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25.戦い

神父が言っていた場所は都内から少し離れた所にひっそりとたたずんでいた。朽ちかけた木々の並ぶその中に死んだように姿を現したその教誨はすべてを閉ざしたかのような静けさだった。人の気配がまるでない。


「いる」


その朽ちかけた扉を見つめたまま、カインがぽつりとつぶやく。その途端ぞわあ、と背筋がざわめいた。訳もなくぞわぞわするこの感覚は恐ろしいものを間のわたりにした時の感覚。足が手がすべてがガクガクと震えてしまう。

―何これ…


「ダメなら無理しなくてもいい」


不意に背中に手のひらが押しつけられ、ゆっくりと撫でられた。気持ちが静まっていくのを感じる。

見上げた顔はいつものように優しかった。それを見て、ルナはぶんぶんと首を横に振る。


「あいつは私を呼んでいたのよ。貴方だけ行っても彼は私を呼ぶんでしょう」

「しかし…」


微笑んでいたカインの表情が陰る。


「行きましょう。全てを終わらせる為に」

「…分かった」


行こう、ルナ。

そう言って教誨に歩を進める彼の意識の中に、茶色の長髪の女性の姿が不意によぎった。






(歌声…)

建物が元が元だけに、その美しいアルトはより一層よく響き、ルナの鼓膜を揺らした。

カツーン…

自分たちの靴音がその場所に響くと、声は不意に止んだ。教誨の祭壇があったであろう場所、今は朽ちかけてしまっているそのシンボルの欠けた所に一つの影がある。両手を後ろにやって身体を支えている。こちらに気がつくと、影が指している顔は表情こそ見えないものの、口角が三日月のようにつりあがった。


「やっと…」


の棒のように細い、下手に動けば脆く崩れ去ってしまいそうな、細い場所で舞台の役者のように凛然と

立ち上がった。ルナはゆっくりと口を開く。


「貴方……」


グリーン。そして教誨のグリーンの瞳。宝石の様なグリーン。あの教誨の建設月は5月。緑が栄える季節。栄枯盛衰を思い知らせ、人間を緑で包む、季節。それは命。宗教と密接に関わっている色。永遠に輝きを放つ色彩、姿かたち壊れぬ色。古来から人々がその魅惑に執着したモノ。宝石。その中で、栄枯盛衰を語るもの、もしくは命の意味を含むモノ。不老不死の力、生命の再生があるとされた宝石、ヒスイ。英語に直すとjade。


「…ジェイド…ジェイド=ゾブレーズ…」


信仰のシンボルに立ったまま、彼―ジェイドはその中身とは反した美少年の微笑みでこちらを見つめ返した。ヒスイは不老不死の力、生命の再生があるとされた宝石。昔の皇帝の遺体にも装備されたそれは、金よりも重宝されたという。不老不死、それは


「貴方も…ヴァンパイア、なのね」


クスクスクスクス…少年らしい高らかな声で笑う声が響き渡る。ギリィ、とカインが歯を食いしばり、ジェイドを睨み付けると、それをジェイドはクスリと笑った。


「久しぶり、カイン」


そしてそのままひらり、とシンボルから飛び降り、ストン、と優雅に説教台に着地した。


「そしてようこそ、我らが愛するお月さま」


右手を胸に当て、そのまま優雅にお辞儀をした。はんっ、と吐き捨てるようなため息を吐いたカインがジェイドを尚も睨み上げる。


「ジェイド…ふん。今はジェイドと名乗っているのか。気配も変えて…俺が分からないはずだ…」

「そうだよ、見た目もだましやすい子供の姿が一番いいでしょ。1世紀前に食べた姿を借りてる」


ジェイドは踊る様にくるくると楽しそうに回りながらこちらを見つめた。

(緑色の目…)

気がついたジェイドは急にぴたりと動きを止め、ルナの方に近付いてきた。思わず拒絶反応でびくりと身体が震える。その様子にジェイドは意外そうに目を丸くしてその後、唇をうすく釣りあげた。


「僕は感情は読まないから大丈夫だよお姫様。君と会った時の眼はコンタクト。君に見つからない様に、人の皮をとっかえひっかえしてたんだけど、待ちきれなくてこの姿で君に会ったんだ。いいでしょ? この姿は特別だったから、汚れないようにしてたんだ。君に捧げる赤、神聖な赤で汚しちゃいけないもんね」

