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男装の始まりは友の見栄

「アベル、そんな風に見てくれるな。勘違いしそうになる」

「ロイ様、勘違いとは?」

「言葉でわからないか?」

「生憎私には教養がないもので……」

「ふっ、教養など必要ない。何故ならアベルに必要な事は今から俺が手取り足取り全て教えてやるのだからな」

「ええとロイ様……?」


 微笑んだ青年ロイの甘いマスクが近付いて、唇と唇が触れそうになる。だけど際どい所で寸止めされた。


「……っ」


 彼の透き通るように青い目と目を合わせたまま、時間だけが止まったように感じる。

 この上なく艶のある眼差しを向けられて、この人はこんな顔もするのかと、どこか知らない相手みたいに思ってしまった。それがまた心臓には宜しくなかったようで、また一つ緊張感が高まった。

 まだOKの合図が出ないから、私は爆発しそうな内心とは裏腹にその距離感に動じていない、相手の意図を解していないキョトンとした面持ちのポーカーフェイスを維持するしかない。


 ――それがアベルと言うド鈍感なキャラクターだからだ。


 でも心臓はドキドキからバクバクへと移行して、そろそろ冗談抜きに平静を取り繕えなくなってきた。

 腰に回された彼の硬い腕が彼の案外逞しい面を私に気付かせて、落ち着かない気分にもなる。どうしようと焦り始めた矢先。


「ハイカーット! きゃーーーーっ最高の推しシーンがこの目で見られるなんて至福っっ。念願叶ったわ~っ。どうもありがとうエマ、お兄様!」


 ついにようやく終わりの合図が掛かって、私はホッとした気分で密着していた相手から離れようとした。

 だけど、不意にその相手が顔を肩に埋めてきて、しかもぎゅっと抱きしめてきた。


「クラウスさん……?」

「…………辛いよ、エマ」


 未だに慣れないと言っていた演技に疲れたんだろうか。愛する妹のためと頑張ったに違いない兄の鑑のような彼にはほっこりする。労いに頭をポンポンと撫でてあげると静かに顔を上げて、やっと離してくれた。


「でも結構様になってましたよ。ドキドキしましたから」

「えっドキドキ!? ……してくれたのか? 俺に? 本当に?」

「はい。演技お上手ですよね」


 本心から称賛したら、彼は何だか少し不服そうにしたけど、すぐに表情を戻した。


「……ほとんど演技じゃないんだけど」

「はい? 何て?」


 聞き返したらにこりとされて終わった。大したことじゃなかったのかもしれない。


「二人共、ロイ×アベまた宜しく頼むわね! ああこれで一週間はペンの進みが快調だわ~。ご飯だってパクパク進みそう!」


 私と目の前の青年にあるジャンルの小説のワンシーンをやってほしいとお願いしてきた少女は、大満足、悔いなし、ととろんだ目をしていた。

 近頃、私はこの彼女の兄とよく絡ませられる。

 彼女自身の萌えと創作の参考にしたいとの要望で、助けになるならと彼女の推し小説のキャラを彼と二人で演じている。


 男同士の恋愛小説――BL小説のカップルを。


 女の私がどうしてそんな役回りになったのか、そこは自分でもよくわからないうちにそんな流れになっていた。


 私――エマ・ロビンズはある日友人に頼まれて男装をした。


 そうしたら、その友人から矢鱈とBL演技を求められるようになった。

 これはそんな私と彼ら兄妹との話。






 事の発端は友人令嬢レティシアが付き合いで参加したお茶会だ。

 そのお茶会で彼女は犬猿の仲の令嬢から「彼はわたくしの専属護衛なの。顔は勿論腕も申し分のない優秀さなのよ、オーホホホホ」と鼻に付く自慢をされ、確かにその青年護衛は美形だったので悔しくなったと言う。

 このままお茶会がお開きになれば負け犬になったような気がして、彼女は勢いで自分にだってそれはそれは素敵な美形専属護衛がいるのだと口から出まかせを言ってしまったそうだ。


 本当は彼女にイケメンの専属護衛なんていないのに……。


 しまったとハッと我に返った時には遅かった。

 同席した他の令嬢達も聞いていて、しかも彼女をとても羨ましがった。誰も嘘だとは思わなかったのだ。

 それはレティシアが高貴なる公爵令嬢だからだろう。望めば何でも手に入り嘘をつく理由がない。


 つまり、最早発言を取り消せない雰囲気になっていた。


 例外は、犬猿の仲のセーラ・ベルフォード嬢だ。


 彼女だけは意地悪そうに薄く笑みを浮かべてレティシアを眺めていたと言う。

 それに気付いていたレティシアは最早嫌な予感しかしなかった。


 案の定、その翌日にはもう次の集い――舞踏会の招待状が件のベルフォード嬢から届いたそう。


 他の相手からの招待で同席することはあっても、実は彼女から直接招待されたのは初めてで、レティシアは自らのハッタリがしっかり見抜かれていたのを確信して焦った。

 早急に屋敷の護衛を当たったけど、ハズレ。彼女には元々公爵家が付けた専属護衛はいるものの、ゴツくてどこか荒野の世紀末風味のある見た目が、社交界の令嬢達が求める美形の括りじゃないので使えなかったのだ。

 ならせめて上辺だけでもそれっぽく護衛の格好をさせて取り繕えばいいと、屋敷の男性使用人を当たったけど、そちらもハズレ。

 公爵家にわんさかいる男性使用人は総じて強面だったり、印象に残らない顔の体つきだけは樵よろしく無駄に逞しい者ばかり。それもこれも公爵家は裕福で泥棒によく狙われるが故に防犯強化を意図してのものらしい。

