愛の告白と、別離の決意
〝使徒〟との連絡を付け家に帰ったヴィラを待っていたのは、沈鬱なオーラを纏うセドだった。ヴィラの足音に気付いた彼は座っていた椅子から立ち上がり、親の仇のようにヴィラを睨みつけてきた。状況の飲み込めないヴィラは、足を止めセドを見つめ返すことしか出来ない。
「レベッカに、何をしたのです?」
いつもヴィラと二人で話す時には古語を使うセドだが、余程興奮しているのか普通の言葉で問い質してきた。しかしヴィラには何の事かさっぱり分からない。
[何を言っている?]
「惚けないで頂きたい。貴方様が、レベッカを誑かしたのでしょう?一体、何が目的です?」
ヴィラは眉根を寄せる。理由も分からず責められるのは、気分が悪かった。
[何の話か、分からない。きちんと説明してほしい]
それでも丁寧に返したヴィラだったが、セドはますます眉尻を吊り上げ、顔を赤く染める。
「良くもそのように知らぬ振りが出来る。私が、気付いていなかったとでもお思いですか?貴方が、レベッカに惹かれていると、そう気が付いていないとでも?」
セドの言葉がヴィラの心に突き刺ささる。思い出さないようにしていた感情が溢れてきて、ヴィラの胸をキリキリと締めつけた。しかしヴィラはその痛みを感じなかった振りをして、続きを促すように、ただセドを見つめた。
「レベッカは、貴方の存在を喜んではいた。こんな老人との二人暮らしです、歳が近いと思われる者が側にいることが嬉しかったのでしょう。……ですが、今あの子が持っている想いは――あれは、親愛などではないでしょう……貴方が、レベッカに何かしたのでしょう?レベッカを誑かして、どうするつもりですか?」
頭に血が上っているセドの説明はいつもの様に簡潔に纏まっていなくて、ヴィラは棘を出し始めた己の心を落ち着けるため、小さくため息をついた。
(随分と不可解な状況になっていることだけは分かった)
状況を打開する為には、まずセドの間違いを正すことが必要だった。
[私は確かにレベッカに好意を寄せている。しかし誑かしてなどいないし、彼女も誑かされてなどいない]
「何をっ……では、さっきのレベッカは一体何だと言うのです?「別れる準備をしろ」と言われ泣きながら反抗し、森へ走っていった、さっきのレベッカは?今まで、私に対しあの様な態度を取ったことなどなかったのに!」
そういう事か、と怒りを露わに怒鳴るセドを見ながらヴィラは納得した。
(つまり、孫の思わぬ反抗に遭って、それが信じられなくて、僕に誑かされておかしくなってしまったと思った、と言う事か……)
馬鹿馬鹿しい、とヴィラは冷めた目をセドに向ける。
孫と喧嘩した原因を押し付けられて八つ当たりされるなど、ヴィラにとっては迷惑でしかない。そうでなくとも望んでもいない〝使徒〟との連絡を取る為に森中飛び回って気持ちが沈んでいるというのに、こんな理不尽な扱いを受けて苛立たずにいれる訳がなかった。
[口の利き方に気を付けろ]
視線を鋭くしてノートを突き出せば、セドは首を絞められたかのように黙りこんだ。しかしそんなものでヴィラの怒りが納まる訳もない。
[私に八つ当たりするな。家族の問題くらい、自分で解決しろ]
セドの米神に青筋が浮かんだのが見えたが、気にせず続ける。
[お前は普段からレベッカの話を聞かなすぎる。レベッカがテッドを嫌う理由を知っているのか?学校で孤立している事は?]
