第92話 進言
「失礼します」
『水姫様、ようこそいらっしゃいました!』
なに……?
なんなのこの歓迎っぷり……。
出迎えてくれたのは、ダニエルだった。
出会った当初の控えめな彼は今は不在らしく、両手を拡げて気味が悪いくらいにウエルカムモードな彼がいた。
『ダニエル。水姫が怖がっているだろう』
溜め息交じりに注意をしたのは、机に向かう大人の水龍さま。
そういえば仕事してる姿は初めてみるかも。
なんというか……。
できる男に見える。
でも子供に退行してた時の『お父さんの執務机に座ってみた!』……風の水龍さまが名残惜しい……と思うのは私の目が曇ってるのかな?
望んじゃいけないのは分かっているけど、もう会えないと思うと寂しい気持ちが湧いてくる。
水龍さまとは顔を突き合わせていても、ほとんど思念体だし、この国にきてからも起きた!……と思った数時間後には子供に変化してたもんねぇ。
元に戻ってから食事を一緒にしたけど、マナーに気を取られて正直、水龍さまとどんな会話をしたのかあまり記憶にないんだよね……。
「えーっと。私は隣の部屋で書類整理をしていますね」
『いえいえ、ここで良いですよ』
指し示されたのは執務室の中のソファ席。
「いやいや、ここではお邪魔になってしまいますから、私は隣室で十分です」
『邪魔なんてとんでもない! むしろここで仕事をして下さい!』
お偉いさんばかりくるこの部屋にずっといるなんて、絶対無理! 息が詰まる。
ましてや顔を上げたら、その視線の先にはイケメン水龍さまがいるとか、落ち着かない。
『ダニエル……強要するな』
『…………はぁ。わかりましたよ〜』
不貞腐れたような溜め息をつくと、無言で隣の部屋のドアを開けてくれた。
えーー。意味がわからない。
一抹の不安をおぼえながらも、書類整理に没頭していると、ほどなくして隣の部屋から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
あれっ? この声って……
でも覗くなんてはしたないことは流石に出来ないし……。
そう思っていたところに、ガチャリとドアが開いた。
『姫!』
「ロスーー」
そう、声の主は騎士団長のロスの声だった。
『姫、元気だったか?』
「うん元気だよ。ロスはどう?」
『もちろん元気だ。なかなか部屋に行けなくてごめんな。サンボウ達から夜に一人で行くのは絶対ダメだ……って釘さされてな……』
『当たり前ですよ。ヤン団長。水姫様にあらぬ噂がたつでしょう』
『だよなぁ〜……』
ダニエルのひと言に項垂れるロス。
あらぬ噂? ……あぁそういうことか。
私とロスがぁ……とかなんとか?
『姫がここで仕事を手伝ってるって聞いたもんだから、今日は自分が報告にきたんだ』
詫びれもせずにニコニコ顔のロス。
ロス……。それだと報告がついでのように聞こえちゃうよ。実際、騎士団の報告は別の人が来てたよね……。
『ヤン団長、言葉選びに気をつけて下さい』
ほら〜ダニエルさんの笑顔が引き攣ってる〜。
『? …………あ〜。気をつけます』
まったく妖精の時といい、ロスはやっぱり憎めないキャラだよね。
思わずクスクス笑ってると、ノックの音がして、反射的に口を紡ぐと入ってきたのはクウだった。
クウは私の顔を見るなりニコっと微笑み、そのまま水龍さまに報告を始めた。
邪魔しちゃうし、隣の部屋に戻ろうかな。
そう思って方向転換した私の前に、ロスの顔が間近にあった。
「なっ、なに?」
『姫は日中は何をしてるんだ?』
「えーーっと。午前は勉強して午後はここお手伝いしたり……かな?」
コソコソと小声で話をする。
『なんだそれ。全然楽しめてないじゃないか』
「楽しむって……」
私が苦笑いをしていると、ロスは更に言葉を続けた。
『さすがに王宮内の散策はしただろ?』
「してないよ。散歩は禁止されてるの」
『……なんだそれ』
ロスの口調も表情も険しいものになった。
クウの報告が一段落ついたのを良いことに水龍に直接進言を試みる。
『陛下、よろしいでしょうか。何故、水姫の行動範囲が制限されているのでしょうか?』
『ヤン』
クウの声音が僅かに咎めているように聞こえる。
『ヤン団長。それについては私の方から説明致します。
人間である水姫をよく思わない者達もいます。下手に城内を歩いてその者達に絡まれたりしたら、不快に思うのは水姫様の方です。行動制限は安全確保の為です』
水龍さまの代わりに答えたダニエルを一瞥し、
『ではそんな輩を納得させる対策案は講じているのですか?』
『……それは……まだ』
目を泳がせて顔を伏せたダニエルにロスは咎めるように溜め息をついた。見かねたクウがダニエルを擁護する。
『ヤン団長。あなたも先日までの最優先事項を知っているはず』
──それは水龍さまを元に戻す方法。
『一度にできることには限りがあります。こちらも水姫に窮屈を強いてることは分かっています。ただ、安全が確保できないことは許可できません』
ロスは奥歯を噛み締めてうなだれた。
『──だとしても、姫が何も言わないのをいいことに、一番手っ取り早い方法を講じて、それに甘んじてるように思えるな』
『なに……?』
ロスとクウが睨み合う。
クウは近侍頭。客人である私の行動に関することも業務のうちだろう。
『こっちだって好きでそうしてるワケじゃない!
