ラーメン編『友達を作ろう。‐奈良炎上‐』‐2
接敵まで5秒。車が通過するまで10秒。
それが、リュー・ノークランの見たおりん・スチュワートまでの距離だった。
――つまり、9秒以内におりんさんにどいてもらわないといけない。
思っている間に8秒になった。
「【ダーク・ボム】っ!」
闇色の魔力を足裏や背中で爆発させる。闇の魔力はノークラン自身には作用しない。純粋な衝撃波だけが彼に届き、彼の体を強引に前へと押し出す。
【陽炎舞】のように効率的ではないが、それでも一瞬だけなら車より速い――。
「おお……!」
吶喊。
全身全霊の魔力で突き進む。
――どうせ、遠距離なら勝てない。俺も後衛だけど、後衛同士の戦いになったら絶対に火力で負ける……!
だから、突っ込む。せめて、近距離。そこに持ち込まなければ勝負にすらならない。
おりん・スチュワートの魔法を見たのはジャイアント餓鬼のときの一回だけ。
だが、だいたいの原理はわかる。
――英国式精霊術……魔力を精霊に渡して代わりに魔法を使ってもらう一時的な契約術式。そのせいで、通常なら詠唱から発動までにタイムラグが発生する『遅い』術だ。
しかし、目の前のおりん・スチュワートにその理屈は通じない。
彼女は煙管を口から離して、す、と軽く息を吸った。7秒。
――なにか来る!
直感だった。
「【ダークシールド】っ!」
身体の前方に、闇色の盾を作り出す。足は止めない。というか、衝撃波で無理やり推力を得た身体はすでに止まれない。
おりん・スチュワートは口をすぼめて、息を吐くように――長大な炎を吐いた。
ぼおおう、と瞬時に熱膨張した空気が突風となって渦巻き、鳴いた。
無詠唱の火炎放射。『遅い』どころか、詠唱がないぶんむしろ『速い』。
――規格外の術師すぎる……!
ダークシールドは火炎放射に触れた瞬間、爆発した。そういう術式なのである。爆発反応装甲――外部からの衝撃を受けて爆発し、その反発力で衝撃を軽減する。仕組みはそういうものだ。
火炎放射は一瞬だけ、その炎を爆発の衝撃波で散らした。
6秒。その一瞬を、リュー・ノークランは駆け抜ける――。
熱された空気が肌を焼いても、気にせず往く。
「おおおお……!」
おりん・スチュワートは口から火を吹くのをやめて、煙管を咥えなおし、右手をこちらに構えた。5秒。
右手から炎で構成された猛禽が飛び出し、矢のような速度でノークランめがけて突っ込んできた。
――詠唱で防御――は、駄目だ。間に合わない……でも俺が避けたら車に当たる……!
迷いは一瞬。
ノークランは猛禽に対して、開いた右手を叩きつけ――
「ぐぅ……!」
そのままの勢いで右手を握りこんだ。
それは、炎の精霊を素手で掴むという暴挙。
ゴッ、と勢いよく彼の右腕が燃え上がる。
だが、
――よかった、俺生きてる!
脳みそがいろいろショートしたのか、右手は痛いとか熱いとかを通り越して感覚が消滅している。
もう右手は使えない――ひょっとしたら一生使えないかもしれない。
それでも、4秒。
予定より1秒遅れて、ノークランはおりん・スチュワートへと勢いよく殴りかかった。
魔法もなにもない。
後衛魔術師はそれが最善だと信じて左拳を振るった。
狙いは身体の中央、胸のあたり。上下左右前後、どこに避けられてもどこかには当たるだろうという大雑把な狙いのつけ方。
――喧嘩はわかんねえからよ。
わかるのは、魔法だけ。そういうキャラだ。前世でも取っ組み合いなんてしたことなかった。
「ほ」
だが、おりん・スチュワートは半身になってその拳を避けつつ、ノークランの胸元と延ばされた左手を掴んで――
「よいせっと」
軽い掛け声とともに、背負い投げの要領でノークランを地面に叩きつけた。
速度が出ていた分、その威力は半端ではなく、誇張ではなくドカンという音さえした。
残り、3秒。
リュー・ノークランは衝撃で空気を吐きそうになり――けれど、歯を食いしばって耐えた。
――ここで酸素吐いたらマジで詰む!
詠唱しなければ戦えない己が、どうして空気を失えようか。
だから、耐えて考える。
どうする。どうする。どうする。
残り2秒。
自動車は、暁之宮のお嬢様はノークランを信じて突っ込んできている。
おりん・スチュワートは自動車のほうに顔を向けて、左手をそちらに向けようとしているのか、ノークランの襟から離した。
なら、どうする。どうすればいい。どうすれば勝てる――?
否。
――勝たなくていい、とにかくおりんさんを自動車の通り道からどかせればそれで条件は整う。
だったら。
「――【スーサイド】」
残り1秒。
吐き出しそうになっていた酸素を、ようやく解放し。
ノークランは、自分を爆発させた。
☆
おりん・スチュワートは華麗に地面に降り立ち、去っていく自動車と、半ば地面に埋まった少年を見て、己の敗北を悟った。
「……いや、あんた、馬鹿かい。自爆技なんて」
「……いや、これで……これでいい」
息も絶え絶え、といった様相で、リュー・ノークランは言った。
「車高の都合で、俺が地面に半分くらい埋まらないと自動車が通れないだろ。俺自身も道から退かなきゃいけなかったからな。爆発の衝撃は上に行くから、衝撃の発生源を俺自身にすれば俺は下に押し込まれるって寸法さ」
「それが馬鹿。あんた、おいらがお嬢様を追いかけたらどうするつもりだった? 道を空けつつ、お嬢様を守らないと、完璧な勝利たァ言えんだろうに」
「……追いかけるのか?」
「さてね」
おりん・スチュワートは笑って、服についたすすけた汚れを払った。
「ま、ヘタレのわりによく頑張ったし、そのぶん、ちょとだけ譲ってやるとすっか」
「そうか。やっぱりあんた、お嬢様の味方、したかったんだな」
「それはちげえな。おいら、旦那様とリリィ様、両方の味方だから」
「……よくわかんねえな、あんた」
最後にそう言って、リュー・ノークランは意識を失った。