ラーメン編『友達を作ろう。‐奈良炎上‐』‐6
取り換え子。
ヨーロッパの伝承で、子供がいつのまにか悪魔や妖精と入れ替えられている――という、まあ、怪談のようなものである。
――お父様はわたくしのことをそう呼びましたわね。
だとすれば。
玲王・暁之宮は、僕が純粋なリリィ・暁之宮ではないことに気付いている――。
「……はあ。で、ここはどこでしょうね」
床は畳。それが四つで、つまり四畳。
そこに、亜理紗と一緒に押し込まれている――妙な体勢にもなるわけだ。これだけ狭かったら尻に頭突っ込んでも仕方ないよね。なくないか。
薄明りがある。格子窓から光が入っきている。
光の色は銀に近い。月光だろうか。
入口らしきものは木製で、しかし、ドアノブなどのとっかかりになるものがない。のっぺりとした扉だ。
――監禁用の部屋ですわね。
「とりあえず目隠し取ってくれないかね?」
「わかりましたわ」
僕は亜理紗の尻に頬ずりするのをいったん止めて、縄の様子を確かめる。
――これなら魔法使えば引きちぎれますわね。
心臓から魔力を送り出し、唱える。
「――【陽炎舞】……っと、あら?」
「……? リリィ君?」
くら、と視界が明滅して、気付けばまた亜理紗の尻に頭から突っ込んでいた。
「あの、リリィ君? さすがにセクハラをいい加減にしないとそろそろ怒るよ?」
「あ、いえ、その、それがなにやら、魔力切れのようで――でも、おかしいですわ。わたくし、自動車でもそれほど魔力を使っていませんのに……」
戦闘はエドガー、リューが肩代わりしてくれたし、玲王・暁之宮からの不意打ちには魔法なんて使う隙も無かった。
だから、MP切れなんてそうそう起こるはずがないんだけれど――。
「……【生えろ】」
と、亜理紗が呟いた。森林術師ならではの短縮詠唱だ。しかし、
「ダメだ。魔力はあるけれど、触媒が奪われている。――【地母神】なら発動できるけれど、それでこの状況を打破するのは難しいな」
「……あ、じゃあこういうのはどうですの? 【地母神】でエレメントハーブを作り出して、わたくしがそれを呑みますの」
エレメントハーブ。
MP回復アイテムである。植物であるなら、【地母神】で再現できると思ったのだけれど、亜理紗は乗り気ではないようだった。
「……まあ、無理ではないけれど、やめておきたい。魔力を帯びる実在しない植物を生み出すには、魔力以外に捧げるものが必要になる。具体的にはHPだ」
「それって、自爆技扱いってことですの?」
「そうなるね。正直、HPを全損する覚悟でやれば、オオカムヅミだって作り出せる自信があるけれど――死んでまで作り出すものでもないだろう?」
オオカムヅミ。
桃のアイコンのアイテムで、ストーリー一周につきひとつ手に入る、伝説のアイテムである。
そして同時に、それは、救済アイテムでもあった。
オオカムヅミ――黄泉から逃げ帰るイザナギ命が雷神を祓うために用いた、黄泉平坂に生える桃をルーツとするアイテム。
ゲームでの効果は壊れの一言に尽きる。HPMPが全回復し、全状態異常に対する耐性を付加し、そして、これが最も大きな特徴だけれど、一定時間レベルが倍になるのだ。
レベルアップによってステータスを伸ばすゲームにおいて、レベルが倍になるというのは、全てのステータスが倍になることに等しい。
低レベルクリアでも目指していない限りは、『使えば絶対に勝てるアイテム』――それが、オオカムヅミ。
「……エレメントハーブのほうも、相当消耗しないと作れなさそうでね。それに――どうやら、お客が来たようだ」
と、亜理紗が、息をひそめるように、しー、と言った。
はっとして耳を澄ませると――がたん、と音がした。
扉のほうだ。たん、たん、と床を踏む足音が聞こえる――だんだん近づいてくる。
