第1話 帰る場所のない者たち
五十年前。
討たれた魔王は死の間際、自らの力を無数の欠片として世界へ放った。その力を宿し、例外なく赤い瞳を持つ者たちは「呪い子」と呼ばれ、恐れられた。
◇ ◇ ◇
「今日も駄目だったわね」
王都近郊の町。昼下がりの噴水広場で、リーシャは深いため息をついた。
腰まで伸びた金髪に、深緑のマント。そして呪い子の証である赤い瞳。
視線の先では、同じく赤い瞳を持つ青年が噴水の縁に寝転がっていた。長い金髪と擦り切れた外套。背には一本の長剣。ダミアンである。
「聞いてる?」
「聞いてる」
「仕事、全部断られたのよ」
「そうだな」
「そうだなじゃないの」
朝から荷運び、店番、倉庫整理と回ったが、赤い瞳を見られた途端に追い返された。最後の食堂では、注文する前に扉を閉められた。
ぐうぅぅぅ。
盛大な腹の音が響いた。
「……腹減った」
「私もよ」
「飯くらい食わせてくれてもいいと思うんだが」
「それには同意するわ」
旅費は持っている。それでも、金を払う機会さえ与えられない。
二人にとっては珍しくもない日常だった。
「生きづらいな」
「今さら?」
「今さらだな」
その時、小さな声がした。
「お兄さん」
十歳ほどの少女が、紙袋を抱えて立っていた。少女はダミアンの赤い瞳を見ても後ずさらない。
「お腹空いてるの?」
「空いてる」
即答だった。
少女は丸パンを二つに割り、大きい方を差し出した。
「はい」
「お前の昼飯だろ」
「半分あるから平気」
周囲の大人は赤い瞳を見るだけで顔を背ける。それなのに少女は、空腹の旅人へパンを渡すことを特別だと思っていない。
ダミアンは静かに受け取った。
「ありがとう」
「どういたしまして」
少女が笑った、その瞬間。
「期限は昨日までだ!」
丘の上から怒声が響いた。
「払えないなら土地を明け渡せ!」
少女の顔色が変わる。
「院長先生……!」
少女が走り出す。ダミアンも立ち上がった。
「行くの?」
「行く」
「知ってた」
リーシャも後を追った。
◇ ◇ ◇
孤児院の門前では、数人の男が年老いた院長を囲んでいた。中心にいるのは、頬に傷を持つ大柄な男だった。
「もう少しだけ時間をください」
「待たねえ。期限は終わりだ」
ダミアンが前へ出た。
「借金か?」
「なんだ、お前」
「いくらだ」
男は鼻で笑った。
「銀貨二百四十枚だ。払えるのか?」
ダミアンは腰の革袋を外し、そのまま投げた。
男は中身を数え、表情を固める。
「……足りてる」
その場に静寂が落ちた。
リーシャがゆっくりダミアンを見る。
「今の、私たちの全財産よね?」
「そうだな」
「そうだなじゃないのよ!」
「困ってただろ」
「だからって全部払う!?」
「払ったな」
「そういう話じゃない!」
子供たちから小さな笑いが漏れた。
だが、金を得たはずの男だけは笑わなかった。むしろ、予定が狂ったように顔をしかめている。
「帰るぞ」
手下の一人が戸惑って尋ねた。
「ギャランさん、これで終わりですか?」
「知らねえよ。こんな話、聞いてねえぞ……」
ギャランは口を滑らせたことに気づき、怒鳴った。
「何でもねえ! 引き上げるぞ!」
リーシャは去っていく背中を見つめた。
借金を返されて困る借金取り。明らかに何かがおかしい。
◇ ◇ ◇
夕方。二人は孤児院の食堂で、ようやく温かい食事にありついた。
「本当にありがとうございました」
院長が何度も頭を下げる。
「気にするな」
「こっちは全財産を気にしてるんだけど」
リーシャが睨むと、院長は困ったように笑った。
「せめて今夜は泊まっていってください」
リーシャは窓の外を見た。風もないのに、庭の草木が落ち着きなく揺れている。
「泊まった方がいいわ」
「何かあるのか?」
「分からない。でも植物たちが怯えてる」
ダミアンは頷いた。
「なら泊まろう」
◇ ◇ ◇
町外れの廃倉庫。
ギャランは机を蹴り飛ばした。
「払われるなんて聞いてねえ!」
孤児院に金はない。借金で追い込み、土地を奪う。それが依頼だった。
机には、孤児院と周囲の森林、水源、荒れた農地まで記された地図が広げられている。
「計画変更だ」
手下たちが顔を上げる。
「今夜、孤児院を燃やす」
「燃やすんですか?」
「建物が消えりゃ、土地だけ残る」
ギャランは松明を手にした。
窓の外では黒雲が広がり始めていた。嵐の前触れのように。




