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後篇

 ――――頭を強く打ったら前世の記憶を思い出してしまいました。


 しかもそれは異世界の、日本と言う科学の発展した場所で生きた記憶でした。

 転生した先であるこの現世は、中世ヨーロッパ程度の文明の、魔法あり魔術ありの、ファンタジーな世界です。

 ……なんてテンプレもいいところの経験を七年前、まだ十歳だったリィリはしてしまっていた。

 しかも強い魔力と、それなりに自慢できる容姿と、公爵家の娘だと言う最高の地位なんておまけもついて来ている。


 でも。それだけの物を得ても、リィリはこの世界に適応することが出来なかった。

 十歳の時に思い出した前世の濃く鮮やかな記憶は、それまでのリィリの人格を塗り替えてしまった。

 経験も知識もなにもかもが、幼かった子供の無垢な頭の中を凌駕するものだったのだ。

 その日からリィリと言う少女の性格はがらりと変わってしまった。


「頭を打ってから突然人の変わった私は、わけの分からないことを言い立てるばかりの狂言者になった。呪いだ。悪魔付きだ、って皆が騒ぎ立てるような女と、平穏で幸せな家庭なんて望んでも無理なことです」


 王都での自分自身の噂を語るリィリに、ジョージは痛みをこらえるような顔を向けていた。

 同情でもしているのかと。リィリはなんだか彼に怒りさえ湧いてくる。


(好きでこうなったわけじゃないのに)


 ――――リィリはこの世界に馴染めなった。


  日本人だったころ、家ではごろごろベッドやソファに転がりながら漫画を読んで、声を出して笑うのが常だった。

 そんなリィリが、ずっと大人しく椅子に座って、上品に笑うことなんて出来なかった。

 休日や放課後は友人たちと外を走り回って、時にはカラオケやゲームセンターで遊んでいた。

 それなのに、詩を読んで褒め合って、刺繍や読書くらいしか娯楽が許されないことが窮屈でしかたがなかった。

 走れば下品だと怒られた。

 笑えばもっと上品にと窘められた。

 話せば内容が野蛮だとため息をつかれた。

『どうしてそんなことをするの?』

『前のような素晴らしい淑女に戻ってちょうだい』

 そんなことを言われて毎日毎日、自分のなにもかもを否定される日々。

 リィリはどんどんこの世界に希望を見いだせないようになっていった。

 お堅い文化も、面倒な習慣も。

 自由なあの世界を知るリィリにとっては、手足を縛る枷でしかなかった。


 何よりも悲しかったのは、誰よりも好きだった人たちがリィリを見離したこと。 

 リィリのこの世界での両親は厳格で生真面目で、常識外れなことをするリィリを否定した。


「父も母も、変わった私を受け入れてはくれなかった。医師が駄目なら魔術師に呪い師、変な祈祷師まで読んで私を元に戻したがった。戻れるわけがないのに!」


 前世の記憶を取り戻す前の、淑やかでおっとりとした愛らしいリィリと言う少女を両親は欲した。

 どうして変わってしまったのと、何度も怒鳴られた。

 思い出してしまった記憶を消すことなんてもう出来ないのに。

 無理をして性格を変えてみせることも、器用で無いリィリにはとても出来ないことだった。

 

「もうこれが私。昔のリィリは居ないのに、否定しないで欲しかったのに」

 

 もう元の、何も思い出していなかったころの自分には戻れない。

 なのにどうしようもない今の自分を否定されてばかりで、苦しくて窮屈で仕方がなかった。

 だから、逃げてきた。と、リィリは叫ぶ。

 貴族社会から飛び出してしまったリィリは、こうして一人田舎暮らしをしている。

 使用人はいるものの仕事以上の関係にはなれなかった。

 親しい友の居ないリィリは、この自然しかない場所でたった一人で生きてきた。


(帰りたい……)


 日本に帰りたい。自分が自分のままでいて良いあの場所に帰りたかった。

 でも人生そのものを最初からやり直していると言うことは、きっと前の自分はもう死んでいるのだ。

 事故にあった記憶も、病気になった記憶もないのに。

 自分は死んでいたのだと言う絶望が、さらにリィリの心を蝕んでいく。


 あの世界に帰ることも出来ない。

 もとの何も知らなかったリィリにも戻れない。

 行く場所がなくて、一人ぼっちで動けなくて、リィリは誰もいない田舎で一人で膝を抱えてうずくまることしかできなかった。


「変わり者で悪魔付きの公爵令嬢との婚姻なんて、どう考えたってあなたも後ろ指をさされて笑われる。立場的に無理やり結ばされた婚姻関係があったって、離れてくらして距離を取ることなんていくらでも出来るんだから、仲良く夫婦ごっこをする必要なんてないでしょう?」


