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一つの事件の顛末と

「その旧本は、あるものの鍵だ」それ以外の価値を彼らは気にも留めていないだろう、と彼女はさらりと言った。さらに、清治が襲われたのは、清治が持って行った本が稀覯本であるからでは無く、その本だけを追い求める理由があったという。


 それを聞いて清治は残った壁に身体を預けるようにして床にずるりと座り込んだ。内容物を吐き出しきった肺腑が酸素を求めて思い出したように脈動している。続くように先輩もそばにしゃがむ。火照った身体に心地よかった風もそろそろ寒い。

 ああそうですかと納得できるほど清治の頭は柔軟ではなかった。


 人間誰しも主人公だと嘯く者もいるが、たいていの場合それと気づかずに過ごすものだ。自らの認識の中において、清治は観察者であり、決して当事者では無かったのだ。いつからそんな不可思議な説明を受けなければならない役に当てはめられ、どこの場末ともしれぬ舞台に上がったのか。詐欺に遭った気分だった。

「……つまり、俺がこの本を、手放していたら、あっさり解放、されていた……それじゃ、」

 それじゃまるでバカみたいじゃないか。清治はそう続けるのをやめた。その通りだからだ。清治は旧本が好きだ。だが、一つしか無い命を懸けるほどだろうか? わかりきったことだ。


「あの本は実に君好みの装丁じゃないか。知っていてもそうしたかな」知ったように先輩が言う。このまま立ち上がる気さえ削がれそうだ。

「さすがに逆らいませんよ。古いバトル漫画の主人公じゃないんですから。第一俺がそんな役だったら売れませんて」


 思わず顔をしかめた清治を智晶は面白そうに眺めている。この怜悧ではあるが決して冷たくは無いはずの彼女が、清治を助けるためとはいえ人を一人吹き飛ばしているのだ。だが、それについて悩んでいる様子はうかがえなかった。いつか少しでも内心を教えてくれる日が来るのだろうか。不意にそんなことを思う。

「面白そうだ。いつ発売してくれる?」

「ああいうのは眺めているから良いんです」

 むっつりと黙った清治を見て快活に彼女が笑った。


「少しは落ち着いたようだね」

「……ええまあ。早く逃げましょう」

 それからあっさりと自宅に着いた清治は自ら認める小市民らしさをもって、いつ明けるとも知らない夜をまんじりともせず過ごした。


 何度寝ようと頭を横たえても、日中の光景が頭をよぎる。連中は名前と顔を知っている。清治の家を割り出すのは造作も無いことだろう。これからは身の危険を第一に考慮しなければならないことを考えるだけで選択は失敗だったかもしれない。


 十度ほど寝返りを打って、結局諦めた清治は本を引っ張り出して読んで長い夜を過ごした。気づけば時刻はとっくに次日を指していた。寝ていた気もしないが、さりとて起きていた気もしない。倦怠感が残っていた。まだ外は暗い。


 寝起きの頭が、決して寝ていたわけでは無いのだから、今寝ても良いだろうと変な理屈をこね始めようとするので、残った理性が黙らせるように手近な窓を開けさせた。一気に流れ込む寒気がだるさを取り払っていく。大きく息を吸って、吐いて気づく。

「結局何も起きなかったのか……」


 一夜明ければ夢から覚めないかと期待していた清治には残念なことに起きたことは覆っては居ない。旧本も手元に残ったままだ。どうにも腑に落ちない気分を味わいながら、清治は手持ち無沙汰に朝食を摂りながらニュースを見ている。


 校舎の爆破事件は、前日の小規模な火事と違って、大々的に報道され、地域住民の恐怖を煽った。教室を巻き込んで廊下一つがまるまる吹き飛ぶほどの爆発。周囲には誰かが意図的に危険物を爆発させた痕跡があり、当然ながらこの規模を吹き飛ばす爆薬など学校にはない。

ただ、幸いなことに――被害者はなし。そういうことになっている。どこを覗いたところであの日、誰かが怪我をしたとか、亡くなったという話を誰もしない。


 しかし。被害を受けたのは学校――本来であればテロとは無縁の建物だ。歓迎せざる日常にある、強盗や事故といった非日常を通り越して、遠くにしかないと誰しもが思っている無意識上の空白をついたために想定を遙かに超えた騒ぎになっている。同時に警察、学校への批判が相次いで起こった。

曰く、防げただろうというのが声の大きい方々の見解だ。どこから仕入れたのか前日のボヤ騒ぎで警察が調査に入っていたことをリークしたものがいるらしい。学校の対応も、である。


『やった奴は馬鹿だが、褒めてやってもいい』

 暇を飽かして遠坂が送ってきたメールからして、一般の人たちは明らかにこの事態を面白がっていた。遠坂はそういう人間である。たしなめる返事をすれば『お前が言うな』と、更に返ってきた。解せない。