それでも姫を護れる体制が整わないうちは──』
『それは姫が望んだことか? 姫に確認したのか? ──姫はそんなに弱くないぞ』
『……っ!』
ロスの真剣な目にクウが瞳を逸らした。
『クウよ……。自分は姫にこの国を知ってほしいのだ。
生命をかけてこの国を救って良かったと……。元の世界に帰ることも棒にふったけど、それだけの価値のある国、種族だったと……そう思って欲しいのだ。
──間違っても姫に後悔してほしくないし、そんな想いはさせてはいけない、と思っている』
『ロス……』
ロスの心からの言葉にクウは肩を落として項垂れた。私は二人の想いに胸が熱くなった。
不快な思いも怖い思いもさせないように護ってくれているクウ。私の笑顔も心の深いところも護ろうとしてくれてるロス。
どちらが正解で、どちらが間違っているなんてない……。
「二人共……ありがとう」
『姫、泣いてるの? クウが泣かせたの?』
妖精の時のように慌てるクウに、心がほっこりする。
「違うよ大丈夫。クウの想いもちゃんと伝わってるからね。
……ロスあのね、たしかにここに来てから数日は部屋にカンヅメ状態だったの。クウに会えるように取り次いで下さい……って言ってもアクション起こして貰えなかったし、外出も駄目って言われたからちょっと困ったのよね。でも強行突破したからもう大丈夫だよ」
『………は? 強行突破?』
「うん!」
にっこり笑う私を見て、ロスは唖然として、クウは何故か額を抑えてる?
「侍女さんは朝と昼、夕方の決まった時間に来るから目を盗むことは可能だし、衛兵さんも昼の一時に交代するんだけど、引き継ぎの時に軽く談笑するの! その時が狙い目だって思って、隙を見て部屋を出たんだよね。
まぁ……水龍さまの部屋を探すのは手間取ったけどねぇ〜」
『姫は密偵の訓練でも受けているのか?』
「そんなわけないでしょ? 何を言ってるの?」
『相変わらず観察力はピカイチじゃな。たが、なぜ水龍さまの部屋を探そうとしたのじゃ?』
ロス……口調が戻ってるよ〜。
気付いていないのかな。
上背もある立派な体躯の大男がおじいちゃん言葉を使ってるのが面白くて、ついクスクス笑ってしまう。
「近侍頭のクウが捕まらないなら、その上と直接交渉するのか手っ取り早いと思ったの。顔見知りだしね」
『直接交渉……』
『陛下……に?』
『顔見知り……って』
ふふっと笑う私を、水龍さま以外の人達は唖然と見ていた。
『……ヤン。水姫をないがしろにするつもりはない。周知できていない状況で衝突があった場合、互いにしこりがのこる。対策案はこれから優先事項として立案していく。……良いか?』
水龍さまの静かな言葉にロスは居住まいを正して『出過ぎたことを申しました』と謝罪した。
『いや、水姫を良く知るお前達だからこそだろう』
「ロス、ありがとね。嬉しかったよ」
『いや、自分は……』
「本当に嬉しかったのよ。それにここにいるとこうしてみんなに会えるから」
『そんな健気なことを言わんでくれ。…………よし。決めた!』
勢いよく振り向いたロスはクウに『侍女服を一式用意してくれ』と言った。
案の定、クウは『……はあ?』と盛大な疑問で返したが、次の瞬間その理由が判明した。
『安全確保が必要なのだろう? なら自分が護衛役として姫の隣にいよう。姫も侍女に扮していれば問題なしじゃ!』
握りこぶしで断言するロスにクウのほうが動揺した。
『…………いやいや。問題ばかりなの!