 どうせ政略的なものなのだ。

 年頃の娘が未婚だなんて恰好悪いとか、早く自分のもとから手放してしまいたいとか、そういう父の思惑がありありと見える結婚。

 だから、仲良くする必要なんてない。


「放っておいて……」


 リィリの口から落ちた呟きは、小さくて震えていた。

 これ以上、自分を否定されたら壊れてしまいそうで。

 だからリィリはこの田舎町に逃げてきた。

 もうこの世界のだれとも深く知り合いたいなんて思わない。

この世界に、自分を受け入れてくれる人なんて居ないのだと、七年間で嫌と言うほど理解した。

  

「結婚はします。でも一人にしておいて。私に関わらないで!!」


 うつむいて、拒絶を口にしながら首を左右に振る。



「リィリ」


 あぜ道の土を睨みつけていた視線の先に、ていねいに磨かれた革靴の先が映った。

 離れていた距離を彼がつめてきたらしい。

 うつむき続けるリィリの頭の上に、ぽん、と。優しく彼の手が乗せられた。


「……よしよし」


 幼い子供をあやす風に、ジョージはゆっくりとリィリの頭を撫でてくる。


「………」


 さっきみたいに大きな声を叫ぶだなんて、眉を顰められるべきことだ。

 事実、何度も下品だと怒られた。

 なのにどうしてこの人は怒らない。なぜ、こうして優しく、暖かく接してくれるだ。

 頭の可笑しな女だと誰もが言うリィリに、どうして。

 

「ど、して……」


 ほろりと、弱音がこぼれる。


「どう、して、貴方は……。何なのよ…」

 

 ずっとずっと、リィリは怒られるばかりで。そうでなければ遠巻きに嫌そうな目で見られるか、眉を顰められるかで。

 頭を撫でて貰えたのは、前世の記憶を思い出すよりも前にしかなかった。

 こんなに優しくしてくれる人なんて、居なかった。

 自分を誰も受け入れてくれないことが寂しくて堪らなかった。

 だから、こんな風にされてしまうと揺れてしまうのだ。

 ただ頭を撫でられただけなのに、じわじわとした甘い疼きが胸に広がる。

 自分の単純さに嫌になりそうになりながら、それでも彼の手をもう払うことはリィリには出来なかった。

 

「リィリは、私の憧れなんです」 

「へ」


 その言葉に、気の抜けた声を出しながらリィリが顔を上げた。

 ジョージは僅かに瞼を伏せてまるで昔を思い出すかのようにうっとりとした表情をしている。


「七年前、私は王都の街で迷子になり、暴漢に襲われそうになったのです。そこを助けてくれたのが、あなた。リィリです」

「は? 何の話…、でしょうか」

「覚えておりませんか? 七年前の十月四日、王都のドトー通りにある時計屋マリオンの脇道で」

「じゅうがつよっか…やけに詳しい説明ですね」

「あの日の天気も気温も湿度も暗記しております。私にとって人生の転機ですから」

「はぁ」


 頬を染めてなんだか恥ずかしそうに喜んでいるジョージを前に、リィリは彼の言ったことを思い出そうと記憶を探る。


(うー……。あー……)


 うんうん悩んで時間をかけると、なんとなくだけど七年前の秋ごろにドトー通りに行った時のことが浮かび始めてきた。

 ジョージ的に人生の転機であり湿度まで思えてしまっているその気合いの入りようとは反して、リィリにとっては頑張って頑張って思い出さなればならないくらいに、その記憶は曖昧なものだった。

 

「そういえば、そんな事あった、かも……?」

「覚えてらっしゃいましたか!」

「え、えぇ」


 まだ王都で両親とともに生活していたころ。

 記憶を取り戻し、その変化に怒られてばかりだけれど、でも絶望まではしていなかったくらいの時期。

 出かけた街中で、確かに暴漢に襲われた美少年に出会った記憶がある。

 否定ばかりされてむしゃくしゃしていたリィリは、その思いのたけを存分に暴漢にぶつけてやった。

 前世での趣味として培った柔道の技を繰り返し。

 思いっきり回し蹴りで暴漢の、男の急所を蹴り上げてやった。


(あれは結構スッキリしたわね)


 邪魔なスカートをまくりあげてやったそれに、後から追いついてきた付き添いの使用人には悲鳴を上げられた。

 なんてはしたない事を!と怒られた。

 ちなみに暴漢は急所を押えて地に転がり、打ち震えていた。


「あれからリィリは俺の憧れなのです! 目標なのです!」

「はい?」


 なんとか思い出したリィリが見上げたジョージの翡翠色の瞳は、これでもかとばかりに輝いていた。

 興奮した赤みを帯びた頬で、きゅっと手を握りこんで力説される。


「暴漢に果敢に立ち向かう勇ましい貴方はほんっとうに格好よかった!華麗な足さばき、翻る小柄な身体、蹴りを決めた後の爽やかな微笑み!あぁ、今思いだしても鳥肌が立つ!!」