 公爵家は魔法使いの血筋なので自らの魔法で難なく撃退できそうなものだけど、魔法を使うにも色々と制約があるのかもしれない。

 ……普通人の私にはわからないけど。


 とにかく、不幸にも彼女の周りには使えそうなイケメンがいなかった。


 彼女には社交界でも屈指の美形兄がいるけど、まさか顔の知られた彼にやらせるわけにもいかない。


 だから、社交界に顔を知られていない、中性的容姿の私に白羽の矢が立ったってわけだ。


 一応私も身分分類上は貴族令嬢ではあるけど、社交界にはまだ一度も顔出ししていないし、これからもそんなつもりはない。しかも、そこらの女子よりも身長があって服装によったら少年にも間違われる。

 悲しいかな、顔立ちの端正さ、それは私を男として見た場合に抜群の効果を発揮するみたいなんだよ。


 普段から化粧っ気もなくあっさりとしているせいと愛想がないのもあって、女子としては些か怖い印象を与えるんだとはこれまでの人生からよくよく自分を知っている。レティシアに倣って少し愛想よく微笑んだりすればいいんだろうけど、如何せん性格的に無理だ。笑いたくもないのに笑えない。

 まあ殿方にモテてその延長の恋愛をしたいとは今のところ思わないから別にいい。でも将来は貴族でも平民でも気の合う男性と結婚できたらいいなくらいは漠然と思う。


 レティシアとは領地が隣なのもあって付き合いが長い。社交界じゃ知られてないけど、互いの屋敷にも頻繁に行き来している。


 少し昔は例のイケメンな彼女の兄もよく一緒にね。


 因みに私とレティシアは十六歳と同い年で、彼女の兄は二つ上。十八。


 二人の実家はこの国では知らない者はない大貴族、アドレア公爵家。


 対する私の家はほとんど家名も知られていない下位貴族、ロビンズ男爵家。


 領地が隣り合っていなかったら、両家の関係が良好じゃなかったら、双方の親が柔軟な思考の持ち主じゃなかったら、今私達はこうして一緒にはいられなかったろう。

 貴族と平民の間の壁は絶対的に高く分厚いけど、貴族の間にも壁が確かに存在する。


 公爵令嬢は社交界の若者の間じゃ憧れの的。高嶺の花。そのせいで他の令嬢からの嫉妬も珍しくないみたい。


 今回の騒動も彼女がベルフォード嬢から勝手にライバル視されて、喧嘩を吹っ掛けられたようなものだ。


「――だからお願いエマ、わたくしの専属護衛のふりをしてほしいの! あなたなら誰も文句の付けようがないわ!」


 アポもなくいつになく切羽詰まった様子で唐突にうちまでやって来たレティシアが、いきなり土下座しようとした時はびっくりした。慌てて遮って話を聞いたってわけだ。応接室で。それで今度は拝み倒されている。

 彼女は銀髪の美しい娘で、その大きな瞳は澄んだ空を彷彿とさせる水色をしている。華奢で見るからに護ってあげたくなるような女の子。

 一方の私は黒髪に紫の瞳で男装したら様になる活動的な体付き。我ながら脚は長いかな。

 声だってレティシアは小鳥みたいに高くて可愛らしいけど、私は少し低め。アルト。ややハスキー声って言われればそうかな。


「わかったから、引き受けるから、こんな必死にされたら引き受けない方が鬼みたいだしね」

「エマなら引き受けてくれると思った!」


 顔を上げたレティシアはにこりと微笑んだ。確信犯め。

 そもそも普通、高位貴族の娘に下位貴族の娘がため口なんて考えられないけど、こんな私的な時間の私達は違う。


「ああんもうエマ大好きっ!」

「はいはいありがとうね。私もレティが大好きだよ」


 高いテンションで横から抱きつかれて仕方なくあやしてやっていると、向かいで小さく笑う声が聞こえた。


 声の主はレティシアと共にやって来た例の彼女のイケメン兄、クラウス・アドレア公爵子息。正面の長椅子に優雅に腰掛けている。


 彼がうちに来たのは久しぶりだった。それまでは彼もよく行き来していたんだけど、嫡男として忙しくなったみたいで実質数年ぶりの我が家への来訪だった。

 まさかレティシアに同行してくるとは微塵も思わなかったから、正直びっくりしたよ。

 ちゃんと話したのも久しぶりで、変な空気にならないか気掛かりでいたけど、幸いそれはなかったからホッとしてもいた。

 接してみれば、昨日までの疎遠さなんて気配もない、昔と同じ気安さがそこにはあった。

 彼は私達を楽しげに見つめている。

 つくづくこの兄妹はホント美形だ。彼も妹と同じく素敵な銀髪と薄青い瞳の持ち主だ。


「悪いなエマ。レティが見栄を張ったばっかりに君にまで迷惑を掛ける羽目に。でもこの子の兄として引き受けてくれて感謝するよ。ああだけど本当に嫌だと思ったら遠慮なく言ってくれ」

