第139話 まさかの叙勲と予定外の叙爵
「ご足労いただいてありがとう。
気楽にしてください。」
目の前の人物は穏やかな笑顔で言った。
俺たちを呼び出したのは、宰相サミュエル様で、サミュエル様は王弟殿下でもある。
入口の近くには、侍女と護衛らしき人物が立っていて、一言も言葉を発さなかった。
「は、その、どうも……。」
そうは言われてもこの環境で平民が、宰相かつ王族の前で緊張するなというのが無理な注文というものだろう。メッペンさんは恐縮しながら汗を拭き拭き、目線を下げている。
「そちらにおかけください。」
そう言われて、俺とメッペンさんは、サミュエル宰相の向かいのソファーに深々と腰掛けた。いや、そのつもりはなかったんだが。
浅く腰掛けようとしたところ、思った以上にソファーがフカフカ過ぎて、2人とも思いっきりのけぞるレベルで、深々と腰掛けることになってしまったのだ。仕方なく俺たちは1度腰を浮かしてソファーに座りなおした。
それを見たサミュエル宰相が、ふふ、と困ったような微笑ましげな表情で笑っていた。
「改めまして、クリーニング工房を営むアルド・メッペンさんに、ハンバーグ工房を営むジョージ・エイトさん、お2人をお呼び立てした理由をお伝えいたします。」
ふむ、今回俺は、ハンバーグ工房の件で呼び出されたというわけか。
呼び出しの手紙が届いたのがつい2日前なのだが、当然王宮からの呼び出しは、どんなことがあっても行かなくてはならない。
俺は移動販売の為に新しく雇った冒険者たちと、顔合わせの予定があったのだが、そこはインダーさんたちに任せることとなった。
「今回、お2人が新しく始められた事業により、多くの平民が雇われる機会を増やす結果に至りました。そのことを、近々執り行われる、王家主催の、功績を残した平民の表彰会にて、表彰させていただき、勲章を授与させていただくつもりでおります。
本日はその事前の案内と、表彰会での勲章授与時の振る舞い方を覚えていただく予定でおりますので、よろしくお願い致します。」
俺とメッペンさんはポカンとした。
「ひ、人を雇ったと言っても、せいぜい数十人程度のことです。勲章をいただくほどのことをしたのでしょうか……?」
メッペンさんが目をしばたかせながら、サミュエル宰相にたずねた。
まあ、そうだよな。俺のところだってそう変わらないし。中小企業を作ったくらいで、いちいち王家から勲章授与されるだなんて、聞いたことのない話だ。
メッペンさんの言葉に、サミュエル宰相は穏やかな顔付きでメッペンさんを見ながら、その疑問はごもっともです、と言った。
「お2人が現在採用された人数だけで判断するのであれば、そうお感じになられるのも無理はありません。このことは全体的な経済効果を踏まえての評価なのです。」
ああ、そういうことか。
「全体的な経済効果……。」
そう言われても、メッペンさんはまだよく分からないようだった。
「──つまり、それに付随して派生するものが大きかったということですね。メッペンさんが新たな事業を開始するのにあたり、まずルピラス商会で、なんのスキルも持たない平民が1000人規模で雇われましたね。」
「はい。平民は識字率が低い。商人は親がやっていないとなることが難しいものです。」
「ですが、元々文字が読める人をメッペンさんの事業に絡ませるにあたり、人手が足らなくなり、そうでない人たちが大量に雇われるという、大規模な雇用を生み出す結果となった。そしてそれは、今後も広がる可能性のあるものである。14拠点でそれですからね、当然この先拠点が増えれば、その分新たな雇用が生まれるであろう、という。」
「そのとおりです。クリーニング工房は、とても未来のある事業です。今まで排水業者しかあてがなく、スキルを持っていても仕事に結びつかなかった生活魔法使いに、新たな道を開く結果にもつながった。使えないスキルとされていたのが、稼げるスキルとして羨望を集めたのです。これは長い目で見て、国に多大な収益をもたらし、かつ何もスキルを持たない人々の生活を安定させる、驚異的な功績なのですよ、メッペンさん。」
メッペンさんは感動に打ちひしがれて、言葉も出ないようだった。今にも叫び出したいのをおさえるように、軽く開いた足の膝の上で、ぐっと両手の拳を握りしめていた。
「そして、エイトさん、あなたのハンバーグ工房も同様です。今まで安定した雇用を得ることの出来なかった、スキル持ちでない平民を、大量に採用され、なおかつ新たな定住者を増やされましたね。」
社員寮のことかな?