 朝から増え続ける報道は過熱し、地方学校を襲う事件の影などと全国圏向けの報道に発展した。特に話題に飢えていたワイドショーには格好のネタとしてどこのチャンネルを見ても、このニュースが取り上げられていた。清治は一人がけのソファーに座ってぼんやりと眺めている。


 一般向けに作られ、真面目度合いが二割を超えればいいところの番組でまくし立てられるそれは、まるで自分たちとは遠い現実であるところの他国で起きた事件のように聞こえた。この分ではきっと翌週には忘れられているだろう。

『……またテロ組織アーカイヴの仕業でしょうか。どう思われますか?』真面目くさったアナウンサーが隣にいる専門家のような男に問いかけている。

『この時点では何ともいえませんが、可能性はあるでしょう。彼らは自分たちの主義主張のためなら手段を選ばない傾向にありますから。とはいえ私個人は違うのではと想っています』


『というと?』質問を降ったアナウンサーは話が違うとでもいうように眉をしかめかけている。映っているチャンネルはどちらかというとかなりタカ派に偏った報道をする局だ。おおかたそちらの方向に誘導したかったのだろう。


『メッセージ性が皆無ですから。気を悪くしないでいただきたいのですが、かの田舎の学校一つを仮に全壊させたとして、彼らに何の利があるでしょうか。旧来のテロ組織と呼ばれる集団の主目的は殉教でした――つまり、宗教のような統一された彼らなりの考えがあるわけです。アーカイヴを他のテロ組織として一緒くたにしてしまいがちですが、彼らは彼らなりの論理を以て活動しています。これは決して褒めているわけでは無いですが、少なくともいままでは彼らは市民を巻き込んだことは無かった。鉄塔事件のように、間接的に市民が被害を受けることはあったにしても、直接被害が出そうなことを行っては居ません。そしていつもはどこの報道機関より先駆けて自らこれは自分たちがやったというくらいですが、それもない。故に私は今回の件を別物として見ています』

 

 ここで専門家なる男は画面外に顔を向けた。何事も無かったかのように涼しげにいってのける。『これ以上は憶測となってしまいますので控えたいと想います』


 特集はそれで終わりのようだった。清治も即座にチャンネルをプライベートに切り替えた。画面に映し出したのは校内向けに配信されている学校の緊急集会である。話している内容は先ほどの民間放送で言っていた話を何十倍にも薄めたものだった。アナウンサーと違って喋るのが仕事では無い教師の話は努力したのだろうが聞きにくい。


 話半分、いや、四分の一ぐらいで聞いていたところによれば、本日から当分の間、休校とするらしい。早い話が、一足早い夏休みだ。冬が終わらないうちの夏休みである。あまりうれしくはなかった。どうせ、カリキュラムの関係上、休みたいはずの本来の休み期間が削られることは間違いないのだ。

『どうせ暇だろ、どこか出ようぜ。今なら教師はきっと対応できないぞ。何なら迎えに行ってやる、というかもう向かってる』


 また通知が鳴った。遠坂である。

『止しとけって。また捕まっても知らないぞ』

遠坂はあれで立ち回りが上手い。今のところ、一度しか捕まっているのを見たことが無い。


『誰かがチクらなきゃ今日は大丈夫だって』

『悪いが今日は用事がある』


『何だよ、用事って?』

『用事は、用事だ。今日ぐらいおとなしくしといた方が良い』


 やけに乗り気な遠坂を何とか退けていると、今度はアラームが鳴った。時間だ。

 今日も今日とてまだ寒い。冬物のジャケットを着込んで部屋を出た。


※ ※ ※


 待ち人は先に来ていた。横顔が店内の隅の席で見える。横顔をチラリと見た途端、清治はその場で少しつまずいた。見えた光景が嘘であると信じたい下半身と、事実を確認しなければならないと欲した上半身が物別れした、その結末だった。

 

 現れた店員に待ち合わせであることを告げて、奥へと足を向けた。テーブルに引っかからないように視線は待ち人を向いていた。やがて待ち人の座るテーブルの前にたどり着く。

「先輩、お待たせしました」

 清治が続けようと唇に載せた言葉はほとんど正規ルートのブリッジから落車してしまっていた。テーブルのそばでただ立ち尽くす。それ以上のことが清治に今できない。

 

 待ち人はやあ、と片手をゆっくりと上げた。顔がゆがむのを自覚した。けっして安堵のためでは無かった。

 傍にカップが一つ。既に中身が半分ほど減っていた。濃厚なコーヒーの香りが特に強くただよっている。これでもかと漂う芳しさは本物の豆なのか、代用品なのか清治に判断はつかない。多分前者だろう、と想うのは個々の店主のこだわりを知っているからだ。形から入る男なのだ、この店の店主は。


