。神竜の力を得た土地であるのか。ならば他の聖なる存在が集まりやすいというのも得心がいく。」
なぜか異世界の神の常識と、俺の世界の神の常識で会話が成立している。
「ジョ、ジョ、ジョージ……。その御方はまさか……カーバンクルさまか……?」
パーティクル公爵が驚愕したような目線をこちらに向けていた。見ると全員が同じような表情を浮かべている。
ああ、そうか。この地の守護精霊だものな。彼らからすれば特別な存在な筈だ。俺からすれば、単にアエラキのお父さん、お母さん、というだけだが。
「はい、アエラキのご両親ですね。」
俺はパーティクル公爵たちに、アエラキのご両親を紹介した。
「息子が世話になっている。念話でたまに話は聞いているが、お主らのことも話には聞いている。」
「は、ははっ!我が地を守護するカーバンクルさまにお目通りいただき、大変光栄に存じます!」
パーティクル公爵が頭を下げるのとほぼ同時に、全員が頭を下げて胸に手を当てた。
「そうかしこまらずともよい。我が力を取り戻せたのも、お主らの信仰あってのこと。感謝している。なればこの地に守護を与えるのは当然のこと。」
アエラキのお父さんは、めちゃくちゃ真顔に見えるけど、まあ、動物タイプの精霊だから、表情があまり動かないんだろうな。
恐縮しまくっているパーティクル公爵たちと、アエラキのお父さんとの間を、空気を読まずにアエラキの兄弟たちが、楽しげにパチャパチャと泳ぎながら通り過ぎて行く。
アエラキよりも更に小さな、オムツをはいたウサギの姿が、緊張感漂う空気を和ませてくれる。かわいいな。
アエラキのお父さんは、セレスさまをチラリと見た。
「そこの者は、お主の伴侶か。」
「は、はい。セレスと申します。」
「……どうも、通り道がよくないようだな。」
「と、申しますと?」
「子どもの通り道がねじれている。」
とアエラキのお父さんが言う。
……輸卵管がねじれてるってことかな?うちの母親がそれで、不妊治療しないと子どもがなかなか授かれなかったらしい。
それを聞いたセレスさまが、サーッと顔色を青くした。風呂に入っているから、さっきまで赤らんだ顔をしていたのに。
子どもが欲しいけど、なかなか授かれなかったのかも知れない。本人にも心当たりがあるから、あんなに真っ青なんだろう。
公爵家ともなると、跡取りを作らないといけないだろうに、セレスさまは既にアラサーで、なのにまだ1人も子どもがいない。兄も弟も子どもがいるにも関わらずだ。
こちらの世界は10代で子どもを産んでいる人が多い中、かなりの高齢出産ということになる。きっとかなり焦っているだろう。
しかも不妊治療なんて、こちらの世界には恐らくないだろう。となると、セレスさまはずっと子どもが授かれないのかも知れない。
「どれ、治してやろう。」
「ほ、本当でございますか!?」
セレスさまが輝くような表情でそう言う。
「お主らの信仰のおかげで、だいぶ力を取り戻した。造作もない。我が加護を与える土地をおさめる人間の妻であれば、直接我が力を貸してやらねばならぬだろう。」
アエラキのお父さんがセレスさまに両手をかざすと、アエラキのお母さんも同じようにセレスさまに手をかざした。2人の手から優しい光が放たれる。
それにセレスさまが包まれて、不思議そうな表情を浮かべていた。
「満月の夜に励むが良い。最初の満月ならば男子が。次の次の満月であれば女子に恵まれるであろう。その次の次の満月であれば、また男子に恵まれる。」
「ありがとうございます……!カーバンクルさま!」
パーティクル公爵もうっすらと涙を浮かべて、セレスさまを抱きしめていた。
俺は空を見上げながら、今日……満月だなあ……。と思っていた。
今日なら男の子か……。跡継ぎを考えたら男の子だよな……と。
そこに、ニュートンジョン侯爵夫人とサニーさんが現れた。
「皆さんお集まりでしたか。遅れて申し訳ございません。」
ニュートンジョン侯爵夫人は、水着姿であることが、少し恥ずかしそうに見える。
「まあ、そちらは、ひょっとして……?カーバンクルさまでいらっしゃいますか?」
「いかにも。」
「お初にお目にかかります。イザベラ・ニュートンジョンと申します。お会いできて光栄に存じます。」
