まさかの入学式
ピッ、ピッ、ピッ、フィロンフォン! ガシャ!
「え?」
思わず声が出た。目の前で改札のゲートが無情にも閉じてしまったから。
入学式の朝だというのに、不吉だなんて思わないさ。
そう自分に言い聞かせて、背後から突き刺さる舌打ちなんて気にしないよ。しょうがないじゃん、怒らないでよ。
そうして、後ろのお兄さんにおびえながらもう一回、ICカードをタッチしたら通れた。都会の洗礼だと思うことにした。
あぁ!もうっ!
人、人、人!東京って、こんなに人がいるものなの?!
スキーリゾート地の隣にある、農村と言っていいいような街から来た私には、まるで巨大なダンジョンの中に迷い込んだみたい。
ゲームは、やったことないけど、ライトノベルは嗜みます。剣と魔法の世界、楽しいよね。
人の流れに乗ろうとしているのに、突進してくる鮮やかな青い色の魔物が来た。
よく見たら、スマホ見ながら歩く、高校の制服みたいな服を着た青い髪の女子だ。女子高生よね。都会は髪色とか自由なんだねぇ。
ふと、目の前の動く岩みたいなおじさんが、突然止まってぶつかりそうになった。美味しそうなおにぎり屋さんに気を取られたのね。
老若男女が並ぶ列の先には、緑に白抜きの人魚が描かれたマーク。
あれ知ってる。都会で流行っているカフェでしょ。北海道でも札幌とか都会にはあるけれど、注文が難しそうで、入るのを断念したんだった。
東京でも、注文カウンターにたどり着くまでにこんなに長い列があるなんて、知らなかった。
ダンジョン内で、魔物が現れないというセーフティエリアに繋がっていたりして。
もしくは、あのオシャレな飲み物が1日の活力になるポーションなのかも。
そんな風に人混みを歩くストレスから現実逃避をしている私が今いるのは、亀満駅。
東京の湾岸、城南区梅洲にある、医療特区として注目されているエリアだ。
期待と不安で胸がいっぱいなのに、歩くだけで精いっぱいなんて!
人にぶつかったり押されたりしながら先に進んで、ようやく改札から駅ビルの反対側にたどり着くころには軽く息が上がっていた。
亀満、なめてた。新宿や渋谷ほどじゃないだろうと。そんな大都会は、修学旅行で行っただけだけれども。
それでも入学式まで時間には余裕がある。農村の朝は早いからね。
我が家は農家じゃないけど、早起きは得意なの。
ここから大学まで、水上バスだと、10分ぐらい、歩いたら約30分。
水上バスに乗ったら300円以上もかかっちゃうし、これは、歩くしかないでしょ。
バスを待つ時間もバス代も節約できるなんて、私って天才かな。
「こら!海翔!待ちなさい!」
「母ちゃん、遅いよ~」
「どぅおっ」
どこかからお母さんと子どものやり取りが聞こえてきたなぁと思ったら、背中に衝撃を感じて変な声が出て、うっかり転んだ。いろんな意味で恥ずかしい!
「すみません!お怪我はないですか?ほらっ!あんたも謝んなさい!」
「…ごめんなさい」
小学校に上がる前ぐらいかな。このぐらいの歳で、初対面の人にちゃんと謝れるって、えらいねぇ。地元の子ども達なら、謝りもせずに逃げるだろうなぁ。
「大丈夫ですよ」
恥ずかししいから、とりあえず、この場を可及的速やかに去りたいし、私の存在を消してしまいたい。
「ちょっと!膝から血が出てるじゃない!……リクルートスーツ着てるってことは、もしかしてこれから入学式?何学部?」
あれ?なんでバレたのかな。
「私、病院職員なのよ。桑原と言います。
看護学部?じゃ、後輩だ。よろしく。そんなことより、膝よ!ストッキングも破れちゃったし、そこのコンビニで弁償させて。
血も出てるから、水も買って傷をきれいにしましょう」
その後、遠慮する間もなく、コンビニに寄った。
朝食にって、おにぎりも買ってくれた。
ついでにゲームキャラクターのシールがおまけについているチョコをかごに放り込んでげんこつをもらっていた海翔君。
めげないねぇ、君。
さらに保育園まで連れてきてもらって、傷の手当とストッキングの着替えができるのは、助かったけど、良かったんだろうか。
保育園の先生もニコニコしているけど、朝の準備中だよね。
「ストッキング脱いで、そこの水道で傷のところを洗い流してくれる?
