第126話 風邪をひく
エドモンドさんと別れ、アシュリーさんとララさんをコボルトの集落に送り届けて自宅に帰る頃、俺はなんだか体がだるくて熱っぽいな?と感じていた。鼻水も出てきてちょっと息苦しい。ひょっとしたら風邪だろうか。
この世界にもあるんだな、風邪。
などとノンビリしたことを思っていた。
前世の体じゃちょっと寝不足だったり、疲れていたりすると、すぐに風邪を引いたもんだが、この体はかなり丈夫そうなので、ちょっと気を抜いていたのもあるかも知れない。
なにせ恐らくは本来勇者に与えたであろう体だ。人より丈夫だろうと思っていたのだ。
実際かなり人より力も体力もあるしな。
俺は体調が悪い時に、誰かに頼ることが苦手だ。一人暮らしで体調を悪くして寝込んでいる時に思うことは、1人で不安だとか寂しいということじゃなく、迷惑をかける相手がいないこと、俺が世話をしないとご飯も食べられないような、子どもやペットがいなくて良かった、ということだった。
だが今は、カイアと、アエラキと、キラプシアがいる。そのことを考えると、結婚したほうがいいだろうか……とも思う。
俺はいつも誰かの世話をしているが、俺が病気の時に、誰かの世話になることがない。
家族にも友人にも恋人にも連絡をしない。
後からこういうことがあったと話すか、会う約束をしている時に、体調が悪いからと断るにとどまる。
恋人がいる時は、円璃花と付き合っていた時もそうだが、どうして頼ってくれないの?と皆からよく言われたものだ。その言葉を1度聞いてしまったら、体調が悪かった時の事自体を話すのをやめてしまう。
ただし今は円璃花は家にいるから、恐らく隠したところでバレバレだろう。
このまま朝まで寝ちまいたいところだが、子どもたちのご飯を作らなくては。
家に帰るとすぐさまカイアが笑顔で駆け寄って来てくれる。だが俺はカイアを抱き上げずに、今はちょっとお父さんに近付いては駄目だ、ごめんな、と言うと、カイアが露骨にしょんぼりしてしまう。寂しげなカイアの様子に、アエラキが顔を覗き込んでいる。理由が分からなくて不安なのかも知れないな。
俺はそう考えて、ごめんなカイア、お父さん、他の人にうつしちゃう病気かも知れないんだ、だから治るまでお父さんに近付いたらいけないぞ?とカイアに言って、夕ご飯の時間までちょっと休むと円璃花に告げた。
「どうしたの?ちょっと顔色悪いけど。」
案の定、すぐに気付かれる。
「風邪かも知れん。夕飯の時間までちょっと寝ようと思う。すまんがそれまで、子どもたちを見ててくれるか?」
そう言うと、
「だいじょうぶよ、私がいる間は面倒見ておくから。ゆっくり休んでなさい。最近色々と出かけ過ぎだったのよ。馬車で長時間移動なんて、あなたが思っているより、体力が奪われる行動だったんでしょ。」
と円璃花が腰に手を当てて言った。
「そうだな……。そうかも知れん。すまんがゆっくりさせて貰うよ。精霊に人間の風邪が感染るのか分からないが、カイアとアエラキには、部屋に入らないように言ってくれ。
ひょっとしたら、そのまま朝まで寝る。」
「分かったわ。ゆっくり寝てて。ようやく譲次に世話して貰ったお返しが出来るわね。」
そう言うと、さあ、カイアちゃんとアエラキちゃんは、こっちでキラプシアちゃんと一緒に私と遊びましょうね、と声をかけた。
だがカイアは1人で階段を登って来てしまった。部屋の前までやって来たが、自分でまだドアを開けられないので、外で、ピョルルッ!ピョルルッ!と俺を呼ぶ声がする。
「うつしちゃうとまずいから、今日はお姉さんとアエラキと一緒に寝てくれ。お父さんは1人でゆっくりと寝るから。」
と告げた。
「ピョル……。」
とカイアの寂しげな声がする。そのまま階段を降りて行ったらしい音がした。
それにしても鼻が詰まっていると、息がし辛いし、体が熱いと寝苦しいな。
体温計を能力で出して、熱をはかってみると、36.9だった。……まあ風邪だな。
このくらいなら、1日寝てれば朝には治るだろうと思い、無理やり目を閉じた。
しばらくすると、俺の部屋のドアがそっとあいた。カイアが体をかたむけて顔をのぞかせている。カイアの頭の上に浮かんでいるアエラキと、アエラキの頭に乗っかっているキラプシアの姿が見える。
