白い本3
若き賢者と謳われても聖人ではないので、パレイゼも好き嫌いというものがある。特に人の好き嫌いは、表にはあまり出さないけれど、しないとは絶対に言えない程度にある。ここ最近だと、王国騎士団に所属するラドルフ・ファイトという騎士を敵として認識したばかりである。
ラドルフ・ファイトはイースイルに心酔しているらしい――そんな噂がパレイゼのところまで届くほど、彼は目立つ男だった。
パレイゼの髪は燃えるような赤毛なのだが、ラドルフのほうもまた、パレイゼより少しくすんだ色とはいえ赤の髪を持っていた。細身の優男と言われがちなパレイゼと違うのは、ラドルフは屈強な体つきをした騎士であるということだった。
騎士たちの腕比べでもその逞しさを見せつけ、害獣が暴れる事件があれば害獣殺しで華々しく活躍する。騎士団の評価制度に変化があったことで、彼は剣の腕前だけで騎士団内での地位を上げていた。
「私はいつかイースイル殿下にお仕えするぞ」
彼がそう声高に宣言するのも珍しい話ではなかった。現状でも王家に仕えているのだが、特に近衛として傍に侍ることを目指しているらしく、現状騎士でも何でもなく一番イースイルの傍にいるパレイゼに彼の情報が届かないわけがなかった。
熱心な者は悪くはない。それだけ熱意を持ってイースイルに忠誠を誓い、その剣を振るえるというのなら、彼は騎士として充分に優れている。イースイルの狭い世界を広げてくれる存在になりうるかもしれない――イースイルが頼り対話できる身近な存在というのは案外少ないのだ。
だが、そういった好意的な見方をし続けるというのは、パレイゼには困難な話だった。リード家の力で情報を集めていくうちに、ラドルフ・ファイトが、イースイルに完璧であることを求める数多くのうちの一人にすぎないことを悟ってしまったからだ。
ラドルフ・ファイトの言うイースイルに仕えたいというのは、完璧な王子に仕えたいということであって、イースイル個人のことを理解してはいないのだった。勿論親しくなければ理解しようもないけれど、イースイルが本当は周りからの重圧に耐えていることなど欠片も想像していないし、完璧なイースイルに耐えられないことはないと信じ切っているような男だった。
イースイルを一人の妖精としてではなく、王子としてしか見ない男に、イースイルを任せられはしない。
「イースイル殿下のような欠けたところのないような素晴らしい方はなかなかいない。あの方にお仕えすることができれば、騎士としてそれほど嬉しいことはない」
にこにこと仲間たちにそう語らうのを、偶然に廊下をすれ違うときに聞いてしまって、もう駄目だった。
――イースイルとて欠けたところはある。些細なことでも心は揺れるし、弱音を吐くこともある。しかし、欠けているからこそ素晴らしいのだ。欠けたところがないものなどつまらないし、それは最早人ですらない。
教育係として傍にいたパレイゼには、ラドルフの物言いが耐えられない。ラドルフとは相容れない。一生何百年かかっても価値観を共有できる気がしない。それを自覚すると、いよいよパレイゼはラドルフを毛嫌いし、できる限り近づかず、イースイルにも近づかせないように画策するようになる。だが、元々パレイゼが表情の乏しい男で、ラドルフ側にも特別イースイルと接点を持てるような機会がほとんどなかったため、パレイゼがラドルフを敵だと思うほど嫌がっていることなど誰も知らないままであった。当然、後にラドルフが散々宣伝していたイースイルではなくミルディアに仕える騎士となったことも腑に落ちない話だったのだが、良くも悪くも、パレイゼの顔には出なかった。
◆◆◆
ところで、パレイゼは自分に叡智を与えた白い本を、他人の目に触れぬよう厳重に隠してきた。フェルマ領の城では自室の金庫に入れ、鍵をかけて仕舞ってあったため、両親ですらかつて流浪の賢者からパレイゼがそんなものを受け取ったと知らないままである。
白い本の魔術品としての特性を挙げるなら、この本は本当に“人を選ぶ”本であるということだ。持ち主の記憶を記録し、次の持ち主に伝えるのだが、この本を開くことができるのは前の持ち主たちの記憶を受け入れるだけの器がある者だけ――そのことをパレイゼはわかっていた。それだけの器がないものが本の叡智を得ようとしても、膨大な記憶に押しつぶされ、自己の人格や記憶に支障をきたし、人として壊れてしまう。本の持ち主たちはそのことをよく理解し、次の持ち主たちへ譲っていくことを慎重に行ってきた。パレイゼもそれに倣わなければならないと思った。