 

 ジョージは握っていた両手を開き、天につきだしてあははっと笑う。

 

「やっと。やっと見つけたんだ! 俺の憧れの君を! 運命の人を!」


 いつの間にか彼の一人称が『俺』へと変化している。おそらくこれが素の彼なのだろう。

 ものすごく、馬鹿っぽい。

 見た目だけはいい男の変な姿に、引いた。

 

(道端ばたで手を太陽に掲げてくるくる回りながら大声で笑う変な男とか、近づきたくないわー。他人のふり、他人のふり)


 さりげなく何歩か離れて距離を保ちつつ、誰か人が通らないかと落着きなく周囲をうかがうリィリ。

いつも通り人通りのないことを確認してほっと息を吐いてから、ふと自分の胸に手を当てた。


(……なんか)


 なんだか、胸のしこりが取れたような気分だった。

 前世の記憶を取り戻してから否定され続けた自分の存在を、始めて認めて貰えた。

 単純に、うれしかった。

 しこりが取れた胸の奥に、うずうずとしたものが生まれる。

 リィリはそれを感じながら、三歩ほど距離をあけた彼をそっと見上げた。

 きっと顔は赤くなっている。


「ほ、本当にこんなのでいいわけ? こんな乱暴者で、社交界に出れば笑いものになってしまうような女で、貴方はいいの?」


 取りつく得なくなったリィリは、もう完全な前世の言葉遣いに戻ってしまっている。

 怒られて怒られて、違和感を感じながらもどうにか直した口調なのに。


「助けてもらった後に貴方のことを調べて、メトワンソル公爵令嬢だと分かってすぐに、あの噂のかたなのだとは分かりましたよ?  公爵様ったらもうあちこちの祈祷師やら呪い師に声をかけまくっていましたから、有名でした」

「だったら……っ」


自分がどれだけこの国で浮いていて、白い目で見られる存在なのか。

 ジョージは知っている。なのに、くったく無く笑う。

 そして恥ずかしい台詞を平気で口にするのだ。


「だって、俺はそんなあなたに救われ、恋をしたのだから」

「こ、こい」

「俺の憧れの君は、間違いなく人が変わったあとの、リィリなんです。元に戻られたらそれこそ困ってしまいますよ」

「………」 


 ピンチを助けられて恋に落ちるのは女性の方ではなかろうか。なんて思わなくもない。

 でもこの暴走しがちな思想をもつ彼の性格では、それも納得出来てしまう。


「あれから努力したのですよ。憧れの君の隣に立つために。いつか超えて、私が守れるように。恥ずかしながら―――、王家筋とは言え、俺は身分は低く後ろ盾もほとんどありません。でもどうして欲しかった公爵家の令嬢を得るために。十年間、その為だけに努力をし、昇りあがった」


 厭われた存在とは言え、公爵家の令嬢と言う身分。彼女に、見合う立場になるために。

 彼はずっとリィリを追ってくれていた。


「っ…、じょ……ジ」

「でも、貴方は王都から姿を消してしまって。しばらく絶望に打ちひしがれていました。公爵はその……長女であるはずの貴方の話をあまりしませんから……。本当に何処にいるのか分からなくて」

「お、お父様は私の存在を無かったことにしたいのよ」


 ジョージは眉を下げて小さく苦笑した。否定はしなかったから、それが事実だと彼もわかって居るのだろう。


「本当はずっと会いたかったけれど、公爵に貴方の名前を出すたびに逃げられて避けられて。でも、やっと版を押して頂いて。居場所を教えてもらった。……ようやく、貴方の手をとれる」


 リィリの手を、近いてきた彼はそっと握る。

 男の人の大きな手は暖かくて、手から伝わった熱がすぐに全身に回ったみたいに感じた。

 

「っ、……!」


 一人きりのリィリが、唯一興味をもったのは魔法。元の世界には無かった不思議で素敵なもの。

 部屋の中に閉じこもりながら独学で得た。

 数えきれないほどにある魔法の中で、一番得意なのが植物を媒介とする魔法だ。

 

 リィリは彼と繋がっていない方の手を胸の目に持ってきて、手をくるりとひるがし、一本の赤いバラを出す。

 愛の証としては丁度いいだろう。

 目の前に突然現れた薔薇に驚く男の顔が何だかおかしくて、リィリは彼にそれを差し出しながら声を出して笑ってしまった。



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