第101話 聖女は魔法の絨毯に揺られて
歓迎の宴を終え、わたくしとフクは宛てがわれた部屋へと戻ってきました。
信じられないぐらい広く、豪奢な客室です。
「こんなに広くて立派な部屋だと、落ち着いて眠れませんわ。ねえ、フク」
「うん? そうかい? オイラはもう、ウトウトしてきたよ。このベッド、大きくて寝心地がいいから」
「もう。フクの裏切り者」
巨大なベッドの真ん中で、フクは大あくびをしていました。
モフモフな体は布団に沈み、埋もれています。
「仕方ありませんわね。星空でも眺めながら、眠くなるのを待つとしましょう」
幸いこの部屋には窓があり、外がよく見えます。
星空を視界に収めようと、わたくしが窓辺へと近づいた時です。
「お嬢さん。眠れないのなら、俺と一緒に空の散歩なんてどうだい?」
聞き慣れた声が、窓の外から響きます。
わたくしはビックリして、窓から身を乗り出しました。
するとそこには、空中に浮遊するリュウの姿。
彼は魔法の絨毯の上に立ち、腕組みしながら微笑んでいました。
「深夜に淑女の部屋を訪ねるなんて、いけない人。これは、魔王様に言いつけなければいけませんわね」
「魔王様はお子ちゃまだから、今ごろ夢の中さ。それに今からヴェリーナも、夜遊びの共犯になるんだからな」
共犯――
なんだか、ワクワクしてしまいますわね。
不良になった気分です。
「フクはどうしますの?」
「オイラは行かなーい。2人のデートを邪魔するほど、野暮なにゃんこじゃないよ。それにもう、眠いしね」
手を振る代わりに尻尾をピョコピョコと振り、フクは丸くなってしまいました。
とても、気が利くにゃんこです。
「それじゃ、行こうか」
「ええ、よろしくお願いします」
ちょっと、驚かせてやりましょう。
わたくしは「とうっ!」と窓からジャンプして、リュウに飛びつきました。
「おっと。お転婆な聖女様だな」
――ぬ。
リュウはちっとも焦らずに、わたくしを抱き留めてしまいました。
固く鍛えられた胸板は、ビクともしません。
少しは、驚かせられると思ったのに――
リュウに促され、わたくしは絨毯に腰を下ろします。
「さーて。星空のクルーズに、出発だ」
体が後ろに引っ張られる感覚。
倒れないよう、リュウが手の平で背中を支えてくれます。
魔法の絨毯は加速し、ブレイズシティ上空へ。
雷竜領のシーナ=ユーズと同じく、眠らない街。
シーナ=ユーズは電灯の割合が多かったのですが、ブレイズシティは魔法灯ばかりです。
幻想的な淡い光が、砂漠のオアシスを彩っています。
絨毯はグングンと速度を上げ、ブレイズシティの外に出ました。
「まあ! 夜の砂漠も、素敵ですわね」
砂漠の夜は暗い。
ですが今宵は、月が出ています。
白い砂は月光に照らされて、虹色の輝きを放っていました。
夜でも相変わらず、「虹色の砂漠」なのですわね。
寒さに全身が、ブルっと震えました。
ブレイズシティの空調魔法効果範囲から、出てしまったのですわ。
すかさずリュウが微弱な風と火の魔法を発動し、絨毯周りの空気を温めてくれます。
おかげで、快適に空中散歩を満喫することができますわ。
わたくしはただただ、綺麗な星空と砂漠を楽しんでおりました。
しかしリュウに視線を向けた時、気付いてしまったのです。
笑顔の裏に潜む、迷いのようなものに。
「……リュウ? 何か、悩みごとでもあるのですか?」
「ああ……なんでもねえ……。いや、なんでもなくはねえか。実はヴェリーナの言う通り、悩みごとがある」
「それを、わたくしには話してくださいませんの?」
「話して解決するようなことじゃねえしな。ヴェリーナの負担が増えるだけだ。大丈夫、自分でなんとかするよ」
腹が立ったので、わたくしは貫手をリュウの脇腹に突き立ててやりました。
力は全然入れておりません。
身体強化魔法も発動していなかったので、大したダメージはないはずです。
ですが思いのほか、リュウは痛がっていました。
「痛ててててっ。何するんだよ、ヴェリーナ」
「リュウが恰好つけて、変に強がるからいけないんですのよ? ……わたくし達は番。そして、夫婦にもなるのです。悩みは分かち合い、2人で解決していくものではなくて?」
「ううっ、おっかねえ嫁さんだ。……だけど、そうだな。ヴェリーナの言う通りだ。話すよ。……俺の悩みその1。エンシェントドラゴンの声についてだ」
「『人族を滅ぼせ』という声……。リュウにも聞こえているのですわね」
「ああ、ミツキとの戦闘後あたりからだな。あの頃から俺は、エンシェントドラゴンに目を付けられちまったらしい」
「リュウはその声に従って、『人族を滅ぼしたい』気分になりましたの?」
「まさか! そんなことは、死んでもやらねえよ」
