余生
私、ジュン・タナカはあと3年で死ぬ。
看取ってくれる家族もいない。今の職場では仕事ができないから疎まれている。
学園の雑用係として知り合いから紹介された仕事。齢40歳にして初めての普通の仕事であった。
真っ当な仕事をした事がなかった私は簡単な仕事もうまくできない。
うまく動かない両手を必死に動かして雑用をする。
教師ではない、ただの雑用係である。そんな私に挨拶をしてくる生徒は誰もいなかった。
時折学園へ私宛の苦情が来る時もある。それは私の動きが変だからだ。不審者を雇うな。貴族を預かる学園に平民以下を雇うな。顔の傷が気持ち悪い。
それでも私は学園が好きであった。老い先短い私にとって、平和な時代で未来ある若者を見ているのが嬉しくなる。自分では体験したことの無い学園生活を垣間見る事ができる。
私をここに紹介してくれた旧友である学園長には感謝している。
あの頃を思えばこんな素晴らしい余生が過ごせるとは思いもしなかった。
それほど私の人生は生まれた時から辛く苦く、戦いの連続であったからだ。
「あっ、タナカさん今日もご苦労様です。明日の魔法授業の準備ですか? 何か手伝いましょうか?」
学園の魔法演習上で明日の授業の準備をしていた私。
魔物型の人形の配置と演習用の罠の設置。
両手がうまく動かない私は人の数倍時間がかかってしまう。
「お気遣いありがとうございます。あの少しで終わりますので気になさらないでください」
私に話しかけてくれたは若い魔法教師であるサクラ・エリザベスさん。
この学園の生徒も教師も全員貴族である。私は平民でもないただのタナカ。
優しさに甘えるわけにはいかない。
「でもこれだけの量だと夜までかかってしまいますよ?」
「いいんですよ。私は準備するのが楽しいので……。ほら、あちらで生徒があなたを呼んでいますよ」
掠れた目でかろうじて見えたのは女子生徒の姿であった。エリザベスさんを呼んでいる。
動かないエリザベスさんを見てこちらに近づいてきた。
「もうサクラ先生! あとでエンシェントノヴァの詠唱を教えてくれるっていったじゃん! ……ちょっとあんたなにサクラ先生の邪魔をしてるのよ!」
「こらっ、エリちゃん駄目でしょ? 貴族でなくても、こんな平民以下でもちゃんと人として接するのよ」
「どうでもいいし。だってこの爺キモいじゃん」
「エリちゃん……、はぁ、あなたね――」
私が二人のやり取りに口を挟む事はなかった。何故なら二人は貴族。私は平民以下の存在。
貴族から見たら私は人ではない。
私が仕事に戻ろうとすると、エリザベスさんは会釈をして女子生徒と一緒に離れていった。
……私は盗み見るようにその女子生徒を見つめてしまった。
エリ・ユキノ。
学園長には感謝してもしきれない。私の余命三年。その間にエリ・ユキノはこの学園を卒業できる。
幼い頃攫われてしまい、偶然が重なって私と一緒に生活をすることになった娘のような存在。
一緒に過ごした五年間はとても私にとって忘れられない日々。
何度も死にかけた。何度も挫けそうになった。それでも隣にエリがいたから私は生きてこの国に帰ってくる事ができた。
貴族の両親にエリを引き渡す際、私は魔女の力を借りてエリに忘却の魔法を使った。
辛い記憶と私の事を全て忘れるように、と。
……あんなに小さかったあの娘がこんなに大きくなるなんて。
私にはそれだけでいい。十分すぎる恩賞だ――
「タナカさぁん、もう少しちゃんと準備できないのかな? はぁ、まったくいい年した大人がこんなこともできないなんて」
学園主任であるアキ・サカキバラさんは王国騎士団長を勤め上げ、引退し、天下りでこの学園へとやってきた経歴の持ち主。勇者の魔王討伐の際、最前線で指揮を取っていたお方だ。
規律を重んじ、清廉潔白の精神で生徒たちからの人気も高い。
貴族主義の傾向が強いのか、事あるごとに私を注意する。私は仕方ない事だと思っている。
大勢の生徒が行き交う正門の前で私は叱られている。
生徒たちは叱られている私を見て笑っている。
気にすることはない。平和な証拠だから。
「聞いてるのか? 腕が使えないだけじゃなくて耳も遠いのか? これだから平民以下は――」
「アキ先生! おはよう! 今日は剣術教えてくれるんでしょ! あっ、またこいつの事叱ってるんだ。ねえ、先生こんなヤツ放っておいて早く教室行こ!」
「……まあそうだな。今日は勇者様から教わった剣術を披露しよう!」
エリの姿を見ると心が安らぐ。そんな感情を表に出すことはない。彼女にとって私は醜い年老いた男だ。
去っていく二人の背中を見守り、私は自分の仕事へと戻ることにした。
ただ、一つ気になっている事がある。それは、何故かエリは学園で一人ぼっちなことであった。