「だからカインも掴めなかったのね…気配がその都度違うから…何故12人も殺したの」

「ちえ」


不貞腐れたようにふぃとそっぽを向くと、カインの方を見かえす。カインは目の前の人物を射殺しそうな程鋭い視線で睨み付けている。獣のような唸り声はどうやらカインのようだ。ジェイドはそんな視線も全く意に介しておらず、ただ不貞腐れた視線をこちらに向けた。


「だって、君を一番神聖な状態で僕のモノにしたかったんだ、アルテミス。でもあの女は余計だった。9人も殺させたけど、あの汚れた赤は君に相応しくなかったけどまとわりついてきたから殺した。勿体ないからちょっともらったけどすぐに飽きちゃった。でも他供物の女はみんな長い髪、大きな瞳にしたんだよ、君に相応しい様に。君のために備えた赤はもっとも神聖で、もっとも美しい色。もっとも美しい君に相応しい色。魔除け、栄光、高貴。すべてを兼ね備えたその色を捧げて、君を最後にいただくつもりだったのっ」


シュ!


彼の視線が変わった途端、考える間もなくジェイドが飛びかかってきた。咄嗟の事でよけられない!目を閉じた瞬間、カインの怒号が眼前で響き渡った。


「ルナはアルテミスじゃない! 貴様も分かっているだろうがっ!」


バシュ!!


鋭利な物が空気を切り裂く音。見かえす間もなくカインがジェイドに襲いかかり、伸びきった爪でジェイドに飛びかかる。それを間一髪で少年の身体がかわし、間髪いれずカインがさらに少年の心臓に向かい凶器となった左手を伸ばし飛びかかる。


ガァン!ガキィ!バキ!


空中で息つく間もない激しい戦いが繰り広げられる。ルナ自身はそれを目の前で見ているしか出来なかった。人間が関わるものなら自分も関われただろう。だがこれは人外の戦いだ。加われただろうか、否。加わる余地など微塵もありはしない。それをまざまざと見せつけられている。


バキィ!ガッ!!ドガッ!!!


「貴様はアルテミスを喰っただろうが!! 俺がヴァンパイア化させた彼女を貴様は覚醒期間の7日を待たずして殺しおった!! 貴様がした事を今度は俺がやってやろうというんじゃないか!! なんのとががある!」


年老いた老人のような口調でカインに攻撃をしかけながら歯をむくジェイドの顔はもはや少年とは思えないほどに様変わりしていた。カインは少年の攻撃を避けながら見えない速さで彼の心臓にひたすら向かっていく。


「だからと言ってルナは殺させはしない! アルテミスは人のまま死ぬ事を望んだのだ! 殺した罪は俺が一生背負っていく!」

「そんなの関係ない! 俺らは愛した者を永久に傍におく、その何が悪い! 感情なぞいずれ変わる、俺がそうさせるはずだったのに! 貴様が! 貴様が全てを壊した!! 今度はお前からその月を奪ってやるお前をそのまま八つ裂きにして再生出来ないくらい殺してやる!!!」


バシュ!! ドガッ!! ガッ!!!


爪が空気を裂く、拳が身体にのめり込み、内臓がつぶれる音。次の瞬間、カインの左腕の服が千切れ、宙を舞った。


「っ!! ……」

「カイン!!」


思わず足が動いた。地を踏んだカインの元に駆け寄ろうとしたその時、激しい怒号が飛び散る。


「来るな!!!」

「っ!!」

「…ぐっ…がはっ!!」


来るな、とまた叫ぼうとしたのか、口を空けたカインがそのまま痙攣するように身体を折り曲げ血を吐きちらして膝をついた。次の瞬間、カインの身体中に裂傷が走りぬけ、血が舞い散る。


「ガッ!! …グッ…!!」


それはまるで紅い雨の様に降り注いで、パタタ、と音を立てて散った。


「カイン!」


我に返ると彼の声を無視して無我夢中で駆け寄る。腕の中で荒い息をつくカインの傷を調べる。出血の方はもう止まってはいるようだが、傷自体は今修復を始めているようだ。出血のせいかいつも以上に顔が青白い。ぼんやりとした視線が宙をさまよい、こちらを見つめる。


