2
明けない夜はない。
しかし、沈まぬ太陽もない。
10年ほど前に名宰相ハワード・リッツガルドが高齢を理由に一線を辞してから、この国に暗い陰がさした。
宮廷は政争に揺れ、王は奸臣に骨抜きにされた。
税金は年々重みを増すなか、干魃が、その後の水路計画失敗による水害が、大きな飢饉を招いて平民は地獄の底にいる。
国が弱れば他国に狙われる。
辺境では隣国の侵略、市民の暴動…
かつて、『沈まぬ太陽に照らされた国』と詩歌に讃えられるほどの栄華を誇ったこの『エーデルワイス王国』も、今や斜陽、落日の縁にあった。
『エーデルワイス王立学園』
王都にあり王の御名の元、貴族の子息や令嬢が善き執政者になるため創立された由緒正しき学園。
私がオルコットの代わりに、これから通う学園だ。
「大丈夫でしょうか? 何かおかしなところはありませんか?」
王都の屋敷から学園へ向かう馬車の中、不安でいっぱいの私はメイドのコレットに制服姿を見てもらう。
「…しゃんとしなさい。貴女は今『オルコット様』なのです。」
「…申し訳ありません……」
「『オルコット様』はそんな事をおっしゃりませんよ。」
「…はい。」
コレットはセバスチャンの孫、何処の馬の骨ともしれない私と違って代々伯爵様にお仕えしている由緒ある家の出。
そして『オルコット』の近侍で『私』の監視役だ。
私はうつむき、そして窓の外を眺める。
馬車の外、王都の街には多くの人がいる。しかし賑わっているわけではない。路地裏に座り込み、恨めしそうに馬車を睨んでいる。
彼らは皆、仕事を求めて地方からやって来て、でも仕事にありつけなかった者達だ。
パパ、ママ… 元気でやってるかな……
自分を捨てた人間なのについ両親の姿を探してしまう。
「…コレット様。この国はこれからどうなるのでしょうか?」
「…それは貴女の気にするところではございません。
さっ、着きましたよ『オルコット様』。」
馬車は正門前に横付けされ、そして扉が使用人によりゆっくりと開かれた。
…大丈夫。
私はそう自分に言い聞かせて、背筋を正して歩き出す。
今までも『オルコット』の代わりをさせられることは幾度となくあった。
とはいえ慣れてきたのはあくまで領内の慰労会や新設の診療所、配給所での挨拶といった『オルコット』を直接知らない平民相手のもの。夜会のような『オルコット』を直接知っている貴族相手のものは未だに慣れないし、ましてやこれからは学園生活という長期的なものだ。
大丈夫、大丈夫…
私は胸に手をあて、その高鳴りを感じながらもう一度言い聞かせる。
「…あら? あれは……?」
校門から校舎へとつづく道の途中、何やら人だかりが出来ている。
近付いて見ると1人の女生徒が大勢の取り巻きと共に別の1人の女生徒を責め立て、責め立てられている女生徒は泣きながら土下座で謝っている状況だった。
責め立ている女生徒は知っている。公爵令嬢のソフィアとその取り巻きだ。しかし、責め立てられている女生徒は知らない。
いったいなにが…?