「たぶんご心配には及びませんよ。男装も稽古服も大して変わらないですしね。必要なら剣で打ち合っても構いませんし」


 稽古服は私が剣術稽古をする時に着ている物で、乗馬服のようにパンツルックだしほとんど男物と言っても過言じゃない。

 私は教養の一つ、いや家業のため、いやいや最早生き甲斐として剣の手解きを受けている。

 最初は父親の方針で習い始めたものだけど、今では私が熱心に望んで更なる技術向上を目指してやっている。だからの生き甲斐ってわけ。


 剣の師匠が篦棒(べらぼう)に強いからその弟子の私もそこらの剣士には負けないと思う。


 師匠以外と手合わせした経験がないから確かなことは言えないけど、師匠がそう言って褒めてくれたからたぶんそうなんだろう。師匠は下手なことは言わないから。


 私が気楽に請け合うと、クラウスさんはやや真剣な目をした。


「打ち合うなんてそんな危険な真似はしなくていい。あくまでもエマはレティの専属護衛として同行してくれるだけでいいから。何か挑発されても無視するんだ」

「そうよエマ、あの高飛車女にどれだけ素敵かってのを見せつけてくれるだけでいいの」

「そう?」


 無駄に心配性な二人には苦笑を禁じ得ない。


「それで、いつ男装すればいい?」

「ああそれは――」


 そんなわけで、私はレティシアに仕える少年エドウィンって役柄に決まった。


 普段呼びはエド。庶民出。今までは見せびらかすみたいで嫌で令嬢同士の集まりには連れて来ていなかったって設定だ。あははー、ベルフォード嬢への当てこすりだねー。


 後日、衣装合わせに公爵家に赴いた私は、公爵家独自の護衛の制服に袖を通した。

 屋敷の応接室で披露すると、レティシアとクラウスさんは予想以上に称賛してくれた。

 制服は鮮やかな赤の生地に金糸で繊細な刺繍を施された何とも華やかなデザインで、幸運にも私の紫瞳とも黒髪とも調和する色合いだった。男装の間、長い髪は後ろで一つに束ねる予定。

 動きに不自由がないかとか服を馴染ませる意味合いもあって男装のまま少し公爵邸を歩いたら、廊下ですれ違う女性使用人からの視線が熱かった。皆私が男爵令嬢だって知っているのにそれでもうっとりと頬を染めて見てくる。

 横を歩いていたレティシアが顎を上げふふんと得意気にする。


「うふふふっ、皆の顔を見た? きっと社交界でも男装のエマ……ああいえエドウィンは注目の的ね! あの女の悔しがる様が今から目に浮かぶわ」

「あ、はは……まあ役に立てそうで良かったよ。少し眉を濃くしてきた甲斐があったかな。凛々しく見えるでしよ?」


 ここで反対横からクラウスさんが顔を覗き込んできた。


「別に眉を弄らなくても、俺はそのままでも十分いいと思うよ」

「そうですか?」

「ああ、たとえ男装しようと、エマはエマのままが一番良い」

「ええ? そうなんですかねえ……」


 クラウスさんが屈託なく微笑んできたので眉を下手に描かない方が美男子っぽくて女子受け的にはいいのかと悩む。意見を仰ごうとレティシアに視線を向けると、何故か彼女は涎を垂らしそうな面持ちだ。ぶつぶつと何か言ってもいる。


「……いい。ホントにいいわ。今まで気付かなかったけれど、これはありね、大ありね! エマもっとそっちに寄って」

「え、ええ? 急にどうしたのレティ?」

「もうほらほらもっとお兄様にくっ付いて、そうそれ! ああ尊いわ~っ!」

「え、何が?」

「決まっているじゃない、男同士の絵がよ!」

「男同士……」


 レティシアからぐいぐい押されてクラウスさんにぶつかりそうになりつつも踏ん張った私は、苦笑いして彼を横に見上げる。男装して見かけは男だろうけど……何とも複雑な言われようだ。


 ――レティシアは隠れ腐女子。


 それも激しめのが推しらしくて、彼女からその手の小説を借りて読んだことがあるけど、あの濃厚さには赤面した。


「レティ、私はともかく、クラウスさんまでその対象物として見るのは如何なものかと思うよ」


 腐女子妹に妄想される最早脳内おかずと化した兄……気の毒。


「あらいいじゃない。二人ならお似合いよ」

「そりゃあクラウスさんなら誰とでも絵になるだろうけどね」

「あらあら、わたくしは誰よりエマが一番だと思うわね」


 レティシアは全く悪びれず何故かクラウスさんに意味ありげな微笑みを送った。


「こらレティ、男装しているからって失礼だろ。エマはどこからどう見ても女の子じゃないか。お、俺とお似合いだとしてもな」

「あら言わせてもらうと、そう思うのならお兄様こそいい加減エマを淑女扱いしたらどうなの。何をぼさっとただ木偶の坊みたいに隣を歩いてるのよ」

「でっ……!?」

「レ、レティ、ここじゃ普通に歩く以外にどうしろと? ねえクラウスさん?」


 理不尽な言われように憐れなこの友人兄が落ち込む前にと慌てて取りなすと、その彼に片方の手を取られた。何だろう?


「エマ、俺に今からでも減点の挽回をさせてほしい」

「減点?」

「応接室に戻るまでだけでもエスコートさせてくれ」


 そう言って律儀な公爵令息は私の手の甲にキスを落とす。今は男装真っ只中、挨拶だって要らないのに。

 しかも彼はあたかも大切な相手にそうするように手をそっと握ってきて、気付けばまるでこれから舞踏会に臨みますと言わんばかりに腕を組まされていた。


「は? へ? え? ちょっ? クラウスさん!?」


 ここには何度も来ていて最早半分自分の家みたいなものだから応接室までは一人でも迷わないし、そもそもここまで丁寧な扱いを受ける必要はない。昔は肩肘張らずに気軽にお喋りして歩いていたはずだ。


「もうっ、レティが変なこと言うから」


 助けを求めて見やれば、彼女は「でへへへへ」と腐に傾きまくった邪な笑みを浮かべてこっちを見ている。下卑た男のやに下がった笑みみたいだよそれ……。美少女を形無しにするBL沼の底知れなさに強く戦慄した。

 この日は結局最後までいつになく気恥ずかしい淑女扱いを受けて帰宅の馬車に乗ったけど、見送ってくれたレティシアもクラウスさんも揃って上機嫌だった。


「レティシアはともかくクラウスさんまでどうしてだろう。気分とか?」


 疑問はあったけど特に深掘りはせず、というか一人馬車の中だったからしようもなく、ベルフォード嬢と対面の舞踏会へと思いを馳せる。


「しっかり専属護衛エドウィンを全うしよう」


 ぐっと拳を握って意気込んだ。






 さあさあやってきました舞踏会当日。

 私は深紅のクールなお仕着せで公爵家からアドレア兄妹と一緒の馬車に乗り込んだ。実は馬で馬車と並走しようとしたんだけど、二人からそこまでしなくていいって止められた。だからこうして同じ馬車に乗っている。


