1話 元聖女と狂王子
こちらは完結まで書き切ってから投稿しております。
お読みいただけると嬉しいです。
権力を誇示するように、これでもかとあしらわれた金の装飾。幾何学模様のアーチを描く高い天井。鏡のように磨き上げられた真っ白な石畳。
もはや悪趣味だと感じてしまうほど優美に作り込まれたエルヴァニア国の王宮。
その大広間で開催された『聖女誕生を祝う宴』の喧騒の中で、俺は狂ったようにベアトリスを探した。
何を考えているのかと問い詰めたところで、出てしまった結果は変えられない。
むしろ彼女からすれば、『今の』俺が詰め寄る理由なんて分かりもしないだろうけど――
それでも、探さずにはいられない。
彼女は、聖女として精霊と契約する最も大切な儀式を投げ捨てた。そんな強行手段に出る必要なんてなかったのに。
折れそうになる心に何度も鞭を打ち、その度に脳裏に焼きついたあの日の悲しげなベアトリスの顔を思い浮かべて生きてきたんだ。
血の滲むような努力は全て、彼女に相応しい人間になるそれだけのため。
全ての計画は順調だった。
君はただ、俺が迎えに行くその時を待っているだけで良かったんだ。
それなのに――
「本当は、ちゃんと人の為に力を使いたいの。でも聖女なんてさ、結局、権力のための道具に過ぎないって分かってる」
あの日、震える手を握りしめ漏らした彼女の本音。
ベアトリスはどうにもならない権力の柵に絶望し、先んじて実行に移してしまった。
「どけ!」
道を塞ぎヒソヒソと立ち話する貴族どもを強引に押し除けた。
話題は当然、先ほどの儀式の話だ。期待の聖女候補の陥落が、こいつらは余程面白いらしい。
俺が不快感を露骨に出しすぎたせいか、貴族達は「ヒッ」と声を上擦らせ弾かれたように道を譲る。
「ギルバート王子だ」
「人を今にも射殺しそうな目だな。そんな苛立たなくても、お前に聖女が与えられる訳がないだろうが。婚外子め」
「聖女の威光を得て王座に就くつもりだったのかしら。どうしてこのような日陰者が未だ王族に連なっているの?」
「人の血を好むから瞳が赤いのだと王妃様が仰っていましたわ。第一王子殿下を幼い時に殺しかけたとか。おぞましい」
聞こえてるぞ愚か者ども。
でも、彼女を見下すような不快な発言は途絶えた。
それで十分だ。不遜な態度に拍車をかけた俺は、貴族達にわざと道を譲らせながら周囲の嫌悪と陰口を一身に集める。
お前達は俺を恐れ、嘲笑っていればいい。
ただ貴族達の陰口も、あながち間違いではなかった。
王座が欲しいわけじゃないけれど、聖女が欲しい。
ただの聖女ではなく、俺はベアトリスが欲しいのだ。
視線だけは必死に壁際にいるであろう燃えるような赤い色の髪を探す。
でもいない。
もしや、どこかで一人泣いているのでは?
その姿を想像するだけで胸が痛む。
庭園を探すため、大広間を横切ろうとしたその時——
彼女を見つけた。
ベアトリスは人目を避ける壁際でなく、冷ややかな視線が最も集まる広間の中心にいた。
周囲からの奇異の目と嘲笑に気づいてすらいないみたいに、ドレスの裾を少し捲り上げ、上品な銀のフォークで肉を頬張っている。
「美味しい! こんな美味しいもの……今まで我慢していたなんて……!」
めっちゃ食べてる。
金色の瞳をこれ以上ないほどキラキラと輝かせて。
いや気持ちはわかるけど……
聖女候補として選ばれた者は、厳しい戒律を守り清廉な心と体を保つ必要があるとされる。
そのため聖女候補の少女達は、不浄であるとされる肉や魚を口にすることがない。豆と野菜ばかりの味気ない食事を何年も強いられるのだ。
その厳しい束縛からようやく解放されたとばかりに、嬉々として皿の上の肉をその小さな口に放り込む気持ちは分かるんだ。
ただ切り替えの良さに脱帽しただけで。
あと、死ぬほど可愛いその姿にキュンと心臓が跳ねただけで。
「はぁ……幸せ。やっぱり聖女なんて辞めて正解だった」
その発言は流石にどうかと思う。契約の儀式で精霊に選ばれ晴れて聖女になると、その生活はさらに続くのに。
さっきまで彼女を指差し嘲笑っていた聖女達の顔が引き攣ったのが見えた。
藍色の空に白が滲む明け方に行われた契約の儀式。
そこで見た光景は俺の見間違いだったのだろうか。
本来現れるはずの光の精霊はベアトリスの前に現れなかった。教会の長である大司教は、その場で聖女として不適格だという烙印をベアトリスに突きつけた。
儀式は失敗。彼女は傲慢さゆえに、光の精霊の怒りを買ったのだと。
でも俺は知っている。
あれはわざとだ。
そして彼女はあの時、別の何かと契約を結んでいた。
ベアトリスの身体を纏う魔力の色が僅かに変化したこと、それが何よりの証明だった。
光の精霊じゃない、アレは一体なんだ。
聖女じゃなくなったベアトリスは今後どうなる?
