第119話 瘴気の影響
「……チッ。女のくせに生意気な奴だ。女が職人の世界に入ってくんじゃねえよ。」
エイダさんが憎々しげに吐いた言葉に、リンディさんがビクッとする。まだまだこの世界は女性がつける仕事が少ないという。
職人の世界は現代でも、だいぶ参入が増えたとはいえ、女性が少ないしな。
こちらの世界は特にそうなんだろう。
「女が職人で何が悪いんだ。」
ランディさんがエイダさんを睨む。
「ほんとにそうだぜ。女が働くってんなら、素直に体売ってりゃいいのによ。
あんたよく見りゃ顔も体も悪くねえし、なんなら俺が買ってやってもいいぜ。」
ワッツさんが、ゲハハゲハハと笑う声に、リンディさんは拳を握りしめてうつむいて耐えているようだった。
男はそういう話を面白いことのように話す人たちが存在するが、彼らもそのてあいなのだろう。酒に酔ってるわけでもあるまいに、普通にこういうことを言う人たちがいるんだよな。正直気分が悪くなる。
「そうだな、あんたに仕事を奪われたんだ、それくらい相手してくれてもいいだろう?」
エイダさんはそう言うと、リンディさんの手首を無理やり掴んで、グイッと自分のほうに引きずり寄せようとした。
「いやっ!!」
リンディさんが身をよじって逃げようとするが、たくましいエイダさんはびくともしない。それどころか抱きすくめられてしまう。
「──嫌だと!?
俺が可哀想だとは思わねえのか!?お前がいなきゃ仕事が決まってたんだぞ!!」
エイダさんは嫌がって顔を背けるリンディさんの耳元で怒鳴りつけた。
「ふざけるな!妹を離せ!」
ランディさんがエイダさんの胸ぐらを掴んで、怖い顔付きで引っ張り上げた。
「──妹に謝れ!女が職人で何が悪い!!
お前みたいな男がいるから、女性がみんな苦労するんだ!女の人はみんな、命をかけて俺たちを産んでくれて、育ててくれる大切な存在なんだ!それをお前は……!」
「ランディさん、落ち着いて下さい!」
冒険者ギルドの職員さんたちと、職人ギルドの職員さんが、ランディさんとエイダさんを引きはがす。たぶん、こうやって肩を寄せ合いながら、小さい頃から妹を守ってきたのだろう。リンディさんが絡んだ時のランディさんは、大人しそうな見た目とは程遠い、妹を守るのだという強い意志を感じさせた。
「職人を目指すのだとしても、あなたはまだ冒険者ギルド所属です。私闘がされたいのであれば、闘技場で決着をつけて下さい。」
冒険者ギルドの職員さんがランディさんに声をかける。
「おい、俺は冒険者じゃねえぞ?」
エイダさんが眉をひそめる。
冒険者ギルドの職員さんに、後ろから羽交い締めにされながらも、まだエイダさんに掴みかかろうとするランディさんを見ながら、
「外に出て私闘をしたら、2人とも役人に逮捕ですよ。それでもよろしいですか?」
と言う冒険者ギルドの職員さんに、エイダさんが、仕方ねえな、とつぶやいた。
「冒険者だかなんだか知んねえが、あんなヒョロヒョロした坊っちゃんに負けるほど、俺は弱っちくはねえからな。
いいぜ、返り討ちにしてやるよ!」
「抜かせ!!」
我先に闘技場の上に上がるエイダさんに、ランディさんが吠えた。
冒険者ギルド職員が羽交い締めをとくと、ランディさんがスタッと闘技場の上に飛び上がり、エイダさんを睨んだあと、振り返ってワッツさんを睨み、
「次はあんただ、大人しく待ってろよ。」
と言った。おー、こわこわ、とワッツさんはからかうように笑った。
「相手は素人ですから、武器の使用は禁じます。魔法の使用は……ランディさんなら問題ないでしょう。
殺せる程の威力もありませんし。」
「冒険者ギルドの職員にもなめられてんじゃねえか!こりゃ楽勝だな!」
エイダさんが笑い、それに呼応するようにワッツさんが笑った。
「こいよ!大人に生意気な口をきいたことを後悔させてやる!」
「──妹に謝れ!」
ランディさんが多数のファイアーボールをエイダさんに投げつけた。
「わっ!あちちち!このっ!!」
ランディさんのファイアーボールが、エイダさんの髪や服を焦がす。
