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探り合う女達

「そう」

 姉小路潤からの中間報告に野間口絵梨子は素っ気ない返事をした。

「もう勘弁してくれるかな? 茉祐子ちゃんとは連絡が取れないんだよ」

 姉小路の声が告げる。絵梨子は、

「わかった。ありがとう、姉小路君。また飲みましょ?」

 それだけ言うと、あっさりと通話を切った。

「役立たずめ」

 絵梨子はスマホをバッグにしまうと、舗道を大股で歩き始めた。

(本人に確認するのが一番ね)

 絵梨子は写真の男と会う事を決断した。

(高岡凛太郎、二十五歳。柿乃木啓輔税理士事務所の職員。そこまでわかれば、しめたもの)

 絵梨子は写真に写っていたアタッシュケースとスーツの襟に付けられたバッジを見て、柿乃木税理士事務所の人間だとわかった。

(あの優柔不断男を懲らしめるにはちょうどいい。そして、伊呂波坂の妹と繋がりがあるのなら、伊呂波坂とも無関係という事はない)

 最終的には麻奈未を困らせたいというのが、絵梨子の目標であった。


「どういう事ですか?」

 局の廊下の自販機コーナーで、麻奈未は姉小路から野間口絵梨子の事を聞かされた。

「どういう事も何も、逆恨みだよ。伊呂波坂ちゃん、野間口と大学の先輩後輩なんだろ?」

 姉小路は誰も買わないのでとても熱くなっていたおしるこの缶を我慢できずにゴミ箱の上に置いた。

「そうですけど、それだけで私に嫌がらせって、おかしくないですか?」

 麻奈未はコーヒーの紙コップを持ち直して言った。姉小路は周囲を見渡してから、

「野間口は伊呂波坂ちゃんに男を盗られたって思い込んでるんだよ」

 小声で告げた。麻奈未は溜息を吐いて、

「盗ってなんかいませんよ。野間口さんと交際しているのを知っていたので、お断わりしたんですから」

 姉小路は缶をフウフウ吹きながら、

「だから、思い込みなんだよ。そういう女なんだ。俺も一時期、付き合った事があるんだけど、嫉妬深くてさ。ナイフで刺されそうになった事もあるんだよ」

「ええ!?」

 麻奈未は思わず大声を出してしまい、廊下を見渡したが、幸い誰もいなかった。

「今、野間口はこの男を調べてるんだ。伊呂波坂ちゃんの妹ちゃんと一緒に写ってるこいつ」

 姉小路は麻奈未にスマホの写真を見せた。

「え?」

 麻奈未は驚いてしまった。それは妹の聖生みおが凛太郎を強引に連れて行こうとしているものだったからだ。

「妹ちゃんの彼氏?」

 姉小路は麻奈未の反応が大きかったので、顔を覗き込んだ。

「違います」

 麻奈未はどう説明しようか迷っていた。

(姉小路さんがまだ野間口先輩と繋がってる可能性も考えられるから、迂闊な事は言えない)

 しかも、凛太郎はこれから姉小路達が査察に入る法人と顧問契約をしている税理士事務所の職員である。

「違うのか。じゃあ、伊呂波坂ちゃんも知らない男なの?」

 姉小路はスマホをスーツの内ポケットに入れながら訊いた。麻奈未は完全に知らないととぼけるのは無理があると判断して、

「柿乃木税理士事務所の人ですよ。そのビル、柿乃木先生の事務所が入っているビルですから」

 姉小路はおしるこを一口飲んで、

「そうなの? じゃあ、妹ちゃんはそいつと親しいの? 腕を組んでる程だから」

 麻奈未はコーヒーを飲み干してから、

「さあ。妹に訊いてください。私にはわかりません」

 ゴミ箱に紙コップを投げ込んだ。

「それなら構わないか」

 姉小路はまだ熱そうに缶を持った。

「え? どういう事ですか?」

 麻奈未は立ち去りかけて振り返った。姉小路はまた缶をフウフウしながら、

「野間口は気に入らない女の彼氏に近づいて、強引に自分のものにする事があったんだ。とにかく嫉妬深い上に男に貪欲なんだよ」

 絵梨子が聞いたら、また股間を膝蹴りするような事を言った。

「本当ですか?」

 麻奈未は姉小路に詰め寄っていた。

「どうしたの、伊呂波坂ちゃん? あの男、関係ないんだろ?」

 姉小路は麻奈未の顔が急接近したので、ニヤつきながら尋ねた。麻奈未は自分のリアクションに気づいて慌ててしまい、

「野間口先輩がそんな人だなんて思わなかったから、驚いただけですよ」

 逃げるようにその場から駆け去った。

「どういう事だ?」

 姉小路は麻奈未の後ろ姿を見て、首を傾げた。

(伊呂波坂ちゃんの事を絵梨子にチクっても、俺には何のメリットもないから、黙っとくか)

 姉小路はようやく飲み切ったおしるこの缶をゴミ箱に放り込むと、廊下を歩き出した。

(でも、妹ちゃんも可愛いよなあ。おっぱいも大きいし)