どこの世界に騎士団長に案内される侍女がいるの!?』
『たしかにレアケースか……』
『いや、有り得ないの! それにもし姫のことがバレだらどうするつもり? 姫に変な噂がたつの!』
『そん時は自分の恋人だ、と言えばいいじゃろ? 実際、姫ならウエルカムじゃ』
いい笑顔でこちらを向かれても……
『ダメなの!』
『駄目です!』
クウとダニエルの声がハモった。
『ヤン団長のお相手と噂が流れるのはこちらとしても勘弁願いたいです』
『……もし姫に手を出したら、この王宮での立場を無くしてやるから』
クウ? ……なんだか怖いよ?
『いや〜。クウが言うと冗談に聞こえんなぁ〜』
ハハっと笑うロスに口元だけ笑みを浮かべるクウ。
『これを冗談だと思えるなら、ロスの頭は脳筋どころか腐ったかぼちゃなの』
カボチャ?
……外側はしっかりしてるけど中はスカスカって良く聞く嫌味だけど……腐ってるってことは? ……溶けてるってこと?
うん……。辛辣だなぁ
それにしてもロスの提案もびっくりだけど……二人共いいの? 水龍さまの前だよ?
かなり砕けた口調の二人を見ると、ちょいちょい、ここがどこだか忘れてる気がするんだよなぁ〜。
『大丈夫。不埒な真似はしないさ。
姫、騎士団の訓練なんて面白いぞ。見に行くか?』
「騎士団!?」
無意識に反応してしまう。
『やっぱりなぁ〜。自分の水刀にも反応してたから、もしかしたらって思ったんだ。騎士団の訓練は見たことあるか?』
「ないよ。私の国には騎士団なんてないもの!」
『なら決まりだな。見学許可は今、自分が許可した』
パチリとウインクしながら話を進めるロスにクウは苦情を言いたそうだが、楽しそうなミレイの顔を見ると、それ以上駄目とは言いづらいようだ。
そんな三人の遣り取りを見ていた水龍は溜め息をひとつついて指示をだした。
『いいだろう。レミス。侍女服を用意してやれ』
『……わかりました。すぐに手配致します』
水龍の一言にクウは礼で答えて、部屋を出ていった。
「いいの?」
周りを見渡して恐る恐る聞いた私に、ロスは満面の笑みで
『ああ、陛下の許可が出たら鬼に金棒だ!』と言ってくれた。
「ロス、ありがとう!大好きよ!」
抱きついた私をロスはいい子いい子と撫でてくれた。
その光景をやれやれと疲れた顔で見る者。無言で眺める者……いろいろだった。
『……はあ〜。ヤン団長。比喩だとわかっていますが、間違っても龍である陛下を鬼に例えないでください』
『これは……失礼しました。では、水姫様はこのままお連れしてもよろしいでしょうか』
『……あぁ』
『ありがとうございます。では失礼します』
クウに引き続きロスとミレイも退室し、室内には水龍とダニエルが残った。
『……よろしかったのですか?』
『なにがだ?』
『水姫の初めての散策をヤン団長にお任せしたことです』
『あいつがいくら浮き名を流していようと、客人たる水姫に手を出すような馬鹿な真似はしないだろう』
『それももちろんですが……。
おもしろくないって顔……してますよ。
ずっと……。気付いてます?』
『仕事に追われてるんだから当然だろう?』
『……はぁぁ』
ダニエルは盛大な溜め息をついた。
『陛下、少し話をしませんか?
……臣下としてではなく、昔からの友として……』
執務室に重苦しい空気が流れた。