できれば、泡石鹸もつけて。怖かったら、私がやるよ」
「……おねがいします」
ひざの傷は意外と血が出ていて、皮膚がペロッと剥けていた。
転んだ恥ずかしさで実感していなかったけど、傷をちゃんと見たら急に痛みを感じてきた。
触らなければ痛くないけど、自分で洗うのは、ちょっと自信がなかった。
「ちょっと痛いかもしれないけど、我慢してね」
そういう声はすごく優しいけれども、手つきは容赦がなく、こびりついた血液も泥もキッチリ洗い流してくれた。
泡石鹸がしみた。涙もちょっと出た。
「ごめんね。転んだのが道路だったでしょ。
ま、どこで転んでもだけど、傷はちゃんと洗浄しないと、感染したら治りも遅くなるし、キレイに治らないからさ。
ちょうど、ドレッシング材を持っていてよかったわあ」
桑原さんは、カバンの中のポーチからベージュ色のシートのようなものやハサミを取り出した。
ドレッシングって、サラダにかけるアレかと思ったけど、このシートのことなんだって。
桑原さんは、ドレッシング材を傷よりも二回りぐらい大きく切って、さらに角を丸く切り落とした。
それを洗った後にティッシュで押さえて水分を吸い取った傷の上に貼って、掌でそうっと押さえてくれた。
温かいなぁと思っていたら、その上から透明のフィルムをベージュのシートよりもさらにひと回り大きく、同じように角を丸く切って貼ってくれた。
「お風呂はこのまま、入っちゃっていいよ。1週間ぐらい貼りっぱなしでも良いんだけど、浸出液が多そうだから、しばらくは1日1回の貼り換えかなぁ。手順見てたから、できそう?」
「……やってみます」
私はドレッシング材と透明のフィルムを貰って、使い方を教えてもらった。
ちょっと、自信ないけど。出来るよ、たぶん。
コレを貼った方が、早く綺麗に治るって言われたら、やりますよ。それに、貼ってもらってから痛みが減ったような気がするし。
桑原さんは大学病院へ出勤だそうで、一緒に保育園を出た。
保育園の窓から手を振る海翔君、かわいかったなぁ。
桑原さんと別れた後、入学式の看板の前で写真を撮って家族に送るというミッションを思い出した。
ところが!急に声をかけられて、病院までの道を訊ねられた。
おばあちゃん、困ってそうだったから大学病院の外来棟まで地図アプリを見ながら送り届けた。
「ありがとう」って何度も言ってくれて、胸がほっこりした。
その時、ふと、腕時計を見ると入学式の開始時間だった!そう、受付時間じゃなくて開始時間!
走ったね。
いや、ドレッシング材、いい仕事してくれたよ。全然痛くない。
おかしいなぁ、余裕で会場に着く予定だったのに。
結果をご報告しよう。遅刻した…と思うでしょ?!ところが!間に合ったのですよ。
神は私を見捨てなかった!
看護学部長のありがたいお言葉を、途中から舞台袖で聞いているけれどもーー。
学長の話は、既に終わったらしい。でも、間に合ったのよ。聞けているんだから。
「皆さんは、今日から看護職を目指すことになります。ナースの手前、プレナースです。
プレナースとして、皆さんは、学内で、実習先でたくさんの経験をするでしょう。
残念ながら、楽しいことだけではないと思います。辛いことも、ちょっぴりあるかもしれません。それでも、その辛さを超えることで、皆さん自身の成長を実感すると思います。
ようこそ!看護の道へ。
私たち教職員一同、皆さんが卒業するまで、いえ、卒業してからも支援をします。
改めまして、新入生の皆さん、保護者の皆さま、ご入学、おめでとうございます!」
途中からだと思った学部長のスピーチは、最後の締めの言葉だった。
会場には、意外にも保護者と思われる人がいっぱいいた。
学生は前の方に座っている、リクルートスーツの若者たちだと思われ、その後ろにたくさんの保護者が居ることにびっくりした。大学なのに。
だから、ウチの家族も来たがったのか。東京観光をしたいだけだと思って断って悪かったなぁ。
そんなことを考えていたら、司会をしている学務課のおじさんが、おもむろに私の名前を呼んだ。
「続きまして、新入生、誓いの言葉。看護学部、相良紀亜!」
終わった。私のスピーチも、入学式も。
そして現在、大学の先生で、お兄ちゃんの友人でもある渡来先生に会場のすみっこで叱られている。
「新入生の誓いの言葉の担当だってわかってたでしょ。何で早く来ないの!心配したんだよ!」
はい、すみません。もう、それしか言いようがないよねぇ。
早くお小言が終わらないかなぁ、入学式の看板、まだ残っているといいなぁ、と思っていると、白衣の人が近づいてきた。
「渡来先生、そんなに叱らないであげて。ウチの息子がケガさせちゃったのよ。手当や何やらで時間を取っちゃったの。その上、道案内までしたみたいよ。外来スタッフが言ってた」
桑原さんだった。救世主!私をお小言地獄から救い出してくれた勇者だわ。ありがたい。
とはいえ、何故、おばあちゃんを案内したことまで知っているの?
