第34話 新人警備員とベテラン警備員
「……あれか」
視線の先にあったのは、簡素なプレハブ小屋だった。
こんな安物の建物が本当にダンジョン管理局なのかと首をかしげる。もっと奥に、それらしい立派な建物があるのではないか。
そんな考えを抱えたまま、私はプレハブ小屋の前まで歩み寄った。
プレハブ小屋の扉にはプリント紙が一枚、乱暴に貼りつけられていた。
そこには油性ペンで殴り書きされた『ダンジョン警備局』の文字。
間違いないようなのでゆっくりとドアを開けた。
「……おはようございます」
間違っていたら誰にも聞かれたくない。そんな気持ちから、自然と声は小さくなる。
「お、新人さんかい?」
すぐに返ってきた声に顔を上げる。
がっしりとした体格の男が立っていた。
年齢は五十前後だろうか。短く刈った髪に、柔らかな目元。
青色の制服はよく見る警察官のものに似ているが、胸元にはダンジョン警備局の文字が刺繍されている。
「今日からだよね?」
「はい。本日からお世話になります」
自然と背筋が伸びる。
男は軽く笑った。
「そんなに固くならなくていい。俺は山本。元警察官。今はただの警備員だ」
差し出された手は大きく、分厚い。
握手を交わす。
力は強いが、押しつけるような圧はない。
「探索経験者って聞いてるよ。助かる」
その言葉に、わずかに首を傾げる。
山本は気づいたように補足した。
「ここはな、警察官や自衛隊、消防の退官者の再雇用先みたいなもんなんだが……今はちょうど探索経験のある人間がいなくてな。だからありがたい」
探索経験。
あるにはある。だが、潜っていたのは別エリアだ。
「……自分は別区域でした。役に立つかどうかは分かりません」
正直にそう言うと、山本は肩をすくめた。
「気にするな。経験がゼロよりはずっといい」
その言い方に、値踏みの色はない。
山本はロッカー代わりの棚に寄りかかりながら続ける。
「担当エリアのモンスターはダンジョン最弱だ。だが簡単な罠もある。油断して足を取られるヤツも多い」
穏やかな声だが、言葉には重みがあった。
「気を抜くと危ない場所ってことだ」
「……はい」
静かにうなずく。
「無理するなよ。怪我したら課長がうるさいからな」
軽い調子だが、本音が混じっている。
採用面接のときに直接言われた言葉が脳裏に浮かぶ。
「……面接のときに、課長からも似たようなことを言われました」
山本は一瞬目を丸くした。
「なんだ、もう会ってたのか」
「はい」
短く答える。
山本は小さく苦笑した。
「まあ、あの人は自分の評価だけは敏感だからな。現場で怪我人が出ると書類が増える。だから課長も含めて“安全第一”がここのルールだ」
冗談めかしているが、完全な冗談でもない。
「よし。じゃあもう一人紹介する。岸本ってのがいる。あいつは元消防だ。裏表がない分、ちょっと言い方が直球だけどな」
そのとき、プレハブのドアが開き、足音が近づいてきた。
「噂してると来たな」
山本が苦笑する。
開いたドアの向こうから入ってきたのは、日焼けした肌の男だった。
年齢は四十代前半ほど。短く整えられた髪と、無駄のない体つき。
視線が合うと、男は一瞬だけ私の全身を静かに見渡した。品定めというより、癖のように観察している――そんな目つきだった。
「……新人か?」
低く、よく通る声。
「岸本だ。元消防。よろしく」
言葉は簡潔だが、ぶっきらぼうというほどでもない。
差し出された手は、山本よりも固い。
握った瞬間、分厚い皮膚の感触が伝わる。
岸本は手を離すと、改めて私を見た。
「探索経験あるって聞いたけど……本当か?」
その視線が、私の肩幅や腕の細さ、そして突き出た腹を確かめるように動く。
否定はできない。だが、胸を張れる体型でないことも事実だ。
「……あります。別区域ですが」
そう答えると、岸本はわずかに眉を動かした。
「別区域か」
短い反応。
言葉が一拍、途切れる。
だが、すぐに山本が横から口を挟んだ。
「まあまあ。経験があるなら十分だろ。現場に出りゃ分かるさ。動き見りゃな」
軽い調子だが、言葉ははっきりしている。
岸本は小さく息を吐いた。
「……だな。口でどうこう言っても仕方ない。まあ、動けりゃいい」
それ以上は追及しない。
「ここはな、モンスター自体は弱い。だが罠はある。あんたは特に足元に注意しろよ」
言葉は淡々としているが、完全に突き放しているわけではない。
「慌てなきゃどうにかなる。慌てるやつが怪我をする」
「……はい」
自然と背筋が伸びる。
山本が肩をすくめる。
「直球だけど悪いやつじゃないだろ?」
「聞こえてるぞ」
岸本はそう言いながら、わずかに口元を緩めた。
面接で向けられた課長の鋭い視線が、ふと脳裏をよぎる。
だが、ここにある空気は違う。
試されはする。だが、突き放されているわけではない。
――これなら、やっていけるかもしれない。
胸の奥にあった硬さが、ほんの少しだけ緩んだ。
「じゃあまずは中を案内する」
山本がそう言って立ち上がる。
岸本は机の横に置いてあった帽子を手に取りながら続いた。
三階建てのプレハブは、外から見た印象よりも広い。
一階だけでも机が三つ、壁際にロッカー代わりの棚、奥に小さな給湯スペースがある。
「あそこにある端末、見えるか?」
壁際に設置されたタブレット端末を山本が指さす。
「出勤と退勤はあれで打刻する。ICカード認証だ。反応が鈍いときは二回通せ」
「紙じゃないんですね」
そう言うと、山本は笑った。
「経費削減が騒がれる公共施設でも、今時さすがに紙はないぞ」
「報告書はもちろんデータだ」
「ダンジョン内で何かあったら必ず書く。小さいことでもだ。転倒、迷子、軽い接触事故――なんでも残す」
「面倒でも書け。後で揉めるよりマシだ」
山本が苦笑する。
「講習の予定は、外の掲示板と端末の両方に出る」
「週一でやってるが、最近は人が増えてな。臨時が入ることもある」
「講習の日は付き添いに回る。覚えとけ」
岸本の言葉は簡潔だ。
「今日は同行は?」
「今日はない。だから巡回だな」
「ダンジョン内の巡回か、講習時の付き添いが主な仕事だ。入口警備は別の班が担当してる」
そう言って岸本は外を指した。
外に出ると、すぐ先にダンジョンの入口が見える。
人工的に整備された広場の中央に、黒く口を開ける空間。
思っていたよりも、近い。
「あそこは別班だ。俺たちは中を回る」
「浅層中心だが、油断するな。罠もあるし、初心者は予想外の動きをする」
「講習のときは特にな。説明を聞いてないやつほど先に突っ込む」
山本が肩をすくめる。
「危ないのは大体、モンスターより人間だ」
入口を見つめる。
黒い穴は、静かにそこにあるだけだ。
「最初は巡回の流れを覚えろ。立ち位置と休憩の回し方もな」
「はい」
返事をすると、岸本は一度だけ頷いた。
やることは多い。
だが、理不尽ではない。
ここで何をすればいいのかは、はっきりしている。
それだけで、今は十分だった。