パレイゼが三十四歳となって半年後、かねてよりパレイゼが推し進めてきた学校教育は実を結びつつあった。全国で学校の建設が進められ、パレイゼ自身も、ロラン兄妹の教育の傍ら、フェルマ領の学校でも教鞭を取った。同時に科学技術の発展にも力を入れ、レテノアの文化として根付いていた魔術品と併用する形で、便利なものを取り入れることを進めていた。シャルロッテが魔族に嫁いだという縁もあり、フェルマ領では、国境付近を守る魔族たちが外国との通商で得た人間たちの道具を優先的に取り込むことに成功していた。その通商関係もあって、脅威であるミュウスタット帝国と友好関係が続いていることはありがたい話だ。魔族たちが上手くやっているというのが大きく、それには感謝しきれない。あわよくばミュウスタットとレテノアの友好関係を今後も長く続けていきたいところだが、人間の寿命は短く、それだけ繋がりを維持するのも容易くはない。今のうちからできる限りの根回しはしたほうがいいとは思うものの、決定的なものはなく、ひとまずは様子を見ているしかなさそうだ。
内政のほうでは、イースイルとミルディアが積極的に国政に参加するようになってきていた――正確には、担ぎ上げられていた部分も大きい。要は亡きロラン妃とグレネ妃の対立が、今もなお子供たちを利用して残っているのだ。ただ彼らが利用されるだけでなく自分の意思を出していたのは、イースイルの場合はパレイゼや信頼できるものに相談を持ちかけていたからだし、ミルディアのほうも母の実家のグレネ家に色々と話をしていたようである。中には数百年と生きる老獪な政治家もいる中で、年端もいかない子供たちが腹芸をしなければならないというのは少々酷な話ではあったが、イースイルもミルディアもよく耐えていた――パレイゼはそのように見ていた。だが、ミルディアのほうは派閥の色が濃く、注意深く見ていなければならないとも思っていた。決して親しくないグレネ側の妖精だ――将来真正面から敵として対立せねばならないような状況は、可能な限りは回避したかった。
成長したイースイルは、王子としての自覚を強め、よき王にならんとして日々励んでいた。教えるべきことはもうほとんどなく、今や教師と教え子というよりは、対等な友人に近かった。王子に生まれた事実はイースイルに友を作らせてくれないことをパレイゼはよく知っていて、だからこそ、教師の役割が終わることを悟ったそのとき、別のものにならなければならなかった。
そうでなければ、パレイゼはイースイルの傍にいる理由がない――理由がなくなって、イースイルの傍から離れたら、彼は本当に一人になってしまう。否、彼には愛する妹ネビューリオもいるけれど、同じ目線から語らう同性の友人がいなければ孤独感は拭えない。上に立つ者の孤独で彼を潰れさせたくないと思うのは、王家への忠誠もあったけれど、確かにイースイル個人への情であった。王子はそういったパレイゼの心境をどう受け止めていたかわからないが、一番の、そしてほぼ唯一の友人として扱われるようになったことは事実である。
パレイゼとイースイルの関係に穏やかな変化が訪れたこの時期から、貴族の不審死が起きるようになっていた。数は多くはなかったが、健康そうな若者が急死したり、政界の重鎮が事故死したりということがあった。その数は年々増加していき、それが派閥抗争が原因だとわからないパレイゼではなかったが、確たる証拠も掴めないまま、ついには王になるべくして育てられていたイースイルの失踪へ至る。以後パレイゼは、ミルディアがネビューリオを差し置いて政治の場で大きな声をあげるのを牽制する立場となる。イースイルを失ったことは、友人としても、一人の政治家としても、少なからず衝撃を受ける出来事であり、せめて彼の愛したほうの妹は守りきらなければならなかった。