 どこまでもゲスな発想の男である。


「高岡さん、お客様がお見えですよ」

 凛太郎が顧問先から戻ると、受付の樋口ひぐち萌美もえみが告げた。優菜と同期のショートカットの女性である。

「ああ、そう。ありがとう。応接室かな?」

 凛太郎が立ち止まって尋ねると、

「いえ、違います。入口脇のパーティションの向こうのソファにいらっしゃいますよ」

 萌美は申し訳なさそうに言った。

「え? そんなところにお通ししては失礼でしょ?」

 凛太郎が引き返しながら言うと、

「ご本人がそこでいいとおっしゃったので……」

 萌美は更に申し訳なさそうに言った。

「ああ、そうなんだ。ごめんね、知らなかったので」

 凛太郎は両手を合わせて詫びると、フロアの入口の脇に戻って行った。

「税理士の野間口絵梨子先生です」

 萌美は凛太郎の背中に告げた。

「え? 野間口先生?」

 凛太郎は思わず振り返った。野間口絵梨子は新進気鋭の若手の税理士として知られているのだ。もちろん、彼女のプラーベートはそれ程広まってはいない。

(うわあ、何だろう? 何かご迷惑をおかけしたのかな?)

 あれこれ考えながら、凛太郎はパーティションに近づいた。

「お待たせして申し訳ありません、高岡です」

 凛太郎はパーティションを回り込むと、ソファに座っている絵梨子に頭を下げた。

「いえ、アポなしで訪問した私が悪いのですから、お気になさらず。野間口です」

 絵梨子は愛想よく笑って応じると立ち上がって、名刺を差し出した。

「あ、どうも」

 凛太郎はそれを両手で受け取ると右手で内ポケットを探り、名刺入れを出した。

「高岡です」

 一枚取り出して絵梨子に差し出す。絵梨子はそれをじっと見ながら受け取り、

「お時間がありませんので、早速用件に入らせていただきますが、よろしいですか?」

 ソファに腰を下ろして脚を組んだ。凛太郎は向かいのソファに座りながら、絵梨子の大胆な脚の組み方にビクッとした。

(いかん、女性にはそういう視線はすぐにバレるんだよな)

 凛太郎は慌ててアタッシュケースに目を向け、脇に置いた。絵梨子は凛太郎の視線に気づかないふりをして、

「では、お尋ねしますが、高岡さんは伊呂波坂いろはざか聖生みおさんをご存知ですか?」

 凛太郎は思っていたのと全然違う角度からの質問に、

「え?」

 唖然としてしまった。

「高岡さん、聞いていますか?」

 しばらく反応がなかったので、絵梨子が促した。

「え、あ、すみません、伊呂波坂聖生さんなら、知っています」

 凛太郎はそう言ってしまってから、あっとなった。

(まずかったか?)

 聖生は税務署の調査官だ。税理士事務所の職員と知り合いなのはあり得ない事ではないが、迂闊だったと思った。

「どういうお知り合いなのでしょうか? 随分と親しいようですけど?」

 絵梨子はここぞとばかりにスマホを出して、聖生とのツーショット写真を見せた。

「あっ」

 凛太郎は聖生と腕を組んでいる写真を見せられて、頭の中が真っ白になりそうだった。

(この人、どういうつもりだろう? 聖生さんと俺の事を調べて、どうするつもりだろうか?)

 聖生との事を説明するとなると、どうしても麻奈未の事を話さない訳にはいかない。しかし、麻奈未との交際は秘密にして欲しいと言われている。

(でも、別れを切り出されたんだから、もう交際している事にはならないよな?)

 別れたからと言って、秘密にして欲しい事を話してもいいという事にはならない。凛太郎は混乱していた。

「もしかして、お付き合いされているのですか?」

 絵梨子は凛太郎の目が泳いでいるのを見て訊いた。凛太郎はハッとして絵梨子を見ると、

「いえ、その、聖生さんとはお付き合いはしていなくてですね……」

 また墓穴を掘るような事を言ってしまった。

「聖生さんとはお付き合いはしていない? では、どなたとお付き合いされているのですか?」

 絵梨子はフッと笑って凛太郎の顔を覗き込んだ。凛太郎の顔に汗が噴き出した。

(もう言ったも同然よ、高岡凛太郎。貴方は伊呂波坂麻奈未と付き合っているんでしょ?)

 絵梨子は確信を得て凛太郎を睨んだ。

「ええと、それはですね……」

 凛太郎は汗が止まらなくなっていた。すると、

「私とお付き合いしているんです、野間口先生」

 いきなり優菜が現れて、絵梨子に大声で言った。

「え?」

 凛太郎と絵梨子はほぼ同時に優菜を見た。

「そうでしたの。それは失礼しました」

 絵梨子は優菜を見ると慌てて立ち上がり、

「では」

 そそくさとフロアを出て行ってしまった。

「大丈夫ですか、高岡さん?」

 優菜はしばらく絵梨子が出て行ったドアを見ていたが、凛太郎がぐったりとソファにもたれているのを見て尋ねた。

「はい、何とか」

 そんな二人のやりとりを一色雄大と柿乃木啓輔がそれぞれ違うドアを開いて見ていた。

(どうしてあいつが来ていたんだ?)

 啓輔は顔面蒼白になっていた。

(高岡、調子に乗るなよ)

 一色は顔を真っ赤にしていた。

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