「この国の平民は、長らく続いた干ばつにより、孤児である者が多いのです。親が家を持っていなければ、そもそも家具もなく、宿屋に住んでいますからね。借家を借りれている人でも、かなり恵まれている、ということになるのですよ。エイトさんはそんな人たちに新たな住まいを用意されました。それも破格の値段でです。これはとても驚異的なことなのです。彼らの身分が保証されますから。」
「──身分が保証される?」
「商人は商人ギルドが、冒険者は冒険者ギルトが身分証を発行しますが、平民にはそれがありません。どうやって身分を証明するかというと、住んでいる村や町の長が保証をするのです。だから簡単には村や町に新しい人間が住めませんし、家を借りることも難しい。
保証する人間からしたら、危険人物かも分からないのに、見知らぬ人を受け入れることは難しいですからね。」
「なるほど……。」
だから俺も、最初、ラグナス村長の村に住まわせて貰おうとした時に、ラズロさんに断られたのかな。保証人や保証会社をつけずに家を借りるのって、日本でも難しいけど、この場合村長が保証会社の代わりをするみたいなことか。それは確かに、恐ろしいよな。
「冒険者たちは、最終的に自分の家を、せめて借家でも持つことが夢の人が多いのです。
その日暮らしの平民もそれは同じですが、冒険者よりもその道はさらに厳しい。
冒険者のように身分証も持てず、スキルがなければ稼げる仕事も限られます。
ですが、エイトさんのハンバーグ工房につとめれば、家を借りることが出来る。スキルだってなくていい。出稼ぎと違い安定した給与も払われる。平民からすれば、夢のような職場と言えるでしょうね。」
なるほどな……。
「その功績をたたえて、お2人には勲章と、男爵の地位を与えることが決まりました。
今後税を集めて、国におさめる立場となります。国におさめる分以外の、地方税を徴収し、その土地を発展させる義務もしょうじます。メッペンさんも、エイトさんのように住居を貸し出して、近隣の領地の住民を増やしてもいいかもしれませんね。」
「お、俺が男爵!?」
メッペンさんは目を丸くしていた。
「所有する土地の割り振りについては、後ほど別のものから説明があるでしょう。エイトさんは既に申請されたハンバーグ工房周辺の土地ですね。空いている土地を有効活用申請すれば、今後領地は増えていきます。」
「ええと……。爵位は断れないものなのてしょうか?俺には身に余るといいますか、領地の発展だなんて、とても出来る気が……。」
俺がそう言うと、メッペンさんが驚いた表情でまばたきもせずに俺を見てくる。
「残念ながら、それは出来ません。」
サミュエル宰相が首をふる。
「そうするには、営む事業が大き過ぎるのですよ。ひとつの都市であればそれも可能な場合がありますが、お2人の事業はいくつもの土地に拠点があります。お2人に爵位がなければ、おさめる税金は、その土地をまとめる有力な貴族によって決められてしまうものです。──例えそれが7割でも、領地の発展に必要と貴族が決めれば、従わざるを得ないのです。それがこの国の法律です。支払えなければ物でおさめる──つまり事業を取り上げられる場合もあります。これはいわばお2人を守る為の救済措置でもあるのですよ。」
専門知識と意欲のある方に、長く事業を営んでいただきたいですからね、とサミュエル宰相は微笑んで言った。
「つまり、特例措置、というわけですね。」
「ご理解いただけて幸いです。」
勲章授与までは、まあ、ここまで早くても理解は出来る。
日本でだって、オリンピックで優秀してすぐに勲章を与えられることがあるからな。
だが、爵位はそう簡単に授与出来るものではない筈だ。派閥ってもんがあるし、元からの世襲貴族の反発も多いだろう。王族の判断だけで爵位を授けられるのだとしてもだ。
俺たちの事業は利ザヤがデカく、その土地の貴族にすぐに目をつけられ、利益どころか事業そのものを引っ剥がされる恐れがあるということか。そうならない為には、俺たちが最低限領地を持った貴族である必要があるわけだ。だからこんなにも早く爵位をくれた。
「……ルピラス商会ですね。」
その言葉に、サミュエル宰相がにっこりとする。
「お2人がルピラス商会に事業の協力を打診されてすぐに、この規模になる予定なので、爵位の授与を検討して欲しいと話がありましてね。おかげでこちらも早く動くことが出来ました。国にとって有益な事業を、ごうつくばりどもに潰されずにすんで、こちらとしても感謝しているのですよ。──おっと、これはここだけの話にしておいて下さいね。」
恐らくわざと言ったのであろう、サミュエル宰相の軽口に、ははは……、と、俺とメッペンさんは苦笑したのだった。
「それではそろそろ、他の方々にもご紹介しましょう。お2人と違い、勲章を授与されるだけの方々です。ああ、それと、エイトさんは少しだけ残っていただけますか。別のお話がありますので。メッペンさんは先に移動なさって下さい。案内させますので。」