「馬に乗るくらい全然苦もないのに」

「だからよ。前に遠乗りではしゃいで一人だけ夕方まで帰ってこなかったでしょ。すごくすごーく心配したんだから」

「あ、あの時はまさに馬が合ったというか……」


 二年以上は前の話だ。馬も良くて草原はどこまでも広くてテンションが上がって随分遠くまで走らせちゃった挙げ句、少しのつもりで木の傍で休憩したらうっかりマジ寝しちゃったんだよね。

 あの時は滅多に怒るとこを見ないクラウスさんからも怒られたっけ。警戒心がないって。うん、無防備が原因で人攫いに遭ってからじゃ遅いからね。


「大舞台前に疲れても困るじゃない。エマには脂ぷりっぷりで後光を放ちながら皆の前に立ってもらわないといけないんだもの。そしてまんまとあの女にギャフンと言わせてやるの」

「いやええと脂はともかくどんなに頑張っても後光は出ないよ……」

「出るわよ。薔薇やキラキラの特殊効果だって散るし」


 気は大丈夫かと深い憂慮を浮かべたら、彼女は私を向かいの席のクラウスさんの方へと少し乱暴に押しやった。


「ちょっ、レティ?」


 戸惑い満載な私は危うく顔面から座席に突っ込みそうになったものの、視界にクラウスさんの腕が入って抱き止められる。


「大丈夫?」

「あ、ありがとうございます」


 ほっとして頬を緩めたら彼は腕を回したまま表情を険しくしてレティシアを睨んだ。


「走行中に危ないだ――」


 不自然に言葉を切ったからどうしたのかと遅ればせながら彼女に目を向ければ、そこには顔面崩壊している公爵令嬢が一人。


「イイ……ッ、ホントに尊いわ! ああほらたくさんキラッキラしてるし薔薇の花が咲き乱れてる~! 後光も太陽が霞むレベルで放出中よ! BL! BL! BL! BLバンザーイ!」


 彼女は極めつけに鼻血まで出した。

 ドレスを汚したら大変だと私は大慌てでハンカチを彼女の顔面に投げてやったっけ。上手く命中して良かった。


「妹が本当に済まない……」

「ああ、いいえ、いつものことですから」

「まあでも少し煩悩エネルギーを消耗させた方が、会場でも余計な騒ぎを起こさなくていいかもな」

「煩悩エネルギーの消耗?」

「うん、だからしばらく我慢してくれ」

「はい?」


 彼の視線を辿ればそこにはレティシアがまだはあはあしながら私達を見ている。私のハンカチはすっかり赤薔薇の色だ。実は一枚じゃ足りなくてクラウスさんのも投げてある。

 心から申し訳なさそうにする苦労兄は妹をよくよくわかっているようで、さっきから私の肩を抱き寄せている。ははっこれは確かにレティシアは大興奮して消耗するよねー……。


「意図は理解しましたけど、別に我慢はしてないですよ」

「ホントに?」

「はい」


 彼はどうして私が我慢しているなんて思ったんだろう。小さい頃からの付き合いでこれくらいのスキンシップは特に遠慮するでもなかったのに。少なくとも数年前までは。おんぶしてもらった記憶だってある。

 すると彼はどこか言い様のない顔付きになってちょっとそっぽを向いた。すぐに戻った横顔はいつもの平静な表情を宿していたけども。


 結局彼は私を隣に座らせたまま舞踏会会場まで離してくれなかった。


 ……その間、レティシアは鼻血ブーで一回死んだ。






 入場した舞踏会会場は想像以上に華美で明るくて多くの色で溢れていた。盛装ドレスの花畑だ。


「この先も社交界とは無縁でいよう」


 男爵令嬢のエマとしては絶対に来ないって誓う。だってこんな眩しくてごみごみした場所嫌だ。魔物のいる森の中で剣の素振りでもしていた方が何万倍も気楽だよ。

 私の小さな呟きを聞き付けたレティシアが呆れた顔をする。BL妄想で人格崩壊してない時はどんな表情でも絵になるのがこのレティシアお嬢様だ。


「エマってばホントに面倒臭がりよね。でも今から少しはこの手の公の場に慣れておかないと」

「え、何で?」

「あらだってそれはー……」


 何故か彼女はツツツと彼女の兄に横目を向ける。

 そのクラウスさんは急に咳き込んだ。


「まあそれは追い追いどうにかするとして、さーてと、ここからエマはわたくしの専属護衛のエドウィン、エドよ」

「うん、ああいえ、はい。気合い入れていきましょう、お嬢様」


 アドレア家護衛の制服を着た私は、箔を付ける意味合いもあって腰に剣を挿している。この舞踏会はベルフォード嬢の実家たるベルフォード侯爵家の主催で、武器の携帯も許される。私の他にも随行者に武器を持たせている貴族は少なくない。とは言えそこは他の夜会同様見た目を良くするためのパフォーマンスも然りで、刃傷沙汰が起こるケースは極めて低いだろう。会場内のあちこちに主催者側で用意した強そうな警備が立っているから、下手な真似はできないだろうしね。