パレイゼとネビューリオの婚約はこの時正式に決まった。ネビューリオ王女はこの頃その可憐な美しさを増していた。病に倒れた国王が一番愛情を注いでいる、亡きロラン妃によく似た娘。信仰に厚く、心優しく清らかな生活を送る彼女は、イースイルのこともあり、その立場上外出にも制限がかけられていた。全ては彼女を守るため――傍目には不自由をしているようにも見えた。兄が傍にいない悲しみに耐えながら、国の顔として表に立つ。最近当たりの強くなった姉と手を取り合わなければならない状況にいて、至上の妖精と謳われながらもネビューリオ自身の個は特別求められることもない。そのような環境にいながら、それでもその灰色の瞳は光を失ってはいなかった。
「わたくしに光を与えてほしいのです」
お願い、と少し震えたような声で言う王女は、言葉も出ないほど美しかった。白い本の記憶にある過去の誰より、パレイゼ自身が知る中でも一番、比べようもないほどに。
――彼女自身が光でなくて、他の何が輝いているというのだろう。
差し出された白魚の指に、パレイゼは忠誠と愛を誓った。これまでも娘や妹のように愛してきたけれど、今はもう違う。まだ成人は迎えていないけれど、ほっそりとした体つき、透き通る瑞々しい肌、艶やかな黒髪も随分と伸びて、ネビューリオ王女は一人の女であった。
かねてより国王が可愛がっていた寵臣が、王女と婚約する。それは多くの者にはリード家が王家との結びつきを強めるための政略結婚としか見られず、決して誰一人、パレイゼの内心を本当にわかっている様子はなかった。けれど、上手く動かせない表情の下でパレイゼは歓喜していた。この美しい女は、他の誰でもなく、パレイゼのことを望んでいる。パレイゼこそが、最も彼女の傍に寄り添って、彼女が王へと至る道を見ることができるのだ。美しいネビューリオが、あのよくできた兄の代わりに、その道を歩むのを誰よりも近い場所で。
彼女こそが、パレイゼの光だった。イースイルという仕えるべき主にして友人を失ってしまったパレイゼを照らしてくれるのは、最早ネビューリオだけなのだった。彼女にその自覚はないけれど、彼女が輝いていられるよう、パレイゼは尽くさなければならない。それは義務であり、パレイゼ自身の望みだった。
◆◆◆
久々に、パレイゼは本を隠していた金庫を見ながら、これまでの人生を振り返っていた。思えばこの金庫に封じ込めた白い本のおかげで、並ではない人生を歩んできている。そして白い本の叡智があっても、まさか自分が王として立てられることになろうとは、一欠けらも予想することができなかった。いなくなったはずのイースイルが戻ってきて、そうでなくともネビューリオという最も正統な後継者もいたというのにだ。確かにパレイゼも王族の血は引いており、王族の証である八枚羽の妖精の痣を持っているから、おかしいことはないと言われればそれまでだが――人生とは、本当に何があるかわからない。思いもしないことばかり起きる。
レテノアの王位を継いで、パレイゼの仕事は国王として全体的に物事を見ることへ変わった。他の誰かから意見を聞きだすのはネビューリオのほうが長けていて、彼女が意見を集めて、パレイゼがそこから考えるのが上手く回る方法だとパレイゼは学習した。ネビューリオは最近活き活きとしていて、益々その美しさに磨きがかかっている。時折姉のことを想って沈んでいるときもあるようだが、ようやく彼女が彼女らしく政治に携われるようになったことは、ネビューリオに自信を与えたようだった。
元の領地であるフェルマ領のことは、リード一族の者たちにほとんど丸投げしているが、内政の方針については指南書を作って置いてきたのでよほどのことがなければ問題はないはずだ。
金庫そのものは、王城の宝物庫へ移していた。旧い時代からの遺産なども此処にはあるから、白い本を隠しておくにはこうした場所のほうが適切かもしれなかった。宝物庫の中には、さらに王族の限られた者だけしか入れないような隠し部屋がある――大切なものはこうした場所に置いておくのが一番だと、王となって最初の日に思ったのだ。
「人の記憶を残す本……か」
遠い過去の記憶は大切な遺産と言っても良い。遺産は未来へ受け継いでいくべきものだ。この本をくれた賢者は、本が望む持ち主を見つけるのが仕事だと言っていたが、今その仕事をすべきなのはパレイゼとなったのかもしれなかった。途中で暗殺されたり事故死したりしなければ、数百年は生きられるだけの魔力があるのでまだまだ本を手放すつもりはないが、来たるべき時がくれば、いつかの賢者がそうしたように、本に新たな持ち主を見つけてやらなければならないのだろう。そうして受け継がれてきたからこそ、この本は何人もの記憶を持っている。後世の誰かが役立ててくれることを祈って、記憶を刻みつける必要がある。