セドの目が驚きに見開かれた事で、ヴィラは悟る。――こいつは何も知らなかったのだと。
「……レベッカは、学校で孤立しているのですか……?テッドを嫌うのは、その理由を、貴方様は知っているのですか?」
教えてほしい、とセドの目がヴィラに縋る。しかし、返されたのは冷たい拒否の言葉だった。
[自分で聞け]
崩れるように膝を付き俯いたセドの頭を鷲掴み、ヴィラは無理矢理ノートを見させる。もう目を逸らさせはしないと、態度で示した。
[答えたがらないからと、聞かずにいることは放置するのと同義だ。レベッカはずっと孤独だった。それに気付かず、良く「守る」などと口に出来たものだ]
セドの顔が歪む。その顔に後悔が滲んでいることを確認して、ヴィラは彼に伝えなければならない事をノートに記す。
[〝使徒〟と連絡が着いた。明日、私はここを発つ]
昨日そう告げていたにも関わらず驚くセドにヴィラは少し呆れ、そして不安になる。
この者にレベッカを任せて大丈夫だろうかと。
[これからはレベッカの話をきちんと聞くと、この場で誓え。出来ないのであれば、レベッカを連れて行く]
半分ほど本気だった。自惚れではなく、自分が居なくなったらレベッカは泣くだろうとヴィラは思った。それなのに、傍に居るのが今の状況のセドでは、心もとなさすぎる。
セドは奥歯を噛みしめ、両手の拳を握りしめる。しっかりとヴィラの目を見つめる瞳には、彼らしい力強さが戻ってきていた。
「誓います。レベッカの話を聞くと。あの子を、独りにはしないと」
瞳が揺るがないことを確認して、ヴィラはセドの頭から手を話した。そして、足を玄関へと向ける。
「どちらへ」と聞くセドを振りかえって、ヴィラは答えた。
[レベッカを探しに]
レベッカが逃げ込むならあそこだろう、と考えたヴィラは、真っ直ぐ泉に向かった。途中で、朝ごはんも食べていないだろう彼女の為に何か持ってくればよかったと後悔したが、取りに帰るのは面倒だった。諦めて、そのまま足を動かす。
森の中で軍の連中を見かけることも少なくなった。恐らく、もっと奥の方を捜索しているのだろう。このまま無駄に時間を潰してくれればいい、とヴィラは思った。
泉まであと百メートル、という所で、ヴィラの人間離れした視力が、泉の側に倒れる黄金色の髪を見つけた。言いようのない恐怖に、ヴィラの足が竦む。しかしそれは一瞬で、次の瞬間には音の速度で走り抜けレベッカの元にたどり着く。
「――――ッ!」
ヴィラは自分が話せないことも忘れてレベッカの名を叫んだ。恐怖に全身が冷え切り、思考が上手く纏まらない。それでも体は彼女の状態を見分していた。
レベッカは顔面蒼白であるが呼吸は規則正しく行なわれており、外傷も特に見受けられない。気を失っているだけのようで、とりあえずヴィラは安堵のため息をついた。
(一体どうしたんだ?)
セドとは喧嘩をしただけだと聞いた。その位で気絶していたら、今までの学校生活には耐えられていないだろう。ならば、森に入ってから何か起きたと考えるのが筋だった。
レベッカの周りには不審な物は何もない。というより、身一つで家を飛び出したらしいので、何も持っていなかった。
(……起きてから聞くしかないか)
今すぐに起こすことも出来たが、ヴィラはそうしなかった。起こしたら、家に連れ帰ってセドと仲直りをさせなければならない。明日ここを発つ身としては、少しでもレベッカと過ごす時間が欲しかった。彼女を目に焼き付けておきたかった。
ヴィラはそのまま地面にレベッカを横たえて置くのが忍びなくて、彼女の頭を自分の膝の上に乗せる。レベッカの頭はとても小さくて、重みなど全く感じなかった。手に触れた彼女の髪は羽毛のように柔らかくて、ヴィラは惹かれるままに彼女の髪を梳いた。そうしていると落ち込んでいた気持ちが幾らか上をむいていくようで、ヴィラは彼女が目覚めるまでこのままこうしていようと決めた。