 ついさっきまで一緒にいたクラウスさんは顔見知りを見つけて挨拶に行ってしまって別行動。元々会場ではそのつもりだったから構わない。


「ところでお嬢様、ベルフォード嬢はどこにいるんです? 今夜の主催側なんですよね?」


 会場入りして早々に主催者に挨拶をしたりされたりを避けるように柱の傍の椅子に腰かけてしまったレティシアは、短くぞんざいに「あそこ」とだけ言って一瞥する。

 示された視線の先には専属護衛だろう青年を従えた少女が一人佇んでいる。ふうん、あの娘がベルフォード嬢か。吊り目気味だけど綺麗な子だ。

 向こうも既にレティシアに気が付いていたようで、こっちを見ていた。


「お嬢様、行かないんですか?」

「わたくしから出向く義理なんてないもの」


 あーなるほど。

 相手の方が格下だからなあ。

 澄ました顔で一向に存在を無視。そっぽを向き動かないレティシアに腹を立てたようで、ベルフォード嬢からこっちに近付いてきた。

 私の姿をじろじろと不躾に見てもくる。

 値踏みされている嫌な視線だったけどこれくらいは想定済みだ。背筋を伸ばしてより姿勢を良くし、まずは見た目だけでも堂々とする。

 ベルフォード嬢はレティシアの真ん前まで来て足を止めた。


「ああーらごきげんようレティシア様」

「ごきげんようセーラさん」


 私が黙って控えていると、彼女は腕組みをしてツンとしてまたもや値踏みの眼差しを向けてきた。ほうほう、レティシアが高飛車って言っていただけはある。


「レティシア様、もしやそちらの彼が先日大層ご自慢なさっていた素敵な専属護衛ですの?」

「ええ、そうよ。エド、簡単に彼女に自己紹介して差し上げて。彼女はセーラ・ベルフォード侯爵令嬢よ」

「はい、では……初めましてベルフォード様、私はレティシア様の専属護衛を務めておりますエドウィンと申します」


 慇懃な仕種で意識して柔らかに微笑めば、ベルフォード嬢はちょっと面食らったように瞠目して一気に頬を赤らめた。まあそりゃ怒りもするか。レティシアは勢いで口から出まかせを言ってしまっただけで本当は「美形」専属護衛なんて居もしないと思っていたのに、いざやり込めてやろうと出てきてみれば私が居たから計算外で苦々しく思ったに違いない。


「ま、まあ確かにとても整ったお顔立ちですわね。レティシア様が唾を飛ばして熱心に主張していただけはあるようですわ。少なくとも見た目だけは」


 ふん、と面白くなさそうにするベルフォード嬢。はあーんこれは典型的なやっかみ意地悪キャラだね。


「あら何か含みのある言い方ね。わたくしのエドに難癖でも付けるつもり?」

「ほほ、難癖ですって? 見た目だけが良くてもいざという時に役に立たないのでしたら護衛など連れるだけ無駄というものですわ。わたくしの護衛は見た目こそそちら程には華がないのは認めましょう。されど、王宮の騎士にも劣らない実力の持ち主ですのよ。お飾りで満足されているだけのレティシア様とは違って、わたくし質も重視していますの」


 わー、あからさまな挑発。

 まあそんな安っぽい言葉に乗る彼女じゃないけど。


「はああ? わたくしのエドはあなたの護衛如き秒で叩き潰すわ!」

「レティあいやお嬢様!?」


 どうすんの挑発になんて乗ってー!

 ここでベルフォード嬢がチェスでチェックを宣言したようにほくそ笑んだ。この反応を待ってましたと言わんばかりだった。


「それではその彼がお飾りではないと証明して下さい、レティシア様?」

「あら随分と余裕ねセーラさん、だけど本当にいいのかしらん? 後で吠え面掻くのはそちらなのに」

「その台詞をそっくりそのままお返し致しますわ、レティシア様」


 令嬢二人はすっかり睨み合って、火花がバチバチ飛んでいる。

 この騒ぎにさすがに周囲も注目し出した。


「それではそちらのエドウィンと、こちらのジムに戦ってもらいましょう。二人とも剣を抜きなさいな! ああ皆様危ないので離れていて下さいませ」


 ベルフォード嬢の命令に彼女の専属護衛ジムとやらはあっさりと腰の剣を引き抜いた。


「え、ちょっとお嬢様どうするんですこれ?」


 レティシアはここまで煽るつもりはなかったのか絶句している。


「ああーら動揺なさってるんですの? 思った通り、エドウィンには大した実力なんてないのでしょう? 見るからにただレティシア様のご機嫌取りに特化したハリポテと言った感じですものねえ。その腰の剣もどうせ借り物で実際は満足に扱えないのでしょう? エドウィン、あなたもその顔で上手く取り入ったようだけれど、護衛としての矜持はないのかしらあ~? まっあなたが本当に護衛でしたら、ですけれど?」


 クククって感じのベルフォード嬢の嘲笑にこめかみに薄く青筋が浮いたけど、我慢我慢。

 打ち合いは後日にしようとかこの場では危険だからとか適当に言い繕って辞退すべきだよね。

 そう私が口を開こうとした時だった。


「レティシア様も一体その美しいお顔で何人の男を手玉に取ってこられたのかしらね? もしやその体さえ最早彼の専属なのでは? 忠誠を得るためにどこまでお与えになったのです?」


 ……いつにない怒りに、溜息しか出なかった。これはさすがに聞き捨てならない。


 親友エマとしても、専属護衛エドウィンとしても。


 刹那、ベルフォード嬢がひっと息を呑んだ。


 目にも止まらない速さで私が剣を抜いて彼女の喉元に突き付けたからだ。ジムとか言う護衛が「おいっ相手が違うだろう!」と焦った声を出す。


「ああ失礼、気が逸ってしまいついついミスをしてしまいました。相手はあなたでしたっけねー。本っ当に申し訳ございませんベルフォード様。あなたのその可愛らしい口からそぐわない言葉が聞こえるのが、このエドウィンには耐えられなかったのです。どうかお赦し下さい」