だから――
「ベアトリ……」
「ベアトリス、残念だよ。注目されていた君が、まさか失敗するなんて思わなかった」
俺よりも先に声をかけたのは、第一王子アルフレッドだった。その端正な顔には、これでもかと言うほどの憐れみの笑みが浮かんでいる。
彼の紡ぐ先の言葉に期待を膨らませたのは、ベアトリスの実家であるカサブランカ家とライバル関係にある家々の者たちだ。妻を連れた第二王子、第四王子までもが足を止め、嫌らしい笑みを浮かべながらアルフレッドとベアトリスに視線を向けた。
眉をぴくりと動かしたベアトリスは皿を置き、アルフレッドに向き直る。
「そうですね。アルフレッド様は時間と労力を私に注いでいらっしゃいましたから」
「怒っているのか? まあ無理もない。君が儀式に成功してさえいれば……私との婚約が内定していただろうからね」
「……ぷはっ!」
彼女は吹き出した。正妃を母にもつ、この国の第一王子に向かって。
ベアトリスは侮蔑の目を向けていた貴族達が息を呑む中で、そのまま腹を押さえ声を上げて笑う。
「私がアルフレッド様と婚約したいなんていつ言いました? 考えたことすらありませんわ。欲しかったのは聖女の力でしょう?」
それは周囲を敵に回すことを覚悟した、自暴自棄とも言える棘のある言葉。
プライドを傷つけられたアルフレッドは頬を引き攣らせ、自身の黄金の髪を大袈裟に掻き上げる。
「あまりのショックにおかしくなったのか?」
「いいえ? 正気も正気です。世界を何度やり直しても私があなたを選ぶことだけはありません」
凛とした佇まい。勝気な笑み。
そこには光の精霊に選ばれなかった哀れな令嬢の気配なんて微塵もなかった。自分で選んだ道を歩もうとする気高さだけ。
そこに、あの日の彼女の面影を見つけた。
その瞬間――
ただ見惚れていた俺と彼女の視線が交わった。
彼女の勝気な瞳に宝石を散りばめたような光が灯る。
「ギルバート様!!」
ベアトリスは一転して、親しげな笑みを浮かべて俺に駆け寄った。
彼女の細い手がぴたりと俺の胸に触れ、心臓が今にも爆発を起こしそうなほど胸を叩く。
え、なんで?
初めて会ったあの時と、俺は髪色も瞳の色も違うはずだ。
この白銀の髪も赤い瞳も、色を変えていた。
名前だって言わなかった。
だから彼女は、あの時の少年が俺だと気づいているはずもないのに。
混乱する俺を置き去りにして、彼女は極上の悪女のような微笑みをアルフレッドに向けた。それが演技だと気づいたのは、俺の胸に触れたその手が微かに震えていたから。
「私はギルバート様のように悪辣で、抜け目なく、強かな方が好みですの。婚約するならギルバート様ような殿方に選ばれる女性でありたいですわ」
ざわりと大広間の貴族達が激しくどよめいた。
五人いる王子の中で、王位継承争いでは最下位の婚外子。
何かと黒い噂が絶えず「血も通わぬ狂王子」と蔑まれる嫌われ者。それが俺だ。
そう振る舞うことでしか彼女を得る方法がなかったんだ。
そして計画はまだ途中。
ベアトリスが聖女を投げ捨てることも、公衆の面前で迫られることも、俺の予定にはなかった。
「ギルバートだと……? 正気か? 仮にも王族が聖女ですらない無価値な女を選ぶとでも思うのか」
「……っ!」
アルフレッドの嘲笑うような指摘に、ベアトリスの金色の瞳が焦燥に揺れた。
彼女が何を企んでいるかは分からない。
でも、彼女は賭けたのだ。
聖女の地位を投げ捨て、実家との縁を切ってまで、この大博打に出た。
そして、その手札として俺が選ばれた。
誰もが蔑み、忌み嫌う、この血も通わぬ狂王子が。
この好機を逃す?
そんなことはしない。
たとえこれが、プライドの高いアルフレッドへの当てつけや、負け惜しみの口八丁だったとしても構わない。
俺を利用するつもりなら、すれば良い。
どうせこちらも最初から君を逃すつもりなんてないのだから。




