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第8話 過去とオムライス

 その時何気なく、置かれていた写真立てに目をやった。私の視線に気が付いた藍川が写真立てを見て言う。

「その写真、僕が七歳の頃に撮ったんだ」

「七歳? それ以降の写真は?」

「……その時が、両親と仲の良かった最後の年なんだ」

 その言葉に、嫌な雰囲気を察した。

「……ごめん」

「何謝ってるのさ。別に触れて欲しくない話題でも無いから大丈夫だよ」

 そして藍川は、静かな笑みを顔に浮かべ、喋る。

「そうだね、どうせなら全部話しちゃおう」

「え……?」

 私が驚いている間に、藍川は口を開く。


「――僕は七歳まで両親と仲良く暮らしていた。美人のお母さんと優しいお父さんがいる、普通の家庭に生まれて、普通に育った、普通の子供だった」

「…………」

 口を挟むような空気じゃないので、黙って話を聞く。

「でも僕が七歳の時、お父さんが会社からリストラされた。不況のあおりを受けたのかどうかしらないけどとにかくお父さんの収入が無くなって、家計も苦しくなったみたいだった。お父さんとお母さんは毎晩喧嘩してて僕は寝室で耳を塞いでそれを聞いてるだけ。お父さんもお母さんも僕に厳しく当たるようになった」

 大分昔の記憶なのに劣化していないのは、記憶に強烈に残る出来事だったから、なのだろうか。

「お父さんは仕事を探して毎日出かけて、夜中まで帰って来ないことが多かった。そんなある日、お母さんが知らない男の人を家に連れて来てね。その人とお母さんは凄く仲が良さそうだった。でも僕を見たお母さんとその人は、『邪魔だから部屋に来るな』とだけ言って寝室に入って……それで、ね」

 悲しい経験を、藍川は淡々と話す。

 ほんの少し寂しそうな顔で、でも決して泣かずに、ただ淡々と。

「お母さんはそれから、殆ど毎日のように何人もの違う男の人を家に呼んでさ。お母さんも男の人達も、僕をたまに蹴ったり殴ったり。それでそのうち、お母さんのことがお父さんにバレちゃって。二人ともギャーギャー喚いて喧嘩して、お父さんは僕が八歳の時、僕を置いて出て行ったよ。最後の言葉も『じゃあな、バイバイ』なんて……本当に簡単な言葉だけで」

 淡々と。

「お母さんは反省してないみたいだった。むしろお父さんがいなくなって堂々と遊ぶようになった。僕は邪魔者扱いで、暴力を受けたりご飯を作って貰えなかったり。……それでも、僕はお母さんが大好きだった。きっといつかは男の人を連れて来なくなって、お父さんと仲直りして、また三人で一緒に遊ぶんだーって。そう考えたら暴力だってののしりだって我慢出来たんだ。でも、でも……お母さんは、僕を無視するようになった」

 愛情の裏返しは無関心。そんな言葉をどこかで聞いた気がする。

 愛する人からの憎しみより、怒りより、なによりも自分の存在を否定されることは辛い。

 それはどんな人間だって同じだ。

「無視されることは凄く辛かった。どんな暴力よりも、どんな傷よりも、一番それが痛かった」

 椅子の背もたれに体を預け、藍川は眉を寄せて神妙な表情になる。

 話している最中に、少し、藍川の声が震える。

「でもやっぱり、どうせ無視するくらいなら……どうせ冷たくなるくらいなら……」

 少し顔を上げ、藍川は私を見つめる。

 切ない微笑みと、震える声で。藍川は、言った。


「最初から愛して貰えなかったのなら、きっと平気でいられたのに……!」


 愛情を知っているからこそ、無視されることが更に辛くなる。

 そんな切なる気持ちを吐き出す藍川を見ている私は、

「…………」

 何も言えず、何も出来ず、

 ただただ無言で見つめることしか出来なかった。


「……ごめん、自分から話しといて」

 藍川が少し困った顔で笑う。

「……いいよ。……いいんだよ」

 同じ返事を二回続ける。

 何もかける言葉が思いつかない自分に、嫌悪感を抱いた。

 そこで藍川が思い出したように言う。


「でもね、最後だけお母さんは僕を見てくれた」

 少し笑って。

「僕が九歳になった頃、お母さんはいつものように男の人と遊びに出かけた。僕はその時、何となく後を付けようとしたんだ。でも大きな交差点の手前で付けてきてるのが見つかっちゃって、男の人に蹴られた僕を、お母さんは冷たい目で一蹴するだけだった。イラついていた二人は、信号が青に変わるのを待たずに道路を渡り始めた。僕は青に変わるまで待ってたんだけど、そこに速度を上げたトラックが来た」