「対して待っていないから気にしなくて良い」先輩はどこか疲れた表情を浮かべてこちらを見上げた。ああやはり。カップを持つ手にも力が無く、たった一日前にあった人物とはまるで別人のように清治の目に映る。事実、昨日の彼女とは天と地ほどの差がある。

「……何か少し痩せてませんか」


 清治がこぼした言葉は嘘だらけだった。少しどころでは無い。先輩は「まあ、ちょっとね」と濁した。

頬が青白い。隈ができ、何日も寝ていないかのように充血した目。どことなく髪の毛や肌につやが無く、飄々としていた彼女の瞳から余裕が消えていた。

 見てはいけないものを見てしまったかのように、清治は目を伏せた。それに気づかない先輩では無い。化粧でごまかしてはいても、なお分かってしまうほどに彼女は憔悴していた。困惑、心配。こんなときどんな表情を浮かべるのが正解かまるで分からない。


「君でも心配するぐらいには顔に出ているのか。見苦しいものを見せてしまったな。でも、私のことはいいんだ」それ以上のことを話す気はないらしく、再び先輩は窓の方に視線をやった。ここから先は君の管轄外だ――そう言っているかのようだった。

「そんな場合じゃ無いでしょう。まさかそれで自分は大丈夫だとかいうつもりじゃないですよね?」

「……座らないのかい」


 清治は無意識に伸ばしかけていた手を引っ込めた。大人しく対面に座った。暖房の効いた店内が清治を温めても、別の何かが清治を芯まで凍えさせたままだ。一体何が彼女をそうまでさせたのか。

「来ないかと思ってた」

 視線を外に向けたまま、先輩が言う。

「そんな薄情になれれば、よかったんですがね」ぽつりと言った。「どうもその辺不器用なんですよ俺」

 視線を背けたままの清治を茶化すように先輩が力なく笑った、気がした。


「そうだね。武器を持っているような相手、それもどんな奴かわからない相手に喧嘩を売るのは君ぐらいだ」

「そうでしょうとも」清治は苦い顔をした。「何を飲んでおいでで?」


「カフェオレ。甘いから君にはあまりおすすめしない。甘いのは嫌いだろう? 私も次は別のを頼むよ」

「甘いくらいでちょうど良いですよ。どうせこの後口の中が苦くなるような話ばかりするんでしょうし」


「君は少しくらい人のすすめに素直に乗るべきだと真剣に思うよ」

「放っておいてください」


 二言三言、言葉を交わし、ようやく訪れた店員にコーヒーを二つ注文して、それらがテーブルに届けられるまでお互いに学校でのことを話はしなかった。口に出せば何かが決定的に変わってしまう――そんな予感があった。店員には仲の良いカップルとでも想われたらしくしきりに意味深な笑みを向けてきていた。清治はそれを無視し、少し声を落として尋ねた。もとより気にしている場合では無い。


「ところで、昨日のはどうなったんですか。奴らのこと、まるでいなかったかのように誰も口にしていない。教師陣だって同じです。おかしいでしょう」


 朝のニュースからは、奇妙な男二人組の話はついぞでなかった。だからまたこの前のボヤ騒ぎと同じようにアーカイヴの犯行だと想われるとどこのチャンネルでも流していたのだ。清治を呼び止めたあの教師も時を同じくして行方をくらましているのにもかかわらず、それも話題になっていない。規模が規模だとはいえ、普通なら誰も死傷者が出ていない事件より失踪事件の方が重い。


 普通なら行方をくらましたその教師が怪しいと疑って捜査するのでは無いか。

「簡単さ。最初からそんな男達は居なかった――そういうことになっているから、誰も口にしない。これが現実だよ」


 彼女が言うにはあの男達は誰の記憶にも、記録にも残っていない存在だという。しっかりと記憶を残しているのは自分たちだけだと。突如始まった全く理解できないオカルトじみた話に清治が何も言えないでいると、彼女は言葉を選びあぐねているように少し黙って、


「よし、じゃあ一般的な概念の話からしよう。存在というのは単独ではなしえない。発見され、認識されて初めてそこにある。ここまではいいか」


 清治は軽くうなずくにとどめる。これが彼女の常だ。下手に遮っても益が無いことは分かっていた。

「自分が存在していると認識するだけなら自分一人で足りるんだ。しかし、人間は社会的な生き物だ。自分以外の誰もが自分を認識できなくなったなら、存在していないのと同義になる。ならば、誰にも認識されない人間は世界に存在していないことになる」


「なんだか幽霊とかオカルトを信じていない人が、目に見えないから幽霊なんて居ないって言っているのと同じように聞こえますね」

「大体合っている。ただし、彼らはそれを人為的に行ったんだ」

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