ユメの別世界暮らし
大きく深呼吸をする——。
ベッドから起き上がり、軽く顔を洗い、寝巻から着替える。いつも通りの朝の流れをこなしていく。
何一つ変わらない平和な日常。
ルーティーンを終え今、外で日光を浴び、目を覚ましているところだった。
ネガティブな考えを追い出すように、額を拳で小突いた後、ゆっくりと息を吐く。
今日も今日とてハッピーな一日にしようと意気込み、空を見上げた。
新鮮な空気を味わいながら軽くストレッチ。
「————」
気持ちを切り替え、少年は自分が今さっき出てきた建物を振り返る。
村の中心から少し離れとところに立つ、木組みと石造りの中世風な二階建ての建物。扉の上部に施された装飾が目を引く。
ここが少年の現在の住処だ。
住処とは言っても、厳密には彼の家ではない——。
「アイトくーん、朝ごはん用意できたよ。
……アイトくーん!」
前掛けを身に着けたおばさんが、扉を開け少し身を出しながらこちらを呼んでいる。
温かい声と表情は聞くものを安堵させてくれる、そんな雰囲気を宿していた。
よそ者であった彼もその温かさのおかげか、今では肩肘張らずに接することができている。
「……あ。——今行きます、トルナおばさん!」
軽く手をあげながら、そう返事をする。
村の世界観にはまるでそぐわない黒いパーカー姿の少年、遠い世界から迷い込んだその少年——白月菫石は食事処を営む熟年夫婦のお世話になっていた。
否、迷い込んだというのは正確ではない。
菫石は長い間望んで望み続けて、やっとの思いで別世界に辿り着けたのだから。
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ミリナ村。人口は千数百人ほどの中規模な村で、周りは森に囲まれており自然豊かで気持ちのいい土地だ。
田舎の地域ではあるが、少し離れたところに大きな都市があるおかげかインフラもある程度整っていて、あまり不便はない。
オレはこの村で第二の人生を味わっていた。
「どう?新しいメニュー作ってみたけど口にあうかな?」
「はい!めちゃ美味しいです!これって前に話してた…?」
「そうそう!アイト君考案の......“はんばーがー”だったっけ?
都市の方に似たような食べ物があったから、それを参考に作ってみたの」
笑顔でそう答えるのは、トルナおばさん。
オレがこのミリナ村に来てから、いろいろと面倒を見てくれている恩人の一人。
夫婦でごはん屋『トバ食亭』を営んでおり、この建物は住居兼飯屋として使われている。1階がお店、2階が部屋といった具合だ。
その服装からも想像がつくように、トバ食亭の調理は、主にトルナおばさんが担当している。
もう何度も見た風貌だが、いつ見ても思わず目が引かれるものがある。
その調理着には似つかわしくない、彼女の左手首につけられたほんのり華やかなブレスレットみたいな装飾具だ。
オレはそれを見るたび、なんだかソワソワした気持ちになる。
理由は後々わかるだろう。それより…...
「こっちにもあったのか…」
少し前に、トルナおばさんと2人で話していた時にオレが提案した“ハンバーガー”。今日の朝食はそれを作ってくれたらしい。
この村で用意できる食材で作れそうだったし、オレも普通に好きだったし、ってことで提案してみたが…...
この世界にも既に似たような食べ物はあったんだな。
異世界に来てやりたかったことリスト『元の世界の食文化を持ち込む』を達成したと言っていいのかは微妙なラインだ…。
まあ達成したことにしよう、その方が気分がいいし。
「ん、これ…...」
味わっている最中にふと違和感がよぎる。
その違和感を確かめるために、今度は最初の一口よりも大きくかぶりつく。
やはり。
ボーっと脳死で口に運んでいたので気づくのが少し遅れたが、想定していたものとは違う食感が口に広がる。
そして違和感の正体を言葉に出そうとした途端、トルナおばさんがそれを遮る。
「あ、ちなみに中に入れるお肉は、ぱてぃ?じゃなくて素焼きの肉にしてみたの。
こっちの方が手間もかからないし…...」
「うん、これはこれで美味しいですよ!」
ハンバーガ—の中身は、パティでもなければハンバーグでもなく、食べやすい大きさにカットされた焼き肉だった。
ほんのりスパイス香る肉とシャキシャキのレタス、甘酸っぱいトマト。そこに自家製のソースをかけて、パンで挟んである。
少しピリ辛で濃厚なソースだが、野菜がさっぱりと中和してくれていて、とても美味しい。
……美味しいが、これはハンバーガーというよりサンドイッチ寄りかもしれない。
まあどっちでもいいか。
ちなみに、この世界の食べ物の名前だが、オレのいた世界と同じ名前がつけられているものも多い。
世界を飛び越えやって来た者としては、覚えやすくて助かる。
以前の世界と同じ名称がついている食べ物は、多分どんな世界であってもその名で呼ばれる運命だったんだろうな、きっと。
ボケーっとそんな取るに足らないようなことを考えていると、
「よう、おはよう!アイト!」
店の奥からガタイのいい男が、力強い声で挨拶しつつ姿を現した。
「お、おはようございます。
…ってか、いきなり大声で現れるのもうやめてくださいって!」
「すまんすまん、最初の頃のびっくりした顔が忘れられんくてついやりたくなるんやわ!」
オレは内心少し驚きながらも、挨拶を返しつつ冷静にツッコむ。が、屈強な男にいつも通り豪快に笑い流された。
死角からいきなり巨漢が現れるのでたちが悪い。こうしてたまに驚かそうとしてくる。
パートナーと『お揃い』の装飾物を右手首に光らせながら、挨拶ついでに強めにオレの肩を叩いて「目ぇ覚めるやろ?」と楽しそうに笑う大男。
——ちょっと痛い......。
(オレも似たような腕輪みたいなの買ってきて勝手に3人オソロッチにしてやるぞこの野郎!……。
なんつって......)
……………
………
…
はあ......。何言ってんだオレ。
いかにも制御不能そうなこのエネルギッシュなおじさん。
何を隠そうこの人こそ、オレがこの世界に来てから面倒を見てくれているもう1人の恩人、バルドおじさんだ。
この人がいなかったら、オレの第二の人生は即終了していたといっても過言ではない。
というのも、オレがこの世界へ来た時立っていたのは、人気のない静かな森の中だったからだ。地図で一面緑に塗られていそうな感じの場所。
そんな右も左もわからない所で時間帯は夜、おまけにどこかでぶつけたのか、首の後ろ辺りが痛かったのも覚えている。
いつ獣やら盗賊やらに襲われてもおかしくはない。
早速詰みそうな状況だなぁ、と途方に暮れていた時、背後から『こんなとこで何しとんや?』と声が飛んできた。
人の声に安心したのも一瞬、振り返ると熊のような体躯が立ちはだかっていたので、思わず身を固くし命の終わりを悟った。
『ガハハ!なんちゅう顔しとんねん!』と肩を叩かれ気を取り直したが、今思うとあの一撃でポックリ逝かなかった自分を褒めてやりたい。
そんな一連の流れがバルドおじさんとの出会いだった。
軽く事情を話すと、快く村に案内してくれて、さらには行く当てもないオレを家に招いてくれた。
こうして新たな人生の幕を切れたのは、間違いなく彼のおかげなのだ。