そう言ってサミュエル宰相が、こちらを向いたまま右手を軽く上げると、侍女が小さくお辞儀をして、ご案内いたします、とメッペンさんに言った。メッペンさんが侍女に連れられ出て行くと、元からそういう打ち合わせだったのか、護衛の男性も外に出ていき、俺はサミュエル宰相と2人きりになった。
「──決まりましたよ。」
サミュエル宰相が声を落としながら言う。
俺にだけコッソリと告げる話。決まったということ。つまりは、ずっと他国と相談していた、聖女である円璃花の所属する国が、ようやく決まったのだ。円璃花の希望で、所属する国が決まるまで、俺の家に住んでいたから、それがついに終わるということになる。
「そうですか……。ちなみにどちらに?」
せっかく再会出来たのに、浄化の旅が終わるまで、しばらく会えなくなるんだな。お別れのパーティーでもしようかな。
「ええ。この国に。」
サミュエル宰相がニッコリとする。
「──え?ですが、先代の勇者様と聖女様がこの国に降臨されたから、他の国のいずれかに、という話ではありませんでしたか?」
直接降臨された場合は、続けて同じ国ということもあったようだが、今回はそうじゃないから、先代の勇者がいるこのバスロワ王国と、ノインセシア王国以外のいずれかに行くであろうという話だった筈なんだが。
「そういう意見もあったのですがね、聖女様たっての希望が、我が国に身を寄せることでしたので。ノインセシア王国が聖女様に失礼な扱いをし、結果聖女様のお体を衰弱させてしまったのは重大な失態です。聖女様のお心を慰める為にも、そのご希望に従おうということになりました。これからはバスロワ王国の王宮住まいということになりますね。」
「そうでしたか……。それは良かったです。
彼女も喜ぶことと思います。」
この国にいるなら、王宮住まいとはいえ、会える機会もあるだろうからな。
「そこで今回の表彰会において、聖女様にご参加いただき、聖女様の降臨を公表する予定です。国の大半の貴族が来る機会ですので、ちょうどいいですからね。国民全体には正式に後日お触れを出しますが、先に貴族に発表しませんと、色々とうるさいのでね。」
なるほどな。俺たちの叙爵は予定外のことだが、本来は功績をあげた平民を、貴族の前で表彰し、貴族と王族がともに称えるイベントということか。
「それはいいですね。
彼女は表彰会も見られるのでしょうか?」
「ご希望であれば。」
「ぜひ席を用意してやって下さい。外に出られないので、鬱屈しているようですので。
パーティクル公爵家の温泉に行かれるのを何より楽しみにしているくらいです。」
「わかりました。ではそのように。
それではそろそろ、ジョージさんも行きましょうか。皆さんにご紹介します。」
サミュエル宰相は、他に人がいないので、俺をいつものようにジョージ呼びしてきた。
さすがに少しだけ親しくさせていただいているとはいえ、対外的にはファーストネーム呼びは難しいんだろうな。妹のセレス様だって、王女のパトリシア様だって、人前じゃ兄や父親を国王陛下呼びしているものな。
サミュエル宰相と護衛の人とともに、両脇に金の房がついた赤い絨毯の上を歩いてすすむと、大きな扉の前に案内された。
「ここから先は、中の者がご案内いたしますので。では、私はここで。」
サミュエル宰相がそう言って去っていく。
護衛の人が入口の兵士に声をかけると、重々しい扉をあけてくれ、中にメッペンさんを始めとする、何人かの人たちがいた。
これで全員です、と、案内してくれた護衛の人が、中の書類の束を抱えたメガネ姿の女性に告げ、女性がチラリとこちらを見る。
外向きの緩やかなパーマのかかったボブヘアの、少し色の濃いプラチナブロンド。アイドルに変身する、いつもパーカーのフードの中に、2匹の猫を入れて連れ歩いていた、昔の女児向けアニメの魔法少女の髪型をした彼女は、確かグレイスさんという筈だ。
初対面時に宮廷魔術師だと聞いた筈だが、宮廷魔術師がなぜここに?こういったイベントの運営管理者の立場も兼務してるのかな。
グレイスさんが俺のことを皆に紹介してくれると、1人の若い男性が笑顔で近寄って来た。肩にかかる少し長めの茶色の髪に、髪色よりも濃い茶色のスーツを身に付けている。
胸元に白いジャボがあるタイプのシャツを着ていた。ジャボというのは、薄い生地のヒラヒラとした末広がりのヒダというか、襟から胸にかけての飾りのついた襟の形の呼び名で、ジャボはその飾りそのものをさす。
もともとは17世紀頃に作られた、男性のシャツの胸元に付けられた胸飾りなんだが、現代だと女性しか身に着けないデザインだ。
「良かった、年齢の近い方もいらっしゃるんですね。皆さん年上ばかりで、緊張していました。私はエリック・ヒューストンと言います。しがない絵描きをやっています。」
「ジョージ・エイトです。冒険者と工房を営んでいます。どうぞよろしく。」
「こちらこそ。」
確かにエリックさんくらい若い人は、この場に俺くらいしか見当たらなかった。勲章を授与されるくらいだから、ある程度の年齢なのは仕方がないだろうな。
それにしても、絵描きで勲章って凄いな、よほどの賞でも受賞したんだろうか?