 私は役者がかって大仰にそう言うと剣を下ろし、ベルフォード嬢へと近付いた。身を屈めて彼女の手を取ってその白魚のような甲に謝罪のキスをする。わざとらしい恭しさでむしろどこか挑発的で胡乱な上目遣いで見てやれば、急な動作に硬直していた彼女はハッとして手を引き抜いた。顔は憤りなのかさっきよりも赤い。


「なっ、なっ」

「そんなにお嬢様と私の関係に興味がおありですか? ……何ならあなたのそのお可愛い顔で私を誘惑してみてはどうです? 私の真実を知りたいのでしょう?」


 目に危険な光を宿して近付くように身を屈め、周囲には聞こえないよう声を潜める。ベルフォード嬢は今度こそ絶句した。ふんだ、先に仕掛けてきたのは彼女だし怒るなら怒ればいい。決闘でも何でも受けてやるもんね。

 一方、レティシアは驚いたように目を丸くしている。内緒話は聞こえていないだろうけど、何となくその内容の傾向は察したと思う。それでも私が仕出かしたのが余程意外だったのか言葉を忘れちゃったみたいだ。その様子にこっちも少し冷静さを取り戻した。ごめんレティシアって思いつつ改めて相手護衛へと切っ先を向け直す。


「ジム殿でしたね。では早速手合わせしましょうか」


 私が自然体で構えると、見た感じ二十歳そこそこだろう爽やか短髪の彼はハッと目を見開きこくっと頷いて意欲を示した。うん、いいねそのやる気。


「そちらからいつでもどうぞ。ああ周囲はきちんと安全圏まで離れて下さいね」


 先のベルフォード嬢に重ねて流し目で促せば、周囲は赤くなったり青くなったりして距離を取る。

 ジムは躊躇いの後に意を決したように踏み込んできた。


 そして、秒で叩き潰すってレティシアの言葉は現実になった。


 まあ正しくは叩きのめすって感じだったけど。

 斬ったり突いたりは一切せず柄の底をみぞおちに叩き込んで相手が思わず屈んだとこに脳天を肘鉄した私がしれっとして剣を鞘に収めると、ベルフォード嬢が泡を食った顔で指差ししてきた。


「あ、あ、あなた、何者ですの!? ジムは嘘ではなく有能ですのよ!? それなのに、それなのに……っ」


 ぶれる指先が彼女の驚きと慄きを表していた。依然顔は赤い。

 ジムは気絶して白目を剥いて完全に伸びている。


「ええ、確かに彼は中々に良い腕を持ってますね。ですが師匠と比べればまだまだ」

「師匠……?」

「ええ、昔は王宮にも居たと言ってました。知ってます、王宮騎士のジークウルフって?」


 ざわっと周囲が沸いた。

 ベルフォード嬢が腕を下ろして愕然となる。


「ジークウルフ……って、まさかあの、聖戦の赤狼と呼ばれた常勝かつ歴代最強の騎士と謳われるイアン・ジークウルフ卿?」

「あ、知ってるんですね」


 でも聖戦の赤狼なんてそんな恥ずかしい二つ名付いてるんだ師匠……。

 同情の半笑いを浮かべていると、ベルフォード嬢がまだ半信半疑な目でこっちを見てくる。顔は赤いけど。知恵熱でも出たのかな?


「嘘おっしゃい! 彼は弟子を取らない人で有名ですのよ!」

「あーはい、だからしつこくしてやっと弟子にしてもらえたんですよね。当時は骨が折れました」


 と、ここでジムが呻いて身を起こした。立ったわけじゃなく床に座り込んだ彼は私を呆けたように見上げてくる。


「あ、気が付いた? 良かった。これでもすぐに目を覚ますように加減したんですよ」


 念のために意識が正常かを確かめようと傍にしゃがみ込んで彼の目の前で指を振れば、目の焦点も合っているし大丈夫そうだった。


「痛くしてごめんなさい。才能あるんですし、これからもベルフォード様の護衛として頑張って下さいね」

「エドウィンとやら……いやエドウィン殿、いやいやエドウィン様!」

「うん?」


 ジムは何か聖なる奇跡でも見た人のように頬を紅潮させて両手でがしっとこっちの手を握ってきた。


「お願いだ! 弟子にしてくれっ!」

「……はい?」

「エドウィン様の力量に惚れ込んだ。どうかどうかこの不肖の私めをあなた様の弟子にしてほしい! 炊事洗濯など家事全般何でもこなせるぞ! その合間に稽古を付けてくれるだけで構わない! もちろんセーラ様の護衛は今日限りで辞める!」

「え、それはちょっと……」

「あっジムあなたねえっ! 先は越させないわよ! その手だって離しなさいな! このエドウィンは今日からわたくしの専属護衛になってもらうんですのよ! あなたの師匠になんてさせませんわ!」

「ならばセーラ様も共に弟子になりましょう!」

「わたくしは弟子になりたいわけではありませんわ!」

「花嫁修業にもなりますよ!」

「は、花嫁修業ですって!?」


 顔色を戻していたベルフォード嬢がこっちを見てポッと再度頬を赤らめる。……ん?