……なるほど。アエラキがドアノブの高さまで風魔法で浮かんで、力持ちのキラプシアがドアノブを回したんだな。アエラキもまだ自分じゃドアノブを回せないからな。恐らくそれをカイアが2人に頼んだのだろう。賢いなあ、うちの子たちは。
などと感心していると、3人でそろそろと俺の部屋に入って来て、カイアが本棚から絵本を抜き出して、床の上にしゃがみこむ。
絵本をめくって、何をしてるのかな、と思っていたら、なんと絵本を読みだした。
手に取った絵本は、ずうっとひとりぼっちで暮らしていた大きな象が、ある日働きに出ることになったお話だ。
ビスケット屋さんに行っても、お皿を作るところに行っても靴屋さんに行っても、大き過ぎる象の作るものは規格外で、何を作っても大き過ぎて売り物にならず、「もうけっこう。」と断られてしまい、しょんぼりしてしまう。そんな時にたくさんの子どもを持つお母さんに頼まれて、子どもたちと遊ぶことになった象はどうするのか?というお話だ。
たくさんの人に否定されても、自分に合う場所を見つければ、誰でも幸せになれるという素敵なお話だ。俺も子どもの時に大好きだったんだよな。カイアも大好きな絵本だ。
「ピョルルッ!ピョル、ピョルル!」
あれはセリフの部分でも読んでいるのだろうか?当然なんて言っているのかは分からなかったが、抑揚をつけている感じがする。
だが、堂々としたカイアの様子から、ちゃんと内容が理解出来た上で、文字を読んでいるのだろうとわかる。文字を教えていないのに、もう絵本が読めるのか。そういえば俺も小学校に上がる前に、確か4歳くらいの時点で1人で絵本を読んでいたし、ルビの振られた児童書なんかは読んでたっけなあ……。子どもの吸収スピードは凄いもんだな。
恐らく俺がいつも寝る前に絵本を読んでやっているから、寝ると言った俺の為に、絵本を読んでくれているのだろう。
アエラキとキラプシアも横に座って、絵本を覗き込みながら、大人しくそれを聞いているから、ちゃんと読めているんだろうな。
戻って来ない3人の様子を見に、円璃花が2階に上がって来て部屋を覗いていた。
3人の様子を眺めてフフフッと微笑んだあとで、俺と目が合って、下に行くわね、と恐らく言ったのだろう、口をパクパクさせて人差し指で階下を指さして、そのまま階段を降りて行った。お父さんが寝る邪魔をしたら駄目よ、とでも言うつもりだったのだろうが、目を細めてカイアを見ている俺を見て、それを言うのをやめたようだった。
円璃花が卵おじやを作って持って来てくれた。さっきのは、下に降りるわね、じゃなくて、卵おじや作ってくるわね、だったか。
俺を含めて実家の家族がおかゆが嫌いな関係で(溶けた米の汁って不味くないか?味付けも薄いし)、我が家の体調が悪い時の病人食は、コンソメスープのキューブと塩で味付けした卵おじやと決まっている。なんなら体調が悪くない時にも食べたりもする。
円璃花にもよく作ったし、簡単なので、作ってきてくれたようだった。
「風邪薬、飲むでしょ?食べられるなら少しはお腹に入れないとね。お医者さまには行かなくてだいじょうぶ?」
「医者……いるのかな、この世界。」
「あ、そっか。いたとしても分からないかも知れないわね。古い時代みたいだし。」
「ああ……。」
俺は起き上がって卵おじやを食べることにした。するとカイアがベッドによじ登り、円璃花にどんぶりが欲しい、と身振り手振りで示したかと思うと、どんぶりを受け取って、ふうふう、あーんをしてくれるではないか。
「ありがとうカイア。あーん。」
「ピョルルッ!ピョルッ!」
俺が喜んだことで、カイアもとても嬉しそうだった。それを円璃花が微笑ましく見つめている。こんなことも出来るようになったんだなあ。大人のしていることを、ちゃんとよく見てるんだな、と思った。
「そういえば譲次、あなたこんな時にお世話して欲しい相手はいないの?」
と円璃花が聞いてくる。
「俺が頼むわけないだろ。」
「まあ、あなたはそうよね……。私の時もそうだったし。甘えるのが下手なんだから。
──待って、ということは、そう考える相手はいるっていうこと?付き合ってるの?」
するどいな。
「いや、ちょっと気になってる程度だ。」
「いくつくらいの人?」
「たぶん、30歳前後だと思う。」
「あら、いいじゃない。」
