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ラーメン編『スープを作ろう! 畜生街道激闘伝』‐5



 余談であるけれど、大正時代ともなれば、牛肉だろうと豚肉だろうと手に入れることはさほど難しくもなかった。

 牛鍋は明治時代から食の流行の大部分を占め、牛鍋食わねば開けぬやつ――つまり、文明開化できないやつ――なんて言われ方さえした。

 豚というものは琉球や薩摩藩ではよく飼育されていたものであるから、大正時代となった現在、華族である僕でさえ手が伸ばせない高級品である――なんてことはまったくない。

 鶏は関西では江戸時代からわりとポピュラーな食材であったようだし、日本人は昔から足の多い動物を食べることを厭うから――2本しか足のない鶏は、牛馬食に抵抗のある人々にもそれほど忌避されずに受け入れられたという。

 だから、食材自体はすぐさま手に入った。父との会談後、時間があったので彌生に命じてみたら、明日の朝には用意できると断言された。

 曰く――鶏と豚程度の食材、暁之宮家の令嬢である僕が、欲しいと言ったのだから――それはもう、手に入らなければおかしいのだそうだ。


「……ふあ」


 あくびをかみ殺す。

 手に入れなければおかしいにしても、それは簡単に手に入るというわけではない。

 本来の歴史ではどうだか知らないけれど、この世界において、動物性たんぱく質は貴重である。

 人口が一気に3倍に膨れ上がり、50年を経て現在、この狭い島国にどれほどの人数が押し込まれているのか、正確に数えることはできないとされている。

 だが、人が増えたところで、人が食う肉が増えたわけではないのだ。

 貧乏人の2人に1人が餓死するとまで言われた頃があった。星墜ちからしばらくしたころだったという。

 星墜ちの頃の人口はざっと3500万人だから、1億人超の人間が住んでいたはずだ。

 ――正史の世界の記憶があるわたくしからすると、普通に感じる数字ですけれど、これ、よく考えてみるとエグい数ですわよね。

 人間を縦方向に効率よく収納できる団地やマンション、発展した農業に安定した輸入、これらの要素があって人口が増えたのとはわけが違う。

 星墜ちの前年くらいから急激に流入が始まり、1年経たずして3倍に増えた人口を支えられるほど、この日本という国に食えるものはなかった。

 森林術師が政府に雇用され、信州をはじめとする盆地で大規模な魔術的稲作が行われるようになって、ようやく路上で餓死する子供を見なくて済むようになった――と、父は言っていた。

 魔術的稲作様様である。

 ――けれど、それはあくまでも主食の話ですわね。

 そう。

 当たり前の話だった。

 人は、米だけを食べては生きられない――。


「……授業初日に寝たらどう思われるかな」

「叩きだされますわね」

「じゃあこうしよう。私は病欠で、よく倒れるんだ――つまり授業中に意識を失っても不思議ではない」

「ゲームと同じ容姿ならともかく、そのシャーマングラフィックで倒れられたらなにかの呪いとしか思えませんからやめてくださいませ」

「ならどうしろというのだね」

「寝ないでくださいな」


 言い返しながら、僕だって寝ないように必死だった。

 昨夜、徹夜しながら今後の計画を練っていたのだけれど、どうしてもネックになるのが植物以外の食材をどう確保するか、という問題だった。

 ――森林術師は肉を作れない。

 稲も野菜も足りている。彼らのおかげだ。けれど、肉は増やせない。必然、起きたのが肉の乱獲と高騰だった。

 ――暁之宮の令嬢であるわたくしが欲しいと言えば、手に入る。それは言い換えれば、わたくしレベルの人間でなければまず手に入らないものだということ――ですわね。

 思えば、今まで15年間、飯の主役は魚だった。たまに肉も出るので、そんなものか、と雑に捉えていたが、なるほど、東京湾が近いから比較的魚のほうが安いだけで、鶏も豚も値が張るからあまり膳に並ばなかったのだろう。

 厄介だ。使いたい部位がとりあえず骨だけ、というのが特に厄介だ。

 ふあ、と出てきたあくびをかみ殺す。

 馬車の中で2度も寝てしまっていたが、馬車が止まればそれ以降は必死に起きていなければならないだろう。令嬢なのだし。

 魔術学院は初日からけっこうがっつり授業がある。

 とは言っても、所詮は大正時代の学校だ。昼過ぎには終わるのだけれど。

 馬車が止まった。


「お嬢様、学校に到着いたしました」


 と、彌生の声が扉の向こうからする。鼻血は止まったのだろうか。止まっていてくれないと困るが。


「……それでは、行きましょうか。開けてくださいます?」

「ふむ、ここから外モードというわけか。では、不肖この私がエスコートさせていただこう」


 そう言って、亜理紗は馬車の扉を開けた。

 ざわざわした通学時の喧騒がある。

 そして、彌生がうやうやしく頭を下げていた。


「どうぞ、こちらへ――」


 彌生は頭を上げて、亜理紗に手を差し伸べた。タラップを降りるとき、こうして手を差し伸べるのも従者の役割のひとつだということだろう。

 ――いい従者ですわよね。

 こちらの意図を組んでくれるし、家と外とで態度の違う僕と上手く折り合いをつけてくれている。


「あら?」


 そんな彌生が声を上げて、亜理紗の首元を凝視した。きっちりと締めた小袖の胸元――いや、もう少し上か。そのあたりを凝視している。

 そういえば、女性が和服の胸元をきつく締めるようになったのは欧米文化が流入してきて以降だという。帯を締める位置も昔より上がって腹に巻かれるようになったらしい。私見ではあるけれど、西洋のコルセットや女性の貞操観念が当時の日本人女性のファッションに影響を与えたんじゃないだろうか。

 なんて、うつらうつらと考えていると(これは完全に寝る前にいろいろ意識が混濁する状態だ)、彌生が言葉を続けた。


「亜理紗様、首筋に痣のようなものが。ご乗車になられた際はそのようなものはなかったように思うのですが――」


 と、少しばかり顔を近づけて確認し、


「あっ」


 そう短く叫んだ。


「……では、どうぞ、続いてお嬢様も」

「いや、彌生君、それには及ばないさ。リリィ君は私がエスコートしておくので、キミは――鼻血を拭いてきたまえ」


 いい侍女なんだろうか、これ。





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