「だったら、何も心配することはありませんわ。わたくしの知るリュウ・ムラサメは、強くて優しい竜人族。得体の知れないドラゴンゾンビの声になど、惑わされはしません」
「分かっちゃいるけど、怖いんだよ。俺がもしあの声に乗っ取られて、ヴェリーナ達人族に牙を剥くなんてことになったら……」
「その時は、わたくしが責任を持って阻止します。得意の力づくですわ」
「意外だな。力づくとかそういうのは、相変わらず嫌いかと思っていたぜ」
「ええ、嫌いですわ。だからわたくしに拳を振るわせるような事態は、起こさないでくださいませ」
「……分かった、全力を尽くす。ミランダさんとの約束もあるしな」
「死んでもわたくしを悲しませないという、あれですわね。しっかり守っていただきますわ。……それで、悩みごとその2は?」
答える前に、リュウは魔法の絨毯を反転させました。
ブレイズシティと魔王城が、視界に入ります。
「悩みごとその2は、今後の身の振り方についてだ。俺は魔王になんざ、なるつもりはねえ。だけど……だけどよ………」
火竜領の人々は望んでいる。
リュウが、ムラサメ家魔王竜の称号を継ぐこと。
そしてルビィ様から魔王の座を引き継ぎ、魔国ヴェントランを治めることを。
「リュウはどうして、魔王になりたくないのですか? 冒険者を続けたいから?」
「親父と同じ、ミスリル級になるっていう目標は達成できた。だからもう、冒険者を続けることにあんまりこだわりはねえ」
「ならば、なぜ?」
「俺はいちどムラサメ家を……そしてこの魔国ヴェントランを、捨てた男だ。そんな奴が今さらノコノコ戻って来て、『魔王になる』なんて言っても誰もついて来やしねえさ」
「そうでしょうか?」
少なくとも魔王城にいた方々や、赤竜魔法兵団の団員達からの信頼は厚いようです。
国を出る前に、リュウが築き上げた人望でしょう。
それにタツミ様と同じ、ミスリル級冒険者まで昇りつめての帰郷なのです。
武力を尊ぶ魔国において、これ以上の魔王継承者はいません。
内政や外交に関することは、文官さん達がフォローしてくれるようです。
聞いたところによると、ルビィ様はそちらの方面がさっぱりなのだとか。
政治の世界とは無縁だったリュウでも、問題はないはず。
「わたくしは、どちらでも構いません。冒険者の妻でも、魔王の妃でも。……リュウ、心のままに生きてください。この国が……故郷が好きなのでしょう?」
「そりゃ、好きだが……。俺が最優先したいのは、ヴェリーナとの幸せだ。魔王の伴侶は大変だぜ? 親父がそうだったように」
「きっとタツミ様は、あの世でこう思っているはずですわ。『魔王の伴侶で、最高に幸せだった』と。素敵な奥さんと、自慢の息子がいた人生だったのですもの」
「そうか……そうかもな。……いつもヴェリーナは、こうやって心を癒してくれるな。ありがとう、俺の聖女様」
「わたくしはもう聖女ではないと、あれだけ……」
「肩書なんて知るか。俺の聖女様として、一生崇め奉ってやる。覚悟しておけ」
一生ですって?
そんなの、なんだか恥ずかしい。
ですがリュウと共に歩む人生を想像すると、胸が温かくなります。
気づけば、顔と顔が近づいていました。
唇と唇も――
吐息がかかりそうなほど、近づいた時――
「ちょっと待った。何か、視線を感じるぜ」
キスを取りやめたリュウは顔を引き、周囲を警戒し始めます。
ここは、空なのです。
覗いている者など――あっ!
「魔王城のテラスに、望遠鏡でこちらを見ているルビィ様がいらっしゃいます」
身体強化魔法で視力を強化し、なんとか見える距離です。
わたくしでなければ、発見できなかったでしょう。
視線を感じ取れたリュウは、凄いですわね。
「くそっ、もう起きやがったか。せっかくいいところだったのによ。戻ったら、説教してやる」
「どちらが親か、分かりませんわね」
リュウが魔王城に向けて絨毯を飛行させると、ルビィ様は慌てて退却を始めました。
ふふふ――
逃がしませんわよ? ルビィ様。
わたくしも、ちょっと怒っているのです。
なにか、お仕置きが必要でしょう。
ああ――
オーロラリリィの高原に続き、リュウとの初キスはお預けです。
わたくし達、婚約者同士ですのに――
「仕方ねえか。ま、結婚式を挙げる時に、ゆっくりとな」
そう言われて、すごくドキドキしてしまいました。
リュウの唇に、視線が引き寄せられてしまう自分が恥ずかしい。
今回も残念でしたが、機会はまだまだ沢山あります。
きっとリュウのことですから、優しくて情熱的なキスを何度もしてくれることでしょう。
夫婦となるわたくし達の時間は、これからもたっぷりとあるのですから。