そう思ったら、私が案内したおばあちゃんが外来看護師さんに伝えたんだって。それを外来師長の桑原さんが聞いて、心配してお昼休み使って入学式会場まで見に来てくれたらしい。
「あれ、星野さん?ああ、大学院生も今日が入学式なのね」
「桑原師長さん!どうしたんですか?ああ、外来師長としての出席ですか?
仰るように大学院の入学式も合同ですけど、私の場合は、姪っ子の保護者の側面もあります」
桑原さんが呼び止めたのは、新入生の私たちとは明らかに違うスーツの着こなし。大人の魅力みが漏れ出ている美人さんだ。真っ赤な皮のトートバックが似合ってて大人っぽい。
その美人さんは、桑原さんのお知り合いの病棟看護師さんで、お仕事しながら大学院に通うんだって。
私からしたら、何だか雲の上の話だね。
ぼんやりしていたら、横からその美人大学院生こと星野さんに似た顔の、リクルートスーツ女子に声をかけられた。
「ミコちゃん、私、外で写真、撮ってくる。あなたも来る?私、星野芽衣」
「行く!誘ってくれてありがとう!じゃ、渡来先生、また!」
「あ、こら!」とかなんとか叫んでいるカナちゃんこと渡会奏先生を置いて、私たちは駆け出した。
そうして、救いだされた私は、入学式の看板前で写真を撮る列に並ぶことができた。
みんな、ご家族と一緒に撮っていて、急に寂しくなってきた。やっぱり、来てもらったらよかったなぁ。
いや、あの兄が来たら、大騒ぎになることが目に見えているので、これで良かったのよ。
「あなた、入学式で、スピーチしてた人よね。私、白石舞歌。よろしく!」
「ホントだぁ!新入生代表ってことは頭いいんだねぇ。私、五十嵐真緒」
「河口、絹恵です」
「僕、吉岡和希。ヨッシーって呼ばれてる。みんな予備校で一緒だったんだよ」
「みんな推薦だから、クリスマス前に離脱したじゃん!私なんか、ギリギリまで大変だったんだから!
中西愛実です。補欠だけど、入学したら同じよね。よろしく!」
おお、急に囲まれた。でも、ボッチよりはずっといい。一緒に看板前で写真を撮ることになった。
「こーへー!一緒に撮ろうよー」
ヨッシーが急に大声を出したと思ったら、すらっとしたイケメン君が通りがかった。
「俺はいい」
イケメン君は、そのまま通り過ぎて行った。
何だか、ヨッシーとは対照的なぐらいに愛想がない、というか、暗い。
「彼、尾崎康平君。医学部を目指したんだけど、入試当日に体調不良で受けられなかったみたい。看護の方に来たんだね」
尾崎君もみんなと同じ予備校の別コースに通っていて顔見知りだったようで、白石さんが教えてくれた。
「ノリの悪いのは置いといて、写真撮ろう!何枚か撮るよ。笑ってー!」
カシャ。
その日、みんなで撮った写真。オーダー通りに兄へ送った。
兄はそれをプリントアウトして、部屋に飾ったらしい。
正直、ウザイと思った。本人には言わないけど。




