第87話 執務室の攻防②
「それではそろそろ失礼します。お忙しいところ、すみませんでした」
お辞儀をしてミレイが部屋を出ようとした時、ノックの音が聞こえた。
『バートンです。失礼します』
バートン? バートンって……。
振り向くと入室してきたのはサンボウだった。
「サンボウ〜!」
久しぶりに会えた嬉しさでミレイは駆け寄ってそのまま抱きつくと、状況がのみ込めないサンボウは『姫!?』と驚いて周りを見回した。同じく三人の驚いた視線と目が合い、サンボウは無言でそっとミレイの腕を放した。
『こほん。なぜ姫がここに?』
「水龍さまにちょっとお話があったの」
『ここまで一人で? 場所はわかったのか?』
「う〜ん。なんとなく?」
『では、後で送ろう』
頭をポンポンと撫でてくれるのが嬉しくて、満面の笑みで「いいの?」と聞くと『少し待っていてくれ』と優しい言葉が返ってきた。
『……バートン宰相』
高い少年の声なのに何故か底冷えするような寒さが感じられる。ほのぼしたの空間が一瞬で霧散した。
『申しわけございません。ご報告に上がりました』
サンボウが水龍さまの机まで移動したところでミレイはユーリに「外にいます」と耳打ちをして、そっと部室を出た。
『──王宮内と市街地の状況以上です。
早急に対策が必要なのは郊外の農村地帯だと思われます。資料はこちらに……。先見部隊を向かわせても宜しいでしょうか』
『許可する。こちらも……このまま進めろ』
『はい。あと御前会議の件ですが、このまま執り行わないのは些か厳しいかと……。特に官僚達から陛下の出席を希望する声が日に日に強くなっております』
『……そうか』
『宰相殿。もう少しの間、抑えてもらうことはできませんか?』
ダニエルが無理を承知でバートンに問いかける。
御前会議を希望するなか、陛下に臨席頂く前に仔細を詰めよう、と官僚達に投げかけて無理やり時間稼ぎをしているのだ。
『尽力しますが、理由もなくご不在だと臣の不信感に繋がります。それは今後の執政においても得策ではありません』
『それはわかっていますが、今は外に出られる状況ではありません』
全員の目が水龍に向かう。
誰しも『そんなことはわかっている』と思っているだろう。
『ふーー……。今日か明日中に大神官を呼べ。あと侍医もな』
『わかりました』
『では、私はこれで失礼します』
頭を下げて出て行こうとしたところで、ダニエルが声をかけた。
『ところで水姫様とは随分仲がよろしいのですね』
『……短い期間ではありましたが、苦楽を共にして、互いに生命を預けあった仲ですから。
……それにここに水姫様の知り合いは少ないですから、心細く思っての行動でしょう』
『なるほど……。先程の喜び具合に無粋な勘ぐりをしてしまうところでした』
ニコリと笑うダニエルにサンボウも『それは本当に無粋ですね』と、糸目を細めて口元を綻ばせた。
『では失礼します』
ドアを開けると廊下から「終わったの?」とミレイの弾む声が聞こえた。
パタン……
『随分ギャップがありましたね〜。僕を論破した時とは雲泥の差だ』
ユーリが閉ざされた扉を眺めながら投げかける。
『そうですね、まるで少女のようです。
それよりもユーリ、書庫よりこの資料を持ってきて下さい』
室内には水龍とダニエルが残り、つかの間の静けさが流れた。茶褐色の重厚な執務机に少し温めの紅茶が置かれた。
『ひと息いれましょう。……眉間にシワが寄ってますよ』
『……気のせいだ』
『おもしろくない、って顔してますね〜』
自分の分の紅茶を立ちながら飲む姿は、到底主君の前で見せるものではない。
『当たり前だ。仕事ばかりしているからな』
クッションを重ねた執務椅子からスッと降りると窓の外を見る。
いつもなら窓から広大な庭園を見渡せるのに、この背丈では空くらいしか見えない。