「うむ。お主の息子の伴侶も出産を控えているのか。無事に生まれるよう加護をやろう。我らは明日もここにいる。ここをたつまでに連れてくるがよい。」
「本当でございますか!?……ありがとう存じます。必ずイヴリンを連れてまいります。」
ニュートンジョン侯爵夫人は、恭しく頭を下げたまま、心から嬉しそうに微笑んだ。イヴリンさんのことが、やっぱり心配なんだな。
それを複雑そうに見ているサニーさん。
「サニーさん、せっかくお母さんと旅行に来られたんですから、腹を割ってゆっくり話してみてはいかがですか。風呂につかると人間本音が出やすくなるものですよ。」
と俺は言った。
「……お母さま、少し離れたところに参りませんか?」
「別に構いませんが……。」
サニーさんが意を決して、ニュートンジョン侯爵夫人をみんなと離れたところに誘い、湯船に入った。
ニュートンジョン侯爵夫人も並んで湯船につかる。気持ちよさそうに肩にお湯をかけて目を細めていた。
「……お母さまは、わたくしよりもイヴリンのほうが可愛いのでしょうか?ずっと娘が欲しいとおっしゃっていましたものね。」
目線を落としてそう呟くように言うサニーさん。
それを聞いて目を丸くしているニュートンジョン侯爵夫人。
「わたくしは出来の悪い息子です。わたくしよりもイヴリンのほうが可愛いのも無理はありません。わたくしはお母さまと、こうして会話をすることすら、とても難しいことに感じますし。」
「……あなた、ずっとそんなことを思っていたのですか?」
「はい。わたくしがうまく話すことの出来ないお母さまと、イヴリンが親しげにしているのを見て、ずっと思っていたことです。」
「……それは責任の違いというものです。」
ニュートンジョン侯爵夫人は、ハア……とため息をついて眉間にシワを寄せた。
「私はあなたを立派な後継者として育てる必要がありました。ですがイヴリンは違うのがわかりますか?孫を可愛がるのと同じです。私にはあの子を育てる義務がない。責任もない。だから厳しくする必要もないのです。」
「義務と責任……。」
「あなたとイヴリンの子が生まれたら、私は同じように可愛がるでしょうね。ですがあなたたちは違います。あなたたちは、その子どもが1人で立派に生きていけるよう、責任を持って育てる必要があるのです。厳しく躾けなくてはいけない場面もあるでしょう。それが親というものです。」
「では、お母さまは、生涯わたくしに対して接し方が変わらないと?」
ニュートンジョン侯爵夫人を振り返る。
「あなたはまだまだ未熟です。夫としても、男としてもです。私が躾けなくては、悲しむのはイヴリンであり、その子どもです。」
サニーさんは目線を落とす。
「私は中途半端な状態であなたの手を離すことになってしまった。今からでもどこに出しても恥ずかしくないよう、躾け直す必要があるのです。私に態度を変えて欲しくば、イヴリンを悩ませない立派な夫になりなさい。」
「わたくしが、立派に……。」
「目を離していても問題がないと思えるようになれば、態度は軟化するでしょうね。
……それでも生涯心配はするでしょう。そういうものですよ。」
ニュートンジョン侯爵夫人は、うっすらと微笑みながらそう言った。
「あなたたちが子育てで悩む時は、いつでも相談に乗りましょう。その時には少しは私のい気持ちがわかるでしょうからね。」
「わたくしにはまだよくわかりません……。ですが、お母さまがわたくしを、見下しているわけではないということは、なんとなくわかりました。」
「見下してなどおりません。ただ、未熟であると、そう思っていますよ。」
「わたくし、頑張りたいと思います。お母さまに認めていただけるよう。」
ニュートンジョン侯爵夫人はフッと微笑んで、
「そうなさい。」
と言いつつ目を細めた。
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だいぶ間があきました。
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書籍化が2作品、コミカライズが1作品、更に有料連載が1作品始まることになりまして、かなり時間がありません。
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