掴みかかろうとするエイダさんを、ランディさんが素早くよけると、後ろからスネに思い切り蹴りを入れたが、エイダさんはびくともしなかった。
「弱っ。なんだそりゃ。」
エイダさんは振り返って、ランディさんをベアハッグで抱き潰そうとした。
「うっ……、あああっ!!」
ランディさんが、あまりの痛みに思わず悲鳴をあげる。身をよじって抜け出そうとするが、ガッチリホールドされて抜け出せない。
「お兄ちゃん!!」
「お前の力じゃ逃げらんねえよ。今なら謝って妹を差し出せば許してやるぜ。逆らってごめんなさいってな……!!」
「妹に……謝れ!!!」
「ぐあっ!?」
ベアハッグで抱きすくめられたまま、ランディさんがエイダさんの顎に頭突きを入れ、そのまま何度も頭突きを繰り返す。
エイダさんは顎をおさえる為に、思わず手をはなし、ランディさんはその隙にベアハッグから逃げ出した。
「この……石頭が……!!」
「──謝れ!!」
顎をおさえて闘技場の石畳に片膝をつき、ランディさんを睨むエイダさんを、ランディさんが睨み返す。
「ちっ、お前らが喧嘩を売ってこなけりゃ、こんなことにもならねえのによ。
ちったあ悪いと思わねえのか?
あんくらい笑って流せねえ奴が、社会に出ようと思ってんじゃねえよ。」
ハラハラとランディさんを見守っていたリンディさんに、ワッツさんがそう言った。
リンディさんがビクッとする。自分の為に戦う兄の姿に、自分を責めてしまっているのかも知れなかった。
──……?
なんだ?あれ。
エイダさんの首の後ろから、にじみ出るように広がっていく、黒いモヤのようなもの。
「俺たちはさんざっぱら苦労してきたんだ。
……なんでその俺たちが評価されねえ。
くそったればっかりだぜ。エイダだって、なんであんな痛い思いをさせらんなきゃなんねえんだ?それもこれもお前らが……。」
そう話すワッツさんの首の後ろからも、ドロリとにじみ出るように、黒いモヤが広がっていく。あれは……。──瘴気か!!
それに気が付いた冒険者ギルドの職員さんたちや、冒険者たちもざわつきだした。
「瘴気です!あのくらいであれば、まだ聖水で払えます!すぐに教会に行って下さい!」
声をかけられ、若い職員が走り出す。
「ランディさん!あなたも今すぐ逃げて下さい!瘴気が広がってしまったら、近くの人から瘴気にとりつかれてしまいます!!」
初めて瘴気を目にしたのか、怯んだままランディさんはその場に固まってしまった。
──あの程度の瘴気なら、カイアの力を借りなくとも、俺でも払えるんじゃないか?
俺は一度、カイアの兄弟株である、コボルトの集落にいるドライアドの子株の瘴気を、少しだけはらったことがある。
それに聖水だって出せる。やるしかない。
俺はそっと、闘技場を見守っているワッツさんの後ろから近付いた。
「──被害者に、加害者意識を植えつけようとするのは、どうかと思いますよ。」
俺はワッツさんの後ろから、マジックバッグからさも今取り出したかのように出した聖水を首筋にぶっかけて、それを首全体に塗り拡げるようにしながら念じた。
はがれろ!瘴気よ消えろ!!
「ぐがっ!?がっ……!?」
ワッツさんの首から、ドロリと黒いモヤがはがれて、サーッと空に飛んで行った。
「俺は聖水を持っています!ランディさん!エイダさんを取り押さえて下さい!!俺が後ろにまわるので、前からお願いします!」
「え?あ、は、はい!!」
呆然としていたランディさんは、俺に声をかけられて、はっとしてエイダさんの胴体に両腕をまわし、進もうとするエイダさんの進路を塞いでくれる。
「ハ……ナ……セ……!!」
エイダさんのほうが先に瘴気に取りつかれてたからなのか、様子が少しおかしい。
「エイダさん!今助けます!」
俺は闘技場の上に急いで上がると、エイダさんの背後に回りこみ、ワッツさんの時と同じように、聖水を首筋にぶっかけて、それを首全体に塗り拡げるようにしながら念じた。
「ガ……、ガアッ……!!」
「エイダさん、こらえて下さい!!