「くっ…ルナ…来るなと…」

「そんな事言っている場合じゃ…」

「っ! 馬鹿! 避けろ!!」


不意打ちをくらい横にめいっぱいの力で思い切り突き飛ばされ教誨の入口まで飛んだ。思わず受け身を取ってからクラクラする頭を何とか持ち直させて身体をお越し、それまでの方向を見やる。そこには目の前でジェイドがカインにまたがった格好で、右腕を凶器にしたのだろう、カインの腹腔を貫いていた。血がじくじくとカインの薄い腹から滲みだしている。その血がジェイドが貫く腕を染め、着ている衣服を染めた。それをじっくりと見やって、ジェイドは腹に空いている左手の人差し指を差し込み、血を浸らせてゆっくりと抜き出すと、したたるそれを真っ赤な舌で舐めとってクスリと笑った。


「500年牢獄暮らしで身体鈍ったんじゃないの?」


出てくる冷や汗もそのままに、青白い顔でカインが不敵に笑う。


「600年だ。ふん、お前こそ小さい身体でちょこまかとちょござい真似をするな」

「はっ! 口だけは相変わらず達者じゃないか小僧」


恐ろしいくらいにジェイドの唇が歪み、声音が変わった。そのままさらに右腕をカインの腹腔にぐい、とねじりこませる。


「ぐっ…!」 


その衝撃にカインの唇から思わずうめき声が漏れた。ジェイドが上体を倒し、白い牙を光らせて首筋に顔を近づける。にや、と大きく開いた口から、ねっとりとした吐息が零れた。


「このまま首に噛みついてやったっていいんだぞ? クク…今なら容易たやすいな?」


首筋に犬歯が触れるか触れないかの距離で、ジェイドが笑う。


「カイン!」


遠くでルナの泣きそうな声がする。腹を貫かれたまま血が流れ続けて止まらない。自分の血がどんどんなくなっていくのが感覚で分かる。不意にジェイドがルナの方に視線を向け、にやりと笑った。


「…奇遇にしても酷すぎる悲劇だよね、カイン。昔と同じように、同じような強い瞳の、月の女神の名の女に出逢い、そして焦がれ、また奪い合う。残酷にも程がある…顔まで似てるなんてさ…ホントに」


自分の血が口の中に充満して、その気持ち悪さに耐え切れず吐き出す。そのままふ、とジェイドをあざ笑う。


「…かはっ…いつだって俺たち闇の者を統べるのは月さ…だから崇拝し、畏怖し、そして…愛する」


そんな視線もものともせずジェイドが天使の様な笑顔を向け、その唇に残酷な言葉をのせる。


「じゃあ、今度は俺がお前を絶望させてやろう。まず彼女の前でお前を一度殺し、そして彼女を殺す。気に入ってるから俺のモノにしてやるさ。そしてまたよみがえったら何度でもお前を彼女の前で殺してやろう。約束したろう、何兆年かけてお前を探し、何兆かけても殺してやろう…」

「カイン!」


内臓をえぐり取るように右腕がねじ込まれる。痛みを堪えながら、カインは何とか自分を縫いとめている腕を掴んだ。


「じゃあな」


氷の様な視線と言葉が空気を凪ぐ音と共に向かってくる。僅かな隙も許されない。絞り出すような絶叫がカインの口から飛び出した。


「させるかあっ!!!」


残った力で身体中の筋肉を最大限にして跳ね上げさせる!

(動けっ!!!)

ただ自分の中に残った本能がさせるままに全力を振り絞り、掴んだ腕に力を込めた。


破裂。

咆哮。

血しぶき。


一瞬の隙にジェイドの右腕を折り砕き、すぐに後方へ飛びずさった。ジェイドの獣の様な咆哮が辺り一面に響き渡る。立ち上がって口にたまった血を吐きだし、ささったままの右腕をゆっくりと引きぬいていく。その間にもジェイドの咆哮は止まず、折れた右腕の傷口からはまだ血が噴き出していた。それでもだんだん止まってきてはいるようだから、おそらく自分の力で止めようとはしているのだろう。


「くっ…!」


ようやく抜けた右腕を抜き去り、そのまま捨てた。ドサッという重量感のある音と共に右腕が落ちる。その瞬間から穴の空いた腹がグズグズと音をたてながらゆっくりと治癒していく。


「きっさまああぁぁぁ!!!!」


血の止まり切っていない右腕を押さえながら、理性の無い獣のようにジェイドが叫び狂った。


「殺してやる!! 貴様からではない! あの日と同じように、君の大事なものから壊してやるよ!!」

「っ!! しまった、ルナっ!! 逃げろ!!」


急いで彼女の元に飛んだが、ジェイドがコンマ一秒早い!絶望が頭の中を通り過ぎた。


(間に合わない!)


カインの中で、あの日の光景がそのままフラッシュバックしていた。




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