ラーメン編『友達を作ろう。‐奈良炎上‐』‐8
リリィ・暁之宮。
金髪碧眼の令嬢。
炎熱格闘術の使い手。
嫉妬に狂う女。
本来ならば、そうあったはずの存在――ならば。
僕は違うのだろうか。
二十世紀の日本に生まれ、二十一世紀の初頭の世界で生きていた、この記憶は――僕がリリィ・暁之宮ではないという証拠になりえるのだろうか。
――否。
僕は、りりィ・暁之宮だ。それ以上でも以下でもなく、ただ少し、前世の記憶があるだけの――恋に生きる女学生なのだ。
――前世の記憶。
知識がある。前世、なにをしていたかも、なんと呼ばれていたかも。
けれど、それは僕にとっては記憶でしかなく、知識でしかなく、僕が僕として――つまり、りりィ・暁之宮として――生きてきた十六年間は、正真正銘リリィ・暁之宮の人生だ。
一人称とか、考え方とか、身の振り方とか――いろいろと、影響されてしまった面はあるけれど、それらも含めて僕だ。
だから、言う。
「――お父様が、わたくしのことを取り換え子と呼ぶのは仕方のないことなのでしょう」
でも。
「わたくしは」
玲王・暁之宮のことを。
「お父様のことを――まぎれもなく、わたくしのお父様であると、そう思っておりますの」
ごう、と炎が舞った。
周囲は開けた草原のような場所。地面に描かれた魔法陣が煌々と輝き、そこから漏れ出た魔力が炎となって踊っている。
暗い夜空は地面に広がる炎に照らされ、闇は遠くへと押しやられた。
僕は魔法陣の中央に置かれ、縛られ、座っている。
「ですから、お父様。この儀式は無意味だと――そう信じますわ。この儀式によってわたくしから祓われるものなどなにもなく、ただ、このままのわたくしが残ると――そう、信じておりますの」
僕を見据える玲王・暁之宮は、短く、そうか、と言った。
「――言いたいことはそれだけかい?」
「お父様――……」
彼は僕を無視し、背後に控えるおりん・スチュアートに合図した。
「儀式を始めるよ、おりん」
「御意に。ですけど、玲王様。もしも――」
は、とおりんさんは煙管の煙を吐いた。
「もしも、ですが。儀式を行ってもお嬢様が変わらずこのままだったら、どうするってんですかい?」
「……それはどういう意味だい、おりん」
玲王・暁之宮の微笑。おりん・スチュワートはそれを直視せず、また、は、と煙を吐いた。
「後悔だけは――してくれってことさ。玲王様――なあ?」
「……無論だとも。ねえ、おりん。僕が後悔しなかったことがあったかい?」
「……さようで。だったら、もうなにも言えねえわな」
おりんさんは口から煙管を離して、すう、と深く息を吸った。
そして。
「――【たかあまはらに かむづまります かむろぎかむろみのみこともちて すめみおやかむいざなぎのおおかみ――】」
唱え始めた。
☆
光が舞った。
おりん・スチュワートの厳かな声に呼応するように、舞い踊り――時に激しく、時に穏やかに、魔法陣の形をしたそれは百面相の表情を見せた。
凄まじいまでの魔力が巡り、循環し、龍脈からは自然の霊力が持ち上げられ、それらはすべて僕を浄化する清流となって流れている。
光。光。また光。
すでに、僕の認識能力はこの身を通り抜ける禊の霊力によって押し流され、光の舞以外を見ることがままならない。
いや、すでに光の舞すら、視力によって見ているわけではないだろう。
ただ、わかるのだ。わかるから、見えると――そう思っているだけだ。
光。溶けて、光。
あるいは、融けて、光。
おおお、おおお、と耳元で音がする。――否、これも錯覚だ。本当は音なんて聞こえていない。
光を認識しようとする健気な僕の脳が、聴覚で霊力を捉えようとして失敗しているのだ。おりん・スチュワートの祝詞だって、聞こえているような気がしているだけ――。
光は光。光は光でしかない。
けれど今や、光は僕だった。
光は僕で、僕は光だった。
身体の感覚などなく、ただ光があった。
視覚など錯覚に過ぎず、ただ光があった。
聴覚などとうにはじけ飛び、ただ光があった。
嗅覚など鼻ごとなくなって、ただ光があった。
触覚などそもそも触れる身体がなく、ただ光があった。
味覚など感じ方さえ忘れてしまって、ただ光があった。
ここに禊は為された。
僕は光。
光は僕。
ぎゅるりぎゅるりと回る光の世界が僕自身。
ぎゅるりぎゅるり、ぎゅるりぎゅるりと回って、回って、そして――僕は身体を取り返す。
暗い星空を瞳に映す。
風にざわめく炎と草花の立てる音が耳にうるさい。
触媒となった数種の薬草が焦げるにおいがする。
腕に縄の感触。依然、縛られている。
そして、舌――思い出す。
――ラーメン、食べたいですわね。
くく、と己のことながら笑ってしまう。ずいぶんと、亜理紗に影響されてしまったようだ。
目線を上げれば、玲王・暁之宮が微笑を湛えて立っている。
どういえばいいだろう。なにをいえばいいだろう。
少しだけ考えて、僕は言った。
「そういうわけで、今後もお父様と呼んでもよろしくて?」