瘴気になんて飲み込まれたら駄目だ!!」
先程まで戦っていたランディさんが、エイダさんを心配する様子を見て、一足先に正気に戻ったワッツさんが目を見開く。
「お前……。」
「くっ……!!おさえきれない……!!」
手遅れだったのか、エイダさんは物凄い力で、ランディさんごと前に進み出す。
「もう1本いきます!ワッツさん!エイダさんをおさえていて下さい!!」
俺はワッツさんに頼んだ。
「わ、わかったぜ!!」
「エイダさん、負けないで下さい!」
「エイダ!しっかりしろ!!エイダ!!」
ランディさんもワッツさんも、エイダさんに声をかけながら、ラグビーのスクラムのようにエイダさんを押し戻そうとしている。
「エイダさん!戻ってきて下さい!!
みんな待ってます……!!」
俺は聖水を首筋にぶっかけて、それを首全体に塗り拡げるようにしながら再び念じた。
はがれろ!どっかいっちまえ!!
「ガアッ……!!あっ!ああっ!!」
叫び声とともに、エイダさんの首から、ドロリと黒いモヤがはがれて、サーッと空に飛んで行った。そこに教会から貰った聖水を両手に握りしめて、冒険者ギルドの職員さんが戻って来た。瘴気のはがれる様子を見て、状況が飲み込めずにキョトンとしている。
「お、俺は……、いったい……?」
「エイダ!良かった!
お前は瘴気に取りつかれていたんだ!」
涙目で笑顔になるワッツさんに、
「ワッツさんもですよ?」
と冒険者ギルドの職員さんが言う。
「──お、俺も?」
ワッツさんは自分では分からないらしく、本当か?とでも言いたげに、周囲の人たちの顔をキョロキョロと見渡すが、ワッツさんと目があった人たち全員がこっくりとうなずくのを見て、ようやく納得したらしい。
「なんで俺はまだ闘技場の上にいるんだ?
試験はもう終わったはずだろう?」
不思議そうにしているエイダさんに、
「覚えてないんですか!?」
ランディさんが驚いて目を丸くする。
「瘴気に取りつかれた人間は、その間の記憶がありません。瘴気に意識が乗っ取られているのだと考えられています。」
かわりに冒険者ギルドの職員さんが、ランディさんに説明してくれる。
「……ですが、瘴気にとりつかれてる人は、病気で弱っている人と、心が浅ましい人とも言われています。あなた方は健康ですから、あなた方の心に反応したのでしょうね。」
職人ギルドの職員さんが言う。
「……そうか。俺たちのせいか……。」
エイダさんはがっくりとうなだれている。
「──エイダ!ジョージさんと、こいつが助けてくれたんだぜ!!」
ワッツさんがそう言って、笑顔でランディさんを指さした。
「──あんたが?」
問いかけるエイダさんに、ランディさんがこっくりとうなずいた。
「そうか……。すまないな、迷惑をかけた。助けてくれてありがとう。」
素直にお礼を言うエイダさんに、ランディさんが目を丸くする。
「エイダさん、ワッツさん、──俺の妹に狼藉を働いたことは覚えていますか?」
そう尋ねられて、エイダさんはキョトンとしていたが、ワッツさんは、
「俺は……、なんとなく覚えているよ。
あんたの妹に酷いことを言った。
あんなの、酒の席で男同士でする話だ。
女に直接言っちまうなんて……。」
ワッツさんの様子に、
「俺も……、言ったということか……。」
とエイダさんが言った。
「言っただけじゃなく、エイダさんは無理やりリンディさんを連れて行こうとしたんですよ、乱暴目的でね。瘴気に取りつかれていたからだと分かりましたが、もともとそういう考えがない人ならしないんだとも思います。
瘴気にとりつかれる理由を聞く限りは。」
エイダさんは俺の言葉を聞いて、ハッとしたようにリンディさんを見た。
「そうだったのか……。瘴気に取りつかれていたからは言い訳にならねえな……。
確かに酔っ払うと、俺は普段からそういうところがあるよ。俺なんかに謝られたくもないだろうが、あんたに怖い思いをさせてしまった。──本当にすまなかった。」