「そそそれは悪くないかもしれませんわね。でしたらわたくしが第一夫人でジムは第二夫人ですわね」

「ええと何を仰っているのですかセーラ様? ともかく、私めが一番弟子でセーラ様が二番弟子ですよ」

「何ですって! わたくしが一番でジムが二番でしょ!」

「実力的に私めが一番です!」

「はあ!? 申し込みを受理された順ですわ!」

「なっ、その論理で行くなら私めが早かったではありませんか!」

「受理されていませんでしょ!」

「それならセーラ様だって!」

「……え、ええと勝手に話進めないでもらえますー?」


 私の声は丸っと無視。主従二人でぎゃんぎゃん言い合っている。いやもう人目が気にならないのかな彼らは……。って言うかジムは手を離してくれないかなー。

 唯一この場の収拾を付けてくれそうなレティシアはまだ喋らないし、私一人で辟易としていると、背後から伸びてきた腕に捕まった。

 ジムに握られていた手も強制的に引き離される。


「ひゃあ!?」

「ああエド、良かった無事だったのだな!」


 あ、この声はクラウスさん? いつの間に。


「遠目に剣を抜いた姿を見た時は心臓が止まるかと思ったのだぞ!」


 公衆の面前でバックハグをかましてきた彼は、何故か先の私同様大仰に役者がかった言い回しで言い募る。でも助けてくれたんだよねこれ?


「え、ええとクラウス様、ありがとうございます。収拾が付かなくて困っていたんです」

「ああエド、そんな風に堅苦しい呼び方はやめるようにとあれほど言っただろうに。俺のことは様なんて付けずにクラウスと呼べと何度言えばわかる? ん、エド?」

「はい……?」


 くるりと体の向きを反転させられて向かい合うと、彼から切ない眼差しで鼻先をつつかれた。

 ……えーと、これは何だろう?


「エド、妹の護衛である君を心配しない日はないよ。護衛には危険が付き物だからな。しかし野外でもないこういう場でくらいはどうかせめて自身の安全第一に考えてくれ」

「へ? あいい~?」


 困惑の余り変なリアクションしか出なかった。そんな間にも彼はさりげに私の腰を抱いてゆるりと辺りを見回した。


「この場の皆もどうか俺のエドを煩わせるような真似だけは、決してしないでほしい。わかってくれるな?」


 すうっと彼が息を吸い込んだ。令嬢達は何かの期待に頬を染める者がちらほら。


「エド……いやこのエドウィンは、俺の愛する大切な人だから……!」


 無駄に美声で情熱的な口ぶりの直後、ふにっと額に口付けが落とされた。


 ……あいい~? いや、愛いいい!?


 これまでになく会場が大きくどよめいた。

 クラウス・アドレア公爵子息、彼は特定の誰かを作らない男としても有名だった。きっとまだ本当の恋を知らないだけなのだとロマンス好きの女性達は囁き合い、もしかしたら自分が彼の心の氷を解かす運命かもと心密かに期待を抱いてもいた。

 彼の言動は、今夜も勇んでやって来たそんな令嬢の誰しもをハートブレイクさせた。今日まで、どんなに麗しい美女でも可愛い娘でも袖にされてきた。


 しかし皆はそうかとそのワケを悟った。二人のバックに咲き乱れる薔薇の園が誰の目にも見えたと言う。


 公爵令息クラウスは――


「あああああBL最高ーーーーーーーーっ!」


 会場にパッと散った真っ赤な飛沫と共にレティシアの恍惚の声が響き渡った。皆は目を白黒させていたけど真実を悟ったように何人もがカッと眼を見開く。

 ああもう、レティシアはー……。

 腐女子ってバレちゃったよね。いいの?

 この先の立場大丈夫かなあ?

 だけど予想に反する声が次々と上がり始めた。


「何て尊い光景なの!」

「クラウス様とあの美少年カプは最早神の芸術の域ですわね!」

「めちゃメロ萌えぎゅんですー!」

「ああわたくし知らなかった世界の扉を開いたかもしれません。皆さんどうかご教示下さいませ」

「「「もちろん!」」」

「わたし、クラウス様のことは諦めて見守りたいと思いますっ」

「ええ、ええ、わたくしもっ」


 よ、良かった想定外にも腐令嬢が沢山いた。こうなればレティシアはきっと大丈夫だよね。


 でも、まさかクラウスさんはこれを狙ってこんな茶番を……?


 そう言えば寄ってくる令嬢達を無難にあしらうのが大変で面倒なんだと、昔いつだったかちらっと愚痴られた事がある。極めつけにふざけて「エマ助けてくれよー」とか弱音も吐かれた。何故か。


 いつ思い付いたんだか知らないけど、男装をまんまと利用されたってわけだ?


 事前の相談もなく……っ。

 まあ、ついこの前まで疎遠だったし相談している暇がなかったんだろうけど、ここに来る馬車の中で簡単に説明くれても良かったのに。

 距離が急に近過ぎて戸惑うし。


 疑いと非難の眼差しで見上げれば、彼は悪いなと眉尻を下げた謝罪の笑みを浮かべた。頬を寄せてこそっと囁いてくる。


「悪いけど、これが最善なんだよ。だから俺に合わせて?」


 妹が妹なら兄も兄。この男、――確信犯!


 はは、と半笑いしか出ない私は反発する気も起きなかった。


 一方、レティシアは吹っ切れたようで、同志とわかった令嬢皆と早速サークルでも作ろうとしているのか熱心に話しかけて自陣に取り込んでいる。商魂逞しい商人みたいだよ。

 私とクラウスさんを何度も見てはぐふふふと不気味な笑い声を立ててもいた。

 加えて言っておくと、断じて弟子は取らない。

 ジムにもベルフォード嬢にも諦めてもらうつもり。


「エド様是非弟子に! 愛し合う二人の邪魔はしませんから!」

「あらわたくしはしますわ。愛は時に移り気なもの。ですからエドウィン、わたくしの専属になりなさいな!」

「駄~目。エドは俺のだ、俺の他は必要ないよな、エド?」

「はあはあっ見てまた二人が尊いわ……っ」

「「「私達腐女子連盟は新たにレティシア様をトップとして新体制でやっていきますわ! エイエイオー!」」」


 何だそれ……。嗚呼もうめちゃくちゃだ……。


 今すぐ帰りたい。


 私は私だけ異次元に居る孤独者のように感じていた。この上なく遠い目をしていたと思う。

 それと、ホストとして客人達に挨拶をしていたんだろう、異変に棒立ちで青くなっているベルフォード侯爵夫妻もお気の毒様だ。

 今夜の舞踏会はある意味伝説として社交界に広まるだろう。






 会場を出るまでベルフォード嬢とジムからは無駄に熱っぽい目で追い回されて困った。何とか振り切って隠れて時間を潰してようやく帰りの馬車に乗り込んだ時にはじわっと涙が出たよ。

