9章
私はグラウンドの片隅でほぅっと息を吐く⋯⋯いや、別にレース前の緊張を紛らわす為ではなく、ただ単にイラつきと、この世の不条理に対して息を吐いただけだ。
日向妃菜の暴走?により――いや全然「?」ではないぞ⋯⋯ダメだ、また腹立ってきた⋯⋯
私はイラつきを静めるためほぅっと息を吐く。
さっきからこの繰り返しだ。そろそろ他の生徒から声をかけられそうな気がする。と言うか来い。
当の本人はと言うと、クラスメイトと談笑している。マジでムカつく⋯⋯
そういえば高橋心和とは仲直りはし⋯⋯ていないな。だって、日向妃菜を殺気を含んだ目で見てるもん。多分、私と同じ目をしている。
「はーい。女子の皆集まってー!」
体育教師からの号令を合図に女子たちが集まる。
「今から1500メートル走しまーす!一斉にスタートするから転倒とか気を付けてねー!」
1年E組の女子は20人ほどいる。それを一斉に駆け出すのだから、体育教師は楽観的と言うか、傲慢と言うか⋯⋯
見れば、この体育教師は女性ではあるが、嫌に筋肉質な身体つきをしている。確か、女子バレーの顧問をしていたっけ⋯⋯
「位置についてー!」
体育教師の声が聞こえる⋯⋯。そういえば、今は体育の授業で1500メートル走をするんだっけ。
「よーい⋯⋯」
体育教師の声に合わせてスタートの姿勢を取る。
にしても、やっぱり納得がいかない。なんで、日向妃菜と勝負しなきゃいけないのか。
「ドン!」
体育教師の飛び切り元気な声に押され、スタートを切る。
と同時に日向妃菜が勢い良くダッシュする。あのペースは間違いなく短距離走のペースだ。ゴールまで持たない。
しかし、練習でもへばった姿を見ていない以上、こっちも気が引けない。
少し後ろに目をやると、高橋心和が前列位をキープしている。
うん。腐っても陸上競技部の長距離グループ。このままいけば、上位でゴール出来そうだ。
ただしかし、本当に納得出来ない。それなら高橋心和を勝負に誘えば良いので⋯⋯は無理か。なにせケンカ中だし。
ふと横に目をやると、ゴール500メートル前の印が映る。
ゴールも近づいてきたしペースを上げるか。こんな野郎に負けるなんて私のプライドが許さない。
日向妃菜もラストとばかりにスパートを切っている。序盤から飛ばしていた割に綺麗なストライド走法で進んでいる。素直に感心する。
だが、私も陸上競技部長距離グループの一員だ。簡単には負けない。と言うか勝ってやる。
⋯⋯あれ?差が縮まらない?
なんで?
どうして?
もしかしてもっと速いペースにした方が良いのかな?よし。上げてみ――
「――いよっしゃああっ!!」
日向妃菜が歓声を上げる。その瞬間――
――あぁ、負けたんだ。
私は直感した。
「やったぁぁぁっ!!!」
まだ喜んでる⋯⋯いい加減見ているこっちも飽きてきた。
さぁ、悔しいが仕方ない。日向妃菜の健闘を称える言葉をかけるとするか。――良いレースだったよ――よし。これでいこう。
⋯⋯負けてないし。
⋯⋯あれ?
「うぉっ!?⋯⋯どしたよ?」
ビックリした表情の日向妃菜が問いかけるが、私もビックリだ。思っている事が上手く口から出ないんだもん。
――よし。もう1回言おう。えぇっと、何だっけ。――良いレースだったよ――か。
⋯⋯私、負けてないし
「⋯⋯すまん。何かしたか私?」
申し訳無さ半分で日向妃菜が問いかける。
⋯⋯スパート上手く切れなかったし。だから、私負けてないし
ダメだ。どうしても思った事とは違う事言っちゃう⋯⋯
「――えっ!?ごめん!」
いきなり日向妃菜が慌てふためいた。一体何があったと言うのだろう。
「ごめん!ごめんて!泣くなって!!」
泣く?何が?⋯⋯あれ?目頭が熱い――
気づけば、私の頬に涙が1筋流れていた。
⋯⋯泣いてないしっ!
「いや、泣いてるじゃん⋯⋯」
私は何て無駄なことを⋯⋯誰でも分かる嘘をついてどうする?日向妃菜がポカンとしてるじゃん⋯⋯
私の思いとは裏腹に、どんどん涙があふれてくる。
悔しい⋯⋯死んじゃいそうな位悔しい⋯⋯
けど、悔しいだけじゃダメだ⋯⋯
⋯⋯負けてないし。
口を開けばこれ。もうダメだ。
私は諦めて、大声で泣き――はしないけど、静かに泣くことにした。だって流石に恥ずかし過ぎるし、それに――
⋯⋯次やったら私が勝つし
――喋ったらこれだし。
「ごめんな」
日向妃菜が優しく声をかける。出会ってから初めて聞く優しい声。
「次もやろっか?でも――」
優しい声のまま日向妃菜が続ける。
「――次も私が勝つけどな」
優しくも年相応にニカッと笑う日向妃菜。
その姿を見て思わず――
――カッコイイと思った。
でも、何かムカつくので――
「グッフェっっ!!」
私は腹パンする事にした。
思いの外強く殴った気がするけど多分気のせいだ。
9章になります。
10章からはまた更新遅くなるかもです⋯