「よくないだろ。俺もお前も、今の体の年齢いくつだと思ってるんだ。どう見ても10代だろ。それに元の年齢からしても、年の差があり過ぎる。釣り合わんよ。」
俺はため息をついた。
「まあ、恐らく向こうの親御さんとのほうが年齢が近いでしょうね。」
「こっちは子どもを生むのが早いからな。下手すりゃ同い年だ。それに俺がそう思ってるってだけで、ほんとはもっと若いかも知れない。怖くて実際の年齢が聞けなくてな。」
「ああ、それは確かに、ちょっとね……。
28歳とかならギリギリまだ30過ぎるのを待てばいいけど、それ以下だと私たちの年齢でちょっかいかけるのは気持ち悪いわ。」
と腕組みをしながらうなった。
円璃花も俺よりはだいぶ年下だが、それでもいい年だから、30歳未満の男性にはちょっかいをかけない。俺も円璃花も、年下過ぎるのは付き合うにはちょっとキツイのだ。
自分の子どもの年齢に近い相手に手を出す大人は、生理的に気持ちが悪いと感じてしまう。相手の方から来たとしても、大人の側が断るべきだと思っている。その上で相手が諦めなければ、結婚するならいいと思う。
まあ、俺や円璃花ほど年の差に嫌悪感を持たない、年若い女性にちょっかいをかける男だって、体の関係だけなら若い相手を好むのだとしても、付き合うとか結婚となると、若過ぎるのは建設的な話が出来ないので、しんどいと感じてしまう奴が多いと思う。もしも若い子しか好きじゃないと言うのなら、そいつはただの病気か、女性に人格を認めず、そもそも話し合う気がないかのどちらかだ。
「──というか譲次、あなたコボルトじゃなかったら、アシュリーさんのこと、絶対好きでしょ。」
「よく分かったな。」
「美味しそうに嬉しそうに、ニコニコご飯を平らげる人が好きじゃない、あなた。
料理が好きな人もそうだし。
アシュリーさんいっつも幸せそうに、あなたのご飯を食べてくれるものね。」
さすが元カノだな。
「それと仕事持っててその仕事が好きで、ヒステリーを起こさない人よね。だから多分、今度の人もそういう人でしょ?」
「……まあな。実際確かに彼女は料理人だ。
食べるのが好きかは分からないが、自分の店を持ってるよ。カイアも懐いてるから、凄くいいな、とは思ってる。ただ、向こうが引くだろうな、今の俺だと。」
「……体は未成年だものね。そう考えると、まだ元の体の年齢の方がマシよね。年の差はあれどこっちが年上で、大人の男性だもの。
男の方がだいぶ年下で、しかも未成年なのは、女からするとかなりキツイわ……。
時間をかけるしかないわねえ……。異性として見て貰えるように。その時までその人が独り身でいてくれれば、の話だけど……。」
「店のお客さんたちにも人気があったしな。難しいだろうな。だからあまり深入りしない距離を保つようにしてるよ。せめて成人してからだな、この体で相手を探すのは。」
俺はナナリーさんの朗らかな笑顔を思い浮かべながらそうため息をついた。
大人は報われない感情の扱い方を覚えるものだ。困らせる相手にしゃにむに突撃していくようなことは、俺にはとても出来ない。
「それに相手の女性が、カイアのお母さんになってくれるつもりもないとな。カイアが母親として受け入れるかは分からんが、俺とその人の間に子どもが出来た時に、カイアのことを自分の子ども扱いするのが俺だけだったら、カイアを悲しませちまうし、新しく生まれた子どもの情操教育にも悪いだろう。」
カイアの頭を撫でてやりながら言う。
「まあ、それはそうね。お母さんにとって、この子はいらない子なんだ、なんて思いでもしたら、その子も歪みかねないし、優しいカイアちゃんが傷付いてしまうもの。」
円璃花がウンウンとうなずく。
「まあ、子連れの再婚みたいなものだな。俺としては、カイアと仲良くやってくれることが第一優先だ。これだけは譲れない。」
「確かにね。──あ、なら、譲次みたいに精霊か妖精を、自分の子どもとして育ててる人ならどう?子連れ同士なら、子どもたちが仲良く出来るなら、話も早いんじゃない?」
「まあ、そんな人がいればな。」
カイアがキョトンとして、不思議そうに首を傾げて俺を見ている。この話をしていた時点では、まさか本当にそんなことになるだなんて、まるで想像もしていない俺だった。