しばらくぶりに本を手に取ったが、相変わらず、貰った時のまま真っ白い表紙で、汚れたり変色したりという劣化はなかった。魔術品の本だからこそ、本自身に蓄えられた魔力がかつてのままの姿を保たせているのだろう。
自分の記憶を本が写し取っていることを、意識せずともわかった。パレイゼの記憶もまた、いつかの未来で誰かが求めるものとなる。全て記憶の転写が終わって、パレイゼはゆっくりと息をついて、本を金庫の中に戻した。それから、隠し部屋の扉を隠して、数々の王家の財宝を尻目にパレイゼは宝物庫を後にする。
パレイゼにはやるべきことが山とある。国内の教育水準の引き上げもまだ課題が残っているところだし、科学技術の発展もまだまだ遅れている。元からある魔術品を使った街の設備などとうまく合わせて、レテノアらしく技術を伸ばしていける土台が必要だ。投資が必要な案件はいくつもあるが、その優先順位も慎重に決めていかなければ。財源も人手も有限のものであり、現在のことは現在に生きるパレイゼたちの仕事だ。未来のために、現在を精一杯やりきっておくのだ。
パレイゼが執務室に戻ると、ちょうど新しく確認すべき書類を家臣が持ってきたところだった。
「陛下、例の資料もございます」
「ああ、ご苦労」
例の資料――それは、行方知れずとなったミルディアに関するものだ。
幽閉されるはずだったミルディアは、しかし、その行方を晦ませた。ネビューリオに余計な心労をかけたくないと、パレイゼは極秘にその行方を調査していたが、その成果が出たようだ。資料を開くと、国境近くのフーチェ村に、ミルディアと思しき人物がいるらしい。だが、その女性は記憶喪失で、自分の素性が分からないという。
――それが真実かどうかはともかく、一度彼女に会わなければならないのだろう。
罪を償うための幽閉のはずが、自分という存在を失うことに繋がったのなら、それが彼女に与えられた罰なのかもしれなかった。彼女のことをどうするか、また改めて処遇を考えなければならない。たとえ罪を犯したとしても、ネビューリオの姉であり、王族の一員なのだから。
それ以外の仕事も山積みだ。夜までかかっても全て終えられるだろうか、その量の多さは見るだけで疲れるが、やらなければ減らない。時折休憩は挟んでいるけれど、ここ最近は睡眠時間も短く、一日のほとんどの時間を政治家たちと議論をするか書類と睨み合いをすることで消費している。全くもって、国の頂点に立つ者というのはまともに人権がないものだ。今は王位を引き継いだばかりだから、その関係で落ち着かないだけというのもあるけれど。それもこれも全て美しいネビューリオと共にいるために必要なことだからと思えば苦にもならないのだから、思ったよりも自分は単純なようだとパレイゼは苦笑した。
全て、始まりは――あの白い本から。
人生に変化を与える白い本は、次に持つべき者が現れるまでは大切に、誰にも知られぬように保管しておかなければならないものだ。誰も悪用しないように、正しい心と大きな器を持つ、本が望むような持ち主が現れるまでは。いつか世代を交代すべきときがくるまでは。
それまでは、あの白い本は、まだ、手元に。
これにて、外伝第四弾白い本、並びに姪御×王子完結とさせていただきます。
実はというほどでもありませんが、物語の構想の初期においては、主人公はロズやイースイルではなく、パレイゼでした。魔法の力を持つ予言書を巡ってあれやこれ、というものだったのですが、気がつけば主人公も変わり全然違う話になっていました。
それでも、パレイゼは私に囁くのです。私を出せと言ってくる。そんな感覚がずっと傍にあって、こうして外伝として書けたことはそれなりに満足です。
次回作は構想がありますので、ひととおりまとまったらまた新しく連載しようと思います。
ここまでお付き合いくださった皆様、ありがとうございます。皆様にとって、読んで損のないエンタメを提供できていれば幸いです。ご感想、いつでもお待ちしています。