結局、そのままでいること数時間――レベッカは一向に目覚めなくて、ヴィラは段々心配になってきた。心音も呼吸も正常であるから大丈夫だとは思うのだが、しかしこれは少し異常な気がした。朝食を食べていないということは、彼女は半日寝ていることになる。幸い、今日は日照りが良く気温が上がった為、外で寝ていても風邪を引きそうにはなかったが、陽が完全に落ちたらそうも言っていられないだろう。
最初に比べて血色も良くなり穏やかな表情で眠るレベッカを見て、背負って帰ろうか、とヴィラが検討し始めた頃、レベッカの睫毛が震えた。はっとしてその顔を覗きこめば、彼女の瞼が上がり、美しいエメラルドの瞳が現れた。ほっとして微笑むヴィラを見て、彼女の目が潤む。淵に溜まっていた雫は瞬き一つで簡単に頬を伝った。優しく拭ってやれば、レベッカの唇が音を紡ぐ。
「ヴィラ」
答えるように微笑めば、彼女も嬉しそうに微笑み返してくる。
「ねぇ、ヴィラ。私、貴方が大好きよ」
僕もだよ、という意味を込めてヴィラは一つ頷く。
「貴方の他には誰もいらない位、大好きよ。貴方が大切で、大事で、特別なの」
レベッカの手が伸びてきて、そっとヴィラの頬を撫でる。心地よさに、ヴィラは彼女の手に頬を擦り付けた。たったこれだけの事で、ヴィラの心は満たされる。我ながら単純だと呆れていたヴィラの鼓膜を、レベッカの切実な声が震わせた。
「ヴィラ。ヴィラ、あのね、お願いがあるの」
レベッカは体を起こすと、ヴィラを真っ直ぐに見詰める。その瞳の色は以前にも見た事があるもので、嫌な予感にヴィラは緊張した。
「ずっと、一緒にいて」
ヴィラはレベッカを抱きしめた。彼女の負担にならない程度に、力を込めて抱きしめた。それしかヴィラには出来なかった。肯定も否定も、今のヴィラには出来なかった。ヴィラは、明日には彼女の元を去るのだから。
去る時になってこんな甘い言葉を聞くことになるなんて、神が自分を試そうとしているとしか考えられなかった。そうでないなら、一体どんな拷問だとヴィラは叫び出したかった。
彼女言葉は嬉しい。今なら宇宙の彼方まで行けそうなほど、嬉しい。
でも
彼女の言葉は苦しい。目の前にある幸せを手放さなくてはいけないことが、苦しい。
正と負の感情が入り混じってごちゃ混ぜになって、ヴィラ自身もうどうなっているのか分からなかった。分かっているのは、返事をしてはいけないということだけ。
腕の中のレベッカは小さな体を震わせる。寒さでも恐怖でもなく、歓喜に打ち震えている。ヴィラの行動を、肯定ととったのだろう。
「嬉しい」
うっとりと呟かれた言葉に、ヴィラの心がズタズタに引き裂かれたように痛んだ。きっと、明日になればレベッカはヴィラに裏切られたと思うだろう。泣いて罵り、憎むだろう。それを思うと、ヴィラの心は張り裂けそうだった。顔を苦痛に歪ませながら、ヴィラは心の中で彼女に話しかける。
(……ありがとう、レベッカ。僕も、君とずっと一緒に居たかった。それを望んでた。でも……ごめんね、レベッカ。そのお願いは、叶えてあげられない。……僕を、憎んでも良いから、だから、あまり泣かないで。僕はもう、君の涙を拭う事が出来ないから)
ズタズタの心から血が溢れ、その血で溺れているような感覚に襲われる。苦しくて、ヴィラはレベッカの髪に顔を埋める。花のような香りが鼻孔をくすぐり、ヴィラは大きく息を吸い込んだ。肺一杯にレベッカの香りが広がれば、苦しさも幾分マシになった。
ヴィラはレベッカの髪に顔を埋めたまま口を開く。
「――――」
声は出ない。けれど、言葉にせずにはいれなかった。伝わらなくてもいいから形にしたかった。レベッカへの想いを忘れない為に、自身に刻みつけるように、ヴィラはもう一度口を動かした。
「――――」
読んでいただきありがとうございました。
二人の温度差が一番激しい話でした。
もう一話で、物語のスピードが早くなります。




