変態さん?
ヴィラの心遣いを無下にしてしまった罪悪感や、テッドが来たことに対する不安などを悶々と考えていたレベッカは、気が付けば森の泉に居た。
(ここに来ようとは思っていたけど……)
この場所は、ぼうっとしながら来られるような分かり易い場所ではないのだが、どうやら体が覚えていたようだ。習慣って凄い、とレベッカは思わず笑ってしまう。
(もう何度、ここに来ているんだろう)
見つけたのは、二年ほど前のことだ。確か、テッドに押されて、階段の一番上から落ちて腕を骨折した翌日。どうしても学校に行きたくなくて、レベッカは学校に行く振りをして森に逃げた。でも森の入口に近い所ではすぐに見つかってしまうから、どんどん奥に進んで行ったのだ。今思うと何て危ないことを、と思うが、当時のレベッカにとっては森よりも学校の方が恐ろしい場所だった。そして案の定道に迷って、泣きながら歩き続けて、もうダメだ、と思った時、急に目の前に泉が現れたのだ。
あの時の感動を、どう表現していいのかレベッカには分からない。
あの時の水の旨さを、どう例えればいいのかレベッカには分からない。
どこをどのように歩いたかなどレベッカは覚えていなかったけれど、あの日以降、不思議とこの場所に来ることが出来て、今では道案内がしっかりできる程になっていた。
(この場所は、本当に特別だわ)
傷ついたレベッカの心を癒し、安らぎを与え、そして――ヴィラをくれた。
誰よりも美しく、誰よりも優しく、誰よりも尊い、レベッカの大切な、友達。
(この泉が、私の為にヴィラを呼んでくれたのかしら?)
そんなことを思った時だった。
ガサ、と後ろから草を踏み分ける音が聞こえた。
ヴィラ?と思いつつ反射的に振りかえったレベッカの目に入ってきたのは、一人の男の人だった。
雨露を凌ぐ茶色い外套に、同じ色の帽子。帽子の下の顔は若く、まだ二十代に入る前ではないかと思われた。陽に焼けた肌は健康的で、薄い唇から覗く歯をやたら白く見せている。
男は青みがかった灰色の目を見開き、レベッカを見つめた。まさか知らない人がここにやって来るとは
思っていなかったレベッカも驚いてしまい、男と同じ様な顔で固まる。
見つめ合うこと、数十秒……
男は口を戦慄かせ、叫ぶ。
「フェアリーちゃんっ!」
突如飛びかかってきた男を、レベッカは生存本能による素晴らしい反射神経でかわした。特に着地を考えていなかったのか、男は見事な顔面着地を披露し、そのまま――つまり顔面を地面に付け尻を高く突き出すという醜態を晒したまま、少女に聞く。
「……何で避けるの?」
しかし男の言葉などレベッカの耳には入っていなかった。彼女の頭に入ってきたのは、先日教壇に立っていたマリアの言葉だ。
(「最近世間を騒がせている、幼い子ばかりを狙う下劣な輩の事は、皆さん知っていますね?どうも隣村に出たようなのです。いいですか?なるべく一人で外をうろつかないように……え、何のために子どもを攫うのか?それは、その、自分の欲望を満たすためにですね……お黙りなさい、テッド・ウィルソン!皆さんも、一々反応するんじゃありません!つまり奴は――」)
「……へ、変態さん?」
「……うん。何か飛んだね。ていうか、人に向かって変態とか言っちゃダメ。フェアリーちゃんに言われるとダメージ5倍」
「よっこいしょ」と言いながら男が身を起こす。慌てて距離を取ろうと後ずさるレベッカに、男は人懐っこい笑顔を向ける。
「初めまして、フェアリーちゃん。俺は迷える旅人。決して怪しい者じゃないよ!」
親指を立て、とても良い笑顔で自己紹介する自称迷える旅人。しかし自分で怪しくないと言ってしまう時点で既に怪しいとレベッカは思ってしまう。
(ど、どうしよう……いくら森の中でも、これだけ距離が近かったら逃げられない……)
男と自分の身体能力の差は明らかで、レベッカは下手に今抵抗するよりは隙を見て逃げたほうがいい、と結論付けた。
「な、何をしていたの?」
「実は、落し物をしちゃってね。探している内に、迷っちゃったみたい」
男は少し困った様な笑みを浮かべる。
「落し物?」
「そう。多分、この森で落としたと思うんだけど……フェアリーちゃんは、この森に詳しい?」
レベッカが頷こうとすると、男は「待ってえええぇぇぇ!」と突然絶叫し、レベッカは比喩ではなく跳び上がった。
「お願い!今のなし!フェアリーちゃんは森に住んでるんだから、詳しくて当たり前!そうと相場が決まってる!良し!」
何が良しなのかレベッカには分からない。分かっているのは、この男が変人であるということだけだった。
ぐりゅるるるるるる
獣が甘える時の鳴き声のような音が、辺りに響き渡る。レベッカの視線は自然にその発生源――男の腹部に向かった。
男は照れ隠しなのか「えへへ」とだらしなく笑う。
「お腹空いちゃった。昨日の夜から何も食べてないんだ」
レベッカはそっと、手に持っていた包みを男に差し出す。
「……良かったら、どうぞ」
何となく、だが、レベッカはこの食料を渡さなければ自分が食べられそうな気がしたのだ。
そんなレベッカの心も知らず、男は「本当!ありがとう!」とレベッカの朝食に飛びついた。
読んでいただきありがとうございました。
やっとお笑い担当が出て参りました。長かった…