そう言って、リンディさんに深々と頭を下げた。リンディさんは、なんと答えたものか困っているようだった。
たぶんこの人たちは、普段は普通の人なのだろう。俺は酒に酔った時の姿が、その人の本性だと思っているから、それと同じに、瘴気に取りつかれると、隠していた本性が表に出てくるということかも知れなかった。
だが、普段がきちんとしているのであれば仕事の上では問題ない。おそらくそういう人が世の中の大半だと思う。まったくのいい人なんて極わずかだ。みんな日々の不満や欲望を押し殺しながら生きているんだ。
「──ランディさん、リンディさん。」
呼びかけた俺に、2人がこちらを向く。
「お休みがないのは大変ですよね?」
「……?そうですね?」
俺の意図が分からないランディさんが、あいまいに返事をする。
「たとえばお2人のうちのどちらかが、または両方が病気になったりしたら、うちのハンバーグ工房は全体の仕事が止まります。」
「確かに……。そうだと思います。」
リンディさんが答える。
「──そこでどうでしょう?お2人の補助として、この2人を雇うというのは。
もちろんお2人が一緒にやりたくないと言うのであれば、その限りではありませんが。
お2人次第です。」
それを聞いて目を丸くしたのは、ワッツさんとエイダさんだ。
「お、俺たちも雇ってくれるのか!?」
「本当か!?」
「ランディさんとリンディさん次第ですよ。
お2人はどうされたいですか?」
ランディさんはワッツさんとエイダさんを見て、少し考えたあとで、
「僕は……、妹次第です。」
と言った。
ワッツさんとエイダさんが、すがるようにリンディさんを見ている。
「申し訳ないだとか、2人が自分のせいで仕事につけないだとか、そこに責任は感じないで下さい。仕事が決まらないのは、本人たちの問題なので。決まらなくても、リンディさんのせいではありません。」
リンディさんは、しばらくうつむいて逡巡したあとで、
「……心から、悪い人たちではないんだと思います。もちろんいい人たちでもないと思いますけど……。でも、お2人の技術はとても素晴らしかったです。一緒に働けたら、心強いと思います。もう二度と女性に乱暴しないと誓ってくれるのなら、私も構いません。」
「では、決まりですね。お2人にもこれを。
補助ですので、年俸は大金貨2枚と中金貨5枚とさせていただきます。働き次第で昇給もありえます。家はどうしますか?」
俺はワッツさんとエイダさんにも、ミーティアとリーティアをそれぞれ渡した。
「じゅ、じゅうぶんだ。」
「借りたい。お、お願いします。」
「家は別々ですか?」
「一緒に住むだろ、ワッツ。」
「ああ。そのほうが貯金出来るしな。」
「分かりました。」
ワッツさんとエイダさんは、お互い顔を見合わせてうなずくと、ランディさんとリンディさんの前に恐る恐る近寄った。
「その……。よろしく頼むよ。」
「二度とこんなことはしないと誓う。」
ワッツさんとエイダさんは、ランディさんとリンディさんに手を差し出した。
「頼りにしてます、先輩。」
ランディさんがワッツさんの手を握り返しながら微笑む。
「せ、先輩?」
ワッツさんが思わず動揺している。
「解体職人としては、先輩ですから。」
「そ、そうか。へへ……。」
ワッツさんは照れくさそうに笑った。
「色々教えて下さいね。」
リンディさんもエイダさんと握手をしながら笑っていた。
「もちろんだ!あんたは若いのに大したもんだよ!正直俺があんたくらいの時は、もっと下手くそだったぜ。……少し悔しかった。」
リンディさんと握手をした反対の手で、エイダさんがポリポリと頬をかく。
だからエイダさんが先にとりつかれちまったのかも知れないな。
雨降って地固まるじゃないけど、この4人にしこりが残らなくて良かったなと思った。
さて、職人も決まったことだし、ハンバーグ工房の工房長をスカウトしに行くか。