「え……まさか」

「うん、そのまさか。トラックが二人を思い切り跳ね飛ばした。お母さんと男の人が宙を舞って地面に叩き付けられた。周りから悲鳴とか慌てる声とかが聞こえて、僕は急いでお母さんに駆け寄った。……即死だったみたいで死んでたんだけどね。腕が千切れて顔も少し潰れてピンク色の臓器みたいなものがあちこちに散らばってて、真っ赤な水溜りが出来てたよ。凄く生臭い匂いだった」

 当時の現場の様子を冷静に語る。死体には見慣れているが、ちょっと眉をしかめた。

「それで、お母さんの左目が道路に落ちてたんだ。跳ね飛ばされた時に落ちたんだろうね。その目が、僕を『見て』たんだ。目だけでも。お母さんの意思じゃないにせよ……凄く、嬉しかった。お母さんが僕を見てくれた! 無視してない! って喜んで、思わず泣いちゃって。僕の涙を母親が死んだからだとでも思ったんだろうね、救急車を呼んでたおじさんが僕を抱きかかえて目隠ししてくれた」

 写真立てを藍川が手に取る。そしてふっと息を漏らしてまた笑った。

「それから僕は母方のおじいちゃん達に引き取られて、中学生になるまで一緒に暮らした。中学生からこのマンションを借りて一人暮らし始めて……で、今に至ると」

 そんな言葉で締めくくる。





「…………えっと、大変だね。色々と」

 しばらく考えて出た言葉がそれって、どうよ。と自分に呆れる。

「でもまあ何とかやってけるしね。仕送りとかしてくれるおじいちゃん達には感謝だよ本当に。……あ、もうこんな時間か」

 時計を見ると時刻は十二時半。どうりでお腹が空いてるわけだ。

 帰ろうかと思ったが、帰る途中の藍川の言葉を思い出した。『コンビニ弁当とかしか食べてない』……。

「藍川、お昼何食べる予定?」

「ん? 冷蔵庫にある物かな。コンビニのおにぎりあった気がする」

「……キッチン行っていい? というか冷蔵庫見ていい?」

 藍川の承諾を得てキッチンへ行く。

 キッチンはリビングと同じく片付いていて、洗い物も無い。少し小さめの冷蔵庫を開けて、

「おい」

 一人で呟く。

 冷蔵庫の中身は卵数個、お茶と牛乳、マヨネーズやケチャップなどの調味料、コンビニで買ったらしい冷凍ご飯、コンビニ弁当やおにぎり、等々。野菜も肉も魚も無く、大半がコンビニ物を占めていた。

 溜息を付いて藍川の元へと戻る。

「藍川、オムライス好き?」

「好きだけど、何で?」

「……作ってあげるよ、オムライス。帰り道の約束もあるしね」

 私がそう言うと、藍川は顔を輝かせた。

「本当!? ありがとう!」



 キッチンで私がオムライスを作っている間、藍川は隣で興味深そうに料理を見学していた。

「凄いね、凪ちゃん。料理上手い」

「ありがと。藍川はオムライス好きなの?」

「うんうん、大好き。……小さい頃、お母さんがよく作ってくれた僕の大好物なんだ」

「……そっか。じゃあ頑張らなくちゃね!」


 そして出来たオムライスを運び、二人で向かい合わせに座って挨拶。

「「いただきます」」

 そして一口。

「――美味しい! これ凄く美味しいよ凪ちゃん!」

「本当? 嬉しいな」

 オムライスを美味しそうに食べ続け、満面の笑顔を浮かべる藍川。

「…………」

 作り笑いだとか、その場の笑顔じゃない、本当の笑み。

 藍川はさっきまで作ったような笑顔が多かった。

 それでも今、こうして笑ってくれているのが、

「ふふ」

 本当に嬉しかった。





「じゃあまた明日、オムライス美味しかった」

「ありがとう! また明日」

 マンションの前まで送って貰い、私もマンションに背を向け歩き出した。

 今日は入学式だった。だけどその他にも色々なことがあった。

 人を殺して、友達も仲間だと知って、凄い過去話を聞いて、オムライス作って……


「何て日だ」


 呆れ顔で微笑んで、そう呟いた。

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