鎧獣人の知らない世界
小話です。
私が結婚式の衣装と冠を試着した後、数日経って仕上げの作業が終わった。
そして今日、帰還組の鎧獣人たちと都市の鎧獣人たちは一緒になって、完成祝いの飲み会を開いている。相変わらずよく飲む彼らは車座になって、大きな木のジョッキを手に陽気に話をしていた。
私はヴァレオさんの隣に座って、反対隣の女性たちと話をしていた。こちらの若い女の子の生活なんかが聞けて、とても楽しかったんだけど──
「そういえばね、こんな話があるのよ。鎧獣人の男と、人間の女が出てくる、怖ーい話……」
都市の獣人女性が、ちょっと声を低めて恐ろしげに言った。
向こう隣にいた獣人男性が、
「おっ、ガーラスの怪談話が始まるぞ!」
と囃し立てる。
このガーラスさんという女性、大人しそうな感じだけど、そういう話がうまいことで有名なのかな。そんな雰囲気だ。
車座になった鎧獣人たちは、それぞれの話を続けながらもガーラスさんの方に耳を傾けている。
ううっ、どうしよう……私、怖い話、苦手なんだ。夏にテレビでやる特集番組みたいなのも怖くて観られないし、ホラー映画なんか絶対イヤ。泣く。
でも、鎧獣人の男と人間の女が出てくる怪談ってことは、明らかにヴァレオさんと私を見ていて思いついたという流れ。ここで私が逃げ出すのも、空気壊しちゃうよね……
「私の、祖父の代の話よ」
ガーラスさんの話が始まってしまった。
「ある若い甲冑師の男が、人間の町での仕事を請け負って、しばらくその町に滞在することになったのね。そこで、人間の若い女と知り合ったの。二人は恋仲になった」
緊張する……
私はヴァレオさんの右腕に身体を寄せ、目線で気持ちを訴える。一人でトイレ行けなくなったらどうしよう。
ヴァレオさんはそんな私を見てニヤニヤして、
「何だ、夢に出てきそうか?」
と言いながら、ひょい、と私の腰のあたりを抱いた。
こっちにいるとき、夜はいつもヴァレオさんと一緒だから、ちょっとだけ安心だけど……でもやっぱり、聞いちゃったら怖いだろうなぁ。
ガーラスさんの話は続く。
「でも、甲冑師の男にはすでに、婚姻を結んだ鎧獣人の妻がいたの。数十日に渡って人間の町での仕事をし、ついに男が故郷に帰る頃になって、人間の女はそれを知ったのね。女は男に言ったの。『せめて最後の夜を、私と過ごしてちょうだい』」
私はヴァレオさんのチュニックに、ぎゅっ、と捕まる。まだサスペンスっぽいけど、きっとここから怖くなるんだ。
ちらっと見回すと、獣人たちの口数もだんだん減り、皆が怪談に集中し始めてるみたい。
「翌日、男は女を置いて、故郷である鎧獣人の都市へ旅立った。都市までは数日の道のり。愛しい妻が待っている」
ガーラスさんは淡々と、つぶやくように話す。
「汗をかきながら歩くうちに、男は気づいたの。……なんだか、身体が少しずつ、軽くなっていく……って。手の甲で頬のあたりの汗を拭き、ふと見ると、手の甲を銀色のものが伝っている……」
先が読めたのか、「うわ」とか「やだ!」という声が車座から小さく上がった。
「そう、女は最後の晩、男に毒を盛っていたのね……獣人の鎧は少しずつ溶けだし、彼の歩いた道には銀色の足跡が点々と……。そして、ついにこの都市にたどり着いた頃には」
ガーラスさんは、一度言葉を切った。
隣のヴァレオさんの喉が、ごくりと鳴る。
「……男は、丸装化できなくなっていた……」
車座から口々に、悲鳴が上がった。
……ええと、今のがクライマックス?