「もし、なにかありまして?」
「あっ、オルコット様。その、実は……」
私はその野次馬の中に見知った令嬢を見つけ、話を聞くことにした。
その令嬢がいうにはどうやら責め立てられている女生徒は平民で、不注意から運悪くソフィアとぶつかってしまったらしい。
貴族のための学園であるが財政の悪化から、数年前から多額の寄付金を条件に平民の生徒も受け入れている。なので裕福な商家は店に箔をつけるため、貴族とのパイプを作るため、こぞって子供を送り込んでいる。
おそらくあの女生徒もそんな親の都合で入学させられたのだろう。
…となるとたぶんぶつかってしまったのはソフィアのほうだろう。平民でこの学園に通うのなら細心の注意を払っているだろうし、そもそも取り巻きや近侍に囲まれたソフィアに近付けるはずがない。
「ソフィア様。」
私は人混みを抜け、その中心人物に声をかける。
「あらオルコット、ごきげんよう。」
そう言いながらソフィアは私の顔を見ると不快そうに眉をひそめた。
公爵とシャノワ伯爵は今、対立関係にある。
この国の政治は王と元老議会の2つからなる。最大派閥のトップとして議会を掌握しているのが公爵。自身の妹、つまりオルコットの叔母にあたる人物が王の寵愛を受ける側室となり王を傀儡化しているのが伯爵。
おかげで伯爵は格式以上の権力を持ち、公爵はそんな政敵を苦々しく思っている。
当然、公爵の娘であるソフィアは伯爵の娘のオルコットをよく思ってはいない。
「ソフィア様。そのくらいになさっては?」
その事をわかってはいたが私は声をかけた。
「はぁ? オルコット、貴女は何様のつもりでして?」
「いえ、そういったつもりでは…」
「じゃあどういったつもりでして? 少し金のある平民にいい顔をしようとしたの? まぁ、さすがはあの女の姪ですこと。本当にすぐ媚びを売り、卑しくて浅ましいですわ。」
ソフィアの言葉を取り巻き達が笑い声をあげる。
「これは貴女には関係のないことです。下がりなさいオルコット!」
取り巻きの反応もあり気をよくしたソフィアは得意気に言った。
…仕方がない。
ここで引き下がってもソフィア達はこの平民の少女をいじめるのをやめないだろう。
「そうではありませんわ。ソフィア様、これは貴女の身を案じてのこと。
…見たところこの娘は平民、どのような病を持っているかもわかりません。あまり関わりを持たない方がよろしいかと。」
『病』。
その言葉に取り巻き達は一斉に少女から距離をとった。
飢餓に苦しむ平民に疫病が蔓延しているのは皆が知るところだ。
「そ、そうね。ありがとうオルコット。
…あまりいい気にならないことね。」
取り巻きの空気が変わったことを感じたのだろう。ソフィアは最後に私にだけ聴こえるように捨て台詞をはき、去っていった。
野次馬も散り、泣いている少女だけが残された。
私は少女の手を引いて立たせる。
「っ!? あ、あの!??」
「ああ、せっかくの可愛らしい制服なのに土がついてしまって…」
私はしゃがんでスカートについた土を払う。
「あの、そんな、貴族様に、」
少女は焦ってどもる。
「…すみません。私にもう少し力があれば、あんな貴女を貶めるようなことを言わずにあのような蛮行を止めることができたのですが……」
「っ!? い、いえ、貴女様が悪いんじゃありません。私が、私が悪いんです。私が…」
「あらあら、そんなに泣いていてはせっかくの可愛らしいお顔が台無しですよ。」
私は少女にハンカチを差し出す。
「あ、あの! お名前を!」
少女はハンカチを受けとると胸にぎゅっと握りしめて聞いてくる。
「…私も貴族で、しかも先程の公爵令嬢とあまり仲がよろしくありません。平民の貴女はあまり関わりあいを持たない方がよいでしょう。」
私はそう言ってその場を離れた。
そう。関わらない方がいい。
本物の『オルコット』はソフィアが可愛く見えるくらいに、ひどい。
その騒ぎの一部始終を校舎の2階から見ていた者達がいた。
「…なかなか良さそうな娘じゃないか。」
さらりとした美形の青年が言った。
「…オルコット嬢ですね。」
眼鏡の青年がそれに答える。
「オルコット、オルコット… いったいどんな娘なのかい?」
「…わかりません。」
「へぇ、君がそういうとは珍しいね。」
美形の青年は興味深げを言った。
「…あるときは診療所の視察で平民の怪我人に手が汚れるのも気にせず治癒の魔法を施した。またあるときは夜会でドレスの裾に身分の低い令嬢が一粒だけワインの染みを作ってしまったことに怒り、その令嬢のドレスを剥いで笑い者にした。
『女神で魔王』。あまりにその振る舞いや周囲の評価に差があり、つかみかねているところです。」
「へぇ…それはなんとも…… しかし、オルコット、オルコット… う~ん、やっぱり聞き覚えがないなぁ。」
「殿下が主席される夜会では壁の花に徹していますから。
…それに私どもとしてもあまり殿下に関わらせたくない娘ですので。」
「…どうしてだい?」
「…あの毒婦の姪です。」
「…なるほど。」