次は、かたん、かたんと軽い音がふたつ鳴った。
そして最後に、ぎぃ、と分厚い木製のドアが軋みながら開いた。
男がいる。細身で、微笑を顔に張り付けた優男。
――お父様。
予想通りというかなんというか、そこにいたのは玲王・暁之宮だった。
「やあ。よく眠れただろう、取り換え子。事後承諾で申し訳ないが、君の魔力は自動車の運転のために奪わせてもらって――。……なぜ【地母神】の尻の上に顔を……?」
「ちょっとした事故ですわ、お父様」
亜理紗が小声で故意の事故は事件だと呟いているが、無視する。まあ確かに事件ではあるけれど。――恋の。
「なにを得意げな顔をしているんだい、君は。というか――まだ僕を父と呼ぶんだね、取り換え子め」
「……お父様は、わたくしのことをもう娘とは呼んでくださりませんの?」
くく、と玲王・暁之宮は笑った。
「呼ぶだけなら簡単さ。今まで通り、本心を隠せばいい。――けれど、すでに本心を隠す必要はなくなった。偽物、君はもうすぐいなくなる――」
彼はスーツの袖をまくって、あるものを僕に見せた。
それは、
「……魔紋……? それも、亜理紗のものと同系統――とすると、それが【薬祖神】とかいう術式ですの?」
一部だけれど、蛇のようにのたくるトライバル風の術式魔紋が、袖の奥へと続いている。
「如何にも。取り換え子、わかるかい? これは君を殺し、僕の愛しいリリィを取り戻すための術式だ」
玲王・暁之宮は、嬉しそうに――本当に嬉しそうに、笑って、言った。
「炎熱系にチューニングした創薬御祓術式【薬祖神】……病も、呪いも、そして人に憑いた悪魔でさえも燃やしてしまう霊薬を作り出すことができるんだ。唯一使い勝手が悪い点をあげるとすれば、霊薬の材料となる植物のほとんどが滅んでしまっていることだけれど――」
彼はすたすたと歩み寄ってきてしゃがみ込み、横たわる亜理紗の目隠しを力任せに剥ぎ取った。
「助六はいい仕事をしてくれていたようだね。ちゃんと、そのあたりも考えておいてくれた――。ねえ、【地母神】の担い手」
「……【薬祖神】の使用に際して、手助けはしないと言ったはずです、暁之宮様」
「そうだね。で?」
肩をすくめて、言葉を続けた。
「それが? まさか、その程度の口約束を僕が守ると思っていたのかい? この僕が――欲しいものは力ずくでも手に入れる、この暁之宮の当主が。そして――わかるか? 16年だ」
彼は、今度は僕の顔に手を添えて、言う。
「16年間、待ったんだ。お前から娘を取り戻す時を、だ。お前を娘のように育てながら――16年間」
「……それは」
「お前はうまく演じているつもりだったようだけれど、あまり親を舐めるなよ、取り換え子。すぐに気づいたさ――。けれど、お前からは娘の身体を取り返さなきゃならないからね。そう邪険に扱うわけにもいかないだろう?」
――この人は。
僕は戦慄した。
この男は、僕のことを殺すために、16年間――16年間も。
彼からすれば得体のしれない悪魔である僕を、そうと知った上で娘同然に育ててきたのか。
「……さて、そういうわけで、最後の下準備をしようか」
玲王・暁之宮はなんでもない風に、僕の顔の下から亜理紗をひょいと持ち上げて、担いだ。
「……亜理紗を連れていく気ですの!?」
「当り前だろう。この娘がいないと、触媒が揃わないからね」
「私は協力など――」
「しないとは言わせないよ、【地母神】の担い手。もしも、君が協力しないというならば、仕方がない。娘を救えないなら、僕は悪魔を殺すしかなくなるけれどね」
ぐ、と亜理紗は言葉を詰まらせて、うう、と呻いたあと、捨て台詞を吐くように言う。
「……この悪党め」
それに対して、玲王・暁之宮は、やはりいつも通りの微笑で答えた。
「なんだ。よく知っているじゃないか」