「男は妻からも婚姻を反故にされ……その後、彼の姿を見た者は、誰もいないそうよ」
ガーラスさんは静かに、話を終えた。
「うっわ、うっわ」
「怖えええ」
一気に、獣人たちがざわざわっとする。
「……」
私はヴァレオさんの服から手を離し、軽くため息をついた。
なんだか拍子抜けしちゃった。鎧獣人の男性にとっては、丸装化できなくなるってことはすごく怖いことなのか。獣人の女性も、その恐怖を理解できるんだろうな。
でも私には、ごめんなさい、ちょっとその怖さはわからないや。ヴァレオさんが丸装化できなくなったって、婚姻を反故にしようなんて思わないし。
「大丈夫だったか、すず」
ヴァレオさんがのぞき込んできたので、私はうなずいた。
「うん。でも、鎧が溶けちゃうところはちょっと怖かった」
「だよなぁ」
ヴァレオさんはうなずき、ガーラスさんも笑顔になる。
「すずには怖すぎるかなぁと思ったけど、意外と大丈夫なのね。ふふ」
「すず、ヴァレオが裏切ったら、こいつの鎧も溶かしちまっていいぞぉ」
男性の獣人が言い、ヴァレオさんが
「精霊使いにそういうこと言うなよっ、できそうで冗談にならねえ!」
と返す。どっと笑い声が沸き、場の空気がリセットされた。
つられて私も笑っていると、ガーラスさんが尋ねてきた。
「ねえ、すずの故郷には、何か怖い話ってある? 聞いてみたいわ」
「えっ、日本の怖い話?」
私はびっくりして聞き返した。見回すと、他の鎧獣人たちもこっちに注目している。えええ。
「私、怖い話は苦手だったから、子どもの頃に読んだ話しか覚えてないし」
あわてて手を振りながら言ったけど、
「いいからいいから、話してみて!」
「子供向けの話をするすずも、きっと可愛いっ!」
と女性陣はにこにこしている。
もしかしてまた萌……いやいや。
うまく話せる自信は全くなかったけど、私は何か話してみることにした。本当は『耳なし芳一』くらい話せるといいんだろうけど、細かいところ覚えてないし……本当に、子どもの頃に絵本で読んだ短いのでいいか。
そうだ、舞台をこっちの世界に置き換えた方が、わかりやすいかな。そのくらいは工夫して話そう。
「えっと……お城で仕事をしていた男の人が、その日の仕事を終えて、夕暮れの坂道を町に向かって下っていきました」
私は考え考え、話し始めた。ヴァレオさん、なんだか面白そうに私を見てる。
「すると、どこからともなく、女の人の泣き声が聞こえてきました。見回してみると、陰になっているところに、建物の方を向いてしゃがんでいる女の人がいます。『どうしたんだい、娘さん』と、男の人は話しかけました。『何かあったなら、話してごらん』」
ひ、人前で話すのって緊張するな。私は手のひらの汗を、こっそりスカートで拭いた。ええと。
「すると、女の人は立ち上がり、こう……」
私は一度、ゆったりしたチュニックの袖で顔を覆ってから、その手を下に下げた。
「隠していた顔を、するっ、となでました。その顔にはなんと、目も鼻も口もありません。のっぺらぼうだったのです」
のっぺらぼう、って、精霊の翻訳でちゃんと通じるのかな。
私はちょっと心配になって、皆の顔を見回した。
──皆、動きを止めている。
あれ? 皆の顔、固まった?
とりあえず、私は続けた。
「男の人は悲鳴を上げて、逃げ出しました。坂をどんどん下り、後ろを振り向かないで、ひたすら逃げます。やがて、パン屋さんの明かりが見えてきました」
本当はお蕎麦屋さんだった気がするけど、パン屋さんにしておこう。もう適当。
「男の人はちょっとホッとして、パン屋さんに飛び込みました。お店の中では、パン屋さんが背中を向けて、お店の片づけをしています。『助けてくれ、おかしな顔の女が』男の人がそういうと、パン屋さんは立ち上がって、『それは、こんな顔の女だったかい?』と──」
私がまた、チュニックの袖で顔をするっとやったとたん。
鎧獣人たちの間から口々に悲鳴が上がって。
男性の獣人たちが、一斉に丸装化した。
「え?」
私は呆気にとられ、きょろきょろした。隣のヴァレオさんも丸装化したまま、沈黙している。車座にいくつもごろごろと、丸装化した鎧獣人……
反対側に目をやると、数人いた女性陣はガーラスさんを含め、身を寄せあい青くなってぷるぷる震えていた。
ま、まずい。
私はとっさに、声を明るくして言った。
「なんと! これはパン屋さんのいたずらで、女の人もパン屋さんも、パンの生地を薄くのばしたものを顔に張り付けていたのでしたー!」
──ひとつ、またひとつ、丸装化が解け、中腰の男性陣が姿を現す。
「な、何て話だ」
やっぱり中腰のヴァレオさん、ええっ、冷や汗?
「目も鼻も口もない、なんて」
「おっそろしいいたずらを考えるな……」
「こんな話を、すずは子どもの頃に聞いて育ったのか」
「すずの故郷には、ずいぶん怖い話があるんだな……」
ざわざわし出す獣人たちに、私の方が冷や汗をかいた。まさかこんなに怖がられるなんて。
「気が遠くなるかと思ったわ……。すず、やるわね」
ガーラスさんまで自分の腕をさすりながら言うので、私はえへへと笑って言った。
「ど、どうも! ヴァレオさんが悪いことしたら、怖い話を聞かせちゃおうかなー!」
「そりゃいい」
「そうしろ、そうしろ」
皆がわいわい同調し、
「勘弁してくれ」
というヴァレオさんの情けない声に笑い声が起こって、どうにかこうにかその場の雰囲気は元に戻ったのだった。
その夜も、私はいつものようにヴァレオさんと二人で眠った。夜中にヴァレオさんは何やらうなされていて、ちょっと可哀想だった。
翌朝、早く目を覚ました私は、ぶらりと散歩に出た。廊下を歩き、ふと見ると、昨夜飲み会をした広間の扉が開いている。
ひょい、と中を覗くと、何人かの鎧獣人たちが身を寄せ合って、広間の隅の絨毯で眠っているのが目に入った。
──酔いつぶれちゃっただけだよね。まさか、怖くて一人で寝られなかった、なんてことは……ね?
パン屋さんの売り上げが落ちるんじゃないかと心配になり始めた私は、とにかくその後、不用意に怪談をするのはやめることにしたのだった。
【鎧獣人の知らない世界 おしまい】
参考 小泉八雲『貉』(むじな)
著者も訳者もすでに著作権保護期間を過ぎており、青空文庫に収録されています。