『……そういうことにしておきますね』
ダニエルのヤレヤレと言わんばかりの態度に『大神官達への連絡はどうした』と威圧してみる。
『はいはい、では行ってきますね。誰かきても部屋に入れては駄目ですよ〜』
語尾と目元が緩んでいるのを見て、はぁ〜っと溜め息をつく。
『わかってるからさっさと行け』
それが現状を知られない為の防衛策だと分かっていても、子供扱いされてるようで腹がたつ。
まったくあいつは……。
ダニエルは幼い頃から側近候補として側にいたせいか、二人のときは遠慮がない。
まぁ、気楽と言えば気楽だがな……。
それにしても……。
さっきの二人の遣り取りが思い起こされる。
私には『龍王陛下』なんて堅苦しく呼ぶくせに、なんであいつは『サンボウ』のままなんだ。
あんな笑顔まで……。
こぼれるような笑顔が脳裏に浮かぶ。
──いや……別にどうでもいいことだ。
私には関係ない。
水龍は机に残されたお茶をグイっと飲み干した。少し冷めたお茶は苦みがあり、モヤモヤした気持ちを増幅させるだけだった。
……なんでこんなにイラつくんだ
とりあえず明日も来る。
……あいつはどんな茶が好きなのだろうか……。
いくつか用意をさせるか?
いや、だからなんで!!
茶会でもあるまいし、仕事をする為に来るんだから茶など関係ない。
水龍が一人で脳内葛藤をしていると、ダニエルとユーリが戻ってきた。
『大神官様がお見えになりました。侍医ももうすぐ到着すると思います』
呼吸ひとつで精神を落ち着かせる。
振り向いた顔は幼いながらも『龍王』のものだった。
ユーリに残るように命じ、それ以外のメンツで執務室の隣の部屋に移動をする。大神官も侍医も疲れた顔をしていたが、その双眸は現状打破に向けて意欲的だった。
『ご苦労。急に呼びつけて悪かったな。なにか目ぼしいものは見つかったか?』
『私の方から良いですか。
禁書庫に昔の日記のような記述がありまして、そこに過去に力の暴走により緊縮を起こした事例が記載されていました』
『なんと!』
その場の全員に希望の光が見えた。
侍医もダニエルも目を見開いて大神官の次の言葉を待つが、当の大神官の顔は今ひとつ浮かない。
『自己防衛の一種だろうという見立てでしたが……』
『それで戻る方法は?』
『その方は王族の子供でしたが、力を暴走させて緊縮し退行したようです。数日は発熱を繰り返しましたが、安静にして力を使わないようにしていたら、ある日突然戻ったそうです』
『…………』
『…………そうですか』
はい。と語る大神官の表情は暗い。
全員が静かに溜め息をついた。
今回とは少し違う。暴走でもなければ発熱もしていない。そして解決策は何も見い出されていない。
『あとは、その方の母君の言葉として戻る直前、とても幸せそうに笑っていたと記載がありました。一応、キッカケはあったようです』
『……』
『……そうか。ご苦労だった』
水龍は労いの言葉を掛けたが、大神官は複雑な顔をして頭を下げただけだった。
現状、四日前と何も変わっていないのだ。
その後、侍医に診断してもらったが疲労と睡眠不足はあるものの、健康そのものだった。
体が小さい以外は……。
──本当に参ったな。
自室に戻り、夜着に着替えてベットに入ってみたものの、今夜も眠れる気がしない。サイドボートの書類の束に目を向ける。
長い眠りにつく以前から……毎夜のこと。
いろいろな思考が頭をよぎり眠れない。どうせ寝れないのなら、と書類を見ながら眠るのが日常化してしまった。
自室の大きな窓から空を見上げると、雲がまだらに流れ、月はその背後に隠れている。
さて、どうしようか……。
水龍は今日、何度目になるかわからない深い溜め息をついた。
みなさん、ここまで読んで下さりありがとうございます!