 でもまあこの先エドウィンが彼ら二人と会う機会はないだろうから少しは安心した。最後までレティシアに謝らなかったのは感心しないけどね。


 私は猛烈に不機嫌な顔をしていたと思う。だからかな、馬車の中は近年稀に見る静けさに包まれている。

 行き同様に同乗のレティシアとクラウスさんは、だから私に話しかけられなかったみたいだ。それでもレティシアを思っての私の行動には馬車に乗り込んですぐに二人揃って感謝の言葉を口にしてくれた。私の返事が素っ気なかったからかそれ以降は気まずそうにしていたけども。舞踏会にいた面々がこの光景を見たら顎が外れるんじゃないかな?

 こっちとしてもドッと疲れて話す気力が出ないから助かった。けどもうすぐ家だし話すべき事を話しておかないといけない。


「ねえレティ、とりあえず嘘じゃないって証明できたし腕比べも勝ったし、私もう男装しなくていいよね。この服は洗って返すよ」


 すると、向かいに並んで座っていた高貴な兄妹は血相を変えた。


「そんな勿体ない! 今回だけなんて言わないで。これからも頻繁にその制服を着てほしいわ。それでわたくしの推しBL小説を再現してほしいの。薄々思っていたけれどエマの男装ってわたくしイチ押しのアベルに似ているのよね。リアルアベルを見たら創作意欲が掻き立てられて、バンバン妄想が湧いて筆が進みまくるの間違いなしよ。だからエマお願い! アベルになるのもだし、他の集まりにもその格好で一緒に出てほしいの!」

「いやでも……」

「ああほらお兄様からも説得して! お兄様だってその方がそこらの女に興味ないって重ねて印象付けられて好都合でしょう? ……思う存分ベタベタできるでしょうし」


 終わり部分はボソッとしていて私には聞き取れなかったけど、クラウスさんがハッと両目をこの上なく見開いた。彼には兄妹パワーで聞き取れたのかも。


「そうそうレティの言う通りだ。どうかもう少しだけ男装して俺の女除けに協力してほしい。実は意中の子がいるから、関係ない女性と一緒に居て変に誤解されたくないんだよ」

「意中の!? クラウスさん好きな人いるんですか!?」

「ああ、とっても可愛い子。俺だって人並みに恋するって」


 急にほこほこした笑顔になる彼はきっと本気でその人が大好きなんだろう。何だそっか、会わないうちに彼は彼で青春していたんだ。そりゃそうか、私と違って彼は立場上多くの人と会うだろうから。その中に運命を感じる相手がいても不思議じゃない。


「でもまだ全然アプローチを頑張ってる最中だけど……ちっともなびいてくれないんだよ。と言うかそれがアプローチだって気付いてないっぽい」

「あー、それはお気の毒に。んーまあそれなら仕方がないですね。時々なら男装して牽制してもいいですよ。それにやっぱりレティの役にも立ちたいしね」

「本当にいいのねエマ?」

「いいよ。私にできる範囲でだけど」

「「ありがとうエマ!」」


 彼ら兄妹の嬉しそうな様子を見ているとこっちまで嬉しくなる。


「なら、女除けの方は、今からでも様になるように演技の練習をしたらどうかしら?」

「練習?」


 私が首を傾げるとレティシアはいきなり横にいた兄の背中を突き飛ばした。

 えっ。

 あわや私にぶつかる寸での所でクラウスさんが両手を背凭れに突っ張って何とか堪えた。


「あ、あら嫌だわつい力が余ってしまって……」

「っぶな~。おいレティ……――っ!?」


 安堵の息をついた彼が文句を言おうと目を上げて、ばっちり私と目が合った。


 とんでもなく近い。先の舞踏会よりも。


 だけど、こんな距離は初めてじゃない。昔はよくあった。


「あの、大丈夫ですかクラウスさん? レティも走行中は特に危ないんだからこういうのは駄目だよ」

「ごめんなさい、眼福を拝めると思ったらちょっと思った以上の底力が出ちゃったみたい」

「レティいいい~?」


 欲望に忠実過ぎるのも問題だと呆れていると、何故か固まっていたクラウスさんがようやくのそりと動いた。

 何か落胆と疲労困憊の顔でどさりと隣に腰を下ろす。


「はあ……」

「本当に大丈夫ですか?」


 溜息までついてるし、平気とは言えないみたい。


「もうすぐ着きますけど、良ければ肩くらいは貸しますよ?」


 ちょっと目を見開いた彼が躊躇うようにその形の良い唇を動かした。


「その……舞踏会ではいきなり抱きしめたりホントのホントに色々悪かった。ごめんな。エマはまだ怒っている、よな?」

「ええ怒ってますよ。でも私は忘れっぽいのでクラウスさんがひと寝したらたぶんきっと忘れてるんじゃないですかねー」

「エマ……優しさが沁みる……」

「ふふっ良かったわね、お兄様」


 正面でレティシアが和んだようにくすりとして、クラウスさんは幸せそうに相好を崩した。


「それじゃあ、お言葉に甘えて……」


 カタカタと小刻みに揺れる馬車の中、目の前では居眠りする友人の穏やかな姿がある。それと同時に、体の片側に掛かるもう一人の重みと温もりに私は不思議な程の安息を覚えていた。

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